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イモムシの夢を見ている。

2016/03/18にツイッター上で放流した不定期連作を修正・改稿したモノです。



----/--/--:--

イモムシの夢を見ている。

明晰夢というやつはとにかく残酷だと思う。

見ているものが夢だとわかっているのに、逃げることも叫ぶことも息を殺すことも出来ない。


 今よりも綺麗な部屋の中で、夢の中で目を覚まして

本当にしたい事以外の自由を与えられている夢を見ている。


 ここは自室。

目を覚まして寝返りを打ち、前にすすめる事を確認する。

うず高く積み上げられたダンボールの中には、小分けされた物資が詰まっていて


 本当は半年余りの籠城生活の中で既に使い潰してしまった物で―――

頭の中では既に使い切り、食べ尽くしたと理解している物を、もぞもぞと確認している。


用意出来た物資は三ヶ月分だった。


苦心して、爪に火を灯し、一月までは持たせたが


()()()


 まだ世の中が()()()だった頃

予想外に出費がかさみ、手持ちと残高が心もとなく

頼りの預金口座の数字が、月々の引き落としで自動的に目減りしていくのを見て、肝を冷やした事が有る。

胃の腑を摩り下ろされるような気分で一日一食で十日をしのいだ。


ソレ以上の比較にならない恐怖を、半年余り耐え続けた。


 夢の中の様子は、部屋の中の家具や物資の数から見て恐らく十月ごろ

何も考えずに、ハンスから齎された情報から

『早く寒くなれば良い』と祈っていた頃だ。


まだ、デスクトップパソコンが()()()()()()()()()()()


 あの後、あの日、あの10月10日。

フォーラムが纏めた『ケイン・レポート』が完成した日

タイミングを見計らっていたように全てのライフラインが死に絶えた。


 しぶとく供給されていた電気・水道・通信回線は、まるで示し合わせてそうしたように


同じ日に、ストップした。


これはその直前の夢だ。


回り続ける思考を無視して、夢の中の自分が物資の確認を終えて、のろのろと室内を動き回る。


動きは遅く、鈍い


イモムシの夢、イモムシに成り果てた夢。


 自分以外に立ち入る人間が居ない室内は、未知の変化や刺激が乏しい。

電灯は消えて、時計の文字盤が蛍光色に薄く光っている以外は

自分が動いて立てる僅かな音以外は何も外部からの情報がない。

この頃には慣れきっていた。

叫びだしたく成る、気が狂いそうな静けさ。


 最初の頃耳栓代わりに頼り切りになっていた遮音性の高いイヤホンは

既に使わなくても静かだった。

耳をふさがなくても大阪は静かで、自分以外他のすべてが()()()()()()()()から。


それなのにコツコツと、叩くような音がした。


 意識が喉を鳴らす。

夢の中の身体の反応は鈍い。

意識は目を瞑ろうとする。

夢の中の身体は窓を見る。

意識は叫びを上げる。

夢の中の身体はもうイモムシで、だから叫ぶことも出来ない。



窓を見る、そこにいる。


 イモムシの身体が鈍く、鈍く、鈍く鈍く鈍く

のそのそと這いずって窓に、窓に、窓に窓に窓に進む、進む進む進む。


意識が回る。


 この部屋は6階

仕事で知った知識

建築物のワンフロアは一般的に高さ約3m、

だからこの部屋の概算上の高さは地上()1()8()()

だから、だから、()()()

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


有り得ないと『信じる』


信じなければ、()()


 コツ、コツ、コツコツコツコツと、窓を叩いて

呼びかけるように、誘うように、窓の外から外に出ようと誘う。


()()()姿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


まるで


イモムシの地平、イモムシの水面、イモムシの海。


()()()()()()()1()8()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 この夢にも正直慣れた。何度も何度も何度も何度も見るものだから慣れて馴れてしまって、もう現実との区別も曖昧なほどに馴れ切ってしまった、だから俺は平気まだ狂ってないこれは夢で俺はまだだいじょうぶでだから平気で生きていてかまれていなくて俺はイモムシじゃないんだだいじょうぶだ


ぎょろりと、()()()()()()()()()()()()()()()()


