とある社畜の異世界転移
某居酒屋?―――
「お先に失礼します……!!」
元気いっぱいに挨拶して帰っていく高校生バイトに、腐りかけの魚のような目で俺は見送った。
アルバイトはいいねえ……働いた分だけお金が貰えて。
働いても働いてもお金が貰えない俺。
こうなったのはいつだったのか。
発端はこの会社で過労死が出た事だった。
入社したての23歳が心臓麻痺で死亡……どうも彼はこの会社がブラック会社だと正しく理解していなかったようだ。
一日15時間、月二回休みを普通だと考えてあの世までフルタイムで働いてしまった。
そして世間でバッシング……当たり前だが過労死裁判で負けたこの会社は大きな改革を行うことにした。
曰く……会社からの押し付けではなく、現場の店長による臨機応変な運営。
ようは店自体の独立性を高めてトカゲの尻尾切りの準備を開始したのだ。
過労死を訴えるのならば会社じゃなくて、権限を強くした店長にしてね……そういうことだ。
店員の給料も店長が決める。
会社があらかじめ人件費を店長に提示してその内訳を自由に店長に決めさせるのだ。
だがおうおうにしてこういう場合、その提示された給料は人数に比して少ないものだ。
9人分の給料を10人で分ける。
そしてアルバイトは時給契約なので働いた時間分は必ず払わなければならない。
よって4人分の給料を正社員5人で分けることになる。
店長が選ぶ方法は二つ。
一つは自分の給料を据え置きにして、限界まで部下の給料を削るか。
もう一つは、部下の給料をできるだけ下げない様にして自分がタダ働きするか。
うちの店長はしかし第三の方法を選んだ。
鬱を発症して短期入院……結果、年功序列で俺が店長代行としてタダ働きすることになった。
部下、もとい昨日までの同格の同僚の給料を減らす?
人望のない俺がそんなことをすればサボータジュという名の反乱が起きる、そうなったら俺の評価はガタ落ちで下手すれば自主退職に追い込まれる……元ニートの俺にはもうここしか働く場所がないのに、それは困る。
そんなことを考えていたところでデシャップにドリンクの注文が入る。
「レモンサワー三つね……すぐ作るよ」
はて……何かがおかしい。
この店には今、俺しかいないはず……誰が注文を?
今更ながらに気付いた。
俺はなぜ店にいる。
確か俺は同窓会に向かっているはず……あれ、それは明日だっけ?
何かがおかしい。
だが何がおかしいのかは分からない。
(今は何時だ?)
混乱する頭で時計を見ると今は深夜2時……閉店時間などとうに過ぎている。
何の問題もない。
今日も俺は店に泊まり、朝方に身体を洗うためだけに家に戻るのだ。
いつもの日常、いつもの業務……だからこそ、わずかな異変が目についた。
「秒針が止まっている……」
時計の秒針が止まっている。
時が止まっている。
俺は……客も従業員もいなくなった無人の店でレモンサワーを作り続けていた。
*****
「気づいたの……?」
目の前には13歳くらいの少年が立っていた。
日本人……だがその髪は白に限りなく近い銀色……そしてその目は血を溶かし込んだような朱色をしていた。
身長は150センチにも満たない小柄。
その小柄な肉体をヒラヒラとした服が包んでいる。
黒い……なんかの映画でそう、キョンシーが着ているようなあんな服。
本当にキョンシーなのか、額には札が張られている。
こいつはヤバい……。
何がヤバいって、今は深夜……こんな時間に親の同伴なしに子供を店内に残しているとバレれば規定違反で俺が怒られる。
慌てまくる俺を、しかし少年はどこかせかすように俺の手を取りどこかへと連れて行こうとしている。
力が弱い……外見同様に非力なようだ。
それに気も弱そう……八の字の眉が穏やかな気性であると如実に示している。
「君は死んだんだ……だけどある方に蘇らせてもらった」
「は、俺が死んだ……?」
「僕たちはその方に恩を返さなくてはいけないよ……短い時間しか働けないけれど、それでもできる限りのことはしないと」
いやいやいや、死んだってどういうことだよ。
少年の言葉が俺の心にズカズカと突き刺さる。
なんかだんだんと思い出して来た。
俺は河野に殺されたんだった……そうだよ、殺されたんだよ。
俺の人生はもう終わりなんだよ。
30歳で人生終了なんて早すぎるだろ。
やりたいことはなかったけど、死ぬのは嫌だ。
いや、やりたいことはあった……彼女とか欲しかったよ。
エロいことしたかったよ。
くそ……一度でいいから、親へ渡していた生活費を減らして風俗とかに行けば良かった。
「何をしているの? 早くしないと僕の身体が処分されてしまう……そうなったら君も死ぬんだよ」
煩悩全開で悩む俺を不思議そうな顔で見る少年。
なんか無性に憎たらしくなってきた。
なんで殺されて働かなければならないんだ。
ここは地獄か……俺はニートの罪で懲役刑か。
後から来る河野よりも軽い刑だよな……あいつが俺よりも軽い刑罰だったら許さないからな!!
