568列車 安芸の宮島
2062年3月15日・水曜日(第8日目)天候:晴れ 西日本旅客鉄道山陽本線広島駅。
ホテルから出て広島駅に向かう。今日は一日中広島近辺で過ごすから、移動もゆったりとしたものだ。
広島駅から山陽本線の列車に乗る。最長往復切符は広島から東へ向かっていくが、今日僕たちは反対方向|岩国方面行きの列車に乗った。
広島9時15分→「快速通勤ライナー」→宮島口9時43分
広島→宮島口の乗車券使用開始および終了
宮島口で227系を降り、改札口から宮島港の方向へと歩いて行く。やはり、広島の北のだから、日本三景安芸の宮島には行かないとね。
「私、宮島に行くのは初めてだな。」
萌が言う。
「僕だって初めてだよ。いつも広島の近くには来てるけど、宮島には来たことないし。」
という。
さて、宮島に行くためには船で行かなければならない。乗船券が必要になるが、切符売り場には2種類の券売機が置かれている。一つは民営の松代汽船。もう一つは西日本旅客鉄道のものだ。
西日本旅客鉄道が運航する宮島航路は日本に残った鉄道会社が運営する航路である。青函トンネルや瀬戸大橋がつながっていなかったときはそれぞれに青函航路、宇高航路(その他にも広島~愛媛間の仁堀航路、九州関門航路など)が運航されており、珍しいものではなかった。だが、海の天候に左右される船舶の運航は安定輸送が求められる鉄道には逆行するものであっし、青函航路洞爺丸事故や宇高航路紫雲丸事故など大事件も有り、長距離を船で結ぶという考えは減退し、鉄道を結ぶ気運が高まっていった。
今、こういう所でしか残っていない鉄道運営の航路だが、宮島に鉄道が敷設されることはないし、たとえ宮島航路が赤字でも宮島が観光地としての価値がないかといわれるとそんなことはないため、宮島航路はしばらく安泰であろう。
「どっちで行く。」
「JRで行ってみる。JR最後の航路なわけだし。」
よし。僕は2人分の切符を買い、フェリー乗り場へと歩く。桟橋には1隻停泊しており、船首には「みせん丸」と書かれている。「みせん」は宮島にある山の名前だったかな・・・あってるっけ。
「みせん丸だって。可愛い名前ね。」
「可愛いなぁ・・・。日本は船舶の名前にちょっとした決まり事があって、民間の船舶には必ず「丸」って付ける必要があるんだよなぁ。」
「へぇ・・・。」
萌はちょっと考えてから、
「ああ、青函連絡船にも、伊勢湾フェリーにも確かに「丸」って着いてるね。へぇ、そんな決まりがあるんだ。」
摩周丸、八甲田丸、羊蹄丸、洞爺丸、大雪丸。伊勢丸、伊良子丸、鳥羽丸・・・ね。
宮島口9時55分→「宮島航路」→宮島10時05分
宮島口→宮島の乗船券使用開始および終了
「宮島に到着。」
みせん丸から下船し、宮島の中へと踏み込む。
辺りには鹿が歩いている。日陰でくつろいだり、そこら辺をプラプラ歩いたり。野生動物っていうのは本当に自由気ままのものである。こういうのを見ていると一番自由でない動物は人間なのではないかと思えてくる。
「みんな可愛いねぇ。」
「可愛いかぁ。」
僕が言うと、
「ああ。ナガシィにとって可愛いのは私よね。」
「・・・もう可愛いじゃないけどな・・・。」
「今は大人の魅力。」
「コメントは差し控える。」
「なんで。」
置いてあるだけの大鳥居を見たり、厳島神社を見たりしながら、散策する。しかし、宮島の来てもあの大鳥居が置いてあるだけというのはにわかに信じがたい。よく台風とかで倒れないものだな。
「ナガシィ。鹿さんにぶつかるよ。」
「えっ・・・。わっ。」
鹿を交わして、たった今すれ違った鹿を見る。
「説教しちゃう。」
「ハハハ。ちゃんと前見て歩けって・・・。」
「鹿がしゃべれたら、「お前が言うな」って言われるね。」
「ハハハ。・・・山でも登るか。」
萌は黙って頷く。伊藤博文が言った。日本三景宮島は山の上から見るのが一番いいと。ここは初代総理大臣のいうことを守ってみようと思う。




