11.伝説の二番目に優秀な伝説
色とりどりの花に囲まれた西の庭園には、ひいひいお婆様の銅像がある。長い髪をなびかせて指を鳴らそうとしている姿は、どこか妖艶で、なおかつ勇ましい。ひいひいお爺様の残した記録によれば、幼少期からかなり勝気な少女だったという。売られた喧嘩を買わなかったことは一度もなかったらしいのだ。
どうも銅像の場所から感じられる奥ゆかしさとか裏腹な気もするが、それでも堂々と前を見据える凛々しさは尊敬に値する。
だけど、それと同じものを、断じてボクは彼女に求めるつもりはない。
「だめ――!! スライムちゃんいじめないでー!!」
コーラル色のフリルがたくさんのワンピースを意ともせず、カグヤ殿が赤いスライムの前で両手を広げていた。そのスライムの大きさは、等身大サイズで台座に立つひいひいお婆様を容易に飲み込んでしまいそうなほど高く、うねうねと揺らめくジェリーの中心には、金色の核のようなものが鈍い光を放っていた。
そんな巨大なスライムの前で、カグヤ殿とひいひいお婆様が直角に近い角度で立っているものの、二人とも臆する様子はない。
「かかか……カぁグヤどぉノッ!?」
「アンドレ様。ビビりすぎではございませんか?」
ロクロウが呆れたように言ってくるものの、ボクの裏返った声は、きっと走ってきたからに決まっている。
カグヤ殿がスライムを庇っているというのは本当のようだ。カグヤ殿を除いて、他の子どもたちやご婦人方はみな、ボクが率いてきた衛兵のそばへと駆け寄ってくる。
その中で、一人の少年が言う。
「あ、アイツおかしいんだ! 最初はあのスライム小さかったから、おれの魔法で溶かそうとしたのに、アイツが邪魔しやがって……そしたら、みるみる大きく……」
「なんだと?」
強がっているようだが、彼の目には涙が浮かんでいる。
ぽんぽんと少年の頭を撫でながら子供たちの盾になるような位置取りで近づいてくるレイチェルに対して視線を向けると、彼女はその通りと言わんばかりに頷いた。
「本当に、最初は子供が戯れるのにちょうどいいサイズだったんです。スライム退治をしたことがないと言うので、一緒に倒そうとしていたのですが……」
町中に現れた小型のスライムを、子供が遊びの一環として倒すというのは、よくあることである。昔、ボクも父上の監督の元、何匹か城内のスライムを倒したことがあった。まぁ、泣きじゃくりすぎて、怖かった記憶しかないのだが。弱い魔物であるとはいえ、ひとたび等身大のスライムに吞み込まれれば自力での脱出は困難。ゆっくりと消化されていく未来が無きにしも非ずなのだ。呑み込めないほどの小さいサイズなら、もちろん問題はない。場合によっては、女性の美容のためにスライムを飼育している人もいるらしい。
それはともかく、今回はレイチェルもついているし、その子供の母君も了承したのだろう。ならばその行為を咎めるつもりはないが、それでもスライムが急に巨大化したという話は聞いたことがない。
突如、ロクロウが手を振りかざした。
「ファイアーボルト!!」
顔の大きさよりも大きい炎の塊が、バチバチと細かな稲光を纏いながら一直線にスタイムの頭上へ飛んでいく。それが直撃しようとした瞬間、
「だめ――――っ!!」
カグヤ殿の前に、大きな透明の壁が生まれる。その壁に炎が直撃すると、炎はなぜか収束し、シュンと消えた。
ロクロウが「ふむ」とひげを撫でる。
「カグヤ殿の魔法もなかなかですな」
「今はそういう問題ではなかろうッ!! カグヤ殿に当たったらどーするつもりだッ!?」
「心配なさらんでも、きちんと避けておりますゆえ――何より、危ないと思いましたら、アンドレ様が身を挺して守ればいいのでございます」
「そんな考える時間もなかったであろうが!?」
ボクは反射的にロクロウを一喝し、カグヤ殿へと向き直る。
「カグヤ殿も何をしておるッ!? 今はロクロウが危ないことをしたのが悪かったとも言えるが、スライムなんか守ったって――」
「スライムちゃんだって生きてるもん!!」
「生きているは生きているというか……生命活動をしているという観点で生きていると言えるかもしれないが、頭脳がある生き物でないゆえ、犬や猫などの動物とはちがい、思考や感情もないのだぞッ!?」
「いいんだもん! 生きてるってことにするんだもん!!」
なんだ、その生きているってことにするっていうのは!?
