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「立ち話もなんだからさ、うちに寄っていかない?」
学校の校門を抜け、間宮先輩に色々聞こうとする前に、そう提案された。これは、初めてのお友達のお家訪問!
間宮先輩のお家は一ノ瀬先輩と同じ駅の所で下りなければならないので、学校での他愛ない話をしながら電車に乗って揺れる。見知らぬ駅に辺りをキョロキョロしながら歩き進む事数分、間宮先輩のお家が近くなってきたのか、通り掛かる人が間宮先輩を見て挨拶してきた。
丁寧に挨拶を返す姿は大和撫子。歩く姿は百合の花という言葉は、今の間宮先輩にピッタリだと思う。その場だけ空気が違うもん。
「ほんに、間宮さんの家の桜子ちゃんは綺麗やわ」
「さすが老舗の旅館の子。自慢の子やろねぇ」
おばあちゃん達が噂をしているのを耳にして、ふと疑問が。間宮先輩のお家は呉服屋じゃなかったの? その疑問を聞くと「ああ、それはね」と簡単に説明してくれた。
話によると、間宮先輩のお家は呉服屋でお父さんの実家らしい。お母さんの実家は旅館で、古くからある由緒正しき旅館なのだそうだ。お母さんのお兄さんが後を継いでいるんだって。お爺さんはこの辺りでは有名な人で、お爺さんの孫という事で間宮先輩自身も知られているという事。
「さ、此処が私の家。上がって」
「おぉぉおふ」
案内されたお家は、まさに日本邸。門があるお家とか……間宮先輩お嬢様なんだ。玄関の扉を開けると家政婦さん? が出迎えてくれて鞄を預ける様があまりに慣れている感じで、恐縮してしまう。
長い廊下の先に間宮先輩のお部屋があるらしく、廊下を歩く間、美しい日本庭園に釘付けだった。鹿威しなんて初めて見たよ! 池とか橋とか……もう次元がね、うん。
「気楽にしていいから」
無理です。
間宮先輩のお部屋に入れたものの、さっきまでの光景がまだ記憶に新しく身構えてしまう。そんな私を面白そうにクスクスと笑い、足を伸ばして家政婦さんが持ってきてくれた和菓子に手をつける。
「本当気楽にしていいんだよ。その方が話しやすいし」
「はぁ……」
足を崩し、目の前にある和菓子に手を伸ばす。あ、美味しいこの和菓子。抹茶によく合う。
緊張を紛らわせようと、榊先輩のお笑い話なんかを聞かせてくれて、一息ついた時、
「……何の話からしようか」
真剣な表情をして話題を変えた。その眼差しにゴクリと喉が鳴る。
「どうして、間宮先輩と一ノ瀬先輩は付き合わないんですか? 2人はどう見ても両想いなのに」
回りくどい事は聞かず率直に聞く。気になって気になって仕方なかったし、モヤモヤしたままは嫌だから。間宮先輩は苦笑いしてお茶をひと飲みした後、決意したように口を開いた。
「私には五歳の時から祖父が決めた婚約者がいた。何度か顔を合わせた人だったし、お兄ちゃんって慕ってたのものあって、その人と結婚する事に何の疑問も嫌悪感もなかった。……和樹と出会うまでは」
当時、お転婆だった間宮先輩は、女の子より男の子と遊ぶ方が楽しかったらしく、近所の男の子達と走り回ってはご両親に叱られていたそうだ。お家の名に相応しい立ち振舞いをしなさいと。
でも間宮先輩は変わらず、お転婆のまま小学生になる。いつものように幼馴染みの榊先輩と公園で遊んでいると、転校してきたばかりの男の子が一緒に遊ぼうと声を掛けてきた。それが一ノ瀬先輩。
「最初は子分にしてやろうって思ってたんだけどさ、和樹は兎に角優しくて。乱暴に扱っても振り回してもダメな時は怒って、それでも最後はしょうがないなって笑うんだ」
その時の事を思い出したのか、泣きそうに笑う。
女の子なのにとか、女のくせに、とか大人や他の男の子が言うなかで、一ノ瀬先輩だけはありのままの間宮先輩を見てくれていた。
「初恋、てやつかな。和樹は他の女の子にも優しくしてるのが凄く嫌で、私だけを見てほしいのに目が合うとドキドキしてどうしたらいいかわからなかった」
照れたようにはにかんで。初恋をずっと想い続けてきたんだ。聞いてる私までドキドキしてきちゃった。
