【コミカライズ】強欲の悪役令嬢
わたくしは悪役令嬢だ。
ーー多分、悪役令嬢だ。
わたくしは鏡に映った自分を見つめる。
瞬きをする度に光を反射するような長い睫毛は、髪と揃いの色で、頬はチークを塗ってもいないのに薔薇色だ。
手元の本から頬へ移した指先は、桜貝のように淡いピンク色。
これだけなら「わたくしってなんて美しいのかしら」と感動できたのに。
角度の付いた弓形の眉に、紫の豊かな巻き毛と、いかにも性格が悪そうな吊り上がったブルーサファイアの相貌。
唇は紅を指していないにも関わらず血のように真っ赤で、我ながら、凄く「生意気」な顔をしている。
8歳の小娘のため息に、髪をすく背後の新米侍女がびくりと肩を揺らした。
それについ、眉を寄せるわたくし。
ええ、どう見ても悪役令嬢だわ。
わたくしはそっと目を閉じる。
瞼の裏に浮かぶのは、あくせくとパソコンに向かって数字を追いかける視界と、色とりどりの「イケメン」達。
青や黄色に緑に黒、鮮やかな髪色に様々な「画風」の「イケメン」を追いかけ、ストレスを追い出していたのは確かに「私」だ。
「二次元」でも「三次元」でも、なんなら「中の人」でも。
「私」はイケメンを心のよすがに生きる、くたびれた「OL」だった。
わたくしは目を開ける。
鏡の前には、わたくしにとっては見飽きた美貌がある。
「私」が一体何なのかわからないけれど、あれも確かにわたくしの人生だったことはわかる。夢でも、幻でもない。
わたくしはそっと胸を抑えた。
お気に入りの漫画やアニメに心震えた瞬間も、初めて鉄棒から落ちた衝撃も、メイクを必死で覚えた切ない傷も確かにここにあるんだもの。
「…ここは”どこ”なのかしら…」
小さくつぶやいた声のなんと、麗しく高飛車なことかしら。
愛らしさと無縁な声に、ややうんざりしながらわたくしは鏡を睨みつける。
ナイロンではない鮮やかな紫の髪は、「日本」や「アメリカ」がある「あの世界」だとは到底思えない。
これでは、「私」が生涯をかけて追い続けた「二次元」で生きていた彼ら彼女らではないか。
わたくしには魔法の才能があって、自分の生み出す氷をこのうえなく愛している。
わたくしは王家の血筋たる伯爵家の令嬢で、これから会う婚約者はこの国の第一王子。
絵に描いたようなファンタジーであることに間違いはないけれど、さてはて、これは一体どういう世界だろう?
「私」の生きがいだったゲームや漫画の世界?だとすればそのジャンルはなあに?
それとも創作物とは全くの無関係?
そもそも「私」はわたくしのいつかの前世なのか、未来なのか、それすらもわからないのだ。
「お、お嬢様、お待たせ致しました。」
びくびくとした、か細い侍女の声に顔を上げると、ベルベットのリボンと青い薔薇で飾られたわたくしがいた。
少女らしく肩に流れる髪があるのに、なんとまあ可愛げのないことかしら。
はあ、と思わずまたため息をつくと、髪をセットした侍女が震えた。
それに、わたくしの眉がぴくりと跳ね上がる。
「…あなた、新米とはいえその態度はいかがなものかしら。」
不快感をそのまま口に出すと、侍女は真っ青になった。
「淑女たる者、感情を表に出すことなかれと、わたくしは育てられているわ。あなたもいずれは身分のある方の奥様になりたいと、我が伯爵家にきたのでしょう。ねぇ、例えば貴方の夫になる方が本音を隠して振舞っても、あなたの顔を見たら筒抜けになるんじゃ意味がないのではなくって?」
少なくとも今の貴女と一緒に夜会に出たいとは思わないわ、とこれは言わなくても良かったかしら。
と、さすがに少し後悔はするけれど。
「…わたくし、必要の無い我慢は大嫌いなの。わたくしの侍女でいる事が耐えられそうになければ、お好きになさってね。」
高い給金に見合うプロの仕事を求めて何が悪いのだ。
真っ青な顔で震える侍女を置いて席を立つと、古株の侍女が静かについてくる。
咎めるような視線もため息もない、感情を一切出さない侍女にわたくしは満足して、侍女が扉を閉める音を聞いた。
そのまま屋敷の踊り場に進めば、立派な額縁に飾られた肖像画の家族がわたくしに微笑む。
つい先日まで見慣れたものだったそれをふと、見上げて、わたくしは「あら」と思わず瞬きをした。
そこにあったのは、「私」が大好きだった漫画家さんのイラストだった。
敵も味方もイケメンが多くて、合間のギャグネタもおもしろいし、シリアスな話ではティッシュ箱を空にすることなんて常識。そんな漫画を数多く生み出してくださった「私」の神様。
どれくらい好きだったかって、神様の漫画は必ず初版本を揃えて、日焼けしないように部屋の隅に専用の本棚を設置し、定期的に虫干しをするほどだった。
なんだ虫干しって。古本屋か。
しかし、鏡で見ても相対しても違和感はないのに、肖像画は「イラスト」に見えるのか。
なんだか不思議だわ、ってそれどころじゃない。
愛しているといっても過言でないほど見覚えがありすぎる画風、でも内容を知らない。そんな作品は一つしかない。
神様がキャラクターデザインをされた、唯一の乙女ゲームである。
