2.母の苦渋の決断には訳があります
「わわわわわわわわ」
ボクは震える声を懸命に堪えながらその輪に駆け入ろうとする。が、あまりの衝撃的な光景に気が動転してしまったボクは足がもたついて転んでしまう。
静かになった。
周りの憐れむような視線が痛い。
だけど、これはボクが悪いのではないのだ。ハダカの幼女が大の大人に囲まれている光景を前にして、平常心を保つ難しさは、いざとなってみないと分からないであろう?
ボクはそそくさと立ち上がり、急いで身に着けていた赤いマントを幼女にかける。
そして、何事もなかったかのように配下たちに命じた。
「か、彼女に今すぐ衣服を準備したまえーっ!」
「アンドレ様……お怪我はございませんか?」
「な、何のことかさっぱりわからないなッ! ただし、膝が痛いような気がしないでもないから、大事のために、後で医務官を手配したまえッ! 無論、彼女に衣服を準備した後で構わないぞ。ボクはこの程度の痛みを我慢できないほどのヤワな国王ではないのだッ! ただ、あくまで健康管理の一環として、医務官に診てもらっておこうというだけなのだッ!」
「医務官は早急に手配しますので安心していただきたいところですが……アンドレ様。僭越ながら申させていただきますと――」
おずおずと発言する魔導士の一人に「構わぬ!」と許可すると、彼は恭しく一礼にしながら述べた。
「一見するからに幼いとはいえ、彼女は異体も知れぬ異世界から召喚した者でございます。一通り武器や凶器がないか確認しなければ、あらぬところに危ないものが隠されているやもしれません。実際に、このような怪しげな物体を――」
そう言って取り出したのは、手の平サイズの四角い何かだ。どうやら、それからは音を発しているようで、女性が必死に誰かの名前を呼んでいるようだ。ハダカの幼女は、どうやらそれを求めているようである。
「こ、子供のおもちゃを大人が奪うとは何事だ!? 早くあの子に返したまえッ!」
「そういうわけにはいきません! これがどんな兵器なのか調べてからでないと……」
魔導士がそう言うものの、ボクは構わず、その四角い何かをふんだくる。
「あ、アンドレ様! 危ない――」
「誰に向かって命令しているんだッ? ボクはアンドレ=オスカー四世! キミは国王よりもエライ身分なのかッ?」
「はっ。申し訳ございませんでした」
そう言って黙らせるものの、胸の内にモヤモヤが渦巻く。先代国王である父上の真似をしているものの、こういう身分で黙らせるというのはどうにも慣れない。
だけど、それを考えるのは後回しだ。とりあえず、ボクは四角い物体を観察する。持ってみたところ、少しヒンヤリする硬いものだった。表面には何やら文字のようなモノと、記号のようなモノが点滅しており、裏面には子供が好きそうな絵柄が描かれている。
そして、その物体は悲痛な叫び声にも似た様子で、「カグヤちゃん、カグヤちゃん!」と話しているのだ。
「カグヤとはそなたの名か?」
ボクが座ったまま泣きそうな顔の幼女に尋ねると、彼女は首が取れそうな勢いでブンブンと縦に振る。
ボクはまわりの制止を振り切って、彼女にその四角いモノを渡した。
すると、彼女は慌ててそれを受け取り、耳に当てた。
「ママ、ごめんね。なんでもないの」
『何でもないわけがないでしょう! 今、男の人の声がたくさん聴こえたわよ? どこか遊びに出てるの? それとも強盗が――』
「ちがう! そうじゃなくて……」
キョロキョロと見渡しながら、彼女は口をもごもごとしている。そんな彼女の黒い瞳と、ぱちっと目が合う。うるうるとした大きな瞳は、小動物のような愛らしさと求心力があった。
ボクはアンドレ=オスカー四世だ。彼女が異世界人だろうがなかろうが、幼き少女が困っているのに助けない謂れはない。民衆のためになってこその国王なのだッ!
