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鼻を啜る音と時計の音が部屋に響く。私も間宮先輩も口を開くことなく、ただ私は茫然見つめるしかできなかった。
4月の終わりに一ノ瀬先輩への想いを否定されて、GW中に自ら命を絶った愛花ちゃん。でもそれが本当に自殺の切っ掛けになってしまったんだろうか?
だとしたら、あまりも悲しすぎて切なすぎて、間宮先輩を励ますことができない。本当なら泣かないでと言うべきなのかもしれない。でも、でもどうしてもその言葉が出てこないよ。
「GW明けの学校で、和樹から愛花が記憶喪失になったて聞いて、まさかって思った。だけど実際に生徒会室で会った愛花は別人で……ほっとしたんだ」
ポタポタと制服のスカートに染みを作り、力強く握り締めた拳からは今にも血が出てきそうで。
「忘れてる、なかった事になってるって。最低だよね、自分の醜さが嫌で嫌でしょうがないよ」
本気で後悔している。
人は悪いことをしてしまった時、そのことが誰にも知られなかったらホッとすると思う。だけど罪悪感は消えない。
間宮先輩はずっと、ずっと引きずっていたんじゃないだろうか。謝ろうとしたら愛花ちゃんはもういなくて、記憶喪失という設定になってしまった私になっていた。だから謝ろうにも謝れなくて。
勢いで言ってはいけない事を言ってしまう事は誰にだってある。私だって知らずに誰かを傷付けてる。
愛花ちゃんが間宮先輩を許せないと思うのはしょうがない。けれど私まで許せないと思ってしまったら、間宮先輩の行き場がなくなってしまう。私には優しい先輩だから。
「間宮先輩……私は当時の事を何も思い出せません。だけど自分の気持ちを否定されて傷付いたと思います」
「ん、わかってる。記憶喪失は心理的ストレスでなることもあるって聞いたから、私が原因なんじゃないかって」
うぐっ、ごめんなさい。そこは気にしなくていいです。
「だから私は愛花が記憶を取り戻して、愛花に謝れる日までずっと背負う。愛花を傷付けてしまったことを」
涙を拭い、決意したような力強い眼差しで顔を上げる。
記憶を取り戻すまで。謝れる日まで。
もう無理なんだよ間宮先輩。私は……これを背負うべきなんだろう。軽はずみに愛花ちゃんとして生きることを望んだ私の代償。記憶喪失として生きる後ろめたさも罪悪感も、全部背負って生きるんだ。
……愛花ちゃん、天国で見てるかな。間宮先輩は本当に後悔してて、謝る機会が持てなくて苦しんでる。愛花ちゃん、許すか許さないかは私が決めることじゃないけど、どうか間宮先輩の謝罪だけは受け入れてあげてほしい。
胸が痛い。張り裂けそうなぐらいに。愛花ちゃんの体が叫んでいるかのようで。涙が出そうなのを歯を食い縛って我慢した。
気まずい雰囲気が続き、お茶を啜っていると間宮先輩の背後にアルバムが数冊積まれていた。もしかしたら愛花ちゃん達が載ってるかも。
「それ、間宮先輩のアルバムですか?」
「え? ああ、うん。昨日ちょっと見てたんだ。見る? 子供の頃とか1年生の愛花もいるよ」
予感的中。是非見せて欲しい。お父さんが撮った愛花ちゃんの写真は1人で写っているのが多く、学校生活での愛花ちゃんの写真が見たかった。
「記憶が戻るかもね」と言って見せてくれたアルバムには、去年の体育祭や文化祭の写真が並び、その中に愛花ちゃんが不機嫌そうに、だけどバッチリカメラ目線で写っているのが愛花ちゃんぽいなって思って笑ってしまった。
一ノ瀬先輩と。時には喧嘩している風の西嶋さんと。そして間宮先輩と並んで写真に写る愛花ちゃんは、どこか楽しそうに見えたのは私の気のせいなのかな。
ペラペラとアルバムをめくりながら愛花ちゃんの事を考え、次のアルバムを開くと、幼い頃の間宮先輩がいた。
「これ、間宮先輩ですよね?」
「そうそう。丁度10歳ぐらいかな」
桜の木の下で白い歯を見せてにっこり笑う間宮先輩。ショートカットの活発な感じの女の子で、今の間宮先輩とはちょっとイメージが違う。その隣には優しげに微笑む男の子。これって……
「この隣の人はもしかして」
「そ、和樹。今の和樹がそのまんま幼くなった感じでしょ」
同じ歳の間宮先輩より大人っぽく見えてしまう幼い頃の一ノ瀬先輩。頭がすごく良さそうな落ち着きある美少年って感じ。今とあまり違和感がないかな。
間宮先輩の反対側に並んでいるのは、セミロングの美少女。色白で髪の色素が薄くて儚げ。くりっとした大きな瞳がとっても可愛い!
