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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

英雄を倒してしまった男の話

作者: やまい

適当に思いついて書いたテスト投稿です。ハーレムもチートもないただの青年の話です。

短編として書きましたが、長編に移行しました。

 目の前の光景が信じられなかった。

 たった一人。

 浴びた返り血を雨で流し、鉄槍を無造作に下げたあの男一人に仲間たちはなす術もなく、木っ端のように蹴散らされたのだ。

 石突で腹を突かれ、反吐を撒き散らして無様に転がった俺は、血の混じった黒いぬかるみの中で息を潜めている。反撃の機会を窺っているのではない。あの男が気付かずに退くのをただじっと待っているのだ。

 情けない。悔しい。仲間の仇を討ってやりたい。

 数歩の距離には兜ごと槍に抉られ、顔面の半分を失ったまま虚空を睨む仲間の死体がある。

 ぞわっ、と背筋が凍り胃の辺りから酸っぱい塊がせり上がった。死体に混じって息を潜める屈辱も、きつい訓練や果てない行軍の中励まし合い共に乗り越えてきた大事な仲間たちを討たれた憎悪も、眼前に横たわる死の気配の前にはたちどころに萎えていく。

 この上なく正確に、体重を乗せた石突で突かれた腹は辛うじて破けていないだけ、という有様だ。呼吸どころか、心臓が鼓動を刻む度にずきんずきんと脳天まで轟くような痛みが走る。

 こうして生きているのは、運が良かっただけなのだ。直前に胴を貫かれた仲間のお陰で、刃のない石突で突かれるだけで済んだ。次はきっとあの正確無比な槍に貫かれて死ぬ。絶対に死ぬ。

 怖い。嫌だ。どうか気付かずに去ってくれ。

 カシャン、と男の脚部に装着されたグリーブが金属の擦れ合う音を立てた。

 ああ、来る。来てしまう。気付かれているのか。このままでは。逃げるか。いや、無理だ。きっと逃げ切れない。嫌だ。このままじゃ。怖い。死ぬ。死んでしまう。



 俺達の部隊はアグネア国の第三師団、第三連隊に編成された第二大隊の第五中隊に組み込まれた輜重兵小隊……という、末端も末端の部隊だ。輜重兵だから戦闘にはほとんど参加せず、食料、飲料の輸送だとか前線への武器なんかの補給を行う。……ただ、まあ絶対に安全って訳でもなく、兵站線を狙う敵軍に襲われることもある。けれど、だからこそこっちも襲撃を警戒して、そこそこちゃんとした装備の部隊を護衛に付けてくれるから、少なくとも前線よりは安全なはずだった。

 この戦争は俺が物心付いたガキの頃から続いていて、途中アグネアの王様が死んだとかで休戦は挟んだけれども、丁度俺が実家のパン屋で働き出すと再び戦争は始まった。俺はギリギリ徴兵に応じなきゃいけない年になっていたから、それで軍に配属になったって訳だ。

 実家のある辺りはアグネアの一大穀倉地帯で、そこから兵站基地が食料を調達する。体格がいいわけじゃないし、まあ土地勘があるならって適当な理由で輜重兵に振り分けられた。ただ、結局人が足らないからって前線への輸送を命じられて、土地勘なんか意味がなくなっちゃったけどな。

 それで、すぐに戦地に送られた訳じゃなく、しばらくは後方で訓練兵として戦闘訓練に従事した。いくら輜重兵とはいえ、兵士には違いない。周りの訓練兵には多分俺と同じ理由で振り分けられた同郷出身者も多く、慣れない剣や槍を振ってずたぼろに疲れながらも寝る前の僅かな時間に下らない話で盛り上がったり、厳しい教官の愚痴をこぼし合ったり、結構気楽に過ごしていた。……戦争に行く、なんてことを真っ直ぐ見つめたらやっぱり怖かったから、わざと斜めに見て意識的に暢気に過ごしてたのかも知れない。


 やがて、とうとう新兵として戦場に出る日が来た。……戦場、って言っても前線じゃなくて、そこに補給を運ぶ輜重兵としてだけどな。そりゃあ緊張はあったけど、噂じゃこっちの軍は随分圧勝してるって話だったし、ちゃんと護衛も付くし、相変わらず暢気な雰囲気の道程だった。