大好きな人気声優さんも揃っていたから購入はしたものの、アクション映画とホラー映画を愛する私には、どうにも肌に合わなくて断念してたあれだ。
「迷うわー、どうしよっかなー」とか言いつつ、秒で限定版を予約して発売日に買いに行ったあれだ。
結局、チュートリアル程度で挫折したが、ヒロインは断じてこんな顔じゃなかったし、こんな配色じゃなかった。
ていうか、仲睦まじく立つ夫婦の中央で、小生意気に微笑む少女はホームページのキャラクター紹介で見たぞ。
主人公の邪魔をし続ける、麗しのお嬢様。
ぶっちぎりでファンから嫌われていたライバル。
なるほどそれが、わたくし。
つまりは、まあ。多分。
わたくしは、悪役令嬢だ。
「ご機嫌よう、ユーリウス殿下。」
我が家自慢の庭園を眺める後姿に、わたくしはそっと声をかける。
ドレスをつまみ、礼をとって顔を上げると、殿下はゆっくりと振り返り、だが決してこちらは見ずに「君も」と答えた。
「寝込んでいたと聞いたが」
変声前の少年特有の、キーの高い声はそれでいてハスキーで、嘘のように聞き心地が良い。
「ええ。2日程うなされていたようですわ。」
「…まるで他人事のように話すんだな」
「記憶がありませんもの。」
それよりも、とわたくしは微笑む。
「殿下、贈り物を有難うございます。わたくし、とても嬉しかったですわ。」
風邪を拗らせて寝込み、「私」の記憶を夢として見続けていたその間に。殿下が贈ってくださった見舞いの品。
それは、まるでわたくしの髪と瞳のような、紫と青の薔薇の花束だった。
きっとただの義務で、そして殿下のお側の誰かが手配したものだろう。
その証拠に、今こうして髪に飾っている事に気付いた様子もない。
それでも、鮮やかで瑞々しい花弁はうっとりするほど美しかった。
「次はぜひ、殿下の瞳と同じ、グリーンの薔薇が欲しゅうございます。」
くすりと笑いながらありもしない物を強請ると、殿下は9歳の子供と思えない深いため息をついた。
「王室抱えの薬師の薬も、熱は下げても君の我儘と強欲は治せなかったようだな。」
その言葉に、わたくしはパチリと瞬きをした。
「わがまま?欲しい物を欲しいということの何が悪いのでしょう?貴族が貯めこんでいては経済は回りませんわ。」
それに、少しも見慣れる事も見飽きる事もない、殿下の美しい相貌は険しく歪められた。
我が家はこの国の政に欠かせない存在で、この家の子供には”それ”に見合う責任が求められる。
それに応えようとするわたくしに、両親は望めば何でも揃えてくださる。わたくしが願って手にできない物が無い事は、ただの事実だ。
でも、と。
わたくしは一度も視線が合わない殿下を眺める。
「なるほど。」
思わずぽつりとつぶやくと、殿下が今日初めてこちらを向いた。
陶器のように白く滑らかな肌に、新緑のように煌めく瞳。
朝露のように輝く銀色の髪。
どこをどうを切り取っても美しい殿下の顔を、こうして正面から見るのは、随分と久しぶりだ。
「フィーネリア?」
わたくしの名前を呼ぶ声を聞くのは、もっと久しぶりだ。
「殿下、」
今まで気付かなかったけれど、すでに我儘で強欲な悪役令嬢は殿下に嫌われていたのだ。
目の前にいるのが、わたくしに興味のない美しい王子様ときたらもう。
可愛らしいヒロインに略奪される未来しか思い浮かばないではないか。
何がまずいって、わたくしは自分が正しいとは思わなくとも、間違っているとは思っていないところだ。
自分で自分を我儘だなんて思ったこともない。
だから、
「殿下、どうか他に思いを寄せる相手がいらっしゃったら、わたくしに気付かれないようになさってね。婚約を破棄するときは、全ての根回しが終わってからになさってくださいね。」
「…何を、」
だったら、いただいた薔薇にうっとりとするような心は捨て去らなければ。
信じなければ裏切られない。期待しなければ失望しない。
恋なんてしなければ嫉妬もないわ。
でなければ、
「わたくし、きっと相手の方を滅茶苦茶にしてしまいますもの」
そしてきっと、わたくしも滅茶苦茶になるんだわ。
「なんて思っていたのにこの体たらく!」
だん!と両手を打ち付けると、かつて新米だった中堅侍女はにこりと微笑んだ。
「お嬢様、はしたないですわよ。」
「誰もいないんだから構わないわよ!」
睨みつけても、わたくしの怒鳴り声に慣れている侍女は、はいはい、とおざなりである。
あの覚悟から7年。
わたくしは14歳になった。
ただの14歳ではない。奇跡のように美しい14歳だ。
変わらないのは纏う色彩だけで、華やかさも美しさも、周囲と比較のしようがないほど一級品に磨き上げた。
「なのに…!」
ぐ、とレースの手袋に覆われた拳を握るわたくしの肩をそっと撫で、侍女はため息をついた。
「お嬢様。お気持ちはわかりますけれど、そろそろ戻らなければ、長すぎる御不浄は好奇の目に耐えられず、尻尾を巻いて逃げたと思われましてよ?」
「だ れ が …!!!」
行くわよ!とドレスを翻し踏み出せば、侍女はにこりと微笑んだ。
わたくしは美しくも誇り高い14歳の淑女へと、己を磨き上げた。
恋などするものか。
あの美しい王子に心を奪われてなるものかと、己を高めることを一心に考えた。
なのに!今!!
