record3 呼び出し音
既に追い始めてから五分は過ぎようとしていた。
バイトなどで身体を動かしている敦司にとってはまだある程度の余裕があった。
だが、敦司は顔をしかめる。
――体力的にはまだ余裕があるけど、これじゃあキリがないな。
普通の人間ならば五分も走っていれば体力がもたなくなってばてるくらいのペースで走っていた。
それなのになかなか前を走っている人影との距離が縮まらないのだ。
気付けば人通りが少ないところから、人通りが多い大通りに変わっていた。
――木を隠すなら森の中ってか。
確かに人が多くなった分、見失いそうになっていた。
そんな時、近くのイベントでも終わったのか建物内から大勢の人たちが一斉にあふれ出てくる。
「っ! このままじゃまずい。本当に見失っちまう」
人影を追うために人をかき分けるようにして進むが、流れに逆らうことはできず人影との距離が開く。
そしてついに、完全に見失ってしまう。
「くそっ、なんだってんだよ!」
怒りがこみあげてきて、地面にあたる。
和奏をつけていたやつには当然、そいつを捕まえるどころか、何の手がかりもつかめなかった自分にも腹がたつ。
けれど怒りに任せても仕方ないとどうにか自分に言い聞かせ、和奏との約束のため来た道を戻る。
そして歩きながらも今までのことを頭の中で整理をする。
和奏をつけていたやつの目的はおそらく、かなりの好意を寄せての行動か、恨みが募っての怒りからの行動かのどちらかだ。
そして後者の方はおそらくありえないだろうと敦司は考えていた。
理由は、和奏の性格からして恨まれるようなことはないだろうと推測をしたからだ。
だとすると、異常な好意を寄せての行動と考えるのが普通だ。
――いや、でも金が目的の可能性もありえるか……。
和奏の家はそれなりに金持ちの方であった。
だから誘拐の線もあり得ると敦司は考えた。
それともう一つ、敦司には気になっていることがあった。
それはあの時の和奏の怯えようだった。
つけられていると気付いてからの、あの怯えよう。
普通なら、まず後ろを振り返って誰かがついてきてないかを確認するのが先だろう。
なのにそれもせずに、しかも敦司もいたのにもかかわらず自身がつけられていると確信をしていた。
まるでそれが初めてではないかのように――。
そう考えると敦司は和奏のことが心配でたまらなり、居てもたってもいられなくなる。
ポケットから携帯を取り出すと、電話帳から和奏の連絡先を探しだし電話をかける。
――頼む、電話に出てくれ……。
そして五コールした後、電話口に誰かが出てくる。
「良かった、無事だったんだ」
敦司の無事を知り、安堵した和奏の声だ。
「あぁ、こっちは平気だ。和奏の方は何もなかったか?」
和奏が電話に出てくれてことで一応はほっとしていた敦司だったが、本人の口から直接大丈夫だと聞きたかった。
「うん、何もなかったし平気だよ。心配してくれてありがとう、敦司くん。それでどうだったの?」
「ん? あ、あぁ…………それがな、追い詰めるところまではいったんだが、結局詰めが甘くて逃げられちゃったんだよ、ごめんな」
敦司はできるだけ平穏を装いながらも、事実とは違うことを言った。
本当は追い詰めるどころか、顔や特徴さえ全く分かっていなかった。
だが、和奏がそんなことを見破ることができるはずもなく敦司の言うことをそのまま信じる。
「そっか……でも仕方ないよ。追い詰めただけでも十分すごいと思うよ」
「そう言ってくれるだけでもずいぶんと気が楽になるよ。ありがとな、和奏。今日はもう疲れたから家でゆっくり休むことにするよ。また明日、学校でな」
「うん、また明日。ゆっくり休んでね」
敦司は通話を切り、携帯をポケットにしまいながらも疑問が確信へと変わっていくのを感じた。
――これは和奏じゃない、偽物だ。
心の中に何か苦いものを感じる。
それは、自分に対しての怒りとどうしようもない後悔からだった。
自分があの時、もし和奏のいう通り追わずに一緒に居てあげていれば……少しでも和奏の言葉に耳を傾けていれば……こんなことにはならなかったと。
「和奏、絶対に助け出してやるからな」