てあしがないけどだいじょうぶだあごがないけどだいじょうぶだめがないけどだいじょうぶだにくがそげてもだいじょうぶだたべなくてもだいじょうぶだうえてもかわいてもだいじょうぶだくちのなかがぶつぶつでもだいじょうぶだだいじょうぶだだいじょうぶだだいじょうぶだだいじょうぶだ


「ヒぁ―――――……」


乾いて転げ落ちて、穴ぼこになったじぶんの眼と目があって

まどのそとのイモムシと同じ姿でのたうつ自分が

顎の失われた喉から悲鳴を上げるのを聞いて


羽化するように、そのイモムシの背からバリバリと這い出して

自分が、俺が、狂っていないことの証明のために


イモムシになった自分の頸に


()()()()()()()()















201()6()/()0()3()/()1()8():AM

顔面が痛い.

部屋は、夢の中よりは汚れていて、肌寒い。


蛍光色の置き時計を()()()()()、腕は有る。

体を起こして()()()()()()、脚があることを確認する。

薄布をかけた充電式の間接照明が()()を広げて、眼がある事を確認する。


 五体が健在な自分に、安堵して

夢の中の鉈の一撃、―――現実では床に叩きつけた自分の鼻から流れ落ちる鼻血の処理にかかる。


 電波が止まり、確実性の無くなった置き時計にもいくらか血はついていて

それを指で拭いながら、合っているのか間違っているのかを確認することもできなくなった現在時刻を確かめる。


『2016年3月18日』俺は、自分は、Yはまだ、死んでいない。


生きていると、胸を張る相手はいなくはなったけれど。


 10月10日、インフラが死に絶えたあの日から、死なないためだけに全てを行ってきた。

食料を育て、野菜を作り

死物狂いで安全を確保し、歯の根が合わないほど怯えながら、外に出て物資をかき集めた。

夢の中ほど物資の残っていた頃ではなく、もっと切羽詰まってからだけれども。


『安全経路の発見』は、籠城生活からの脱出に大きく変化を齎した。

数回の試行錯誤と工作、アナログな地図を頼りに建設会社にたどり着いてからは格段に安全性が増した。


 絶対にアレらに、()()()()()()()()

大阪を地上より遥かに安全に移動できる『経路』を使って

最初こそ決死の覚悟をしたものだし、八月以前は鬱陶しいから地下配線にして欲しいと思っていたのに

今では文字通り命綱、生命線になった


『電線』を辿って、今はまるで蜘蛛の様に生活している。


 空と言うには低い距離から、電線網にハーネスとベルトでぶら下がり

使えるモノを求めて大阪を巡る生活をはじめて

諦めきれず探しているモノと

よく見る様になったモノがある。


まず、よく見るようになったモノは、アレらだ。


 ゾンビ映画や、一時期フォーラムが熱中したゾンビゲームでは

ゾンビたちは自分の足で歩き、掴みかかってきた。

中には恐ろしい速度で走ってくるモノもあって、人間のアレらに実際に遭遇したことのなかった自分の恐怖を何倍にも上乗せしてくれたモノだ。


 だが実際のアレらには、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

現実はあまりに厳しくて、惨たらしくて、彼らは早々に()()姿()()()()()()()()()



『病原』

あの生理的嫌悪を掻き立てる何かは、人間の脳を使わない。

脊椎周辺に瘤のように固まって、寄生した生物を操る為の擬似的な脳の様なモノを形成する。

『ケイン・レポート』製作中に何度も頭に叩き込んだその不気味な生態は

人間が当たり前に行う()()()()()()()()()()()()()()()()()


 歩行機能の喪失。

それは人間だったモノから

瞬く間に腕を、脚を、五体揃った『健常な姿』を喪わせた。


 アスファルトの地面を、()()()()

ただそれだけで、体液が粘性を増し、代謝の落ちたアレらは

(ヤスリ)にかけられたように身体の部品を削ぎ落とされ、喪っていった。



"イモムシ"