「ローシン、なんだよお前。ビビってんの?」

 目を向けると、隊の中で一番小柄なローシンが双子の兄弟、アルとノックスに挟まれてからわかれているのが見えた。アルもノックスも少々調子に乗りすぎるところがある。小柄で引っ込み思案なローシンは格好のオモチャなのだろう。訓練兵の頃も、それとなく庇ってやったことがあった。

 あいつらが目に余るような振る舞いをしたら、すぐに助け舟を出してやらなきゃな。

「だ、だってさあ……いつ、敵が来るか分からないじゃないか。輜重兵だって襲われることもあるって聞いたし……」

 ローシンの語尾が気弱げにもごもごと口の中で消える。ノックスがバンバンとその背を叩いた。

「馬鹿、そんなん滅多にないって教官も言ってたろ。それによ、もし敵が来てもウチの大剣豪サマがあっという間に倒してくれるって!なっ!」

 水を向けられて、背は高いがひょろひょろとした体格のニックは困ったように眉を寄せて苦笑する。この糸目の無口な青年は戦闘訓練で同期の中でも抜きん出た成績を残していた。聞けば、近所の退役軍人の爺さんに剣術を教わっていたらしい。

「でもさあ、剣が上手くなったところで故郷に帰ってもあんまり役に立たないよなあ」

 厨房からパンや干し肉をちょろまかすのが得意な、世渡り上手のトニーは口を尖らせてそう言った。

「ハハッ、じゃあ刈り入れの時に剣で小麦をバッサバッサと斬り捨てるってのはどうだ?」

 俺がふざけて答えると、トニーはおどけて首を竦める。

「馬鹿言え、親父にブン殴られる」

 みんな一斉にハハハと笑った。

「おいおい、お前ら。遠足に来たんじゃないんだぞ」

 前を行く下士官のウェイン伍長が苦虫を噛み潰したような顔で振り返り、全員慌てて真面目な顔を作る。

 そうだ、帰れると思ってたんだ。

 俺達は暢気でお気楽だった。

 護衛が蹴散らされて、仲間たちがなすすべなくあの槍で貫かれるまでは。



 目の前には顔面の半分を失ったニックの死体がある。一番剣が上手かったはずのニックは、数度も斬り結ぶことなくあっさりと死んだ。死んでしまった。

 だってまさかこんなところに現れるなんて思わなかった。俺でも名前を知っている。

 敵方の英雄、雷槍のフレデンスタン。雷が閃くような刺突から、皇帝に雷槍の名を賜ったそうだ。後世、きっと彼の呼び名は伝説として語られるだろうと言われている。

 そんな英雄が、どうして、何故こんなところに。

「立ちなさい」

 びくっ、と体が竦んだ。俺に言ってるんだ。やっぱり気付かれてたんだ。がくがくと体が震えた。

「……剣を取りなさい」

 嫌だ。剣を取って立ち上がったら、抵抗の意思があると思われる。でも、きっと倒れたままでも殺される。嫌だ、嫌、死にたくない。死にたくない。

 うう、ううと呻き声だか泣き声だか分からないものを漏らしながら、俺はニックの死体の傍らに放り出された剣を取って立ち上がった。

「よろしい」

 英雄はそう言って槍を構えた。

「這いつくばって息を殺す者を刺し貫くのは簡単ですが、人間の矜持も忘れ虫のように死なせるのはあまりにも哀れ。剣を取って立ち上がれば君は立派に戦った人間として死ねます。君の尊厳は守られました」

「なんでですか」

 うえっ、と嗚咽混じりの声で問う。とにかく何か喋らないと、気を逸らさないと、今にもその槍に突き刺されそうで怖かった。

「うっ……うぐっ、ふうっ、なんでいるんですか……いやだ、いやだ、しにたくない」

「……兵站を断ち、戦況を一気に巻き返します。その為の遊撃として志願しました。君のような未来ある若者を殺すには忍びないですが、ここはもう戦場で、君は私の敵です」

「うえっ、えっ、いやだ、しにたくないです。たすけてください。しっ、しにたくないです」

「君を見逃せば私の出陣を知られてしまいます。そうなれば、速やかに兵站を落とす策が潰えます。ですから、助けることは出来ません」

 慇懃な死刑宣告。こんな時なのに、死を引き伸ばすためだけの質問に答えてくれる律儀な英雄が少しおかしかった。いや、きっと、よくあるあれだ。どうせ死ぬから、聞かれたことには答えてやろうってやつだ。