ボクもしゃがんで、その四角い物体に対して大声で叫ぶ。
「カグヤ殿の母上殿であるか!?」
『え、ちょっと、あんた何者なの? 娘は無事なの!?』
それは、まごうことなき娘の身を案じる母親の声。
どうやら、これは遠くにいる者と会話ができる代物らしい。この世界であれば、何人もの魔導士が極度の集中状態において詠唱を続けなければ、そのような芸当をすることは難しい。彼女はずいぶんと便利な世界の住人のようである。
だけど、そんなことは、今はどうでもいい。
とりあえず、目の前の幼女を助けることが先決だ。
「ボクはオスカー王国の国王であるアンドレ=オスカー四世であるッ! この度は我が婚約者として娘さんを召喚してしまい、大変申し訳ない。ボクが命じてないとはいえ、部下の無礼はボクの無礼だ。前触れもなくいきなりの事態に困惑しているだろうが、この非礼、アンドレ=オスカー四世が如何なることをしてでも、償う所存であるッ!」
『おすかー王国? 召喚? 何を冗談言っているの? 身代金なら用意するわ。警察にも言わない。だからお願い……娘を解放して……』
「解放したいのは山々だが……」
ボクがチラリと魔導士たちを見上げると、彼らは困ったかのように顔を見合わせている。その後ろから、ゆっくりと歩み寄ってきたのはロクロウだった。
「アンドレ様の誰にでも分け与えるその温情は大変美しいものではございますが、出来ることと出来ないことはございます。彼女を召喚するために費やした費用も巨額であれば、そもそも召喚した時に用いた触媒ももうございません」
「ど、どういうことだ?」
ボクの疑問に、ロクロウは床に散らばるクリスタルのひと欠片を拾う。
「これは、元は十年前に封印した魔獣アルミラージの角でございます。その角を加工して、今回の召喚の媒体にしたのです」
十年前――その魔獣を封印した時のことは、有名な話であった。その作戦を現場で指揮をとっていた先王、ボクの父であるアドレイ=オスカーが戦死した時の敵だ。偉大なる父は、魔獣と相打ちという形で戦死したと聞いている。その場にはボクもいたという話だが、残念ながら、その記憶は曖昧だ。
その時のことを少しでも思い出そうとするものの、ボクの手から発せられる声はその時間を許してはくれなかった。
『解放できないってどういうことなの!? あなたたちの目的は何? なんでもする……なんでもするから、カグヤちゃんを返してちょうだい……』
崩れ落ちるような声音に、ボクも唇を噛む。
どうしよう。ボクは魔法が得意でない。だから、ボクの力で元の世界へ戻してやるというのは不可能だし、そもそもロクロウの話を信じれば、論外であろう。ほかにこの場を、まとめる種案を思いつくことさえできやしない。
ボクは、目の前で困っている幼女一人すら助けられない王様だ。
その時、ボクの手にそっと幼女が触れる。その手が温かかった。
彼女が四角い物体に触れる。すると、そこには突如、女性の姿が現れたではないかッ! 肩までの少し茶色い髪の大人の女性の目には、涙がたくさん浮かんでいた。赤い口紅が塗ってあったのだろうが、化粧が崩れてしまっている。
その女性がハッと目を見開いて、ひときわ大きく叫び出す。
『カグヤちゃん! カグヤちゃんなのね!』
「うん、ママ。カグヤは元気だよ。あのね、ママきいて……」
『そのはしたない恰好はどうしたの……まさかカグヤちゃん、男の人に乱暴を……』
「どこもケガしてないし、いたくもないからだいじょーぶだよ」
幼女は少しだけ笑って、ただ「大丈夫」だと繰り返していた。ふっくらとした頬。ぱっちりとした大きな瞳。それを覆う自然でかつ長いまつ毛。どれも幼い、強いて言えば可愛らしい子供のものであるが、その表情落ち着いた表情は、大人びて見えた。
そんな彼女が、告げる。
「ママ、カグヤね。オスカー王国ってところに、りゅーがくすることになったの」
『留学……?』
「うん。地図にものってない、わけあって、まだ日本では有名じゃないところなんだけど、カグヤ、そこのおーさまに『みそめられた』んだって。だから、おーさまにふさわしい女の子になれるようにべんきょーするんだよ」
『馬鹿言うんじゃありません! そんな嘘みたいなことが――』
怒号しかけて、幼女の母親らしい女性が黙る。とても苦悶した表情の中、絞り出した声はどこか悔しそうだった。
『……カグヤちゃんは、そこでお勉強したいのね?』
幼女は頷く。
「うん。カグヤべんきょーするのー」
『スマホはちゃんと通じるのね? そっちの言葉も喋れるのね?』
「だいじょーぶ。スマホはずっと持っているから、なにかあれば電話して――」
『当たり前です! いい? 毎日ちゃんとママとパパに電話すること! メールのお返事もなるべく早く返すこと! ちゃんと守れるわね!?』
畳みかけるような要求に、幼女は呆れたようにクスリと笑った。
「わかった。毎日電話する」
『じゃあ、隣のその金髪の人と話したいんだけど、代わってもらっていいかしら?』
「……うん」
ボクがその二人の会話を唖然として眺めていると、彼女が四角いものに映る母親を指差す。
「ママがお話したいって。ここにむかって、話してもらってもいい?」
「ボクで……いいのか?」
思わず身を引くと、映る母親が前のめりに怒る。
『貴方が責任者なのでしょう! 大事な娘を預けるんですから、きちんと挨拶するのがセオリーでしょう!』
「は、はい!」
ボクは慌てて、その場に畏まった。隣の幼女はクスクスと笑っているが、その母親は唇を横に引いていた。怒っているというより、泣きそうなその顔に、ボクは居た堪れない罪悪感を覚える。
だからこそ、ボクは覚悟を決めて名乗った。
「改めて挨拶しようッ! ボクの名前はアンドレ=オスカー四世。このオスカー王国の国王である。貴殿の娘のことは、ボクが責任をもって預かることを約束しようッ!」
『……その約束、破ったらタダではおきませんからね……』
「無論だともッ! その時はボクを煮るなり焼くなり、好きにするがいいッ!」
『言質は取りましたからね。録音もしてありますから』
「う、うむ……よくはわからんが、アンドレ=オスカー四世に二言はないッ!」
『娘のことを……よろしくお願いします……』
いよいよ母親は、その目からぽろっと涙を零した。
『カグヤちゃん……ちゃんと……いつか帰って来てくれるのよね……?』
その言葉に、彼女はボクに顔を寄せた。ピタッとくっついた頬がふにっと柔らかい。
「うん。いつか、きっと」
『カグヤちゃ――』
そして、プツンと母親は消えた。また黒い物体に戻る。
「あ、切られちゃった」
少し寂しそうに呟いた彼女が、くるりとボクの方を向く。
その顔は、今までのどの表情よりも、子供らしい笑顔だった。
「そーゆーわけだから、これからよろしくねっ。おーさまっ」
どうしてだろう。その無邪気な笑みに、素直に頷けないボクがいた。