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6.疲れた王様、爆発する






「おーさま、なんでさっきはお顔真っ赤にしてトイレ飛び出していったの?」


「き……訊きたいのはこっちの方であるッ! そなたには恥じらいというものがないのかッ!?」


「はじらい……」


 くたっとカグヤ殿の首が横に曲がる。

 汚れてしまった服は、けっきょくレイチェルが着せ替えた。クリーム色の可愛らしい姿は、まるで昔、母上の部屋に飾ってあった人形のようだ。それでも、ふねふねと動く長い耳なんて、付いてはいなかったが。


「はじらいって、なぁに?」


 その疑問を聞いて、ボクは椅子にガターっと倒れ込んだ。


 疲れる。

 この幼女と話していると、とても疲れる。


 可愛いのは認めよう。正直、こんな愛らしい少女をボクは見たことがない。

 漆黒の艶やかで長い髪に、黒水晶のような大きな瞳。白くて細い華奢な手足。血色のよい桃色の唇から発せられる声音は可憐な鈴のよう。あげくに、その頭には髪と同色の長くフサフサの耳が、彼女の色とりどりに変わる表情に合わせてピョコピョコと動いている。

 そんな幼女が、ボクのまわりを付いて回るのだ。人間という概念を超えて、こんなに保護欲を掻き立てる生物は、このアクティア全土を隈なく探しても、そうそう出てくるものでないだろう。


 だけど、こんなに心が疲れる相手も、そうそういない。腹黒い商人や敵対心満載の客人とはまた違った疲れが、ボクの肩にのしかかる。


「れ……レイチェル。仕事を増やして申し訳ないが、なにか甘い飲み物を持ってきてくれたまえ。ボクは疲れた。だが、休むわけにもいかん……ボクはこの国の国王であるアンドレ=オスカー四世……こなさなければならない仕事は山ほどあるんだから、こんな矮小な出来事で疲労を感じている暇はないんだ……だから、もしもキミの仕事に支障が出ないのであれば、彼女も一緒に連れて行ってくれると助かるのだが……」


「おーさま、おちゃするのー? カグヤものむー。あまいのはすきー」


 カグヤ殿が、ボクの背中に手を置いてピョンピョン飛び跳ねている気配がする。ボクは振り返ってそれを見る気力も湧かないが、パンパンとリズミカルに手を付く感触は、重くも痛くもない。

「むむむ」と呻くボクなんか、まったく気にしていないようだ。


「おちゃーおちゃーおーいしーいおやつー」


 陽気で音の外れた歌声に、ボクのこめかみがピクピク動いた。


「か、カグヤ様? おやつならば、わたくしと一緒に食べませんか? 美味しいお菓子も準備しますよ?」


 レイチェルなりの気遣いが、ボクの頭上から振って来る。だけど、ボクの背中でトントンと弾むリズムは止まらない。


「おいしいのたべるよー! おーさまとたべるー!」


「だからカグヤ様? アンドレ様はお疲れのようですから、休ませてあげましょう?」


「おーさまつかれたのー?」


 カグヤ殿がピタッと着地する。「んー」と人差し指を唇に当ててから、両手をあげた。


「じゃあ、おやつだー! ママが言ってたよ! つかれたときにはあまいものがいちばんって!」


 どれだけ甘いものが好きなのか。それともボクの邪魔をしたいだけなのか。

 それはわからないし、わかりたくもないが、少なくとも、仕事で忙しいと散々訴えているボクをおもんばかっていないことは明確である。


 ボクは彼女の面倒を看なければならない。いうなれば、後見人だ。ロクロウなどは婚約者など一日一回は言ってくるものの、何も契約書や証書を取り交わしたわけではない。


 後見人とならば、彼女がこの世界でも健やかに成長していけるように助力を尽くすのが本望であろう。


 そのための環境は、しっかりと整えているはずだ。部屋も王城の中の最も安全そうな区画に、なるべく少女が好みそうなものをメイドたちに準備をさせた。食事も彼女の今までの食生活や味の好みを料理長直々に確認させて、日々微調整を繰り返している最中である。衣服もこの通り、清潔でどこに出しても恥ずかしくないものを常に用意しており、教育もとりあえず家庭教師をつけて、生活に困らないように生活魔法の基礎から学ばせ、最低限の一般教養も学び終えたのちに、学校への進学もきちんと視野に入れてある。学校選びの資料も、机の上の書類の三つ目の山の中腹あたりにあるはずだ。


