555列車 聖地肥前山口
2062年3月8日・水曜日(第1日目)天候:晴れ 九州旅客鉄道九州新幹線長崎ルート肥前山口駅。
新幹線はあんまりスピードを上げないまま肥前山口駅に到着した。
最長往復切符往路肥前山口駅で途中下車
ここで降りたのは他でもない。ここに来たら必ず見ようと思っていたものがあるからだ。途中下車印を押して貰い、肥前山口駅の北口に向かった。
階段を降りていくとそれはあった。
「これが最長片道切符のモニュメントなのね。」
萌がつぶやく。
「これかぁ・・・。結構大きいかな。」
記念碑は結構汚れている。モニュメントにはタツノオトシゴとして描かれた日本列島の絵がある。列島縦断12000キロ。JR最長片道切符42日間の旅と書かれた赤文字はかすれて読みづらくなっているところがある。
JR最長の切符。これの始まりは日本最北端の駅、稚内駅であるが、その終わりはここ肥前山口駅である。この切符の旅が行われたのは2004年。今から約60年前の話である。それから九州新幹線長崎ルートの武雄温泉~長崎間が開業するまで肥前山口駅は最長片道切符の終点として君臨していたのだ(今は武雄温泉が最長片道切符の終点である)。
「究極の旅行とは言ったものよね。」
「究極でなくなってあと少しで半世紀も経つんだな。」
僕たちはつぶやく。今僕たちの手にはこの切符を遙かに上回る切符を持っているからだ。究極の旅行は13年経って姿を変えた。今から僕たちは究極の旅行に旅立つのだ・・・もう旅立ってるけど・・・。
「行ってきます。」
僕たちはモニュメントに声をかけ、肥前山口駅の構内に行った。在来線の改札口で最長往復切符を見せ、ホームに入った。今度見に行ったのは門司鉄道管理局の局長が書いた「旅情」という文字の入る石碑だ。これを見ると「今日本の中で私が一番この言葉に似合っているのではないか」と言いたくなる。
「言うことないの。」
「言うことって・・・。じゃあ、言ってみるかな。」
僕は石碑に近づいてから、
「んんっ。あー、今日本の中で私達が一番この言葉に似合ってるんじゃないでしょうか。約100日後にはこの言葉がどう私達の目に映るのでしょうか。それでは行って参ります。」
「えっ、それ・・・。」
「ダメ。」
「ううん。ダメじゃないよ。いや、もっと別なこと言うと思ったから。」
「ハハハ・・・。あー恥ずかしかった。」
「フフフ。私しか見てないよ。」
「嘘言うな。人いるじゃん。」
「フフフ。」
「ハハハ。」
2両編成の817系が後ろを通り過ぎた。肥前鹿島に向かう普通列車らしい。あの列車に乗れば、播州さんが初めてやった「最長往復切符の旅」の始発駅肥前白石駅に行くことが出来る。
「普通列車来たよ。肥前白石でも行ってみる。」
「行ったって何もないだろ。新幹線で博多駅戻って、今日はもうゆっくりしよう。」
在来線と新幹線の乗り換え改札を通り、新大阪行きの新幹線「かもめ号」に乗って博多駅に戻った。
肥前山口14時02分→「かもめ666号」→博多14時34分
最長往復切符往路博多駅で途中下車
一口メモ
九州旅客鉄道長崎本線新鳥栖~肥前山口間・佐世保線肥前山口~武雄温泉間
九州新幹線長崎ルートの並行在来線にあたる。整備新幹線は並行在来線の経営分離をされるのが定石であるが、この区間は依然として九州旅客鉄道が運営している。これは長崎ルートのフル規格建設と引き替えに、佐賀県がこの区間の整備費を出すことで決着した為である。結果的に優等列車の設定がなくなり、佐賀県の負担が増えている為、「第三セクターに移行したのと同じ」との見解を持つ議員もいる。事実、フル規格整備が決定したとき、選挙の争点にさえなった。
「かもめ」
九州新幹線長崎ルートに設定されている超特急。「600台」の「かもめ」は山陽新幹線に直通し、「400台」の「かもめ」は九州新幹線内で運行が完結する列車である。「かもめ」は山陽新幹線内では「ひかり」・「さくら」と同じ位置づけであり、「あかつき」のように「のぞみ料金」は発生しない。




