9.添い寝が許されるのは何歳までだ?
夜は寝る。
そんな当たり前のことができるのは、何日ぶりだろうか。
このボク、アンドレ=オスカーはとにかく眠かった。一日の制限時間は、誰しも平等に決まっている。いくら民草のために働こうとも、ただ惰眠をむさぼっていようとも、万人共通の事実だ。
それを悲しいととるか、嬉しいととるかは人それぞれであるが、だったらボクは願いたい。すべての時間を民草のため捧げるから、その代わり無限の体力がほしいと。
「はうわぁ……」
ふかふかのベッドに飛び込み、これまたふかふかの枕を抱きしめる。国王ご用達の寝具たちだ。税金の無駄と民草に嘆かれてしまうかもしれないが、少しばかりの贅沢と権利を行使させていただきたい。ただでさえ、ボクは体力がないのだ。数少ない睡眠時間は、最上級の環境で過ごさせてほしい。そのかわり、それ以外の時間は全力で国務に取り組ませていただこう! おそらく、時給換算にすればそこまで贅沢でもないはずだッ!
と、心の中で十分に謝罪と弁明をして、ボクは目を瞑る。
夢の世界へは、一瞬で飛んでいけそうだった。なんせ、徹夜から墓を作るといった肉体労働の後、さらに会食や会議をこなしてきたのだから。
もうとっくに空は闇を落としていた。昨晩よりも、瞬くマナの数が少ない。明日の天気は悪そうである。
「今日無事に弔えたことも、マナの思し召しだ……」
独り言を言い終えるまえに、ふわっと意識が飛びかけた時だ。
「おーさまー! いっしょにねよー!!」
なんか来た。
なにかが来てしまった。
だけど、ボクは目を開ける気力もなかった。もう半分夢の世界へと旅立っているのだ。
そんなまどろみが一番気持ちいいところで、ボクの身体が揺さぶられる。
「おーさまぁー。いっしょにねようよー」
負けぬ。
もういい加減に負けぬ。
ボクは限界なのだ。たとえオスカー王国の国王たるアンドレ=オスカー四世なれど、できないこともあるのだ。
だから、ボクがひときわギュッと枕を抱きしめたときだ。
「よいしょっと」
彼女がベッドによじ登ってくる。
そして、誰の許可を得るまでもなく、
「じゃあ、おーさまおやすみー」
と、さも当然にボクの身体に手をまわして横たわってしまい――
「待てーいッ!!」
ボクは慌てて、身を起こした。同衾はならん。未婚の男女が同じベッドで寝ることは許されぬのだ!
「かかかカグヤ殿!? この際はっきりと聞いておきたいのだが、そなたには貞操観念というものがないのか!?」
「てーそーかんねん?」
カグヤ殿が目を丸くしながら、首を傾げる。
ムム。言葉が難しかっただろうか。ならば、簡単に言い換えつつも耳障りの良い単語はなんだと思案していると、
「だって、カグヤとおーさまは婚約者でしょ? 婚約者って、男女でとくべつになかよくするかんけーでしょ?」
「う……それはそうであるのだが……」
「なら、いっしょにねよ?」
彼女が枕元のクッションを寄せて、それを抱きしめる。桃色のネグリジェの裾から伸びる細い脚が幼女ながらも美しく――と、ボクは何を見ているんだッ! いや、子供の足なんて見てもいいものかもしれないが、子供ならではに色々と感じるやも……。
「勘弁してくれ……」
ボクは耐え切れず、嘆息する。
「カグヤ殿……あまりボクを困らせないでくれ。だいたい、ボクはそなたを婚約者だと未だ認めてはおらんのだぞ? カグヤ殿こそ、その年で婚約者なんて欲しくもないだろ――」
「カグヤ、おーさまとだったらけっこんしてもいいよ」
そうそう。その年で結婚なんて早いだろう。二十歳であるボクでさえ、まだ先のことだと思っているのだ。十歳やそこらの少女にとっては夢物語の産物でしかないのだろうから……。
「……そなた、結婚とはどういうことか、わかっているのか?」
「おーさまと死ぬまでずっといっしょにいるんでしょ? いっしょにねて、赤ちゃんつくって、家族になって……あ、おーさまだから、カグヤも『おきさきさま』として、いろいろおしごとしなきゃだろーけど……もうちょっとまってね。ちゃんとおぼえていくから、それまでよろしくね」
「待てーいッ!!」
待ってくれ。ちょっと色々待ってくれ。
少し聡いを置いておいて、その王族に嫁ぐ覚悟みたいなものをばっちり持たれていても困るのだがッ!?