 この通り、ボクはしっかりと彼女の母上と約束を守っているではないか。彼女の身の安全と健康をおもんばかり、彼女に不自由がないよう細心なまでの注意を取り計らっているつもりである。


 この情愛に見返りを求めているわけではない。


 だが、ボクはオスカー王国の国王、アンドレ=オスカー四世なのだッ!

 彼女の相手だけに全身全霊を注いで、民草に迷惑をかけるわけにもいかんのだ。


「……カグヤ殿。そなたは、ボクが誰だか知っておるか?」


 顔だけ上げたボクの質問に、カグヤ殿は目をパチパチと二回まばたきをした。


「おすかー王国のこくおー、あんどれ=おすかーなのだ?」


「そうなのだ。正式にいえばアンドレ=オスカー四世なのだ」


 言葉は知っていても、意味を理解はできていないのかもしれない。それならば、説明に欠けたボクが悪いのだという可能性をかけて、ボクはため息をグッと堪えて説明する。


「国王とは、この国で一番エライ人物なのだ。エライと言っても、ただエバっているだけではいかん。人の頂点に立つがゆえに、ボクが一つの判断を間違えるだけで、何百人、何千人もの人々が飢え苦しむことになる可能性だってあるのだ」


「こくおーって、『そーりだいじん』みたいなもの? それとも『てんのーさま』とおなじ?」


「……残念ながら、その『ソーリ大臣』というのも『テンノー』という概念も、このアクティアという世界にはないものだ。だから今一つ理解しがたいのかもしれんが、我が世界の国王というモノは、その国の全国民の命をも一瞬で左右してしまう権力を持っている。ボクのウッカリ一つで、このオスカー王国の全二千万人が一瞬で戦火の海に投げ出されてしまうかもしれない。だから、ボクは全神経をかけて、民草が幸せな生涯を過ごせるように勤しまなければならないのだ――わかるか? そなたばかりに構っていては、今もこのオスカー王国の中で泣いて苦しんでいるものを救えないのだ」


 ボクの懸命な説明に、カグヤ殿は「うん!」と元気よく頷く。

 そして、ボクの腕を引っ張った。


「じゃあ、おーさま! おちゃしよー!」


 ボクの中の何かが、プチンと切れたような気がした。

 満面の笑みで誘うカグヤ殿の手を、ボクは振り払う。その反動で彼女がペタンと尻餅をついた。その長い耳がビクッと伸びたのち、クターッと曲がる。


「お……おーさま?」


 ぽけたんとする無邪気な彼女が、忌々しくさえ思えた。

 ボクは立ち上がり、ため息を吐いて椅子を引く。


「レイチェル。ただちに彼女をこの部屋から出したまえ」


 ボクはもう、彼女のことは見ない。そんな時間はないのだ。

 ボクは、彼女の面倒を看ると約束した時に、しっかりと話したはずだ。


 ボクは、忙しいのだと。


 レイチェルが、カグヤ殿のそばに駆け寄り、彼女の怪我の有無を確認している。怪我などしているはずはない。ボクは軽く振り払ったにすぎないし、ここにはしっかりと絨毯がひかれている。そんなことはしっかりと確認してから、行動しているのだ。だから、彼女も痛いと泣いていない。ただ、じっと何か縋るような目でこちらを見ているようだが、ボクは書類を一つ取り出した。