「可愛いですねこの女の子。間宮先輩のお友達ですか?」
「………ぷっ、くくくくっ、あははははははっ!」
私が指差した女の子を見た瞬間、吹き出したかのように笑う。涙混じりでお腹を抱えて笑う間宮先輩を茫然と眺めていると、ひーひーと深呼吸しなが自分を落ち着かせる。
「それね、啓介」
「え……うえぇぇえええっ!?」
口角を上げて意地悪く笑う言葉に、驚きの声をあげた。
だって、だってこの子が!? 確かに半ズボンだけどフリルのシャツを着たその子はどう見ても美少女だ。この美少女が、榊先輩!? 嘘でしょぉお!?
「あっははは、吃驚するよね。今とは大違いだもん。昔は体も弱くて本当に女の子みたいに可愛くて、よく桜ちゃんって後ろからついてきたんだよね」
幼い頃の榊先輩は、生前の私と同じように体が弱く、女姉弟の末っ子でお姉さん達に女の子みたいに可愛がられていたらしい。その事で男の子にいじめられては、間宮先輩が間に入り撃退していたんだって。
今の榊先輩とは全然違ってて結び付かない。
「小学生に上がって3年生ぐらいかな。和樹が空手を習い始めて自分もするって言い出したの。最初は皆止めてたんだけど意思は固くて、何をどう捻り曲がったのか……すっかりチャラっぽくなっちゃてさ」
少し膨れたように頬を膨らましアルバムを見つめる。空手を習う事で逞しくなっていく榊先輩を喜んでいたのに、いつの間に辞めてしまっていて髪を染め女の子と遊びだす始末。
どうして辞めたのかと問いただしてもはぐらかされてしまう。それは一ノ瀬先輩に聞いても同じで。
「男同士の話っていうのかな。その話になるとなーんか間に入れないんだよね。つまんない」
幼馴染みなのに話に入れてもらえず、歳を重ねる毎にそれは増えていく。女の子と男の子なのだから、少しずつ変わっていくのは仕方のない事だとしても、寂しいのは寂しいらしい。
……榊先輩か。
そっと髪に手を伸ばし、榊先輩に抜かれた部分を撫でる。痛かったな、あれ。
普段の榊先輩はにこにこしてて何を考えているかわからない感じが、あの時の榊先輩は狂気染みていたと思う。何があったんだろう。私は怒らせるような事をしてしまったんだろうか?
確かあの時、一ノ瀬先輩が私の事を話しててそれを聞いた間宮先輩が悲しんでいたって言ってた。間宮先輩を悲しませるのが嫌だから。榊先輩、もしかして……
ぐるぐると考えて頭がパンクしそうになった時、幼い間宮先輩と並ぶ着物姿の女の子が目に入った。お嬢様といった感じのおしとやかな佇まい。口元のホクロが誰かと重なる。
「ああ、それ美緒。安立美緒だよ。家の繋がりがあって昔からの顔見知りなんだ」
やっぱり安立先輩!