わたくしを飾る宝石は選びに選んだ美しいペリドットで!
ユーリウス殿下の隣で笑うあの能天気女の存在がこんなに腹立たしいなんて!!!!!
あの能天気女に、このわたくしが殿下を奪われようとしている、なんて噂が立つなんて!!!!!!!!!!!!!!!
ピンヒールをがつがつ打ち鳴らしたい気持ちをぐっと堪え、わたくしはそっと殿下の元へ戻る。
笑みをたたえ、可憐に、美しく、凛と背筋を伸ばし歩めば、誰もが息を呑み振り返った。
これぞわたくし。これぞ夜会だ。
殿下の元へ戻ってみれば、いつ来たのやら。
懲りずに殿下のお側でヘラヘラ笑っているあの女が嫌でも視界に入り、足を踏みつけてやりたくなるけれど。
「まぁ、エリーザ嬢。あなたもいらしていたのね?」
参加者の夢を見るような眼差しに平常心を取り戻したわたくしは、丁寧に微笑んだ。「平民の貴方がどうやって貴族の夜会に来られたのかしら?」なんて厭味は飲み込み、その甘ったるい顔に。
少女の柔らかな金髪と、ピンクパールの瞳は死ぬほどあざとい。
瞳と揃いのドレスは淡いピンク色で、ちりばめられた花やリボンがクソあざとい。
普段はセンスのかけらもないお下げを、今日は緩やかに編み上げ真珠で飾っているのが引くほどあざとい。
もうなんか「女の敵を具現化したらこうなりました」っていう姿だ。
「いつもと違って眼鏡をしていらっしゃらないのね?どなたかと思いましたわ。」
しかも、今日はいつものアホほどデカくて分厚い眼鏡もしていないものだから、ただただ可憐な可愛らしい少女なのだ。
エリーザ嬢は、桃色の頬を更にピンク色に染め、殿下に隠れるようにして俯いた。
「あ、あの、レイが誘ってくれて…。その、私、昔からなんでか目立っちゃうし、それにお母様の形見だからいつもは眼鏡をしているんですが、今日は外した方が良いと、ユーリスが…」
「いやなんでそこで殿下を見上げた?!
ていうか殿下の肘に手を添える理由がどこにあったお前殿下のなんなん?!
え、なにていうか騎士のレイモンド様のご招待を受けてきたのに自分殿下とおんの!?
ていうかていうか、ナンデカメダッチャウシ???普段から全身磨き上げ、全身に気を張る貴族子女に今喧嘩売った?!!「お母様の形見」とか今いらんやんな?!ていうかていうかていうか!形見やったら身につけんと大事にしまっとけやお前裸眼でいけるんやんな今ばっちり見えてるもんなってゆーかー!殿下を名前で呼ぶなやおうコラボケカス死ね!!」
「まぁ、そうなの。確かに、眼鏡がない方がお可愛らしいお顔がよく見えて素敵ね。ドレス、よく似合っておいでですわ。」
の み こ ん だ け ど ね !
危ない危ない。
危うく、7年前からわたくしの中にある「私」の記憶が、コメディアン的なノリのもの凄い勢いでこんにちはするところだった。
そんなことになれば、わたくしはおろか、我が家は終わりである。
「そんな!ドレスはレイが用意してくれて、私なんて似合わないって言ったんですけど、その、ユー」
「まぁまぁ、似合わないだなんて。過ぎた謙遜は敵を増やしますわよ?」
ハイキタ謙遜と言う名の自慢!自分を下げているように見せかけてガッツリ自慢してくる奴ー!!!
断じて最後まで言わせてなるものかと、にっこりにっこり。
ぎり、と歯を食いしばりながら、わたくしは「それよりも」と、微笑む。
ええ。尻尾を巻いて逃げた令嬢だなんて冗談じゃないわ。
わたくしは次期王妃。第一王子の婚約者ですもの。
響く音楽の間すら計算しながら、わたくしは微笑む。
自分が最高に美しく、そして恐ろしく見えるように、一音一音を丁寧に口にする。
「みだりに目上の方の名を愛称で呼ばない。殿下の御名を呼び捨てない。男性に、それも婚約者のいる方にお一人で近づかない。わたくし、ここ数週間同じことを申し上げておりますけれど、そんなに難しいお話をしているかしら?」
そして次の音楽が響き始める。
だが、ダンスをする者も、談笑する者も、こちらが気になってしようがないらしく視線が全身に刺さるようだ。
それもそうだろう。
「あら、あちらにいらっしゃるのは、噂のエリーザ嬢とフィーネリア様よ」
「まぁまぁ、あの伝説の光魔法を遣えると噂の?」
「いやだわ、正直に仰いなさいな。殿方が夢中とお噂の、でしょう?」
「あのフィーネリア様も、手こずっておいでとか?」
「殿下の寵愛は自分にあるとばかりに、婚約者の名をほしいままにしていらっしゃったもの。さぞご不快でしょうねぇ」
「おやおや、あのように恐ろしい方に睨まれてはエリーザ嬢も可哀そうだろう」
「光魔法を使える魔法遣いが見つかるのは100年ぶりというではないか。さしもの強欲姫も今回ばかりは分が悪いのではないか?」
「うむ、しかも見ろ、今宵のエリーザ嬢のなんと愛らしいことだろう。殿下も心奪われてもいたしかないというもの。」
「聞けばここ最近ずっとお側に置いていらっしゃるとか。我儘の尽きないご令嬢から、愛らしい娘の笑顔に心癒されたとて、責められはしまいよ」
とまあこのように!