 他国との輸入輸出にまつわる税率に関する案件だ。関税が高いという商人たちからの意見が上がっているが、それを下げてしまい、他国からの安い商品が大量に出回ってしまえば、国内の生産業を営む者たちの経営が苦しくなってしまうだろう。オスカー王国国内は、領土もあまり広くはなく、温暖差が激しいことから国土のよい場所も少ない。他国の気候のよい広い土地で育てられた食料品などが国内で安く出回ってしまえば、それだけで何千人の人が職を失くしてしまうことだろう。


 この案件で先日もジェイド伯爵が謁見を申し出ていた。次なる機会も近いうちにあるはずだ。早急にどうまとめるかもきっちり案を練っておかねばなるまい。


 ボクはもう一度、ため息を吐く。


 書類を睨んでいるうちに、静かに扉が開き、閉じた。

 急にシンとした執務室が、無駄に広く感じる。が、目の前にそびえたつ書類の山は、一向に減ることはない。





 ――――が、それで平穏が戻ると思ったボクが愚かであった。


「おーさま! カグヤ、おちゃもってきたよー」


 てけてけと危なっかしく運ぶお盆の上には、一つのティーカップが置かれていた。カタカタと小刻みに震えるそれからは、たまに薄紅色の雫が飛び散り、お盆をまだらに染めていた。


「はい、どーぞ」


 背伸びしてボクの机の隅に、それが置かれる。果実茶にミルクを入れたものだろう。まろやかな酸味がボクの鼻孔をくすぐるものの、その量はすでにカップの半分にも満ちていない。取ってに触れてみると、べたべたとした。これでは、書類が汚れてしまう。


