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神代くんのお家で楽しい誕生日が終わり、今週の木曜日と金曜日は期末テスト。テスト勉強もいよいよ大詰め。水撒きのお手伝いもお休みだけど早起きの習慣は変わらず、朝早くに学校に行き図書室で勉強をすることにした。
誰もいないと思っていたのに、私と同じ考えの人は他にもいてちらほらと勉強してる人達が。邪魔にならないよう、隅っこの席に鞄を置きノートを広げる。授業内容を思い出しながら勉強していると、前の席に誰かが座る音がして首を上げると、
「朝早くから勉強なんて偉いわね」
「安立先輩!」
窓から射し込む朝日に照らされて、艶やかな黒髪が光り輝く。透明感のある綺麗な声と口元のホクロがミステリアスさを醸し出し、相変わらずの美しさにドキリとする。
同じ学校でもなかなか顔を合わすことがなく、久しぶりに対面したと思う。間宮先輩に幼い時の関係や話を聞いたけど、2人の仲が悪くなる理由があんまりわかんなかった。ライバル的な仲の悪さじゃなく、間宮先輩の様子を見るともっと根が深いような……
「最近間宮さんの雰囲気が変わったと思うの。貴女の影響かしら」
「え?」
挨拶から始まり軽い雑談をしている中、話題は間宮先輩のことに。不意を突かれての話に反応が出来ない私を、何処か探るような視線を向けられる。だけどそれはすぐに柔らかい微笑みに変わり、私の気のせいだったのかもしれない。
「いつも凛とした佇まいだったけど少し儚げで、今にも壊れてしまいそうな雰囲気を醸し出す時があったの。だけど最近は心穏やかになったみたいで、その儚げさがなくなったのよ。間宮さんとなにかあったの?」
ずっと溜め込んでいた罪悪感を吐き出したせいだろうか。行き場のなかった思いは真っ直ぐに私に向けられ、記憶が戻ったら土下座でもなんでもして謝ると宣言。大和撫子の間宮先輩も活発の間宮先輩もキラキラと輝いている。
綺麗なのに男らしいとかカッコいいな。……心苦しいけど。
「私はなにもしていません。間宮先輩自身が乗り越えようとしているからではないでしょうか」
「なにを乗り越えようとしているのかしら?」
「それはっ……ちょっとわかりません」
危うく話してしまいそうになった。間宮先輩にとっても愛花ちゃんにとっても、すごく繊細でプライベートな内容だもん。言いふらしていい話じゃない。
内心冷や汗を掻きながらなにも知らないという私を、安立先輩は「そう」とだけ言って目を閉じた。あまり納得していないようだけど、それ以上は聞き出そうとせず柔らかい笑みに戻る。
なんだか今日の安立先輩と話すのはすごく心臓に悪い。笑顔なんだけど怖いんだよね。まるで榊先輩のような……
「事情はわからないけど、間宮さんが明るくなってよかったわ。少し心配だったのよ、昔から縁がある人だから」
「聞きました。間宮先輩のお家で小さい頃の写真なんかも見せて貰って、すっごく可愛かったです」
「あら? 随分と仲良くなったのね。間宮さんの家に行くなんて。それじゃあ昔の事とかも聞いたのかしら?」
うひー、墓穴。話を逸らしたのにまた戻ってきてしまった。
「えっと、その、間宮先輩の子供の頃の話とか」
「ああ、そうなの。懐かしいわね。昔はよく習い事や行事がある毎に、顔を合わせては喧嘩をしていたわ」
小さい頃はよく口喧嘩をしてたって聞いた。1度亀裂が入るとなかなか元に戻れないもので、烈火の如く怒る間宮先輩と、流水の如く冷笑を浮かべる安立先輩がかち合う場面を想像して苦笑いした。
だけどそこで1つ疑問。間宮先輩は安立先輩を警戒していたけど、今の安立先輩の様子を見る限り嫌っているような素振りは見えない。寧ろ心配している。もう、間宮先輩のことを嫌ってはいないのかも。
これは仲直りのチャーンス!