伝説の光魔法とやらを無詠唱で遣えるとか、どこぞの国の王女様だとか、噂の絶えないこの娘が、殿下やレイモンド様の傍に現れて数週間、わたくし達は噂の的なのだ!
人を貶める時のあのニヤついた不快な顔といったら!!
そこの貴族共お前ら顔と名前しっかり覚えたからな後で絶対泣かすからな一言一句聞いたからな王妃教育から逃げ出さなかったわたくしの記憶力舐めんなよ。
誰も彼もがこちらを見つめ、そしてあれそれと噂話を始めだすのが、ああなんとも滑稽だ。
この空間も、こんな小娘に心を波立たせる自分も、全てが滑稽だ。
心底くだらない。
それでも、とわたくしは微笑み続ける。
エリーザ嬢は、どうしてもわたくしと分かり合えないらしく、「貴族がそんなに偉いんですか!」とピンク色のまあるい瞳に涙を浮かべた。
「どうしてフィーネリア様はわかってくれないんですか?私が平民だから?貴族じゃないから?レイやユーリスが貴族や王族だからって、私は友達と話すこともできないんですか?」
涙は、弱さではなく信念の色をしていた。
わたくしがわたくしの誇りを持って立つように、この少女にも信ずるものがあるのだろう。
先ほどまでのか弱い姿が嘘のようだ。
これがヒロインか、と思う。
眼鏡をとったら美人がデフォルトで、無邪気で愛らしくて、古い慣習に切り込んでいく強く清らかな美しさ。
「貴族も王族も平民もありません。傷つけられれば痛いし、血が出る。みんな同じ人間です。」
両手を胸の前で握りしめ、細い肩を振るわせ、それでもわたくしを見据える姿は、眩しく、愛らしく、どこまでも無垢だ。
それを責め立てるわたくしは、どんな風に見えるのかしら?
「その言葉をそのままお返しするわ。貴女が間違っていないと仰る行動に、傷ついたり胎が立つ貴族がいて、何がおかしいのかしら。わたくしは自分が正しいとは言わない、でも間違っているとは思わない。何度だって申し上げましょう。」
殿下の目にどんな風に映るのかしら。
わたくしをどう想っておいでなのかしら、なんて。ああ、嫌になる。答えなんか一つきり。
「みだりに目上の方の名を愛称で呼ばない。殿下の御名を呼び捨てない。男性に、それも婚約者のいる方にお一人で近づかない。いくら殿下がお許しになろうとも、よ。ルールを間違っていると切り捨てる前に、自分や誰かを守るものだと冷静にご覧になるべきだわ。」
小柄なエリーザ嬢は「ごまかさないで」と強い眼差しでわたくしを見上げた。
「どうして貴方は婚約者なのに、ユーリスの孤独に気が付かないんですか!」
そして、少女の強い叫びが、ホールに響き渡る。
賑やかな喧噪の中でも、不思議とその声は良く通った。
パッケージを飾るヒロインに、初めからエンディングが見えているわたくしは笑う。
「孤独が嫌なら、王になんてならなければいい。」
「なっ…!あ、あなた、何を笑ってるんですか!レイやユーリスが可哀そうです!二人がどんなに、」
「薄っぺらい言葉で、この国の宝を侮辱しないで。お二人はその名に、手にする対価に見合うように研鑽を積まれているのよ。」
殿下は、
殿下は、それが辛いのだと、この娘には弱音を吐いたのだろうか。
殿下には、弱音を吐ける存在がいるというのだろうか。
羨ましい、なんて。首を刎ねられたって思ってやらないんだから。
「綿菓子のようにお優しく甘やかなお嬢様はご存知なくて?国だろうと商会だろうと、組織の長は孤独だわ。自分の苦労を語り聞かせる者に誰がついて行きたいかしら。」
気が付けば、音楽は鳴りやんでいた。
囁き声一つしない。全ての人間が、わたくしを見つめている。
そんなものはいい。いいのだ。
美しく我儘な”強欲姫”のわたくしは、常に人の視線に晒され生きてきた。
だから、そんなことよりも何よりも、殿下の視線が、心底恐ろしいなんて。自分が心底嫌になる!