 英雄の後ろには英雄が率いていたのだろう、騎馬部隊が取り囲んでいる。一か八か逃げようとしても、すぐに追いつかれる。この状況を打開する術はなにもない。

 俺は死ぬ。ただの無名な一般兵が英雄に殺されるんだ。きっと多分、この戦場にいくらでもある話。

 言葉を交わすことが出来たのが、奇跡みたいなもんだったんだ。

「しにたくないよぉ……」

 あの槍が急所に定まれば、俺は死ぬ。

 痙攣のような激しい震えのせいで、握った剣先までぶるぶると震えている。

 嫌だ。死にたくない。逃げたい。なんでいるんだよ。死にたくない。どっかいってくれよ。怖いよ。もう嫌だ。母ちゃん。死にたくない。助けて。お前が死んでくれよ。


 ぐっ、と英雄の体が硬直した。


 英雄が目を見開いて振り返る。剣を突き立て、ぶら下がるようにしてしがみ付くものを見る。

 ローシン。

 あの一番小柄で引っ込み思案なローシンが、英雄に剣を突き立てている。呆気に取られていた英雄の部下たちが、それでもすぐに我に返り、咆哮を上げて突進する。その横合いから、別の騎馬部隊が突っ込んだ。あれは味方の旗印だ。味方が来てくれたんだ。

 英雄は反射的にだろう、渾身の突きをローシンに繰り出した。痩せっぽちなローシンの体に、槍は簡単に突き刺さって貫通する。

 英雄の意識が俺から逸れた。

 ほとんど無意識にうわああ、と悲鳴のような声を上げて突進し、俺は英雄の首に剣を突き刺した。英雄の唇がわなないてごぼりと鮮血が噴き出す。俺に突き刺さるはずの槍は、ローシンの体に引っかかって届かなかった。

 英雄は、伝説になるはずの英雄は、どちゃりと泥濘に崩れていった。同時に、俺はぐらりとよろけて尻餅をつく。

 英雄の艶やかな長い金髪が、叩き付けるような雨と泥に汚れていくのを呆然と眺めた。

「……あ、ローシン」

 気が抜けたような自分の呟きで、ほんの少しだけ空っぽになった頭が働いた。よろよろと動いて這うようにローシンの元へ向かう。

 槍に突き刺さったままのローシンは、びくんびくんと痙攣している。

「おい、ローシン……ローシン。大丈夫か。こんなので死ぬなよ。なあ、やめろよ、そんなの嫌だよ。なあ」

 ローシンは何か言おうとしたのか、唇を動かした。けれど、ごぼごぼと血泡を吹くだけで何も聞き取れない。懸命にローシンの唇に耳を寄せて聞き取ろうとするのに、何も聴こえない。

 周りでは騎馬隊が戦っている。鬨の声がローシンの言葉をかき消している。

「うるせえよ……静かにしてくれよ……ローシンの声聞こえないじゃないかよ……」

 お前すごいよ。あの英雄、やっつけちゃったんだぞ。とどめ刺したのは俺かもしれないけど、ローシンがやらなきゃ俺は死んでたんだ。お前、俺の命の恩人だよ。死んでる場合じゃないよ。なあ。

 どれだけそうしていただろうか。周りが静かになったことにすら、俺は気付けなかった。

「おい、お前生き残りか?大丈夫か?怪我は?所属は言えるか?」

 耳元で尋ねられて、ようやく俺はゆっくりと顔を上げる。

「……ローシンが……ローシンを」

 浅黒い顔の隊長らしき男が目配せすると、腕に白いバンダナを巻いた衛生兵が進み出た。

 衛生兵はローシンの瞼を指で捲り、手首の脈を確かめると、眉を寄せて首を振る。

「……同じ小隊員か?……駄目だ、もう死んでる」

 隊長らしき男は憐憫の篭った声で残酷な事実を告げた。

「俺は第五中隊のクローデルだ。襲撃にあったと報告があったんで駆け付けた。……この辺の生き残りはお前だけか。……大変だったな」

 ぽんぽん、と背を叩かれる。クローデル?大尉の名前と同じだ。そんなことをぼんやりした頭で考えた。大尉?クローデル大尉?