「気遣いのつもりなのだろうが、今は迷惑だ。また今度いただこう」


 手を拭くものを探していると、ふとナプキンが差し出される。「助かる」と顔を上げると、そこには渋い顔をしたロクロウがいた。

 いつになく渋かった。もとより貫禄のあるロクロウである。その怒った迫力は、父上よりも母上よりも怖い。


「……どうした、ロクロウ。何を怒っておるのだ?」


「アンドレ様には、他者のいたわりの心を受け取る余裕もないのですか?」


「ふむ。助言はありがたいのだが、今はこのように仕事が山積みでな。結論から言ってくれると助かるのだが」


 ボクの提案に、ロクロウは「では」と頷く。そして、腰を曲げてカグヤ殿の頭を撫でる顔は、打って変わって穏やかそのものだった。


「カグヤ様。このおいぼれ、アンドレ様ととっても大事な話がございます。廊下でレイチェルが待っておりますので、先にお部屋に戻っていてはいただけないでしょうか?」


「カグヤ、ハブられちゃの?」


 首を傾げながらも、寂し気に眉とうさ耳をしかめるカグヤ殿。それを否定するのかと思いきや、ロクロウは再び頷いた。


「そうでございます。男同士の内緒ばなしをするのでございます」


「……カグヤはきいちゃダメなの?」


「カグヤ様は、男の子でございますかな?」


「ううん。カグヤ、女の子!」


「ならば、聞いてはなりませぬ。もしも聞いてしまえば……」


 そう言いかけて、ロクロウはカグヤ殿の頭の上の耳にコソコソと何かを呟く。

 すると、カグヤ殿は「キャー!」と黄色い声をあげて、恥ずかしそうに顔を赤く染めていた。


「それはイヤー! カグヤ、おへやにもどってるー」


 そう叫びながら、カグヤ殿は幼い走り方のわりには素早い速度で部屋から飛び出していった。

 満足そうに笑うロクロウに対して、ボクは訊く。


「いったい何を言ったんだ、ロクロウ?」


「ほっほっほっ。まぁ、アンドレ様には一生思いつかないような冗談ですなぁ」


「そ、それは、このボクを侮辱しているのかッ!?」


 声を荒立てるボクを意ともせず、ロクロウは余裕綽々とボクを見下ろしていた。


「そういう意味合いではございませぬ。わたしくめはただ、アンドレ様が真面目で聡明な方だと言いたいだけでございます」


 まったく話の繋がりがわからない。

 だけど、ムッとするボクに対して、ロクロウはあやすような口調で続けた。


「アンドレ様。真面目はもちろん、美徳でございます。アンドレ様が真面目に働けば働くほど、国民の生活が潤い、皆がアンドレ様に感謝することでしょう」


「それはモチロンのことだ。だからボクは、寝る間も惜しんで、こうして仕事に励んでいるのだッ!」


「ですが……アンドレ様は、アンドレ様に仕える者たちのことをお考えですかな? アンドレ様がどれだけ愛され、心配されているか、考えたことがありますかな?」


「ボクが愛される……?」


 思わず、鼻で笑ってしまった。

 普段、そんな小馬鹿にするような仕草は極力しないように自嘲しているものの、思わず我慢ができなかった。この場にはロクロウしかいないとはいえ、国王として未熟な証拠だが、ボクが言わざるを得ない心境だったのだ。


「ボクはまだ、国王として何も偉業を成し遂げてはおらん。ひいひいお爺様のように奴隷の解放もしていなければ、父上のように戦果も挙げていない。ろくな引継ぎも間に合わぬままに受け継いでしまった責務を、何とかこなしているに過ぎないボクのことを、誰が愛してくれるというのだ? ましてや、無尽蔵の愛情を無償で捧げてくれる父上も亡くなってしまっているし、母上も……もう何年も、会ってはおらんのだぞ?」


 捲し立てるように話すボクの言葉を、ロクロウは静かに否定する。


「悲しいですなぁ、アンドレ様。このおいぼれ、こんなにもアンドレ様のことを敬愛しているというのに」


「……冗談も甚だしいぞ。キミはただ仕事として、ボクに仕えているだけではないのか?」


「アンドレ様。わたくしロクロウ、長い人生で一度も嘘は吐いたことがないのですぞ?」


「つまらない冗談は結構だ。ボクは仕事を進める。キミも余計なことを言うだけであれば、ただちに出て行ってくれたまえ」


「おいたわしくございます、アンドレ様……」


 うつむきながら、ひっそりとため息を吐くのがバレバレである。

 だけど、ボクの命令通りい出て行ってくれるのなら、それでいい。そもそも、ロクロウが勝手に異世界から召喚などしてしまったから、仕事がよけいに増えてしまったのではないか。その後始末に追われるボクに感謝するならまだしも、よくわからぬ説教で時間を取るなど、いくらロクロウとはいえ、これ以上は看過もできまい。


 背中を向けたロクロウが、「せめて一つだけ」と名残惜しそうに言う。


「今度カグヤ様にお会いしたら、『お茶が美味しかった』と言ってやってください。それは、カグヤ様がレイチェルに教わりながら、一生懸命注いだものでございます」


「……一考しておこう」


 ボクが答えると、ロクロウが静かに扉から出ていった。






 今度こそ静かになった部屋で、ボクは懸命にペンを走らせる。

 窓からの日差しもいつしかなくなり、涼やかに鳴く虫の声音が、健気に夜を告げていた。


 あれから、もう六時間以上が経っている。それでも、書類の山は一向に減る気配がない。


「今日も徹夜だな」


 一人呟いても、答える者は誰もいなかった。

 代わりに、ボクのお腹が鳴る。少し前に夕食の知らせが来たが、「後で食す」と答えてそれっきりだ。もうしばらくすれば、夜食として軽食を持ってくるのであろうが、それを待つ間の作業効率にも支障が出るであろう空腹感に、ボクは悩む。


 ふと、机の端に置かれたティーカップが目に入った。

 意を決して手に取ってみると、当たり前だがすっかり冷めきっていた。一口飲んでみると、舌にねっとりと纏わりつくくらいに甘い。


「さすがに甘すぎるのではないか、カグヤ殿……」


 あの陽気な幼女の顔を思い浮かべ、ボクは苦笑した。一気に飲み干すことによって空腹は紛れるだろうが、代わりに喉が渇いて仕方ない。


 ボクは凝り固まった肩を回して、立ち上がる。


「一息入れるか」


 そして、ボクはマントを払って、数日ぶりに執務室から出る。






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