704列車 恐怖の坂に挑んだ電機
2062年5月15日・月曜日(第69日目)天候:晴れ 東日本旅客鉄道信越本線横川駅。
高崎で買った峠の釜飯を食べ、展示車両をざっとみてから、僕たちはタクシーを拾い峠の湯という場所に向かった。この近くには鉄道文化村から延びるトロッコ列車シェルパ君の終点とうげのゆ駅がある。ただ、今は動いていないので乗ることはできない。まぁ、大きな問題ではないからいいか。
僕たちは温泉に入ってから今度は遊歩道を歩いて横川駅に戻ることにした。
「うーん、山の中だから空気が美味しい。」
「うん。」
「でも、暑いなぁ・・・。またジャケット持っててくれない。」
「はいはい。」
遊歩道に並ぶように鉄道の線路が見えてくる。これがトロッコ列車シェルパ君の走る線路だ。この線路は旧信越本線の下り線である。北陸新幹線が長野まで部分開業する前はここをEF63と協調運転を実施する特急「あさま」、特急「白山」、急行「能登」、普通列車が通過していたのか。
少し歩いて行くとレンガ積みの建物が左に見えてくる。
「あれって何。」
「旧丸山変電所。」
「変電所。ッてことはあすこでこの辺りの電気作ってたの。」
えっと、どうなんだろう。
この変電所が建設されたのは明治45年、1912年のこと。横軽野開業から19年の歳月が流れた時であった。この時日本で初めて幹線の電化が行われた。この変電所では交流6600ボルトを直流450ボルトに変換していたらしい。
「変電所だから電気は作ってないよ。」
「・・・そう。」
「でも、ここの電気を使ってさっき見たED42とかを動かしてたのは事実だろうなぁ・・・。」
「あの茶色の機関車。」
「そうそう。あれって確か第三軌条にも対応してたと思ったし。」
「上にちゃんとパンタグラフ付いてたわよ。」
「・・・後でウィキペディアでも調べてみるか・・・。」
横川駅まで歩いて戻ってきてから、もう一つ峠の釜めしを買う。それから電車に乗って横川駅を離れた。
横川15時10分→高崎15時41分
横川→高崎間IC乗車券使用開始および終了
高崎駅が近くなってくると禍々しい山の雰囲気から都会の雰囲気へと一気に変わった。それから最長往復切符と新幹線の特急券を改札口で見せて、上越新幹線に乗り換える。
高崎16時31分→「とき429号」→越後湯沢17時00分
最長往復切符復路高崎駅から使用再開
越後湯沢駅の乗り換え時間を使って峠の釜飯を食べて、上越線に乗り換え。
越後湯沢17時51分→水上18時28分
往路の時よった土合駅を通り過ぎ、隣の湯桧曾駅にも停車。この辺りはゆっくりしたいところであるが、この区間を運行する普通列車が少なくゆっくりしている暇はなさそうだ。水上駅で最後の乗り換えを実施。今日は新前橋で最長往復切符の使用は終了する。
水上18時44分→新前橋19時37分
最長往復切符復路新前橋駅で途中下車
一口メモ
鉄道省ED42形電気機関車
スイス製のED41形電気機関車を実質コピーして開発された横軽専用電機。パンタグラフ集電と第三軌条集電の両方に対応しており、横川駅構内でパンタグラフを使用し、碓氷峠では第三軌条で集電する。この機関車は第1、第2車輪と第3、第4車輪をそれぞれ連結棒でつなげられており、これらを介してモーターの動力が伝達される。また、車体株にはラックレールとかみ合わせるための歯車が付いており、横軽の登坂がどれほど危険かつ苦難な物かを伝えている。




