6.赤と緑は足される
「……おかしくね?」
「何がぁ?」
「や、何がって、全体的に?」
「……おかしくはない」
「おめぇが言うんじゃねぇよ!」
優と航は少年と共に、再びガソリンスタンドへ引き返した。
濃い青色をしたバイクに給油機を差し込む優の姿を、店内ブースの扉を開けたままにし、航と少年が談笑しながら見つめている。
幸いにもバイクに乗った少年ではなく、バイクを押して歩く少年と接触しただけであったため、互いに擦り傷程度で済んだ。
優と少年、それぞれの腕には航が応急処置で貼りつけた絆創膏が同じ数だけついている。
「もぉ~、いいじゃん優くん~ケチケチしないの~! 制服着てたし、給油してあげる運命だったんだよ~きっと!」
航の適当な発言に、優はバッと勢いよく二人を振り返った。
「これのどこがケチなんだよ! ケチどころかむしろ親切だわ! っつかまじ忘れ去られてる様子だからもっかい言うけどな、俺も血出てんだよ! ケガ人なんだわ! なのに何で知りもしねぇ、ちょっとぶつかったヤツのために閉めた店開けて給油してやんなきゃなんねーんだ! 意味が分かんねぇよ!」
懇親の叫びに全く動じない少年の様子が、優の苛立ちをさらに掻き立てる。
「っつーか、よく考えたらお前、リザーブがあんじゃねぇか」
「……リザーブはない」
「は? あるわ! バイクはみんなあんだわそれ!」
「……使い切った」
「何でだ!」
「ねぇ、リザーブって何?」
「……バイクの予備タンクのことだ」
「普通はエンプティになったらリザーブに切り替えてその間にスタンド探して給油すんだよ!」
「へぇ~、そうなんだぁ」
「……見つからなかった。ガソリンスタンド……こっちにツーリングに来るのは今日が初めてだったから」
「は? お前、スマートフォンは?地図で調べりゃ一発だろ?」
「……ガラパゴス・携帯なので」
少年はポケットからドヤ顔でそれを取り出すと、見せつけてきた。
「そうなんだぁ。優くんと一緒だね。じゃぁしょうがないよね。ちょっと調べるのには不便だもんねぇ」
「……あぁ。それに歩き疲れた」
「そりゃそうだよねぇ。この辺なかなか一休み出来るところもないしねぇ」
航の言葉にうんうんと頷く少年を見て、自身も同じタイプの携帯を未だに使用していると言うことを認めたくないと切に思いながら、優はバイクの方へと向き直った。
「おい、終わったぞ」
しばしののち、バタンッとバイクの給油口を閉じると、優は二人の傍へ足を運んだ。
「……あの」
「あ?」
「……ついでに、ボディも拭いてくれないか?」
「てめぇどんだけだよ!」
「……さっき倒れて、汚れてしまった」
「いやいや、ぜんっぜん綺麗だったけどぉ!?」
「いいじゃん。優くん時間もあるし、拭いてあげたら?」
「俺は航と違って世話好きじゃねぇけど! っつか、今日初対面じゃねぇか! こんなにしてやる義理ねぇぞ!」
「……初見ですが、何「言わせねぇよ!?」
かけ合いがツボに入ったらしい。航が思い切り噴き出し爆笑し始めた。
「あっはははは、も~ダメッ、おかしいのなんのって」
「航ざけんなまじ」
「ってかさ、俺、どこかで会ったことある気がする。この彼と」
「は? まじ? 嘘ついてる?」
「ついてないよぉ、お名前は?」
航が身体を後ろに向けると、少年は知らぬ間にブース内にある自販機の前へ移動していた。
「……新堂翼」
ガコンッ
と音が響き、無表情の翼の手に握られた小さな冷たい缶は、サッと直ぐに優の手の中へと移動する。
「へぇっ。顔もだけどさ、名前も格好いいんだねぇ。や~凄いなぁ」
「って、ちょっと待て。何このコーヒー、頼んでねぇけど」
「……礼の気持ちだ。綺麗な仕上がりのバイクを期待している」
「まじてめぇ、ふざけんなっ!」
「てか、翼くんやっぱどっかで絶対会ってる。こんな美少年忘れるわけない」
「……初見ですが」
「忘れるわけないって、ほぼ忘れてんじゃねぇか航。絶対知り合いじゃねぇよ、勘違い!」
「え~、そうかなぁ。何か、心に引っかかるんだよなぁ」
「気のせい気のせい! さ、給油も出来たし、帰れんだろ、じゃぁな」
促してみるが席を全く立とうとしない翼に、優は呆れ混じりにその場にしゃがみ込んでしまった。
「あ、じゃぁさ、翼くんも一緒に今日飲もうよ!」
「は? 航何言ってんの?」
「ほら、さっき、おつまみ買ってたじゃない。今日飲むつもりだったんでしょ?」
