6.わかんない
「矛盾?」
「そう。彼、霊感があるって言ってるんでしょ。あのトンネルには幽霊がいる、とも。一方で、優里がトンネルの中で出会う足音は、幽霊じゃないっていう。変じゃない?」
わたしにはピンとこない。
しかも、それなりに酔っている。
「変かな?」
「変だよ。いい? 私が言いたいのを整理すると、こういうこと」
そう言って江津子は、テーブルの上にあった、まとめて注文をするためのメモ用紙に、ボールペンでさらさらと何かを書きはじめる。
・幽霊がいる⇒足音は幽霊だ
・幽霊がいない⇒足音は幽霊じゃない
「なら、わかるの。でも、五十嵐くんが言っているのはこう」
・五十嵐説:幽霊がいる⇒足音は幽霊じゃない
そう書いて、どうだ、と言わんばかりの顔をする江津子の視線を横目に、わたしはビールのジョッキを飲み干し、それから首をかしげてみせる。
なぜって、そのドヤ顔の理由がさっぱりわからないからだ。
「え? わかんないの?」と江津子の呆れたような声。「まったく。だからつまり、五十嵐説を文字へと起こせば、こういうことなの」
・トンネルには幽霊がいるが、あの足音は幽霊じゃない
ということは、つまり、
・トンネルには、あの足音とは別に幽霊がいる
「というわけなのよ。わかった?」
「うん。それで? 実際、五十嵐くんはそう言ってるんじゃないの? 何も矛盾はないと思うけど」
わたしはそうそっけない返事をする。
「でも、おかしいじゃない。優里が出会っているのは、足音。その足音が怖いのに、五十嵐くんはそんなの幽霊じゃないという。じゃ、改めて聞くけど、優里が恐れているのは、なに?」
なんだその質問、とわたしは思う。
江津子はすでにずいぶん酔っぱらっているのかもしれない。
それでもわたしは返事をしてやる。
「足音」
「でしょ。そこにわざわざ、霊感ゼロの優里には見えもしないし感じられもしない幽霊を登場させる必要はない。ぶっちゃけ、いてもいなくても変わらない。優里にとって何の意味もない。だからさ、その幽霊が、意味を持つとすれば……」そう言って、江津子は不意ににやにやとしだす。「実は私、その幽霊の正体、見当がついているんだよね」
その言葉を聞いて、わたしは目をぱちぱちとする。
「なに、それ。……江津子にも、霊感があるわけ?」
ちっ、ちっ、ちっ、と舌を鳴らして江津子が人差し指を振る。
「優里はニブいなあ。だいたい、いつまでもオバケを信じてるんだから、あなたも案外子どもなのね。よくわかったわ」
「そういう御託はいいから、早く教えてよ、幽霊の正体」
「わかったよ。つまり、私の説はこう」
・田村説:幽霊などそもそもおらず、五十嵐くんに霊感などない
わたしはその文字をじっと見て、それから江津子の顔を見直す。
「は? どういうこと?」
「本当の幽霊は、五十嵐くんの胸の中にいる、あなたへの恋心よ」
不意に出てきたそのフレーズはすこし、わたしの心を揺さぶるけれど、江津子の言いたいことはわからない。
わたしのいぶかしげな顔に気づいたのか、江津子が言葉を続ける。
「つまり五十嵐くんは、優里と一緒の帰り道を歩きたかったから、優里を怖がらせてそのきっかけを作るために、霊感がある、幽霊がいる、なんて言った。でも実際、優里がかなり真面目にトンネルの足音にビビってるから、あの足音は幽霊じゃない、なんてフォローした。筋は通らない?」
少し考えてから、わたしはたずねる。
「じゃ、あの足音は何なの?」
「わかんない」
江津子はそう即答して、んふふふ、と笑う。
わたしは呆れる。
「なにそれ。足音が聞こえてくる、っていうのは事実なんだからね。そこを外しちゃ、ダメでしょ」
「そんなの、音の反響か何かでしょ。優里が怖がりすぎなだけ。そして私が見たところ、五十嵐くんが優里を好きなのも事実だと思うよ。真偽のほど、聞いてみる?」
そう言って江津子が目を向けた先には、通路をこちらに進んでくる五十嵐くんの姿があった。
「いや、いい」
「顔、赤くなってるよ、優里」
「ちょっと飲みすぎたな」
五十嵐くんはわたしの正面、江津子の隣に戻ってきた。
そしてふと、テーブルの上のメモ用紙に目を落とす。
「なに、これ」
「ああ、気にしないで」
そう言って江津子は五十嵐くんに笑いかけながら、メモ用紙をぐしゃっと握りつぶした。
そんな姿を眺めながら、わたしは再びビールに口をつける。
実際、五十嵐くんはどんな気持ちを抱いているのだろうか、と考えながら。