 ソレ以外に呼びようの無くなった有様でも

アレらはまだ動いて、生者と見るや

…といっても、もう大阪に生きている生き物など殆どいないけれど

その気配を見つけると襲いかかり

(あご)や、顔面をひしゃげさせ、削り取られている。


 頸を落とされて脳を喪っても活動を停止しなかった『あの犬』と同じだ。

アレらが止まるには『瘤』を破壊するか、一定以上の温度変化が必要で…


 今年の気候は、暖冬。

あれらの中の『病原』は、粘性を増した体液の中で寒さをやり過ごし、死に絶える事もなく

2016年3月の今

未だに大阪の地面はあれらの闊歩する――訂正、這いずりまわる地獄のままだ。


そして、もう一方。

自分が諦めきれずに探しているのが


「人間…」


 声に出して求める程には、人恋しい。

勝手な話だとは思う。

生き残りが居るとも思えない。

籠城を選んだのは自分で、あれからもう、半年余り。

正直、物資の収集は安全経路のおかげで当初の予定より遥かに上手く行っている。

飢えや乾きも感じずに済んでいる。


 ただ、いまの自分は耐え難く独りで

食べて、動いて、眠って、床に頭を叩きつけて目を覚ます。

イモムシの夢を見ている蜘蛛になった様な生は

多分、自分が思っているよりも、自分を追い詰めている。


「髭…」


 浴室でヒゲを剃る。

医薬品は薬局から消え失せていたのに、カミソリや洗剤類は大量に残っていたので回収している。

ろ過して煮沸した雨水で洗顔もする。

固まっていた鼻血も拭う。

衛生は死守するという当初の決定は今も守れている。

病気で苦しんで死にたくはないから


 鏡に写る顔には我ながら生気が感じられない。

ネットが繋がってフォーラムとやりとりできていた頃よりも、余分な肉が落ちて清潔なくらいなのに


その分、他人の顔の様だ。


 歯を磨き、口を濯ぐ。

当たり前の日課をこなすのは他人のような髪の長い男だ。


 髪を縛り、身体を動かし、アパートを階段で移動して野菜を収穫。

ドライレモンを齧ってビタミンを摂取し、魚の缶詰を汁まで啜る。


 生きている気がしない。

ルーチンワークをこなす機械の様だ。


 贅沢な話だとは思う・

10月10日までの時点で、国内で飢えを訴える書き込みだってあったのに

今の自分は誰もいなくなった街で、盗んで糧を得て一人で追い詰められているだけなのに。


 食後に休憩を挟み、また入念に身体を動かしてから着替える。

厚手のジャケットに、カーゴパンツと履き慣れたブーツ。

念の為の絶縁手袋と、建設会社で手に入れた高所作業用のハーネスとベルト。

そこに腰から木鞘入りの鉈と、幾つかの道具を入れた帆布の袋を下げ


「今日は、御堂筋線跡を遡ろう」と、予定を口に出す。


 御堂筋線は各所で脱線事故を起こしているのを確認した。

車内には乗客だった人間が満載されていて、全員潰れるか、アレらになったまま放置されている。

三国のあたりで高架を突き破って斜めに顔を出した電車から

絞ったようにひどい腐臭を伴う赤黒い血がアスファルトに滴っていたのを、併設された電線から確認している。


 電線というのは意外にゴツゴツしていて、それにベルトをただかぶせても、引っかかって前には進めない。

だからベルトの下にアクリルの管をかぶせて、補助用のワイヤーを手繰りながら

ゆっくり、ゆっくりと進んでいく。

徒歩で10分の道を、30分かけて進む。

30分の道を、1時間かけて進む。


 生ゴムと革と金属のベルトを、腕と脚で手繰って進む。

地面のアレら、無数のイモムシを見下ろしながら

ずっと考えている。


『一秒後に電気が流れて自分が死ぬのではないか』

否。絶縁対策はしている。

『一秒後に電線が切れて落下死するのではないか』

否。既に電柱同士の間に命綱の鋼線は渡してあるので、電線が切れてもこれは千切れない。

『折り重なり、地上数mまで登ってきたイモムシに捕食される』事は――

無い。現実的でない。


 安全は確保している、病的なまでに確保している。

殺されないように、死なないように

苦心して作り上げた『安全経路』を、蜘蛛のように進んでいく。


 時間をかけて、何度も電柱を乗り継ぎながら

一時間かけ、二時間かけ、歩くような速度で御堂筋線跡を辿って行く。

今日も動くものはイモムシだけだ。

大人も、子供も、同じような姿で地面を這っている。


 静かで、冷静で、安全で

ほんの数m下の地獄とはまるで別世界の様な薄曇りの空を眺めながら

歌でも歌いたいような気分なのに、それが()()()()()()()()()()()()()()()

息を殺して糸を手繰っていく。


 大阪を抜けだして、車を使って北上すれば

流石に東北や北海道では、零下でアレらの『病原』が死んでいるのではないか?