そんな困惑するボクに畳みかけるように、カグヤ殿が上目遣いでボクのパジャマの袖を引っ張る。
「だから、『こづくり』はまだまってね?」
「くわあああああああああああああああ!」
ボクはイロイロな煩悩を振り払わんばかりに叫ぶ。
どうやら、この少女はしっかりを自覚を持ってボクと同衾したいと言っているらしく。
そんなボクをクスクスと見上げるカグヤ殿が、「えいっ」とボクに抱き着く。そしてその体重に導かれるがまま、ベッドに倒れてしまうボク。
少女の体温。ベッドのふかふか。
その両者はなんとも心地よく、疲れ切ったボクの身体は自然と脱力し、まぶたが閉じてきてしまう。
「おーさま、おつかれさま。ゆっくりやすんでね」
耳元で囁かれる優しい声。トントンと肩を叩かれるリズム。
色々なものがボクを惑わせ、その魔力に促されるまま意識が薄れていく。
「おやすみ、おーさま」
そして、ボクは睡魔に負け、目を閉じる。
間抜けな顔で眠る王様の柔らかい髪を撫でる。自分よりも髪が細いらしい。キラキラとした天然の金色の髪は、地球の、特に日本ではまずあり得ない髪質。
「ちょっと、うらやましいかも」
カグヤはクスッと笑って、一際大きくなびくカーテンを見上げる。
そこにいるのは、背の高い女性のような姿だった。
背後の闇夜に馴染む自分と同じ黒髪の女が、大きく髪をなびかせている。赤い唇が描く優雅な弧が、ゆっくりと開かれた。
「あなたは、そんな所で何をしているの?」
洋服と呼ぶには露出の激しい、肌に纏わりつく金糸。豊満な体型を堂々と晒しているが、その女に恥じらう様子は一切なかった。
それもそうだろう――人間の感性を持たない存在なのだから。
「いわない。どうせ、ママは理解しないもん」
拒絶するカグヤを、その女はせせら笑った。
「どうしてそんなひどい事を言うの? 久しぶりに帰ってきたのだもの。まず一番にママに会いに来るのが、あなたの大好きな人間的行動なのでしょう――カグヤちゃん?」
カグヤは唇を噛みしめる。
カグヤ。地球の父と母が自分に付けてくれた名前を嘲笑うように呼ぶ、本当の母親に返す言葉が出てこない。
だから代わりに、カグヤは訊く。
「ママがどうしてここにいるの?」
「ん?」
首を傾げる女が笑み強めて、手を伸ばす。その長い指先で触れようとするのは、ベッドの上に座るカグヤの膝元で眠る、王様の頭だった。
「やめて!!」
カグヤが守るように、王様の頭を抱きかかえる。その様子を見て、女は「ふふ」と笑みを零しながら、手を引いた。
「もちろん、大国の王様を悪へ導くために決まってるじゃない。彼の母や父は上手く導いたつもりだったけど、まさか息子がここまで頑張るとはね」
「させないよ」
カグヤは、キッと強い眼差しで見上げる。
「おーさまは、ママの思う通りにはぜったいにさせない!」
「そう?」と再び嗤う女は、カグヤの頭を撫でる。
「まぁ、親に歯向かうのも成長の一貫なのかもしれないから、見届けますけどね……でも、私はアエ―シュマ。私が彼を悪へと導くことこそ、マナへ還る必然の一つであることを、忘れてはないでしょうね?」
それに、カグヤは答えない。
カグヤの腕の中で眠る王様は、阿呆な面構えで気持ちよさそうに眠っている。