誰に向けた言葉でもなく、知らず知らずのうちに口から出ていたのかもしれない。
ただ敦司にとっては、そのことで正気を戻すには十分だった。
そして何かを決心したかのように速足で自分の家へと向かうのだった。
「ばあちゃん、ただいま!」
家に帰るなり祖母に挨拶をすると、階段を駆け上がり自分の部屋へと向かう。
そしてタンスの中をあさり始める。
――確か去年の残りがここら辺にあったはず……。
少しあさった後、目的のものを見つける。
それは前の年の夏休みに花火をやった時に余った、ねずみ花火だった。
――これだけあれば充分だな。火をつけるものと野球ボールくらいの大きさのゴムボールを探さないとな。
敦司は手の中にある花火を眺めながらほかに必要なものをあげていく。
そして何が必要か頭の中で整理をすると、今度は台所へと向かう。
そこには夕飯の支度をする祖母がいた。
敦司に気付くと身体ごとこちらに向ける
「あら、支度はまだできてないけど……すまないねぇ」
「平気だよ、ばあちゃん。それよりライターかマッチを貸してくれないかな?」
「いいけど……ちょっと待ってね」
そういうと、戸棚の引き出しを開けてマッチ箱を手にして敦司に差し出してくる。
「これでいいのかい?」
「ありがとう、助かるよ」
祖母から受け取ると、それをバックの中にしまう。
「それと俺が返ってくる前に、和奏がここに訪ねてきた?」
敦司の質問に対して祖母は首を横に振る。
「いいや、今日は一日中家にいたけど誰も来なかったよ」
――そりゃそうだよな、和奏じゃないもんな。
祖母の答えは敦司が予想していた答えと一緒だった。
すると、先の敦司の言動に疑問を感じたのか祖母が心配そうな顔をする。
「もしかして、和奏ちゃんになにかあったのかい?」
「いや、特に何もないよ。ただあいつと会う約束してたから、こっちに来たのかと思っただけだよ」
もちろんこれも嘘だ。
下手なことを言って祖母を心配させたくなかったからだ。
それに祖母は和奏とはそれなりに面識があり、仲も結構良かったから尚更だ。
こないだだって祖母と和奏がなにやらこそこそと話をしているのを見かけたので、話題に入れてもらおうと声をかけたら
『今は内緒話しているからあっくんは聞いちゃダメ!』
と和奏に叱られてしまった。
あの時はさすがに少し傷ついたが、祖母と和奏がその内緒話とやらを話し合えるくらいに仲がいいとわかって嬉しくもあった。
――でもいくら心配させないためとはいえ、一日に二度も嘘つくのはあまりいい気がしないな……。
敦司は、和奏と祖母に嘘をついたことから少なからず罪悪感を抱いていた。
けれど背に腹は代えられない。
「とりあえず和奏にあってくるよ。それと、もしかしたら帰るのが遅くなるかもしれないけど、心配しなくていいからね」
祖母に心配されないためにくぎをさしながらも、台所を出て玄関へと向かおうとした時だった。
「ちょっとお待ち――」
「ごめん、ばあちゃん。和奏が待ってるから」
祖母が話している上から敦司は言葉をかぶせるようにして返事をする。
これ以上長居をしたところで祖母の不安をぬぐえると思わなかったし、どのみちとめられたとしても行くと決めていたからだ。
だが、祖母は敦司が思っていたことと全く別のことを口にした。
「別に和奏ちゃんと会うことを止めようとしているわけじゃないよ。ただ、服を着替えてからの方がいいんじゃないのかねぇ?」
「えっ?」
祖母に指摘され、敦司は自分の服装を見定める。
言われてみれば敦司は学校から帰ってきてから、まだ一度も着替えていなかったのだ。
つまり、まだ制服。
一日の中でいろいろなことがありすぎてすっかり忘れていたのだ。
「あっ、ほんとだ……」
敦司はどんなことを言われても行こうと覚悟を決めていたので、その分拍子抜けした。
「着替えてから行っておいで」
「そうだね、部屋に戻って着替えてからにするよ。教えてくれてありがとうね。ばあちゃん!」
敦司は回れ右をすると階段を駆け上がっていく。
「はぁ……あの子はいつもどこか抜けているから心配ねぇ~」
顎に手を当てながら、心配そうに祖母は深いため息をつくのだった。