それなら何食わぬ顔で、多少の検疫でも受ければ

人間のたくさんいる避難所なんかは無理でも

医療施設で人間の近くにいる生活が出来るのではないかと、半ば本気で考えた事はある。


 ガソリンを集めて、頑丈な車に乗り込んで

物資を満載して、下道でも二日も走れば流石に着くだろうと


 そんな甘い考えを、()()()()()()

()()()()()()()()()()()()()()()()』不気味さが躊躇わせる。


ヘリが一機も飛んでいない、つまり自衛隊が動けていない。


 そんな事があり得るのか、いっそ慣れ親しんだ夢より非現実的だ

『自衛隊が避難誘導や救助を行っていない』なんて

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

それなのに特殊車両は愚か、あのやかましい偵察バイクの一台だって見ていない。


 インフラが死んだあの日、いったい外で何が起こったのか

最寄りの避難所の崩壊は知っている。

だからこそのこの地獄。

だからこその見渡す限り、沿線沿いだけで500を越える蠢き、這い回るイモムシの群れ。

耐え難い匂い以上に、理解し難い惨状。


 だれとも、何処とも繋がっていない。

生きている人間が一人もいない場所で一人でいて

見渡す限りの地獄以外の情報が一切ない。

誰かが残した書き置きすら見つけられない

ただただ静かな時間が流れていく。


停滞している錯覚


あんなに恐ろしかった電線の高さが、慣れてしまった今ではもうただただ眠い。


 適当な電柱にたどり着いてから、フックを掛けて少し休もう。

万が一にも落ちたりはしないのを知っている。

誰かが来ないか何度もこうして待っていたから。


一休みしたら、暗くなる前に戻ろう。


きっとここにはもう、なにもない。



 そう思って、たどり着いた電柱で

途方も無い虚脱感に、足を止めそうになって


でも


まだ


手繰る、糸を。


諦めない、沿線沿いを進んでいく。


 徒歩10分の距離を30分かけてすすむ

嘔吐しそうな恐怖を噛み殺して泣きながら進む。


 高いところはこわいし、ひとりなのはつらい

なにもないのはかなしい、だれもたすけにこないのはあたまにくる。


だれか一人でいい、言葉の喋れる人間が欲しい。

必要だ、()()()


どんな醜くてもいい、どんな嫌なやつでもいい。

だれか人間がいれば、だれか一人でも、自分を、俺を()()()()()()()()()()()()()()()


「あーーーー!!!! あーーーーーーーーー!!!!!!!!」


叫ぶ・半年ぶりの、いや、デスクトップパソコンを窓の外に放り出した時以来の絶叫に喉が痛む。

音に対して反応が鈍いイモムシ達もいくらか集まってくるが、構わない。


どうせここまでは来れない。


「ガァーーーーーーーー!!!! ガァァァッッーーーーーー!!!」


 意味のある言葉を叫ぶ余裕もなかった。

生きている人間は誰もいなくて

のろのろと、イモムシだけが足元に集まってくる。

誰かいないのか、誰か、生きている人間はいないのかいないのか、そうか。


それでも諦めきれない、叫ぶ。


 叫んで、叫んで、声が出なくなってもまだ叫んで

喉が裂けて、かすれた声すら出なくなり

口の中が血まみれになってもまだ叫んで


 気づけば、夕焼けの頃

まるで世界の終わりみたいな風景。

真下には夢で見たよりは幾分マシなだけの、ばかみたいな数のイモムシの群れ。


 叫びすぎて、気づかない内に吐きすぎて、内臓が痙攣している。

みっともない、見苦しい、汚らしい有り様で

もう消えてしまいたい気分なのに、まだ死にたくはない。


「…」


 疲れた。

文字通り声も出ない。

なのに、いっそ清々しい気分だ。

何ヶ月もの間、声を出さないように潜んできたから、蜘蛛のように潜んでいたから


 噴き出す。

何が蜘蛛だ、馬鹿じゃないか?