めちゃくちゃな理論を泣きそうな顔で叫んでいる。
いや、どーする?
スライムはうねうねとその場に留まっているが、いつカグヤ殿に襲いかかるかわからない。彼女の主張を尊重したいのはもちろんだが、今はそうも言ってられない。
優先すべきは、カグヤ殿の命。
「ロクロウ。先程の魔法が当たれば、あの魔物を倒すことは可能であるな?」
「もちろんでございます。私はこれでも、かつては世界で二番目の天才魔導士と言われたこともある男でありますぞ」
「……少々微妙な肩書ではないか、それは」
「しかしロクロウ。生まれてこの方、嘘は吐いたことはございませんゆえ」
「まぁ、よかろうッ!」
そんな世界で二番目の凄腕魔導士の魔法を防いでしまうカグヤ殿に、いろいろと聞かねばならないが……そのためにも、ボクは走った。
まっすぐに。
衛兵たちの静止の声を押し切って、カグヤ殿に向かって走る。
「おーさまっ!?」
カグヤ殿の目がまん丸と見開かれた。そんなカグヤ殿を、ボクは屈んで抱きしめる。
カグヤ殿の身体は細い。力を入れすぎれば、すぐに折れてしまいそうなほどにかよわい。
「おーさま、カグヤなんて言われてもどくつもりないよ!?」
「そんなことは言わん!!」
目の前には赤く妖しい蠢き。たしかに、彼だか彼女だかも生きているのかもしれない。神経はないといわれていても、焼かれたら痛いのかもしれない。
だけど、ボクはそれよりも可愛い小さな温もりに出来る限り覆い被さり、叫ぶ。
「ロクロウ!! ボクごといけ――ッ!!」
「畏まりましたアンドレさまあああああああああ!」
勇ましくもなぜか嬉しそうな爺の声が響き、ボクは目を瞑る。
赤いマントごしの背中が熱い。目を硬く閉じたゆえに何も見えないはずだが、目の奥が赤い気がした。
熱く。熱く。熱く。
焼かれるという痛みがどのようなものかは体験したことがないが、きっと熱いという感覚を通り越して痛いのだろう。
だから、実際に熱い程度しか感じないボクは、大丈夫なのだ。
轟轟と。ジュワジュワと。
焼ける音はひと段落し、呼吸をしても空気が熱くない。
そのことを確認してからボクは目を開け、カグヤ殿をゆっくりと離す。
「おーさま……どうして……?」
見たところ、カグヤ殿には煤がついた程度で火傷はなさそうである。それなのに目からたくさんの涙をこぼす彼女の頬を拭った。
「ボクはオスカー王国国王、アンドレ=オスカー四世なんだぞ? 最高級の防除性能を誇る装備をしていたところでおかしくもないだろう?」
なぜ、このような行動をとることができたか。
それはひとえに、愛用の赤いマントのおかげであった。考え得るあらゆる耐久性をあげる魔法がかけられている国宝のひとつとして、もちろん防火性もぴか一の性能を誇っているのだ。
巨大スライムは、煤となって地面に朽ちていた。涼やかに吹く一陣に飛ばされる。やがて、花々を咲かす肥料にでもなるのだろうか。
そんなボクらの後ろから、パチパチと拍手が聴こえた。ひときわ大きく叩くのはロクロウである。
「ほっほっほっ。アンドレ様。見事でございましたな!」
「他人事のように言ってくれるな、ロクロウ! 結構本気だったのではないのか!?」
「もちろん、毒を燃やさば国王までと、全力を持って魔法を使わせていただきました!」
「ボクを殺すつもりかッ!?」
「いえいえ、わたくしが仕えるべきはアンドレ様ただ一人でございます! このロクロウ、嘘を吐いたことはございませぬ! それよりもアンドレ様。見事な雄姿でございました。まさに身を挺すとは……このロクロウ、三時間ぶりに感動しましたぞッ!」
「……ずいぶん大したことない感動だな」
「決してそんなことはございません。ただ、ロクロウは嘘を吐かないだけでございます!」
とりあえず、機嫌の良さそうなロクロウは置いておくとして、ボクはカグヤ殿の頬をぺチンと叩いた。
驚く周囲を置いておいて、ボクは赤い鼻をすする少女に対して、言う。
「お仕置きをしなければな」
ボクはこれでも、怒っているのだ。