「ところで……その蘇らせてくれた偉い人って誰だよ?」
「……」
とりあえず、確かに恩があるのだからその名前を聞いてみることにした。
憤りはあるのだが、基本的に俺は上には卑屈なまでに逆らわない男。
長いものには巻かれる人間。
蘇らせてくれた存在には最低でも表向きは従っておこう。
誰だ……俺の知らない奴か。
母さんだと言いな……兄貴ばっかり可愛がる、何事も正しい正しくないよりも、好き嫌いで判断するアレな人だけど……息子に対して少しは情があると信じたい。
まあ、確率は低いが……期待するぐらいなら。
だがそんな淡い期待は裏切られる。
本当に……とんでもない名前が出た。
「カンパニーの客将……河野彰様だよ」
にっこりと笑う少年の額……そこにジョッキが勢いよくぶつかった。
「あっ……」
驚愕のあまり何の反応もできなかったのか、少年は額を抑え、そこからあふれ出る血を止めにかかる。
それ以外の事はしようとはしなかった。
ジョッキを額にぶつけたのはどうやら俺らしい。
レモンサワーを作ろうとしていたジョッキは今も握っている。
反射的に殴っていたようだ。
うむ……すまなかった。
「……」
俺は再び手に持っていたジョッキを少年の頭に振り下ろす。
二重構造で、たまに焼酎お湯割りダブル、あるいはマイナスゼロ度のプレミアルモルツを注がれるこのジョッキは丈夫だ。
手荒に使ってもなかなか割れない。
ゴスっと鈍い音がして少年の頭頂部に赤い色が散った。
俺の顔はどこまでも無表情だろう……だが心は荒れ狂っていた。
こいつは河野の手下。
それも……殺しておいて蘇生の恩を着せる卑劣な存在。
容赦などいらない。
怯む少年に何度もジョッキで殴りつける。
特に考えもせずに殴り続けた
だがジョッキを側頭部や後頭部に当てないだけの分別は残っている。
その部分はマジで危ない……失神で済めばいいが、下手すれば病院行きになるのだ。
経験上……俺はそれを知っている。
「やめ、やめて……」
掠れるような悲鳴を俺は無視する。
この少年に怒りをぶつけたもう一つの理由……それがこの少年が俺よりも弱そうだったから。
こいつなら勝てる……そう思ったから行動に出たんだ。
自分よりも強そう、あるいは立場が上だったら俺は愛想笑いを浮かべて我慢していたはず。
卑劣卑怯卑屈……いつから?
昔からだ……だが今までの俺には自分より弱い立場の存在がいなかった。
だから暴力なんて振るわなかった。
だから今は暴力を振るう。
くらえ、くらえ……俺の積年の恨みを食らいやがれ!!
「こ、この……!!」
少年が小さく何事かを呟いた。
そうすると、頭を庇っていた右手に小さい黒いナイフのようなものが出現する。
何、魔法……?
もしかしてこの世界はファンタジー……異世界か。
ナイフは一人でに飛び、俺の方に向かってくる。
躱せない……狙い来るナイフは俺の左目を掠めた……左目にマスタードが入った何倍もの痛みが俺を襲う。
このガキ……。
渾身の一撃を少年の頭に叩き込む。
ジョッキの角は砕け、さらに持ち手が外れてジョッキ本体がゴロゴロと床に転がる。
額から頭頂部を血まみれにした少年はか細い息を吐きながら倒れこんでいた。
良かった……死んでない。
「クソ……全然気が晴れない」
こんなことしても何のストレス解消にならない。
現状は変わっていないんだ。
クソ、クソ、クソ……。
俺は悪態を突き再びデシャップに戻る。
レモンサワー三つ……とにかく作っておくか。
「なんだ明るい……?」
ホールが明るい。
天井に光がある。
天国か……。
*****
とある森の中―――
光に包まれたと思ったら目が覚めていた。
どうにもねっとりとした空気が不快な場所。
辺りを見渡すとそこは森の中だった。
ただし周囲の木々は枯れかかっている。
除草剤でも撒いたかのように、全ての植物が死に瀕していた。
「……目覚めたか」
「……っ!!」
目の前にいたの人間……今度はあの少年ではない。
白衣に白い覆面……黒子を白くしたような、あるいは石田三成の親友大谷刑部。
時代劇に出てくるような白覆面が俺を見下ろしていた。
「引き取り手がいるとはいえ、これ以上目覚めなければ処分していたところだ……さ、出ていけ、そして休んでいた分を取り戻すのだ」
(偉そうに……俺を殺しておいて)
こいつ嫌い……。
俺はこの覆面をとにかく敵対対象として決めた。
仲良くなってはいけない……ちなみにその基準は実に厳しい。
勤め先の居酒屋の同僚四人のうち、二人は敵対対象だった。
(とにかく、死んではいないようだな)
心の中で悪態を吐きながら俺は起き上がり……そのまま転ぶ。
身体がかなり弱っている……それになんだか左目が見えない。
さっきのナイフのせいか……ともかくそのせいで動きにくい。
覆面の冷たい視線が突き刺さる。
目の前には鏡……そこに映っている顔は雪月と言う三十男の物ではない。
そこに映っていたのは……あの少年の物だった。
(……は?)
まったく状況が分からない。
どうやら俺はあの少年の身体を乗っ取っているらしい。