 馬鹿じゃないか、じゃない。

馬鹿だ。

こんな往来で、電線にぶら下がって叫ぶなんて

自分はとっくに"おかしくなっている"。

こんな状況で"叫ばない"なんて人間じゃない。

悲鳴を上げて、泣き叫んで正解だ。


腰に下げた帆布の袋から道具を取り出す。


夕日が差し込んで、ガラス瓶がオレンジ色にキラキラ輝いている。


ソレに、いつか、友人に贈られた銀の小箱を近づけて


 火を付けて、放って投げる。

銀の小箱は小洒落たジッポ・ライターで

オレンジ色は、瓶に注いだガソリン。

それを次々と、何本も投じる。


 ずっと、こうしてやりたいと思っていた。

焼けてしまえ、燃えてしまえと思っていた

いや、焼いてやる、燃やしてやりたいと思っていた。


 距離をとって、イモムシが焼けていくのを眺める。

火達磨になったイモムシは

長く、長く、燃えながらずっともがいている。


「あぁそうか、肺で呼吸してないから…」


 それでも熱には弱いはずだ。

火がつきにくいだけで、燃えないわけじゃない。


「それに…」


アレらは()()()()


 ただでさえ嘗て無く集まっていた沿線沿いのイモムシ達が

火の熱に反応して集まり、燃え上がっていく。

延焼するものも殆ど無い往来のど真ん中に、のたうつ同類を燃やす火の熱を求めて

アスファルトに摩り下ろされながら這いつくばって集まってくる。

その様は灯蛾の様だと言うよりも


「…『蜘蛛の糸』」


芥川龍之介の描いた

たった一本だけ垂れ下がった救い(くものいと)に群がる、地獄の亡者そのものの姿だった。




2016/03/18:PM

 往路と同じだけの時間をかけて、アパートに帰った。

今日の探索は何の収穫もなし、どころか酷い散財。

未練のように使わず持ち続けていた、虎の子の火炎瓶(ガソリン)は既に無い。

貴重な手持ちの燃料を軽率に使いきったと言うのに、この気分の軽さ、多分精神的なもの――開き直りだと思う。

じゃらじゃらと持ち歩いていた荷物が消え、ハーネスにぶら下がった馴染んだ鉈一本だけの重さが心地いい。


 自分は蜘蛛じゃない。

蜘蛛で居続けたらおかしくなる。

蜘蛛で居続けたからおかしくなった。

だから自分に、Yに戻る。


『ゾンビ犬の頸を切り落とした男』

『ハンスの盟友』

『Y城の主』に相応しい行動を取り続ける。


八月最後の日、大阪でゾンビが出た。


10月10日に繋がりを喪った。


今日、アレらを焼いた。


 鉈に手を触れる。

外気で冷え切った心地良い冷たさに

ハンスの大真面目な、笑えない言葉(ジョーク)を思い出す。


『ところで、焼きゴテでアレらと戦ったら詳細を教えてほしい』


「ははっ…」


 そうだ、効果があるか試して見るのも悪く無い。

どのみち、次の夏にはまた蚊が出る

そうしたら、このままだと流石に"生き残れない"かもしれない。


 生存圏の確保、そして()()()の確保。

火も使う、道具も使う。

確実に、的確に、自分らしく安全に

『安全経路』を最大限に使って、アレらを可能な限り駆逐する。


 そして、いつか

握りしめる、読み返しすぎてすっかり傷んだ一冊の本と

『ケイン・レポート』の入ったUSBメモリを

縁は、繋ぐ。


 3月も末、人が消えて死体が這いまわる大阪から

いつかロンドンと、アメリカに尋ねる為に続く日々を、続ける。


 人の作った空路の絶えた今、それがたとえ蜘蛛の糸のように細い道をゆく日々でも

絶対に。


絶対に。



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― 新着の感想 ―
[一言] 最後の希望、自衛隊は全滅していないと思いたい 突然、水道、電気が遮断されたってのがポイントかな 誰も生存者がいない大阪・大都市圏を放棄 限られたインフラ・電力を他の拠点に回してるとしたら・・…
[一言] この、容赦なく絶望に叩き落としてくる展開 前回の明るいラストから一転 ・インフラの完全途絶 ・追い詰められた主人公 ・明晰夢 の三段構えで読者の心にやすりをかけていく所業 さすがですわー……
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