特徴のホクロとぱっつん前髪は今と変わらず、そのまま大きくなった感じ。そうか、安立先輩とも昔から知り合いだったんだ。
安立先輩とも幼馴染みなのかなと思っていたら、顔見知りではあるけど一緒に遊んだりはしなかったらしい。習い事の大会などで見掛けるぐらいで、仲はあまり良くなかったそうだ。
真逆の性格だった事もあり相性は悪く、お転婆の間宮先輩を見下し習い事の大会でいつも辛辣な事を言われていた。お祖父さんの名が泣くと。当時習い事は嫌いで大会で負けても気にしなかったけど、顔を合わせる度嫌みを言われたら嫌いにもなるもので。
「でも習い事を真剣に取り組んだらメキメキ腕が上がっちゃってさ、美緒に負ける事がなくなったんだよね」
やる気が出て向き合う事で才能が開化されたんだ。本人のやる気がないと才能があっとも意味ないもんね。
そっかぁ、間宮先輩達の人間関係図が段々わかってきたぞ。生徒会の人達は皆幼い頃から繋がってるんだね。
赤ちゃんの頃の間宮先輩を見た後、一番新しいアルバムを開く。今年のお正月に家族で集まった時の写真だ。親戚中が集まり宴会場みたいな旅館の一室に、大人から子供までたくさんの人。かなりの大所帯。
着物姿の間宮先輩はとても綺麗で、鮮やかな朱色の着物がすごく似合っている。いつか着物着てみたいな。
間宮先輩の隣で微笑む男性に、「あっ、その人は」と説明しようとしてくれた時、部屋の扉をノックされた。
「桜子お嬢様、そろそろお時間です」
「え、もうそんな時間? ごめん愛花。この後塾があるの」
「そうなんですか? 忙しいのに長いしちゃってごめんなさい」
急ぎ帰り支度をして玄関に向かう。「車出して貰おうか?」と気遣ってくれたけど断り、ゆっくり歩いて帰る事にした。衝撃的な事があって頭の中を整理したかったから。
帰り際、間宮先輩が何かを言いたそうにしていたけど、それを飲み込むように笑って見送ってくれた。その笑顔は学校の玄関で見た時と同じ、儚げで今にも消えてしまいそうな、そんな笑顔。
私はその笑顔に応える事が出来ず、軽く頭を下げてさよならと言って間宮先輩のお家を離れた。
もやもやっとした感情が渦巻く。間宮先輩も苦しんでいたとしても、私は許すとは言えなかった。愛花ちゃんの事を考えるとどうしても言えなかった。
心が狭いのかな、私。
行き場のない感情を抱えながら重い足取りでお家に着きリビングに入ると、ソファーに腰掛け新聞を見ている悠哉くんがいた。なんだかその姿を見るだけでホッとしちゃう。マイナスイオンが出てるよ悠哉くん。
「ただいまです」
「ああ」
視線は新聞に向けられたまま相槌で返事をしてくれた悠哉くんが微笑ましい。普段着に着替えようと自分の部屋に足を向けた時、ふと思い出した。
悠哉くんは幼い頃から愛花ちゃんに虐げられてきた。周りから理不尽な言い掛かりを付けられて困っていたはず。いくら記憶喪失という設定だとしても、今までの事をなかった事には出来ないと思う。
理解は出来ても感情が追い付かない。まさに今の私だ。
それなのに悠哉くんは私に優しい。何度も助けてくれた。どうして?
「なんだよ」
私の視線に気付いた悠哉くんが顔を上げる。
もやもやしたものが体を支配して息苦しい。救いを求めるかのように、悠哉くんに疑問を問い掛ける。
「悠哉くんは以前の私に嫌な思いをたくさんしたはずです。冷たくされてもおかしくない。それなのに、悠哉くんは優しいです。どうしてですか? 昔の事はもう許してくれたんですか?」
答えが欲しかった。
真剣な表情の私をジッと見つめ、悠哉くんの口が動く。ゴクリと喉がなった。
「バカだから」
「…………はい?」
なんか予想もしていなかった言葉が出てきた。聞き間違えかな?
「悩むのがバカらしくなったんだよ。お前のアホ面見てるとな」
そ、そんな……
悩ませるよりはいいけど、なんだか釈然としない。それで本当いいの? もっと怒ってもいいのに。
「……ちょっと俺の部屋に来い」
立ち竦んでいた私を悠哉くんの部屋へと連れていく。も、もしかして、やっぱり鬱憤が溜まってるから部屋でみっちり怒られるとか。じゃなきゃ、部屋に入るのを嫌がっていた悠哉くんがおいでなんて言わないはず。
ビクビクしながらも覚悟を決めて、悠哉くんの部屋に入る。男の子らしいシンプルな青と白の色合い。大好きな野球の雑誌が散らばっている。
座るように指示され正座して待ち構えると、手渡されたのはゲームのコントローラー。
「へ?」
「なんか溜め込んでる時は発散するに限るんだよ」
そう言うや否や、テレビ画面に映ったのはゲームの画面。迫力あるCGの映像に魅入られながら、悠哉くんに「どの車にするんだ?」と聞かれる。どうやらこれはレースゲームらしい。
え、え? ゲームなんてやったことないよ。
どの車がいいかなんてわからず、悠哉くんに勧められるまま車を選び操縦方法を学ぶ。操縦方法は複雑でごちゃごちゃしててやり辛い。初心者には厳しいよこれ!