「たっ、大尉!こ、こ、ここ、この男……フレデンスタンです!雷槍の!」

 何ィ、と驚いた声でクローデル大尉が槍を握ったままの死体を覗き込む。

「……お、おい……マジか?もっとマシな冗談はねーのかよ。……本物か?影武者とかじゃねえのか?」

「あ、アハハハ……影武者が恐れ多くも皇帝印の入った槍持ち歩きますかねえ」

 クローデル大尉はちらりと槍を見て、引き攣った顔で笑った。

「くそ、道理で寡兵だってのに滅茶苦茶強かったわけだぜ。あのフレデンスタン旗下じゃ納得納得ってか?……おい……じゃあ……何だ?あの雷槍フレデンスタンが、輜重兵小隊を強襲して返り討ちにあったってのか?ば、馬鹿野郎、誰が信じるんだ、ンなことよぉ……そのまんま報告上げてみろ、病気除隊にされるぞ、俺は。ああ!ちくしょう、本当だとしたらとんでもねえぞ!コラ!」

 クローデル大尉は呆けたままの俺の肩に半ば掴みかかった。

「お前がやったのか!?なんだお前、ただの輜重兵じゃねえのか!?剣の達人かなんかか!?アァ!?」

「た、大尉……落ち着いて下さいよ、負傷兵なんだからチンピラみたいな態度で迫っちゃ駄目でしょう」

「……ローシンが」

 上手く働かない頭で、なんとか言葉を紡いだ。

「……ローシンが……隙を突いて……攻撃して……俺が、とどめを、さしました」

 クローデル大尉と副官らしい男は顔を見合わせた。

「あるの?そういうこと」

「知りませんよ。……けど、フレデンスタンはかなり正々堂々とした人物で、多勢を恃みとした戦術はあんまり取らないってのは聞いてます。その分本人の武威がとんでもないんで、周りも強くは言えないから好きにさせてたとかなんとか……」

「……するってーと、アレか?たかが小隊風情ってナメくさった英雄サマが調子に乗って一人で暴れてたらうっかりやられちゃいましたなーんて馬鹿みたいな死に方したってか?あるのぉ?そんなことって」

「だから、知りませんよ。まァ、有り得ない、奇跡みたいな話っすよね。……敵軍の戦意をこれでもかって削ぐような話でもありますけど」

 クローデル大尉ははあーっと大きく溜息をつくと、ちらりと腑抜けたままの俺を見る。

「とにかくな……事実は事実だ……っつっても本当に本物のフレデンスタンを討ったのかどうかって裏付けは取らなきゃならないがな、俺たちじゃ手に負えねえ異常な事態だよ。報告上げるしかねえだろ」

「そっすね。……頑張れ大尉」

「いやだなあ。病気除隊いやだなあ」

 そんな会話をぼんやり聞き流しながら、俺は前にローシンが言ってた言葉を思い出していた。


 ――僕さあ、影薄いじゃない?……この前なんかニックの素振りに当たってちょっと手を切っちゃって。ニック、僕に気付かなかったんだって。ほら、ここ。ひどいよねえ。もしかしたらさ、敵に襲われても死んだ振りしてれば気付かれないんじゃないかな。あははっ。


 何だか笑い出したくなった。英雄様も欺く影の薄さかよ。なんだよそれ。馬鹿だな。本当に馬鹿だよ。そのまま黙って死んだ振りしてれば助かったかもしれないのにさ。死にたくないって泣き言言ってた俺を助けようとしてくれたのかよ。チビのくせに。馬鹿野郎。

 クローデル大尉は負傷兵だから、と馬車に乗せてくれた。これから大尉の部隊に合流して、報告を待ってから俺の処遇を決めるらしい。

 ごとごとと揺られながら、俺は死んだみんなの顔を思い出していた。

 ごめんな。俺だけ生き残っちまってごめんな。許してくれないかもしれないけど、でも謝るから。一生謝るからさ。

 この出来事が、俺の大した起伏のない平凡な人生を一変させるきっかけになるとは、この時の俺に知る由もなかった。



 英雄を倒してしまったパン屋のせがれは、アグネアの英雄に祭り上げられることになってしまったのだ。

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[良い点] 面白かったです。 この主人公はみんなのおかげで生き残って、「みんなの分まで頑張って生きなきゃ…!」と思いながらもこの後何度も死ぬような目に合う気がするw
[良い点] 戦争で英雄が死ぬのも、新しい英雄が担ぎ上げられるのも、こんな些細な出来事なものだって所に、フィクションなのに妙なリアリティーを感じました。
[良い点] 面白かったです! この後英雄に祭り上げられる主人公を、是非大尉が支えてあげてほしいですね!
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