揺らぎそうになる己を、磨き上げた自尊心と叩きこんできた王妃教育で奮い立たせて、
「わたくしは、そんな騎士はいらない」
微笑み続ける。
「そんな王はいらないわ。」
唇を噛みしめ愛らしい顔で泣くこの少女のように、なんて絶対にごめんだ。
涙を浮かべる愛らしい瞳は、乾き切ったわたくしの瞳を軽蔑の眼差しで睨んだ。
「あなたは、自分を神様か何かと思っていませんか?」
だって、
それでも、わたくしは、
「第一王子の婚約者だ」
「え?」とその声は、誰のものだっただろうか。
聞き覚えがあったような気もするし、数人のものであったような気もするし、わたくしのものだったような気もする。
思わず膝をつきたくなるような美声が、「もう一度言おうか?」と無感情に言った。
「フィーネリアは俺の唯一の婚約者で、俺の生涯無二の妃だ。」
「え?」
今度こそ言った。
エリーザ嬢が。あと心の中でわたくしが。
「なんだ。神様とかなんとか、知らないようだったから教えてやったんだが。」
「ゆ、ゆーりす…?」
あ、凄い。エリーザ嬢が見たこともない顔してる。
そんなわたくしの顔は無事かしら。
思わず背後の侍女を見ると、嬉しさと驚きと衝撃を混ぜたような、見た事がない顔をしていた。
わー、今や立派な侍女である彼女が公式の場で感情を出すのって珍しいーってそんな馬鹿な。
「フィリア」
「…はい」
わたくしの愛称を呼ぶ殿下に、動揺をぐっと飲み込んで答えた。
対のペリドットが、真っ直ぐわたくしを見詰めている。
「言っておくが、俺はこの娘に名前を呼ぶことも、勝手に名前を略す事も許してはいない。止めていないだけで。」
いやそれを許してるっていうんちゃうんかい!
頭の中でまたどこかのコメディアンが叫んだ。
「…恐れながら殿下、殿下がお優しいお方であることはわたくしも存じておりますが、そうした振る舞いは殿下が侮られていると感じる家臣もおりましょう。殿下のお立場が、」
「フィリア」
「平常心平常心」と心の中で唱えるわたくしを一声で黙らせ、殿下は周囲を見渡した。
緩くなでつけた銀糸がなんとも言えない色香を放ち、瞳は剣先のように鋭い。
わたくしの身に付けた宝石なんて足元にも及ばない、美しい王子はそしてもう一度わたくしを見た。
にやりと性格の悪そうな笑みが、覇者の眼差しが、わたくしを貫く。
「…っ」
なんども、なんども、なんども、
なんども思った。誓った。
絶対、好きになんてならない。
ヒロインが現れたら、悪役らしく。わたくしらしく、生きて、格好良く去ってやるんだって。
だから覚悟をした。記憶にあるヒロインそのままのエリーゼ嬢が殿下といる姿に、引き際だけは見誤るまいと。
己の矜持だけは貫けと。
なのになんて体たらく!
「お前の夫はその程度で揺らぐ王か?」
わたくしは何度この男に恋をすれば気が済むのかしら!!
「ああ、そう可愛い顔をするな。また、意地でも泣かせたくなる。」
ふ、と笑う顔のなんと艶っぽいこと!
”7年前”を思い出しゾッとするわたくしの背後にいたご令嬢方が、倒れる悲鳴と音がした。
わたくしは負けずに、顎を上げる。
「か、可愛いなんて」
”可愛い”というのは思わず抱きしめたくなるような、庇護欲を掻き立てられるもの。認めたくないが、ヒロインであるエリーゼ嬢のような方に使う言葉であって、吊り上がった目に濃紺のドレス、という少女らしさと無縁のわたくしに向けるものでない筈だ。
「恐れながら、目がお悪いのではなくて?そんな事を言うのはユーリウス殿下だけですわ。」
「当たり前だ他に居たら殺す。」
何その早口。何その邪悪な微笑み。
ひ、と思わず零れそうになる声を堪えた。
「俺は別に、なんと呼ばれようと、家臣が俺をどう思おうと、誰にどう見られようと興味はない。その程度で揺らぐ地位が、名誉があって何が王か。お前の言った通り、俺はただ国に尽くす者だ。だから、」
コツン、と磨き上げられたフロアに、殿下の靴音が響く。
「フィリアが俺を好きでたまらないって顔をしていればそれでいい。」
ああ、と殿下は瞬きをし、くすりと楽しそうに笑った。
「フィリアと同じだな?」
「~~~~~っ!!!!!!」
ええ、ええ、そうですよその通りですよ!!!!!!
誰になんと思われようと、どう言われようと、行き着く先が「婚約破棄」であろうと、目の前のヒロインと結ばれるのが貴方の未来でも、知ったこっちゃない。次期王の婚約者らしく、国に、民に幸いを運べるよう死力をつくすだけ。
でもそれでも、わたくしが気にしてしまうのはその眼差し。
たった一人、あなたの眼差しに嫌悪が滲めばと。
ただ、それだけが、心底恐ろしいのよ。
ああ、きっと今のわたくしは、真っ赤な酷い顔をしているだろう。
恥ずかしさと悔しさで眩暈がしそうだ。
殿下は「ははっ!」と実に楽しそうに笑い声を上げ、足を踏み出した。
カツン、とフロアが音を立て、殿下はエリーザ嬢とわたくしの間に入る。「え」とエリーザ嬢が小さく声を漏らし、そして、殿下は、
わたくしを抱き込んだ。
視界が殿下の服でいっぱいになる。
飾りボタンが痛くて、すぐ傍にある胸ポケットの青い薔薇に泣きたくなった。
「それ以上可愛い顔を俺以外に見せてやるな」
視界が塞がっているのでよくわからないが、まだ笑っているらしい。くすぐるような笑い声が、耳元で転がった。首を、サラサラと殿下の髪が揺れる感触がして背筋が震える。
「で、殿下こそ、わたくしの前以外で笑顔を見せないで」
無表情であることが多い殿下の笑顔なんて、悪どいものすら貴重なのに!わたくしは見えないのに、他の誰かが今見ているなんてずるいわ!
