record26 言えないこと
部屋の扉を閉めた敦司は紹介の時にもらったファイル二つを机の上に置くとベッドに身を投げ出した。
なんだか、何もやる気が起きなかった。
ファイルを読もうかとも思ったが、今日の夜に帰ることができるなら今更読んだところで無駄だと思ったからだ。
それにこれから新しい生活が始まる、他のみんなとも暮らしていくことを楽しみにしていたのに気が削がれたみたいな感じになっていた。
「でもいつまでもここにいることはできない、か」
何も考えずぼーっと天井を見つめながら、河西が言っていたことを呟いてみる。
すると自分の気持ちにすっと溶け込んでくる。
――確かにそうだよな、俺だっていつまでもばあちゃんのことを一人にしておくわけにもいかないもんな。
その時、ポケットの中に何か入っていることに気付く。
何かと思いポケットの中をまさぐってみると今日の朝、柚唯に貰ったクッキーが出てくる。
――あっ、そういえばまだ全部は食べてなかったんだっけ。
袋から一つ摘み上げると口に放り込む。
少し冷めてしまってはいるが、やはりうまく焼けてあるだけに美味しい。
「…………」
……ぐう。またお腹が鳴った。
思えば、河西の話で頭がいっぱいになっていてお腹が減っていたのを忘れていた。
――はは、こんな時にでも腹は減るんだな。
当たり前か、と自嘲気味に笑いながらもベッドの上で大きく背伸びをする。
それから深く深呼吸をしてから起き上がる。
「いつまで考え込んでいてもしょうがないか!」
気合を入れるために、思ったことを声に出し自分に言い聞かせる。
それにどんなに大きな音を出しても外には聞こえないのだから、思う存分に声を張れる。
そう思うとなんとなく叫びたくもなる。
「でも思えばこの館って不思議な構造だよな」
中からの音は外には聞こえないが、外の音は中には聞こえる。
考えてみると普通にはありえない構造だ。
確かにできなくはないが、常人ならそんな注文はしないだろう。
――俺たちを捕まえたやつらの目的は俺たちの観察……そのためにこの構造を選んだのか?
たった観察のためだけにここまで大掛かりのことをするだろうかと敦司は考えていた。
この館に豪華な装飾、整備品までと莫大な財力、そしてこれだけの人を集めても大事にならないようにするために隠すことができるくらいの権力の酷使、どう考えても相当肝が据わっていて、力があるものじゃなきゃできるようなことじゃない。
敦司にはなにかもっと、他に目的があるような気がした。
そんなことを考えながら、クッキーをもう一つ口に運ぶ。
そのとき同時に柚唯が散らばらしたクッキーの欠片のことを思い出す。
あの時柚唯は片付けなくても消えるよ、と言っていた。
もし柚唯の言った通りに考えるとやはり誰かが掃除をしているということなのだろうか。
――じゃあ十二人目が人の目を盗んで掃除でもしているんだろうか。
正直、敦司には信じられなかった。
わざわざゴミを片付ける意味が運営側には意味がないと思ったからだ。
――疑うわけじゃないが、試してみれば分かるか。
百聞は一見に如かず、とりあえず敦司は部屋に少しだけクッキーの欠片を床にばら撒いてみる。
そして部屋を出て、扉を閉めてからすぐに開けてみる。
――だよな……これで消えたらファンタジーの世界になっちゃうもんな。
案の定、部屋を出る前と変わらずクッキーの欠片は敦司がばら撒いた場所に散らばっていた。
そうなると柚唯が自分に嘘を言ったことになる。
でも柚唯が嘘を言っているようにも思えないし、自分に掃除をさせたら悪いと思って嘘でもついてくれたのだろうと敦司は思う。
――ああ、でもこんなことしても仕方ないよな。
今日の夜には帰るんだし、残りの時間はこんなことじゃなくて別のことに使おう。
そこで敦司自身の集中力が途切れる。
「はぁ、それより頭を使うと腹が減るなぁ~」
腹が減ったらなんとやらと昔からよく聞くものだ。
気付くと柚唯に貰ったクッキーも、もうなくなっていた。
――食堂に行って食事でもとるか。
とりあえず何か食べようかと思い、立ち上がり部屋の扉を開けようとする。
けれど、自分がノブに力を入れるより先に扉が開く。
「えっ……わ、和奏!?」
そこには和奏が立っていた。
どうやら自分が扉を開ける前に和奏が先に開けたようだ。
「あ、あっくん……その……あの……」
最後の別れ方があんな感じだったから、和奏も気まずいのか声が小さかった。
――和奏も、和奏なりに考えてくれてたのかな……。
もしあの時の敦司なら今の和奏にも問答無用、聞き出そうとかかるだろう。
けれど今の敦司ならそんなことをしてはいけないと分かる。
だから優しく頭を撫でてあげる。
「あっくん……?」
「その、なんだ……人にはさ、隠し事なんて一つや二つあると思うんだ。だからな、無理に話す必要はないと思う。なんて言えばいいんだろうな……俺はいつも和奏に頼りすぎていたんだと思う。だから無理に聞き出そうとしたのもきっと甘えてたんだ……だからその、ごめんな」
結局うまく言葉にできず謝ってしまった。
――あの亮太って奴ならもっとうまくいってやれるんだろうな。
それに比べて俺は格好悪いな……。
そう考えると自分が情けなく思えてため息が出てくる。
それを気遣うかのように和奏が必死に話しかけてくれる。
「そんなことないよ! あっくんは、優しいよ。ほんとは謝るのは私の方なのに……私がもっとしっかりしていれば……」
敦司とは顔を合わせず、和奏は俯きながらも自分を責めていた。
そんな和奏を見ていて、敦司はいてもたってもいられなくなる。
――女の子に何を言わせてるんだか……和奏に俺が今、言ってあげられることは――。
「なぁ、和奏?」
名前を呼んでやるとようやく顔をあげてくれる。
「和奏から見て、今の俺が怒ってるように見えるか?」
「え……そんなこと、ないけど」
「ならそんなに気にすることないさ。和奏が話す気になったときに話してくれればいいし、それまで俺も気長に待ってるからさ。その時が来たら俺に話してくれよ、真剣に聞くから」
「あっくん……」
和奏の瞳にじわりと涙のしずくが浮かぶ。
――えっ! 俺なんか泣かせるようなことを言ってしまったのか!?
そう思い慌てて言葉を付け加える。
「ああ、そのなんだ、別に泣くほど嫌ならさっきから言ってる通り話さなくてもいいんだぞ? 別にその、絶対話せとか、そういう意味で言ったわけじゃなくて……」
自分でも何を言っているか訳が分からず、ついに手でジェスチャーまでつけてしまう。
すると今度は、クスクスと小さく笑う和奏。
――な、なんで笑われてるんだ?
敦司にとっては必死なだけに和奏が笑う理由がよく分からなかった。
少しの間笑った和奏は、手の甲で涙を拭うと敦司に向かって軽く笑いかける。
「ありがとう、あっくん。やっぱりあっくん、昔から全然変わってないね……良かった」
「えっ、あ、あぁ、俺は昔と変わらず今も元気だぞ。そうそう、すごく元気!」
何が変わっていないのかよく分からなかったが、とりあえず元気だということを何度か言ってみる。
それを聞いた和奏はまた小さく笑っていた。
この時敦司は、やはり和奏には笑顔が似合うと心の底から改めて思った。
彼女の笑顔は絶対に守ると強く心に決めながらも――。