「安立先輩は間宮先輩が好きなんですね!」
「………………………………………………………そうね」
………その間はいったい。表情が若干笑顔のまま固まっているような……
いやいや、気にしちゃいけない。2人がお互いの良さを知れば友達になれると思う。習い事での喜びや苦悩を分かち合える友達に……いい! それすごくいい! ここは間宮先輩のことをアピールして仲良くなりたいと思って貰おう。
「間宮先輩は運動も勉強も出来て尊敬しちゃいます。この間の体育祭でのリレーで、1番でゴールしちゃった時は感動しました」
「そうね。まるでハイエナみたいな速さだったわ」
「同性の私でも見惚れてしまうぐらいの美人さんですよね。まさに大和撫子と噂されていた通りです」
「この間廊下で榊君の背中を足蹴にしていたのを目撃したけど、随分乱暴な大和撫子ね」
な、なんだろう。笑顔なのに刺々した言葉とこの空気。安立先輩は間宮先輩のことが好きなんだよね?
「それに後輩思いで、私にもすごく優しくしてくれます」
「そう。でもそれは、貴女に一ノ瀬君を奪われたくないと必死だからじゃないかしら? 貴女に優しくすればするほど、貴女は間宮さんを裏切れないでしょう?」
あ、そうか。安立先輩の中では、私がまだ一ノ瀬先輩が好きだってことになってるんだ。前にそういう話をして心配してくれてた。誤解は解かなきゃ。
「そのことですが、もう大丈夫です。私は一ノ瀬先輩に恋愛感情は持っていませんから。憧れはありますよ? でも間宮先輩と一ノ瀬先輩には幸せになってもらいたいんです」
例え間宮先輩に婚約者がいてお祖父さんが認めてくれないとしても、私は2人を応援する。あんなにもお互いを想い合っているんだから。
そう安立先輩に伝える。2人は強い想いで繋がっているんだと。
そう伝えた瞬間、背筋が凍りついた。
「………………」
なんて、なんて冷たい目をするんだろう。安立先輩の瞳にはなんの光もない。蔑むとか嘲笑うとか、今まで見てきたどの目とも違う。
軽蔑の目。
指先震える。無意識に喉が鳴った。怖い。どうしようもなく安立先輩が怖い。榊先輩の時とはまた違う怖さ。
なんで? どうしてそんな目で見るの?
「……そう、今の貴女にはそう見えるの。でもよく考えてみて? 彼女には婚約者がいるのよ。それも幼い頃から決められた婚約者が。それなのに今になって好きな人が出来たから破談してくださいなんて、馬鹿にしてるのかしら」
「そんな、馬鹿になんっ」
否定したかった。間宮先輩はそんな人じゃないって。だけど声が出なかった。凍てつく眼差しを向けられ、私は蛇に睨まれた蛙のように固まるしかなかった。
「馬鹿にしてるのよ。名家に生まれると、その名に恥じぬ生き方をしなければならない。先祖の積み上げたものを汚さない為、という名目もあるわ。だけど何より重要なのは、名家の周りには多くの人との繋がりがあるからよ。蟻のように権力に群がる虫けらも、私が1度でもその名を汚すような事があれば、直ぐ様手のひらを返すでしょう。それがどんな影響を及ぼすか、想像出来るかしら?」
無言で首を左右に振る。
想像なんて出来ない。出来る訳がない。間宮先輩のお家にお邪魔した時、お金持ちなんだな、すごいな、ぐらいしか思わなかった。
もし私が酷い失敗をしたら、家族に迷惑が掛かる。それが間宮先輩や安立先輩のような大きなお家だと、家族だけじゃなくその下で働いている人やその家族にまで影響が及ぶらしい。最悪、契約を結んでいる会社にも。
お金持ちって、権力がある人って大変だ。
「婚約者に逃げられた」
「え?」
「そんな噂が流れれば、相手はどんな思いをするのかしら。笑い者にされ、見下されるのよ下賤の者に」
元々はお祖父さんが決めたことで、間宮先輩が望んだことじゃない。間宮先輩は婚約者さんを傷付けるつもりなんかないはずだ。だけどそれは違うと否定される。
「する気もない結婚なら、最初から拒否すればいいのよ。なのに彼女は嫌ではないから承諾。嫌ではないからですって。ふざけてるわよね? まだ幼い頃の婚約だとしても、承諾したのよ彼女は。それの為にどれだけの人が動いたと思うのかしら」
間宮先輩のお祖父さんが営んでいる老舗の旅館は経営が傾きかけていた。婚約者さんのお家は財力はあり、権力をもっと欲しがった。この結婚で2つのお家が結び付くのは多くの人が喜んだそうだ。
だから喜んだ分、破談となれば失望も大きくなる。間宮先輩は大好きな一ノ瀬先輩と一緒にいられるなら、どんな悪意にも耐えられるだろうし乗り越えられると思う。
だけど、相手の人は?
相手の人には何が残るの?
