599列車 狭軌最速
2062年3月28日・火曜日(第21日目)天候:曇り 東海旅客鉄道東海道本線六合駅。
金谷14時09分→六合14時17分
最長往復切符往路六合駅で途中下車
金谷から乗った列車を六合駅で降りた。別に降りる予定はなかったのだが、突然降りたい衝動に駆られたのだ。
ホームに降り立ち、315系の発車を見送る。列車は315系2500番台2編成の6両編成だったらしい。聞き慣れたVVVFサウンドを響かせながら、発車していく。だんだんと小さくなる列車を見てから、階段を上り、駅の外に出た。
橋上駅車から階段を降りて、僕たちはある看板の立つ場所に来た。
「クモヤ9300狭軌最高速度175km/h達成・・・。」
萌が書かれている文字を読んだ。
「これで時速175キロ出したって事。」
写真を指さした。
「そういうことでしょ。特急「こだま」の151系が最速163キロだから、達成出来ない数字でもないでしょう。」
と僕が言った。
「・・・。」
これは1960年11月21日、ここでクモヤ93形という試験車両が時速175キロを記録した記念碑である。もちろん、これは全て新幹線開発のために行われた私見である。のだが、当時の東海道本線でよく試験をやる暇という物があった物だ。夜にでもやったのかな・・・?
まぁ、見た目からは全然スピードの出そうにないこの試験車が頑張ってくれたおかげで0系の開発にも活かされたということなのだから、この車両が作った功績は大きい物だ。
「でも、この電車があったから新幹線出来上がったんでしょ。すごいよねぇ・・・。」
「・・・新幹線がすごいのはそうなんだけどさぁ・・・。新幹線って背伸びしないで出来上がってるっていうのもすごいんだよなぁ・・・。」
「背伸び・・・。」
「うん。ATCは海軍の信号技術。0系の先頭は航空力学。軌道、車両、モーターは当時あった物を時速200キロの走行に耐えられるように強化しただけ。ほら、新幹線って考えれば考えるほど冒険しているところがないんだよね。」
「・・・ああ、いわれてみれば確かに・・・。」
「だから、新幹線があれほど短期間で成功したのは背伸びしてないって言うこともあるんじゃないって事。」
「・・・ほう。」
「さて、見る物見たし、戻ろうか。」
「これ見るために降りたの。」
「良いでしょ。北海道とかじゃないだけまし、まし。」
「それもそうかぁ・・・。」
僕たちは階段を上って、ホームに戻る。
六合14時27分→静岡14時51分
やってきた列車は315系2500番台3両編成。この辺りは列車の編成を短くして、列車本数を増やしている。この辺りはただ乗って過ごすだけなら地獄だろうが、こういう楽しみ方をするだけで地獄から解放されると考えを改めるようになった。まぁ、何度もやりたいと思うことはないのだが・・・。
静岡駅に着けば、また列車の乗り換えだ。静岡駅から三島駅の間は東海道新幹線に乗車する。この次元跳躍は後々意味を持ってくるようになるが、その恩恵を受けられるのはまだまだ先である。
静岡15時20分→「こだま458号」→三島15時50分
最長往復切符往路三島駅で途中下車
一口メモ
日本国有鉄道クモヤ93形架線試験車
この車両は走行中のパンタグラフ(集電装置)と架線の状態を計測する試験車である。高速試験車の側面も持ち合わせており、各種高速度試験もこの車両で実施されている。1960年11月21日、新幹線で採用する集電装置を取り付けた上で試験が行われ、東海道本線下り線六合駅付近で狭軌最高速度175キロを記録した。
日本国有鉄道151系特急型電車
日本国有鉄道が開発した電車特急。それまで長距離列車は客車列車が常識であったが、この151系はその常識を覆すきっかけを作っている。東海道新幹線が開業する前に特急「こだま」として走ったことから「こだま形」の愛称を持つ。電車方式の採用により速達化も達成し、それまでの動力集中式(機関車牽引)の列車で7時間30分かかっていたところを40分短縮している。この速達性の高さを買われ、東海道本線の在来線特急は瞬く間に151系化されていった。
特急「こだま」
東京~大阪間に1958年11月1日設定された東海道本線の在来線特急。所要時間は6時間50分。特急「こだま」の設定によって東京~大阪間の日帰りが可能となったため「ビジネス特急」と呼ばれる。その後、東海道新幹線の開業により新幹線にその名を譲り、廃止となった(1964年9月30日運行終了)。