「おら、始まったぞ」
「わっ、わわっ」
スタートの合図と共に皆一斉に走り出す。出遅れた私は最後尾だ。安全運転第一。ゴールまで走れるようゆっくり行こう。
悠哉くんはというと、先頭を突っ走ってる姿は余裕があって。流石です。
何故か左に曲がろうとすると体も動いてしまい、なかなか思うように走れず悪戦苦闘している中、悠哉くんがポツリと呟く。
「……別に、今すぐ答えを出す必要はねぇんじゃねぇの」
「え……」
「何悩んでんのか知らねぇけど、そう簡単に答えが出るもんじゃねーなら、すぐに答えを出そうとすんな」
操縦する手を止め悠哉くんを見上げる。視線は画面に向けられたまま。だけど私が悩んでいる事に気付いてアドバイスをしてくれている。
今すぐに出さなくてもいい? でももやもやしたままでいるのは苦しいよ。
「焦ってもいい判断なんか出来ねーだろうが。答えが出ない悩みは、自然と時間が解決するんじゃね。何れ(いずれ)受け止める事が出来るようになってくる」
私が焦って答えを出そうにも、これは愛花ちゃんと間宮先輩の問題で。私に答えなんか出るはずがないんだ。私に出来る事は、ゆっくりと事実を受け止めるだけ。
愛花ちゃん。愛花ちゃん。愛花ちゃん、愛花ちゃん愛花ちゃん!
傍に居てあげたかった。自分の想いを否定された時、傍に居てあげたかった。そんなことない、愛花ちゃんの想いは無駄なんかじゃないって。誰かを好きになることはとっても素敵なことなんだからって。
例えその想いが実らなくても、絶対無駄なんかじゃないよ。
そう言ってあげたかった。
「またなんか鬱憤が溜まってたら、付き合ってやるよ。気が向いたらだけどな」
「悠哉くん……」
涙ぐむ目を擦り、再びゲーム画面に視線を向けると私が走っていたコース画面にはゲームオーバーの文字が。どうやらコースアウトして落ちてしまったらしい。
「えぇええ!?」
「ふ、操縦を中途半端にしてるからだよ。姉貴にはもっと子供向けの方がいいみたいだな」
鼻で笑い、私でも出来そうなゲームと交換する。
励ましてくれてるんだ。悠哉くんだってそう簡単に答えは出なかったはず。だけどゆっくり受け止めようとしてくれてる。
暖かい。暖かいよ。
「悠哉くんが私の弟でよかった。悠哉くん好き……大好きです!」
「うざっ」
ゲームのディスクを入れ替えている悠哉くんの背中に抱き付いた。悪態はつかれるものの、振り払われることはなくそのまましがみつく。
今は答えを出さなくてもいい。拒絶すればそこで終わってしまう。だけど私の中には優しい間宮先輩もいる。だから、ゆっくり答えを探していこう。
いつか受け止められるその日まで。
「あっ! なんですか今の!?」
子供向けのキャラクターが操縦するレースゲームは、私にも操縦しやすく悠哉くんを追い越す事が出来た。やった! と喜んだのも束の間、後ろから何かが飛んできてスピン。その場をクルクルと回り、あっという間に順位が落ちていく。
「妨害アイテム」
「インチキです!」
「バーカ。これもゲームの醍醐味なんだよ。悔しかったらお前も当ててみやがれ」
悔しいけど楽しそうにしている悠哉くんを見るのは嬉しい。こんな風に悠哉くんとゲームが出来る日が来るなんて。あ、涙が出そう。
「絶対に負けません!」
「記憶がなくても負けず嫌いはなくならねーみたいだな。返り討ちにしてやるよ」
負けず嫌い。
その言葉に心臓が嫌な音をたてた。
負けず嫌いな愛花ちゃんが、間宮先輩に気持ちを否定されて自殺をしてしまうだろうか? 自分の名前を使われて濡れ衣を着せられようとも、毅然とした態度で3倍返しにしてきた愛花ちゃんが。
何か、何かまだ謎があるような気がする。愛花ちゃんの本当の自殺の原因が。
1つの凝りを抱えたまま、私は悠哉くんとのゲームに熱中する。絡み付くような不穏な何かから逃げるように。
おまけ
「夏海さん! 見てごらん、愛花と悠哉が!」
「あら……ふふ、仲が良いわね」
「写真っ、写真を撮らないと!」
「うるせーよ! 撮るなクソ親父!」
「その写真欲しいです!」
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行き場のない思いを抱えるのは大変です。謝るに謝れず、悩み続けてきた間宮先輩をどうしても無下には出来ませんでした。
榊の行いを、何れ間宮先輩は知る事になります。その時に榊はどう動くのか。
榊の嫌われっぷりには思わず笑ってしまいました。挽回できるかな。
気付いたら沢山のブクマや評価を頂き、驚きと感謝でいっぱいです。感想やレビューも貰えて感無量。
一人一人にお返事は出来ませんが、全部読ませて頂いております。めちゃくちゃ励みなります。
これからも頑張って書き続けますので、宜しくお願いします。




