8.天へ帰るのではないのかッ!?
「あのねー、今からカグヤねー、おーさまとねー」
隣に歩くカグヤ殿は、例のスマホという道具で母君と話している。
毎日定期的に連絡をしているようだ。カグヤ殿の顔は今日の輝かしい晴れ模様のように明るい。
「フンヌ、フンヌッ」
だけど、ボクはそうではなかった。
予定通りの徹夜明け。昼からは会食の予定が入っているため、朝食の時間も惜しんでの葬儀準備である。
オスカー城の裏山は、王族はもちろん、使用人含むオスカー家にまつわる者たちの墓場になっていた。金だったり木製だったりと、その血筋や家計により材質は様々であるものの、この山には多くの十字架が建てられている。今回は素性の知れぬ野良猫の葬儀であるものの、王家に近しいモノの墓が多い見晴らしの良い丘に墓を建てることに決めた。
見晴らしがよいということは、それだけ山に登るということ。
ボクは胸くらいの高さのある銀の十字架と、子猫を括り付ける鉄線、それと土を掘るスコップを担いで、えっちらおっちらと山を登り始めて、早半刻。
力自慢の兵士でも連れて行こうかと思ったのだが、なぜかロクロウに『デートに部外者を連れて行くとは何事ですか!?』といらぬ勘違いをされてしまったので、荷物はボクが運ぶしかなかったのだ。もちろん、カグヤ殿に持たせようなんて考えは微塵もない。
ボクの荒い息遣いなど一切気にしないカグヤ殿は、片手に子猫を入れたバスケットを持ちながら、優雅に母君と話していた。話によると、このアルティアと『チキュー』では、時間のずれがあるらしい。こちらは午前中であるものの、向こうの世界では昼すぎとのこと。母君は今、仕事の合間のランチタイムらしいのだ。
「うん、だいじょーぶだよ。きをつけるー。じゃあ、夜はパパにでんわするねー。じゃあねー」
そう言ってスマホをポケットにしまったカグヤ殿は、ボクの方を見てニコリと微笑んだ。
「いい天気だねーおーさまー」
頭の上の黒い耳も、踊るようにひょこひょこと左右に動いていた。
ボクは切れる息の合間に答える。
「あぁ……素晴らしき……マナ晴れだ……」
「『まなばれ』って、晴れのこというの?」
「あぁ……そうだともッ……キラキラとマナがたくさん輝く日のこと、を……そう言う、のだ……こういう日は、魔法が……上手く使えるのだぞ……」
「そっかー」
カグヤ殿が空を見上げる。
生い茂る緑の葉の隙間からマナの光がキラキラと降り注ぐ。自然の生み出す美しき光景を見上げると、少しは疲れも吹き飛ぶもの――という理屈はボクも心から同意したいのだが、背中の荷物の重さにつられてドスンとひっくり返ってしまっては元も子もない。もしも今倒れてしまっても、誰も手を引っ張ってくれるものはいないのだ。だからボクは「フンヌッ、フンヌッ」と前だけ見て足を進める。
懸命に足を進めれば、いつしか必ず目的地に辿り着く。
「きれいだねー!!」
カグヤ殿の素直な歓声に、ボクは胸を張る。
ここは、ボクの自慢の場所なのだ。
小高から見下ろせるのは、美しきオスカー王国の城下町。
レンガで整備された立派な水路。その脇には背が低く、だけど造りがしっかりとした店や家が整列して並んでいる。もちろん、適宜花壇を並べたり、木々を植えているので彩りも鮮やか。点在する黒い柱は、夜になれば魔法の灯りで街中を適度に照らし、月明りと共に水面に映る光景もまた一興である。
だが、美しいのは設備のおかげではないとボクは思っている。その街に住む人々の明るい笑い声がわずかにでも聴こえてくるからこそ、このように街が美しく見えるのだ。
「すてきなばしょだね! ここなら、ねこちゃんもゆっくりねむれるね!」
どうやら、カグヤ殿にもご満悦していただいたようである。
さすれば、次に行うことは穴掘りだ。慣れないスコップで汗水垂らして十字架を立てるためのボクの隣で、ピョコピョコと飛び跳ねながら声援を送るカグヤ殿。
ふと「手伝ってくれないか」と口を開きかけるものの、そこはオスカー王国の国王であるまえに一人の成人男性であるアンドレ=オスカー四世である。年端もいかぬ幼女に肉体労働を手伝ってもらうなど言語道断。「フンヌッ、フンヌッ」とスコップで土を描き出しては、十字架を刺して足で土を積んでいく。
その時、ふとカグヤ殿の動きが止まった。
「おーさま……ねこちゃんうめないの?」
「うめる? うめるとは、土に埋めるのか?」
「うん……」
