record35 かくれんぼ
この話はサイドストーリーです。
読まなくても本編に直接の影響はありません。
そこにはベッドがあった。
どうやらあそこに隠れろということなのだろう。
さすがにそれはいろいろとまずいと言い返そうとも思ったが、考えている暇もないので佳奈の言う通りベッドに飛び込みそのまま布団を被る。
――あぁ、うん。やっぱりいろいろとまずいな。
どうまずいかと言うと、このベッドは佳奈が寝たり起きたりと毎日使っているわけだ。
そうなると匂いやなんやらで、いろいろと精神的にまずい。
浩介はあまり意識しないようにして、できるだけ長い間呼吸を止める。
これなら佳奈がすぐに久遠を追い返してくれればどうにかしのぐことができる。
そう考えたのだ。
だがほっとしたのも束の間、浩介の左側にもう一人入ってくる。
正確に言うと完璧には入ってきてはいないのだが、誰かが普通に寝るようにして布団に入ってきたのだ。
いや、まあ入ってくる人物など一人しかいないのだが……。
「変なところを触ったりしたら蹴るからね!」
布団を軽く持ち上げると、佳奈はそんなことを言ってきた。
そしてすぐに布団を元通りにする。
――こいつは一体、何を考えてるんだよっ! ちなみに触ろうとなんて微塵も思っていないですからね!?
心の中で盛大に佳奈にツッコミを入れながらも、でも蹴られるだけで済むんだな、と思う。
だからといって、やろうとも思わないが……。
それから浩介は心を少しでも落ち着かせようと、何も考えないように専念する。
甘い匂いだけでもドキドキして心臓が破裂しそうだというのに、佳奈まで一緒に入ってきて、現在は理性が吹っ飛ぶ寸前だ。
これは俺に対する何かの試練なのか?
当然ベッドも二人が入れるほどの余裕があるわけがなく、ほとんど佳奈と密着状態なわけだ。
端の方に移動して避けられないこともないが、不自然にそこだけ盛り上がることになるわけで、そんなことをしたら久遠にばれてしまう。
――よし、浩介! ここは一旦深呼吸だ!
深く息を吸って、ゆっくり吐く。
うん、気休めにもならない。
そんなこんなしているうちに「お邪魔しまーす」ともう一度久遠が声をかけてきて、それと同時に扉を開く音が聞こえてくる。
ここからは自分は黙って佳奈と久遠の会話に耳を澄ましていればいいわけだ。
この状況に耐えながらも。
「あら? もしかして佳奈ちゃん、具合でも悪いの?」
「あ、はい。だから扉を開けたくても、開けに行けなくて……」
心配する久遠に対して、佳奈はかすれた声で返す。
具合が悪そうに演技をしているのだろう。
意外にうまい。まあ本当のことを知っている浩介からしては、なんてきれいな嘘をつくのだろうとしか思えないのだが。
「その、だからうつったりしたら申し訳ないので今日は一人で食事をとることにします」
「そっかー、それじゃあ確かにみんなとは食べられないね」
佳奈の言葉を聞いて、残念そうにする久遠の言葉が聞こえてくる。
意外にも早く解放されることに浩介は喜びを感じた。
少し惜しいとも思ったが、さすがにこの状況を役得と思えるほど擦れてはいない。
「まあ気分が楽になったらでいいから、そしたら佳奈ちゃんも降りてきてみんなと食べようね!」
「はい、具合が良くなれば後で行きますね」
「うん、待ってるからね~!」
そう言いながらも部屋から出ていこうとしているのか、久遠の声がだんだんと遠のいていく。
――はぁ、ようやく助かった。
同じことを思ったのか、佳奈の身体から力が抜けていくのが浩介にも伝わってくる。
けれど、そんなに世の中が甘いはずもなく……。
「あっ、それと気になったんだけど、なんで佳奈ちゃんしかいないのに椅子が二つもあるの?」
扉の付近でくるっと振り返ると、久遠がこちらに問いかけてくる。
「えっと、それは、その……」
さすがの佳奈もなんて返せばいいのか思いつかないのか返事が曖昧だ。
椅子など片付ける暇もなかったので、さっき座っていたままになっているはずだ。
おそらく、今は誰も座っていない椅子が向き合うように置いてあるのだろう。
確かに少し不気味かもしれない。
そう考えると話がまだ長引くと思い、浩介は体勢を変えるために少しだけ動く。
さっきから同じ格好を維持したままなので、疲れてきたのだ。
そして浩介が身じろぎをした――そのときだ。
「ひゃうっ!」
――ん? なんだ、今の声は?
何が起こっているのか気になり、聞き耳を立てるために中途半端で止めた体勢をもとに戻す。
ふにゅっ。
手の先が、佳奈の足に触れた。
「んっ、ひあんっ!」
――んーと、これはもしかして?
ここにきて、浩介はようやくある推論へとたどりつく。
とても恐ろしい推論に。
――いや、待て、これってもしかして……俺のせいじゃないよな?
布団の外からは久遠の戸惑う声が聞こえてくる。
「ええっと……今の声って、佳奈ちゃん、だよね?」
「えっ、そ、そんなこと、ないですよ。久遠さんの、気のせいじゃないですか?」
必死に否定をしようとする佳奈。
でもその喋り方じゃ、逆に肯定しているようにしか浩介には思えない。
まあこの状況に持ち込んだのは、誰でもない自分なのだが……。
このままどうなってしまうのかと耳を澄ましていると、河西の声が廊下から聞こえてくる。
「久遠、あんまり佳奈ちゃんを困らせてはだめだよ? 出て来なかったらすぐ戻って来いと言ったじゃないか」
「あっ、ユキ様! いやね、でも――」
必死で今の状況を説明しようとしている久遠を河西は面倒くさそうにあしらうと、佳奈に向かって話しかけてくる。
「風邪をひいているならゆっくり休んでいるといいよ。顔も少し赤いしね。迷惑かけてすまないね」
そう聞こえたかと思うと、久遠と河西の言い争う声が遠のいていき、最後は聞こえなくなる。
これでようやく危機が去ったと浩介は喜びたいところなのだが……。
「…………」
はい、やっぱりそうなりますよね。
布団から這い出ると、目をうるうるさせながらも佳奈がこちらを睨んでいた。
確かに河西の言っていた通り、頬も少しだけ紅潮している。
ただ、風邪のせいではないことは確かだ。
浩介は怒られることを覚悟しながらも、佳奈にそっと声をかける。
「あ、あの~?」
「……なによ」
「すみませでした」
こういう時は素直に謝って罰を受けるのが一番だ。
逃げたり、言い訳をしたら余計に罪が重くなる。
そう思い、大人しく佳奈に頭を下げる。
けれどいくら待っても怒鳴り声や蹴りがとんでこない。
恐る恐る顔を上げると、佳奈は意外なことを口にした。
「今回は、その、私も忘れてあげるからあなたも忘れて……分かったらすぐに出ていく」
「はい、ありがとうございます!」
いつものように元気よく言うと、駆け足で部屋を出ていく。
このまま部屋に残っていたら、二次災害にあいそうで気が気じゃなかった。
そして自分の部屋へと戻った浩介は息を落ち着かせると、手当てをしてもらった右腕に視線を落とす。
――こんな風に巻かれちゃったら、何もできないよな。
止めてあるテープを剥がそうと反対の手を使う。
けれど途中まで剥がしたところでその手を止めた。
――せっかくやってくれたんだもんな……別にあってもいいか。
テープを張りなおすと、浩介は食堂へと降りる支度を始めた。