蚊の鳴くような声で呟くと、殿下は「しってる」と信じられないくらいに甘い声で、ささやいた。
「おまえを抱えているから誰にも見えまいよ」
あ、やばいわたくし死にそう。呼吸困難になる。
「あ、あの!」
死を覚悟した瞬間に、花が揺れるような愛らしい声が響いた。
わたくしは、声のする方を見ようとむぐむぐ動く。
「むっ?!」
が、力を強くされ再び殿下のジャケットに逆戻りをしてしまった。
「なんだ」
わたくしの頭を大きな手の平で包んだまま、殿下は平然と返す。首筋がぞわぞわするから止めて欲しい。
「そ、その、ユーリスは、フィーネリア様と仲がよろしいのですね…?」
「そんな当たり前の事よりも、気軽に呼ぶのを止めてくれ。」
ついさっき、どうでも良いのだと斬り捨てた口で、殿下は楽しそうに言った。
「民がいる。友がいる。この手に孤独をわかつ最愛がいる。間違いなく幸福だ。いいか、俺は貴女がペラペラ話すのに適当に相槌を打っただけで、肯定した記憶は一切ない。”俺”をフィリアの前で語るな。俺は誰にどう思われようと気にならんがな、フィリアに愛想をつかされるのは困るんだ。」
ぐううう、と思わず歯を食いしばる。
わたくしが羞恥でどうにかなりそうな事くらいお見通しなのだろう。殿下はくつくつと変わらず楽しそうに笑った。
その笑い声に、わたくしは思い出す。
全ては7年前、あの日から始まったのだ。この”悪戯”は!
あの日。
久しぶりにその新緑がわたくしを映し、うつくしい声が名前を呼んだ、あの日。
わたくしが全てを諦めた日、何を思ったのか殿下は笑ったのだ。
見たことがない、とろけるような微笑みで。甘ったるい、撫でるような声で。
「フィーネリア、きみ、そんな可愛らしい顔をどこに隠していたんだ」
「かっ?!」
生まれてこの方自分に向けられた事のない台詞を、よもや殿下の口から聞くと思わない。殿下は、照れるよりも聞き間違いかと耳を疑うわたくしに、そっと近づいてくる。
「フィーネリア、もしかして君が好きなのは”王子の婚約者”という肩書ではなく、”俺”だった?」
「っ」
かあ、と体温が上がる。
きっと、わたくしの顔は真っ赤だ。絶望と悲しみと、恋情でぐちゃぐちゃだった先程までとも違う、みっともない、情けない顔を晒しているだろう。
それが恥ずかしくて、悔しくて、言葉が出ない。
その間にも殿下の足は止まらない。
「フィリア」
「っ!!!」
生まれて初めて殿下の口から聞く、自分の愛称に更に狼狽えるその間に。とうとう、殿下はわたくしの目の前まで来てしまった。
もう一歩近づけば互いの靴がぶつかってしまう、そんな距離で殿下はわたくしを見つめている。
そして、殿下はそっと腕を上げた。
綺麗に磨かれた、しなやかな指先が自分に伸ばされるのを、わたくしは信じられない思いで眺めるしかできない。
「答えて、フィリア」
殿下の指先は、気付けば薔薇を手にしていた。
わたくしが髪に挿していたはずの、わたくしの瞳と同じ色の、薔薇をくるっと回して、
「…君に悪戯をするのは、癖になりそうだ」
わずか9歳と思えない、壮絶な色気を放ち言ったその言葉は、単なる事実だった。
あれからと言うもの、殿下はわたくしを試すような事をしては甘やかす、というふざけた”悪戯”を事あるごとに繰り返すのだ。
わたくしがその手にある事を確かめることが、その手にある事をわたくしが自覚することが、心底たまらない、というように。
「~~~ううううう~!」
胎が立つのは、わたくしがポッキリと折れる、”愛想をつかす”前に手を伸ばす、そのタイミングを決して見誤らない事だ。
今だってそう。
散々ヤキモキさせられて、結局この腕の中?冗談じゃないったら冗談じゃない!今度こそエンディングなんだ、ってあの覚悟を返して欲しい!
わたくしはドン、と力いっぱい殿下を押しやり、居心地が良いなんて死んでも言いたくない腕から抜け出した。
断じて逃げたのではない。
「殿下、まるでわたくしが嫉妬に狂う女のように言うのは、お止めください。わたくしは、彼女に淑女としての振る舞いを問うているだけでしてよ。」
わたくしは淑女。わたくしは次期王妃。
心の中で必死に唱えながら、つん!と顎を上げれば、「なんだ」と殿下は首を傾げた。
「妬いてくれないのか。俺は、君をフィリアと呼び君の弱音を聞いた、と吹聴する者がいれば、嫉妬で切り裂いてしまうかもしれないのに?」
わ、わたくしは淑女わたくしは次期王妃!
