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「ダメだす、殴っちゃダメです!」
「わかった。一思いに葬ろう」
「ちがいますーー!」
なんでそうなるの!?
殴られて脳震盪を起こしかけているのか、榊先輩の視点が定まっていないような。ぐわんぐわんと頭が揺れている。ちょっとこれ危ないんじゃ!?
「……で、なんであんた愛花にあんな事したのよ」
「……………」
なんとか説得して殴るのは止めて貰えたけど、間宮先輩の気は収まらないみたいで、榊先輩を正座させている。その前で仁王立ちしている間宮先輩は鬼の形相だ。
「あの、頭を打ってるみたいですし病院に行くか、保健室に行った方が……」
「啓介はあの程度で倒れるような柔な奴じゃないわ。それより、愛花の方が保健室に行った方がいいんじゃない?」
榊先輩に踏みつけられた右肩はまだじくじくと痛む。だけど榊先輩が何故あんな事を言ったのか知りたくて、首を降って此処に残る事にした。
殴られた榊先輩の左頬は赤くなり、時間が経てば腫れていくと思う。絶対に痛いはずなのに、そんな事は欠片も見せずに無表情。
「……仲良くなったよねぇ。そうやって油断させて、また階段から突き落とす気なんじゃないの」
「そんなことっ」
「愛花はそんな事しない」
私が否定する前に、間宮先輩が一歩前へ出てはっきりと言った。その目はどこまでも真っ直ぐで。私を信じてくれる事が嬉しかった。
「それに、私を階段から突き落としたのは愛花じゃない。別の誰かだよ」
「こいつ以外いないだろ!」
「確かに以前の愛花は底意地が悪くて、人を蹴落とす事に躊躇するような子じゃなかった」
えぇぇ……
一瞬、愛花ちゃんの事も信じてくれているんだと心ときめいていたのに。
「もし本当に愛花が私を突き落としていたら、そのままにして置き去りになんかしない。『あらごめんなさい。手が滑っちゃって』て、ひねくれた笑顔で言うわ。決して自分がした事から逃げるような子じゃない」
そういう信じ方!?
うぅ……でもそれ否定できないかも。愛花ちゃんの事は他の人から見た印象でしかわからないけど、やり返したらやり返す。それが人前であろうとも。
お母さんの時もあるし、なによりあの4人組の女の子達から罪を擦り付けられる痛みを、愛花ちゃんは知っているはず。だからこそ愛花ちゃんはそれをしないと思う。
本当に間宮先輩を階段から突き落としていたら、絶対に保健室に連れていくか、誰かを呼んでいたんじゃないかな。
じゃあ、いったい誰が間宮先輩を?
「……なんだよそれ。じゃあ今まで散々傷付けられてきた事はもういいって言うのかよ。記憶がなくなればそれでチャラとかおかしいだろ!」
「私はそれでいいの。私が中途半端な態度を取っているせいで、愛花の心を傷付けてきた。愛花だけじゃない。和樹も、啓介も……ごめん。ごめんね」
婚約者さんとの約束で自分の気持ちを打ち明けられなかった。一言一ノ瀬先輩の事が好きだとつたえられたら、愛花ちゃんもあそこまで一ノ瀬先輩を好きになる事はなかったかもしれない。
一ノ瀬先輩と恋人同士になれていたら悪質な嫌がらせもなく、榊先輩が心配するような事もなかったはず。
全てはひとつの約束。そのせいで歯車が狂ってしまった。だけど、それは婚約者さんにとっても譲れない物で。
誰が悪いとかじゃない。誰かを想って起きたすれ違い。それが周りを巻き込んでしまったんだ。
苦しい。心臓が締め付けられるように、痛くて苦しい。
「今まで啓介にはたくさん助けてもらった。ありがと。啓介がいなかったらきっとくじけてた」
「……………」
「本当にありがとう。もう私は大丈夫。なにがあっても突き進むから」
目線を榊先輩に合わせるようにしゃがみ込む。そして労るように優しく手を重ね、間宮先輩は微笑んだ。大和撫子と言われた笑顔。だけどそれは演技じゃなく、心の底から笑った感謝の表情。
間宮先輩は強くてカッコよくて、素敵な人だ。
「………………れ」
「っ、啓介?」
重ねられた手を払いのけ、俯いていた顔を上げる。憎しみを宿していた目ではなく、何も映していない感情を無くしたかのようなの目。
「じゃあ俺はお払い箱ってこと? 勝手に盛り上がって動いていた俺はとんだピエロだね、はは」
「ちがっ、そうじゃないの啓介!」
「もういいよ、わかったから」
「啓介聞いて!」
「はいはい」
埃を払って立ち上がり大きく背伸び。間宮先輩の訴えを流しているしぐさはいつもの榊先輩だ。
無表情でもなく憎しみでもなく、虚ろな目でもない。だからこそ、余計に怖く感じてしまう。
「よかったね愛花ちゃん。肩ごめんね〜、もうしないから。桜子も余計なお節介して悪かったね。じゃ、俺帰るわ」
「榊先輩っ」
「啓介!」
「………――ちゃんと同じように、俺を置いていくんだね」
「え………」
引き留めようと間宮先輩が腕を伸ばすも、ひらりと交わし玄関の方へと走っていった。
最後に小さく呟いた言葉。間宮先輩には聞こえなかったみたいだけど、微かに私には聞こえた。だけどそれは私を動揺させるのには十分すぎる言葉で、金縛りにあったかのように足が、体が動かせない。
聞き間違い? きっとそうだよね。だって、そんな事って……
「もー、なにが『わかった』よ。全然納得してないじゃない。愛花ごめん、私啓介を追い掛けるから。肩ちゃんと冷やすか病院に行きなよ。またね」
「あ、はい。また明日」
言うや否や、間宮先輩は猛ダッシュで榊先輩の後を追い掛けた。台風の如くすごいスピードで。
一人残された私は、足取りが重くなるのを感じながら玄関へ向かう。何度も脳内の中で繰り返されるのは榊先輩のあの言葉。
『……――ちゃんと同じように』
違う。きっと聞き違いだ。そうだよ、そうじゃなきゃあり得ないもん。
必死に否定しようと首を振るも、動揺を隠せずにはいられない。震える手を握り締め、早く家に帰らなきゃと足早に学校を出た。




