660列車 復路スタート
2062年4月25日・火曜日(第49日目)天候:晴れ 北海道高速開発鉄道北海道高速開発鉄道線稚内駅。
僕たちはみどりの窓口に持っている切符を持っていった。稚内駅を13時01分に発車する特急「サロベツ4号」には稚内駅から乗らないことが確定しているからだ。
「すいません、乗車変更をお願いしたいんですけど。」
「はい。・・・こちらの切符はどうされますか。」
「えっと、列車同じで乗る区間を名寄から旭川の間にして欲しいんです。」
「分かりました。変更は1回だけになりますがよろしいですか。」
「はい、かまいません。」
それで発行された切符には「城辺」という文字が入り、乗る区間は「名寄→旭川」に短縮される。さらに、稚内→旭川間で領収されていた料金からの差額4080円(一人辺り)も貰った。これで良し。
日本最北端の鉄路と書かれたプレートの前にH100形が入線する。
「お待たせいたしました。ただいまより普通列車名寄行きの改札を行います。ご乗車のお客様、乗車券のお持ちの上改札口へおいてください。」
とのアナウンスがあった。
僕たちも最長往復切符を持って改札口に行く。「この切符、往復切符なので」という注釈を付けることもここからスタートする。
最長往復切符復路稚内駅より使用開始
稚内10時27分→名寄14時23分
最長往復切符連絡会社線北海道高速開発鉄道線入線
「ポォオーッ。」
「ご乗車ありがとうございます。この列車は普通列車名寄行きワンマンカーです。次は南稚内です。」
この列車は名寄まで行くが、所要時間は実に3時間56分だ。
分岐器があって、しっかりとしたつくりの駅と、H100形が収まることができないほど小さい木の板がホームの駅まで。H100形は律儀に止まっていく。だが、乗客はほとんど乗ってこない。
幌延駅で長時間停車してから、また北海道の大地へと繰り出す。線路の周りは人の手が入っていないように見える。もし、H100形がいなくなったら僕たちは何もない自然のただ中に放り出されることになるのか・・・。
廃屋同然の雄信内駅に停車。当然降りる人はいない。
次の駅は糠南駅。7分ほど走る時の板に物置が置かれた場所が見えてくる。H100形はそれに合わせて、スピードを落とす。
「これが駅ッ。」
萌は声に出して驚いた。木の板の駅って言うのは今まで何度か見ているが、これは衝撃すぎる。物置はとりあえず人が待てるようになっているが・・・。
「こんなところで待ちたくないよねぇ。」
「待ちたくはないな。」
もちろん降りる予定もないし、降りたらマズイ・・・。
天塩中川の駅に着くと、しっかり作られていることにさえ安堵する。さっきの糠南駅はどこか別次元にある駅な気がする。
「こういう駅が見えると何かほっとするわね。」
「北海道って本当に凄いよなぁ・・・。糠南みたいなのが平然とあるわけだし、しかも普通に駅として機能してるわけだし・・・。」
「何で、あの駅廃止にならなかったのか不思議なくらいね。あれにお金かける必要もないと思うんだけど。」
「・・・まぁ、鉄道があって当然っていう頭だとなかなかね・・・。」
ほとんど誰も乗ってこないし、乗っていない車内で少々動き回る。そうでもしないとH100形を4時間乗り通すことはできない。
美深駅まで来るとかなり南下してきたと思う。だが、まだ30分残っている。30分が可愛く思えてきているから、北海道慣れし始めているみたいだな・・・。
「三江線みたいに遅くないのが唯一の救いだな・・・。」
「同じ4時間でも結構違うものね。スピードって結構大事ね。」
「・・・椅子が固いのだけどうにかなればなぁ・・・。」
最長往復切符復路名寄駅で途中下車
北海道高速開発鉄道北海道高速開発鉄道線糠南駅
1955年12月2日、仮乗降場として開設。1987年、駅に昇格した。車両1両も入らない板張りホームを持ち、ヨド物置の待合室が設置されている。昔は駅近くの集落に住んでいる人の利用があったが、現在は当然0人である。




