4.善は急げ
わたしと五十嵐くんの同期は他にもおり、田村江津子というその女はお偉いさんの秘書業務をやっていて、同期の中ではバリバリ仕事が出来る方だ。
その田村江津子にわたしたちの待ち合わせが見つかったのは、はじめて五十嵐くんと待ち合わせをしてから、三か月ほど経った後のことだった。
いつもそうしているように、待ち合わせに使っているコーヒーショップの奥の席に二人で座ってコーヒーを飲んでいると、五十嵐くんの隣に誰かが不意に腰を下ろしてきた。
びっくりして二人とも目を丸くして、急な来訪者へ目を向けた。
そこに座っていたのは江津子だった。
「ねえちょっと、水臭いじゃない」彼女は五十嵐くんの肩に腕を回しながら、わたしに言う。「私に何を秘密にして、こそこそやってるの」
真顔でそんなことを言ってくるが、その発言の約八割は冗談だ。
五十嵐くんがその肩にかけられた腕を、よいしょ、と言って外す。
「えーと、こそこそやってる、って何の話?」とわたし。
「知らばっくれるな、冴島優里」と江津子。そういって急ににやにやすると、わたしを指さす。「あなた、五十嵐くんと付き合ってるんでしょ」
わたしは五十嵐くんに目を向ける。向こうもこちらを見返してくる。
二人で同時に首を横に振った。
「またまた。そうやって隠さなくてもいいって。同期の仲じゃない」
実際、わたしと江津子は仲がいい。
以前はよく二人で遊んだ。飲みにも行ったし、休日に出かけたこともある。
江津子に彼氏が出来たり、秘書という不規則な業務に取り立てられ、出世コースに乗ってから、その数はめっきりと少なくなっていたけれど。
「別に隠してないし。付き合ってないんだって」
そんなわたしの返事に対し、江津子は五十嵐くんに目を向ける。五十嵐くんも何度か、首を縦に振る。
浮かべていたにやにやを消し、また真顔に戻ると、江津子は言った。
「え、ウソでしょ。いくつか証言もあがってるのに」
「どんなの?」
「あなたと五十嵐くんが連れ立って歩いているのを見た、っていうのから、どうやら同棲していてゴールイン間近らしい、ってのまで」
かなり振れ幅がある噂だ。
しかしまあ、根も葉もない、というわけでもない。
「じゃ、どこまでが本当なの?」
「一番最初のは本当」と五十嵐くん。「ぼくら、よく一緒に帰ってるよ」
「同棲してるから?」
「それはウソ。帰る方向が一緒、ってだけ」とわたし。
ふーん、と江津子はわたしたちの顔に何度か視線を巡らせる。
「……それだけ?」
仕事の上でもそうであるように、結構彼女は勘がいい。
「いや、実はそれだけじゃなくて……えーっと、それなりに長い話になるけど、聞く?」
わたしのその問いかけに、江津子はうなずく。
そうして店員を呼び、わたしたち三人分のコーヒーを頼みなおした。
四か月前、わたしが今のアパートに引っ越してきてからのことを聞き終えると、江津子は珍しく、目を輝かせて言った。
「なにそれ。面白そう」
面白そう。
わたしには絶対出てこない感想だな、と江津子の顔を眺めながら思う。
はじめて五十嵐くんとあのトンネルを通ってから、もう三か月。
怖くない、あの足音は幽霊じゃない、と自分に言い聞かせても、わたしはやっぱり、夜のトンネルを一人で通るのは嫌だった。
だから日々、帰り道には五十嵐くんと待ち合わせして、一緒にトンネルをくぐり抜けてもらっている。
それに足音は、わたしの想いと無関係に、未だに平気で出現した。
五十嵐くんと一緒だろうが、彼が仕事のために一緒に帰れず、一人きりの帰り道になった夜だろうが。
「ね、私もそのトンネル、行きたい。ついていっていい? 二人とも、どうせこれから帰るんでしょう」
「でも江津子、電車通勤でしょ? 駅とは逆方向だけど」
そう指摘すると、江津子はにっこりと笑った。
「いいの、今日はたっぷり時間作ってきたから。何しろあなたたちの尻尾をつかんで、そしてお祝いの飲み会でもやろうって思ってたんだからさ」
わたしは五十嵐くんへ目を向ける。向こうもこちらを見返してきた。
どこか、わたしたちは呆れたような表情を交わしあう。
このぐらいのアイコンタクトは、いつの間にか出来るようになっていた。
「さ、行こう。善は急げだ。何ならせっかくだし、今日、三人で飲み会でもやろっか」
立ち上がりながら江津子がそういう。
その案は案外悪くないな、とわたしは思った。