考えもしなかった。ただ間宮先輩と一ノ瀬先輩が幸せになればいいと、2人が想い合っていて嬉しいと喜んでいた。その影で苦しむ人がいるのに。
もし、その婚約者さんが間宮先輩を好きだったらと思うと切なくなった。間宮先輩に言った約束事。想いを伝えることを禁止するなんて意地悪だと私は思ったけど、あれは婚約者さんなりの諦める為の何かが欲しかったのかもしれない。
絶対に変わらない、強い想いが2人にあるなら、と。
「………………」
「篠塚さん!?」
ポロポロと目から涙が溢れる。切ない。切ないよ。会ったこともない間宮先輩の婚約者さん。その人はどれだけの悲しみを背負っているのだろうか。
「すみ、ません。婚約者さんが間宮先輩のことが好きだったらと思うと、悲しくて。辛いだろうなって思って……」
「それはないわ」
「え」
キッパリと否定され、驚きのあまり涙が止まった。
「あの人が間宮さんを好き? あり得ないわ。冗談でも笑えないわよ篠塚さん」
にっこりと冷笑を帯びた微笑み。背後に般若が見えるの気のせいかな?
あくまでも2人の婚約はお祖父さん達が決めたことで、2人の間に恋心はないらしい。本当にそうなのかな? 安立先輩は間宮先輩に課せられた約束事を知らないからそう見えるだけで……あれ? さっきから安立先輩は随分と婚約者さんのことに詳しいようだけど、知り合い?
「安立先輩は間宮先輩の婚約者さんとお知り合いなんですか? なんだか随分と詳しい気がしたので」
「………ええ、知っているわ。誰よりも詳しいもの」
ええっ!? なんか意味深な気がするんだけど。どういう関係? 気になるぅぅ。
「でも、そう。……貴女は婚約者の方を思って泣いてくれたのね」
ふわり、と風が靡く。
窓から柔らかく暖かい風。朝日に照らされた机が光り、安立先輩を輝かせる。
いつもの綺麗な笑顔じゃない。日だまりのような、暖かな笑み。慈しむような慈愛に満ちた菩薩様のような、全てを包み込む微笑み。
見惚れてしまう。目が離せない。心音が煩く鳴り響く。綺麗な笑顔は何度も見たことがあったけど、こんなにも優しい笑顔を見せることはなかった。新しい、安立先輩の一面。こんな風に笑うんだ。
見つめ合っていると、チャイムが鳴り我に返る。
いけないいけない、つい見つめちゃってた。あんな優しい笑顔初めてだもん。
まだ心臓がバクバクと鳴っていて、心なしか頬が熱い。教室に行かなきゃと、慌てて机の上を片付けていると安立先輩が立ち上がった。
「勉強の邪魔をしてしまってごめんなさいね。また、お話しましょう」
「はい!」
立ち去ろうとした瞬間、安立先輩の足が止まる。暫しの沈黙に首を傾げると、いつもの綺麗な笑顔を向ける。なんか残念な気がしてしまう。あの笑顔をもっと見たいと思ったから。
「1つご褒美をあげるわ」
小さく呟かれた言葉は私の耳には届かず、次に聞こえた言葉に目を見開いた。
「間宮さんの心が穏やかになったのは喜ばしい事だけど、代わりに最近の榊君はどこか危ういわ。今にも砕けて壊れてしまいそうな、ひび割れた刀剣。そんな感じね」
榊先輩が今にも壊れそう? どういうこと?
「まるで1年生の頃に戻ったみたいで不安だわ」
「1年生の頃って、いったいなにが……」
「ああ、貴女は知らないわね。榊君が1年生の頃、ある暴力事件が起こったの。そのせいで全国クラスと言われた空手も辞めざる終えなくなって。あの頃の榊君は触れれば壊れてしまいそうなほど繊細で、鋭い刃物のようだったわ」
今はちょっと怖いけど、普段は明るくて場を盛り上げていた榊先輩にそんなことが。
そういえば以前、空手をしていなのかと聞いた時、ちょっと空気が重たくなったような。今はテニス部に入ってるけど、御子柴くんの話ではかなりの有段者だったみたい。
1年生の時になにがあったんだろう。それに、今の榊先輩がその時と同じような感じなんて。
仮面のような笑顔。無表情で見つめる氷の眼差し。そして、生徒会室で見せる明るく優しい笑顔。いったいどれが本当の榊先輩なの?
「また、あの時みたいな事にならないといいのだけれど」
そう言い残して、安立先輩は図書室から去っていく。残された私は、見えない何かに不安を覚えずにはいられなかった。