「……あぁ、まぁ」
「俺と優くんもこの後宅飲みする予定だったの! 俺ん家でするから、翼くんもおいでよ!」
「や、航、このご時世だぜ? 見ず知らずの人家に上げるとか絶対やめた方がいいから!」
「見ず知らずじゃないよ! 多分っ」
「……ぜひ」
「お前も何でノリノリなんだよ! どうせもう歩き疲れたし、帰るのだりぃな、じゃぁいっかみてぇな心情だろ!」
「……貴様、すごいな。人の心が読めるんだな」
「バレバレだわ!」
「そうとなれば、バイクは俺ん家で拭いてあげればいいよね! 優くん、お店閉め直して俺ん家いこう~」
楽しそうに立ち上がる航を、優が咄嗟に制止する。
「ちょ、待て。こいつ呼ぶとかぜってぇやだ! だったらここでバイク拭いて帰ってもらうわ!」
「……ひどい」
「どっちがだ!」
「いいじゃん優くん。そう難くならないでさ~、俺ん家なんだから、ねっ」
「おい航どうした、まじで目ぇ覚ませって!」
カラランッ
三人の会話を遮るように、チェーンの落ちる音が響いた。
バッと音のした方を振り返ると、二つの人影がゆらりと動いているのが分かる。
「バッカ! てめぇのせいだからなまじ!」
翼に捨てるようにセリフを吐くと、優はその人影に足早に駆け寄った。
「あの、すみません! 今日もう閉店してるんっすよ! 申しわけないっす!」
「あ、優だ。よかった」
向けられた優しい眼差しと目が合った瞬間、優は驚きを隠せなかった。
「せ、先輩!? えっ、めっちゃ久しぶりっすね!」
優の大きな声につられ、航も目を輝かせながらパタパタと駆け寄ってくる。
「あれ、まさかの航もいる?」
「西条先輩! お久しぶりです! やば、相変わらずかっこいいっ!」
姿を現したのは優と航の中学時代の先輩である輝紀だったのだ。
輝紀が地元からそこそこ離れた高校に進学して以来、優と航は彼と顔を合わせることがなくなっていた。
久しぶりの再会に三人の顔には花が咲く。
そして……、
「あの、お隣にいる、こちらのかたは?」
輝紀の隣にいるのは見知らぬ少年。黒髪で背が低く、幼い顔つきをしている。
その少年と目を合わせた途端、
ズキンッ
一瞬、優の左の目の奥には、驚くほど、激しい痛みが走った。
パッと左目に手を添え、思わず声を上げかけたが、優は必死で唾を呑み込み、堪え切る。
(なん……だ……?)
ちょっとした悪戯であったかのように、溶けて消えいく痛み。
ほっと胸を撫で下ろすと同時に、首を軽く傾げながら左目を覆っていた手をスライドさせると、ぺこりと恥ずかしそうに頭を下げる小柄な少年の姿が見えた。
「彼は、椿誠也くん。俺の高校からの後輩で、今、大学も同じなんだ。あ、人見知りする子だから、少し緊張しているのは許してあげてほしい」
「あっ……そうなんっすね。初めまして、五十嵐優です」
動揺を隠すため、いつも以上に口角を上げて優が挨拶をすると、
「小宮航です」
航もその次に会釈した。
誠也にじっと見つめられると輝紀は軽く頷き、優と航の方へと向き直った。
「や~、まだここで働いていたんだね」
「そうっすね。変わらないです」
「航は?」
「俺は今大学で、地元出てます」
「ああ、そうなんだね。今日はたまたま?」
「そうです。たまたまと言っても、結構帰ってきてますけどねぇ」
「そうか。あ、実はさ、今日……!」
優と航の背後に見えた姿に、誠也と輝紀は再び顔を合わせた。
振り返ると無機質な表情で、翼が迫ってきている。
「てめぇ何のこのこきてんだよ」
「……暇だ」
「は!?」
「凄いね……知り合い?」
輝紀の言葉に、優の眉間に皺が寄り、航が首を傾げた。
「いや、知り合いではないっす」
「でもぉ、知り合いかもしれないんです」
「何それ、どういう意味だい?」
「……初見ですが」
「てめぇはいちいちややこしいから黙ってろ!」
すると、小さな口を誠也が開いた。
「……本当に凄い、今日」
その言葉に優、翼、航の視線はワッと誠也に集まる。
「そう、さっきから、何が凄いの?」
戸惑う航の横で、輝紀の視線は翼に向いていた。
「君のことは知っている、新堂翼くんだよね?」
「……初見ですが」
「てめぇそのフレーズ地味に気に入ってんだろ」
「……バレたか」
「バレるわ! うおっ!」
ビュウゥゥゥ
と、強い潮風が吹き荒れた。
その風が過ぎ去っていくと同時に、再度、誠也の小さな口は開いていた。
「今日は、会いたくてきたんです。あなた達に」