「まぁ、嬉しい。ですが殿下?わたくしは”なんと呼ばれようと、どう思われようと、どう見られようと興味はなくってよ。その程度で揺らぐ地位が、名誉があって何が王妃でしょう。わたくしはただ国に、貴方に尽くす者”ですから。」
わたくし以外の女と親し気にしていた男に言われたくない、と唇を釣りあげて微笑む。片方の口角を上げて笑うと、きつい顔立ちのわたくしは簡単に”悪役令嬢らしい”笑顔をつくれるのだけれど。
嬉しいやら悲しいやら。もちろん、殿下は気にも留めない。
とん、と。
殿下の指が、わたくしの耳に下がるペリドットのピアスを弾いた。
「フィリア、お前の声が俺の言葉を丁寧になぞるのは、気分が良いな?」
わ、わわたくしは淑女わたくしは次期王妃!!!!
「そう拗ねるなフィリア。俺を喜ばせるだけだと、君ならわかるだろう?」
わわわわわたくしは、しゅ、淑女わたくしはじきおうひ…!!!!
そろそろ呪文も効力を失いそうである。
表情を変えないように必死になるあまり、身体がプルプルと揺れている自覚があるのだ。次の呪文を用意するのよわたくし!!
殿下は、内心で大慌てのわたくしから、つい、とエリーザ嬢に視線を移し、もう一度わたくしを見た。
「その娘を傍に置いていた時のお前は、」
そして、ぞっとするほど綺麗に綺麗に、微笑んだ。
「なんとも、愛らしかった。」
そ の 笑 顔 の 黒 さ よ !!
背後でどさりと誰かが倒れる音がする。
見惚れて?いいえ、今度は”恐怖”で、だろう。「魔王降臨」と小さな声はきっと空耳じゃない。世の中にこんなにも恐ろしい微笑みがあるなどと、できれば知りたくなかった。
「ユ、で、殿下は」
果敢にも名前を口にしようとして、殿下に鋭い眼差しを向けられたエリーザ嬢は、慌てて呼びなおした。
「殿下は、フィーネリア様を、その、からかう為に、私といたんですか…?」
「2つ、訂正しよう。1つ、貴女は希少な魔術が遣える人物として、国が預かっている状態だ。正式に貴女の所在を決めるまでの間、陛下の命を受け俺やレイが”保護”をすると、最初に伝えたはずだろう。そこに俺の意思はない。」
殿下の婚約者であるわたくしも、聞いていた事である。でなければ、とっくに愛想をつかせていたものを。
「フィリア、今、何か言ったか?」
「いっ、いいえ何も!」
魔王モードの殿下は思考も読み取れるらしい。何それ怖い。
「2つ、俺はフィリアをからかっていなどいない。悪戯だ。」
どう違うのだ。
そこはそんなに主張をするところなのか。
「ついでに言うとだな。我が幼馴染が貴女を招いたのではなく、比較的同年代が集まる夜会へ連れて行ってやってはどうかと、陛下が提案したんだ。歪曲するな。婚約者がいないあいつにエスコートを陛下が命じられただけだっただろう。ドレスも、選んだのはレイの姉上だ。敵に塩を送る真似は好かんが、あいつを撒いてきたな?真っ青な顔でこちらへ走ってきているレイが哀れだから弁明させてほしい。」
え、なんで最後こっち見て言うの。
淡々と告げられた言葉に、パチパチと瞬きをすると、殿下は眉を寄せた。
「ああ、意味はわからなくていい。わかろうとするな。友としての義理を果たしただけだ」
Don't think Don't feel?
「私」の知識が違う名言はそうじゃない、と首を振った。
「ところで、我が婚約者殿。君は"強欲姫"と影で呼ばれているらしいな?」
今度は、周囲の貴族が眉を寄せる。訝しむそれではなく、気不味いと言わんばかりのバツの悪そうな顔で、そっと視線を外す姿がチラホラと見えた。
「宝石もドレスも、必ず領内、あるいは国で生産した物だけを、両親にしか強請らない君は、俺の妻になったら欲しい物がたくさんあるのだと憚らない。」
なるほど強欲だ、と殿下は私へ指を伸ばした。
する、と撫でたのは首元を飾る新緑のネックレス。
他国であれば簡単に手に入るこの石も、我が国では入手が難しい。
だからわたくしはつくらせたのだ。それを、
「知っているに決まっているだろう。俺を誰だと思っている?ルーカス、だったか。ここ数カ月、べったりだったな?」
わ、わー!にやりって!にやりってすっごい怖いんだけど!!
「この国で多くつくられているサファイアを、魔法で加工して緑にしたらしいな。元の石の色や、魔力の濃さなどで色合いは微妙に変わる。加工職人の技術は勿論、術者にも繊細な魔力操作が求められる為、一般に普及するにはまだかかるだろうが…他国でかなりの高額で取引されている宝石にも勝る仕上がりになったという話は、真実のようだな?」
お願いだからわたくしのネックレスから手を離してください。
蛇に睨まれた蛙、ライオンに追い詰められた兎は、こんな気分なのかもしれない。あ、いや自分が兎だなんておこがましいですねすみません。謝るので誰か解放してください。
私の願い虚しく、殿下の言葉は止まない。
「フィリア。婚約者の俺を放ってよそ事に掛かり切りになるのは、些かつまらん。しかも、この石に魔力を注いだのは君だと?つまりは君は、俺が君に贈り物するのを嫌がる癖に、なんとかという、加工職人の男と2人で宝石を生みだしただと?君は俺にそれを許せと?王太子たる俺に己の望みを貫くなど、なんと強欲だろうか。」
怖い。マジで怖い。全力の厭味が心にガスガス突き刺さってる!