どこか不安げな様子で首を傾げるカグヤ殿だが、それにはボクも首を傾げるしかない。
「鳥葬なのだから、埋めてしまっては天に帰ることはできないと思うのだが?」
「土に帰る……じゃないの?」
「いや、マナとなって天に帰ると言われている」
ボクは十字架に体重を預けながら、空を指差す。
「死した魂は、マナに還元される。そしてまた新たな命に生成され、地上に誕生する――それが輪廻転生の理だと謂れているが……カグヤ殿の世界とは、やはり違うのか?」
ボクの疑問に、カグヤ殿は困ったように眉をしかめて笑った。
「んー。正直、カグヤにもまだわかんないや。カグヤ、おそーしきってはじめて」
「そ、そうなのか?」
「でも、鳥さんに食べられちゃうのは、少しかわいそうなの……」
鳥の血となり、肉となり。そしてマナへ還る。輪廻転生できることは、死を悲しみすぎず、前向きに生きていくための理。それを彼女のような幼子に理解しろというのはあまりに難しくて、非情とも言えるか。
ボクが「気にするな」と声を掛けようとするよりも早く、彼女は空を見上げて笑う。
「でも、すてきね。死んだら、この広いお空を自由に飛べるの! きっと、行きたいところに自由に行けるよ!」
遠くをうっとりと見つめる眼差しは、子供らしい憧憬と、不釣り合いな悲しみが混じっているようにも見えて、ボクは何も言葉が出てこない。
唖然とするボクの代わりに、カグヤ殿が十字架の刺さった地面の辺りの土をトントン踏みつける。
「ささ、おーさま! 早くしないと、次のおしごとはじまっちゃうよ?」
「あ、あぁ……」
「トントン」と歌いながら弾むカグヤ殿。ボクも両手に力を入れて十字架を押し込むものの、楽しそうなカグヤ殿から目が離せなかった。
「……家に、帰りたいか?」
こぼれ出た質問に、カグヤ殿の足が少し遅くなる。
「どっちでもいいかなー。パパとママに会えないのは少しかなしいけど、元からそんなに会えなかったし」
「そうなのか?」
俯くカグヤ殿は、口角を落とさない。
「パパもママも、お仕事でいそがしいの。カグヤのために、きれいなおうち買って、りっぱな学校代やお塾代払って……カグヤのために、いっしょーけんめー働いてるの」
ケラケラと「でも、お仕事元から好きみたいだけどね」と付け足して、カグヤ殿は語る。
「ここだと、誰かしらカグヤと一緒にいてくれるし、おーさまやみんなも優しいし、それに……」
口を一旦閉じたカグヤ殿の長い黒髪を、風がさらう。
「カグヤはさみしくないから、だいじょーぶだよ。ありがと、おーさま!」
ボクは彼女の髪にかかる髪を指先で退ける。細い髪は、油断するとすぐに彼女の笑顔を隠してしまう。
「……ボクの母上も、遠くに住んでいるんだ」
それを話して何になるのだろう。
でも、彼女が遠くに離れてしまった家族を思って悲しく笑うのなら、ボクの事情も話せば少しが慰みになるのかもしれない。
「父上は……昔に戦死してしまって、母上は心が病んでしまった……遠い小さな島で養生しているのだが、ボクも忙しいから、なかなか会いに行けないんだ」
嘘だ。
父上が死に、母上の心が病み、離島で暮らしているのは本当だ。
だけど、嘘だ。嘘よりも綺麗ごとな事実を述べているだけだ。
こんなことを言って何になるのだ。
自分でもさっぱりわからないまま、ボクは綺麗ごとを述べる。
「だから、ボクも少しだけ、カグヤ殿がいてくれて、寂しさが薄まった気がする。まぁ、そなたと違い、大の大人が……しかもオスカー王国の国王であるアンドレ=オスカー四世たる男が何を言っているんだという笑い話だが……」
「笑わないよ」
苦笑するボクに対して、カグヤ殿の黒い瞳はとても真摯だった。
「カグヤは笑わない。おーさまがどんな弱音を言っても、カグヤは絶対に笑わないよ」
おかしいな。なぜか視界がぼやけてしまう。
ボクは目を拭って、小さな淑女に向かって微笑んだ。
「遅れてすまない。昨日はお茶の差し入れ、どうもありがとう。とても美味しかった」
ロクロウに言われていたことを、忘れていたわけではない。
ここで言うべきことではないかもしれないが、ふと告げたくなったのだ。
すると、カグヤ殿はボクが求めていた眩しい笑顔を見せてくれる。
「どういたしまして!」
晴れ渡る空の下に、彼女の澄んだ声が響き渡る。
全身汗だくで、疲労感と眠気がボクの身体を間違いなく蝕んでいる。
だけど、今日は素晴らしいマナ晴れだ。