この距離で、この圧を受けても、微笑み続けるわたくしを誰かほめてほしい。
わたくしは悪役令嬢。わたくしは悪役令嬢。さっきから新しい呪文を百回くらい唱えている。そろそろゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。
「…とは言え、俺は君がこの国を、俺を愛している事を知っているからこそ、君の”強欲”も愛している。だから否と言うなよ?」
今日の殿下はとってもよくお話しになるのね、なんて言ってはいけない。決して刺激してはならない。
そんなわたくしの心情をどこまでわかっているのだろう。
つい、とネックレスをもう一度撫でた殿下の指は、胸ポケットの青い薔薇を取り出した。
くる、っとドレスを揺らすように薔薇を回す細い指。
そして、この世で一番美しいペリドットを細めて、
「緑の宝石が欲しかったのは、俺の瞳の色だからだな?」
青い薔薇に口付けやがった………!
わたくしの瞳と!同じ色の!薔薇に!あの日と同じように!!!!!!!
7年前のあの日をわざと、思い起こさせるその仕草、その目、
「答えて、フィリア」
「~~~~っ、」
こんの性悪色気大魔王どうしてくれようか!!!!!!!という思いをわたくしはぎりっとぐいっと箱にねじ込む。ねじ込んで蓋をして、心のブラックホールにぽいと放り投げた。
そして心で唱える。
わたくしは淑女。わたくしは次期王妃。
わたくしは、悪役令嬢。
誰にどう評価されようと噂されようと構わない、と言う。
そんなお前が、己の言葉に視線に狼狽える姿がたまらない。
そう思うのは、貴方だけではない。
わたくしがその手の中にあるのならば、貴方だってわたくしの手の中だ。そうして、”悪戯”に夢中になっていればいい。
強欲で我儘で、恐ろしい貴方の妻でいられるのなんて、たった一人でしょう?
そう、わたくしは強欲な悪役令嬢。
くす、と侍女が丁寧に紅を差した唇が、自然に弧を描いた。
そこに人差し指を、ゆっくり添えて。
首を傾げて、少し、上目遣いに。
それから、殿下の髪がわたくしの首筋を撫でるような声で。
殿下の目が、大きく見開かれる。
「わたくしが全てを晒すのは夫だけでしてよ。たかが薔薇のように簡単に手にできるとお思いにならないで?」
瞬間、ドサダサ!っと殿下の後ろにいた男性が数人倒れた。
よっしゃ、わたくしだってやればできる子よ!
と、やり遂げた思いで喜んだのは、ほんの一瞬だ。殿下の笑みが、すごい、どんどん、黒く…!
「…誰の許しを得てそんな顔を君は、」
「ああ、殿下それ以上仰らないで!わたくしの心をこれ以上暴くだなんて!人とはなんと好奇心の強い生き物なのでしょう。手品のタネを暴きたいと目を凝らし耳を澄ませる人の心は止められない。けれど、それを吹聴する、品がない真似だけは許してはならないと思いますの。そうお思いになりません?殿下?」
これ以上真っ黒王子様とやり取りをするのは勘弁してほしい。
ヒットアンドアウェイはわたくしの信条である。一矢報いたところで、さっさと終わらせようと捲し立てると、殿下は不満そうに眉を上げ、はあ、とため息をついた。
「ああ、全くだ。無作法な俺を許してくれるだろうかフィリア」
「ええ、勿論。では、殿下も今宵の事を秘密にしてくださるとお約束してくださいますわね?」
秘密も何も全員聞いてるじゃーんなんてツッコミを入れる阿呆はいませんわよね?お集まりの紳士淑女の皆々様ならおわかりになりますわね?今宵の出来事は他言無用。わたくしの醜態を言いふらそうものなら末代まで祟ってやるわよ。
そんな気持ちで微笑めば、殿下はいつもの顔で、いつもの声で言う。
「勿論、俺の唯一」
そして、勘のいい音楽隊が再び演奏を始める。
はっとしたように、周囲が再び動き出す中で、殿下はそっとわたくしの腰に手を回し「もし、」と囁いた。唇が耳に触れているのは絶対に気のせ、
「緑の薔薇を差し出せば、今宵は君の全てに触れられるかな?」
よっしゃ第二ラウンドね?
「ちょっと待ってつまりはどういうこと?!」
「フィーネリア様はこの国では手に入らない緑の宝石がずっと欲しかった。そこで”強欲姫”らしく、なければ造ればいいじゃない、と、それはいい。が、この国で一番頭が柔軟で一番腕のいい加工職人の元へ毎日通い詰めた。それが我が君は気に入らない、しかも職人と仲良く共同作業と聞いて怒り心頭。君、体よく利用されたんだよお疲れ。」
「はぁ?!!」
「あと光魔法、公表してないだけでフィーネリア様も10歳くらいから遣えるんだよね。執着心の塊の殿下からしたら、君、ほんとに便利な存在なんだと思うよ諦めて。」
「はあああ?!!だって!ゲームじゃそんな設定…!」
「ゲーム?」
「あ、いえっ、その、えへ?」
「いや遅いから。もうとっくに猫逃げ出してたよね。あのさ、流石に観衆の前では珍しいけど、よくある茶番だからマジで諦めてね。」
ま、簡単に諦められたら苦労しないよね。
と小さく漏れた言葉は、「はあああああ?!」という絶叫と賑やかな音楽にかき消され、聞き耳上手の貴族の耳にも届くことはなかったとか。