「和樹が好きだって自覚した時、私は自分の状況を呪ったよ。私には婚約者がいて、どんなに和樹の事を想っても叶えられないとわかったから」
例え慕っていたとしても恋心はない。お爺さんが決めた事は絶対で、簡単に破談出来るものじゃなかった。それでも自分の気持ちに嘘は付けなくて、苦しい想いを秘めたまま過ごしていた。
そんな時、一ノ瀬先輩から告白された。好きだと。自分と同じ気持ちだった事が嬉しくて嬉しくて、それだけに悲しかった。婚約者の存在を教えると、あっさり諦めようとした一ノ瀬先輩に腹が立って思いっきり殴ったそうだ。
この辺りは一ノ瀬先輩から聞いたけど本当だったんだ。
「まあ、八つ当たりだったかな今思えば。私はまだこんなにも好きなのに、あんたは諦めるのかって。自分の気持ちは伝えてないのにね」
自分の行動に呆れ、渇いた笑みをこぼしため息ひとつ。
「でもね、そこから和樹は変わった。ううん、前よりもっと格好よくなったんだ。勉強も運動も何でも出来るようになった和樹を、皆は才能があるからとか言ってたけど、そんな事ない。影で人一倍頑張ってたのを私は知ってる」
何故そんなに頑張るのか。一ノ瀬先輩に問い質したら、間宮先輩のお爺さんに認めて貰えるような人になりたいと答えた。いつか、婚約者の人よりも自分の方が間宮先輩に相応しいと思って貰えるようにって。必ず迎えに行くからって。
す、素敵ぃーー!
現代のロミオとジュリエットみたいだ。一途過ぎる一ノ瀬先輩の想いに胸がキュンキュンしてしまう。
「嬉しかった……でもそれ以上に自分に腹が立った。私は何をやってるんだ、和樹を待ってるだけなんてガラじゃない。だから何度も祖父にお願いした。破談して欲しいって」
最初は聞く耳を持たなかったお爺さんも、あまりにしつこ……基、真剣な間宮先輩にある課題を出した。
「間宮家、そして祖父の家の宝龍寺家の名に相応しい女性になれと。当時私はお転婆だったから、花道や日舞なんかの習い事は嫌いで、気品の欠片もなかったからね」
「だから先輩は、人前では大和撫子の振る舞いをしているんですね」
「そ。最初はさ、すっごくキツかった。ジッとしてるのも嫌だったから正座は辛いし、先生には怒られてばかり」
何度も挫折しそうになった。それでも一ノ瀬先輩への気持ちは薄れなくて、必死に頑張り続けた。そうしたら、いつの間にか花道も日舞も楽しくなってきて、立ち振舞いも綺麗になっていったらしい。
努力の結果です。私にも出来るかな、好きな人の為に苦手な物を克服するなんてこと。私が苦手なことってなんだろう? 運動も勉強も好きだし、花道とか日舞なんてやったことないからやってみたい。あれ、苦手な物が思い付かないぞ?
そんな風に努力し続けたなら、きっとお爺さんは認めてくれるはずだよね。そう思ったのに、間宮先輩の表情は暗くなり視線を下にずらした。
「家同士が決めた婚約には意味があるの。祖父の旅館は経営が厳しくなって、相手の家の財力が必要だった。婚約者の家はこの辺りの地主の家系で、祖父は財界にも顔が利くから相手の家の地位を築く為にも、この婚約は必要だった。それが宝龍寺家の血筋に生まれた定めなんだって」
一般の私にはわからない世界。好きな人同士が結婚するのが当たり前じゃないの? 間宮先輩が言ってるのは政略結婚で、決してお互いを想い合ってるものじゃない。そんな結婚は悲しいよ。
悔しくて眉をしかめていると、ダンッと机に湯飲みを叩き付ける音が。悲しさと悔しさに俯いているんだと思ったら、怒りで目が据わっている。
「家の為の結婚? いつの時代よ! だいたい最初に家の名に相応しくなれば考えるって言ったくせに、考える気なんかなかったんじゃない! ふざけんな! そもそも私は間宮家の娘であって、なんで宝龍寺家の為に結婚しなきゃなんないのよ! 男しか生まれなかったとか知るかぁぁああっ!」
おぉぉふっ。
余程鬱憤が溜まっていたらしく、吐き出すかのように愚痴が飛んでくる。鬼のような剣幕は大和撫子の欠片もない。湯飲みにヒビが入りそうなぐらい、力がこもってる。
「それで、もうこれは祖父じゃ話にならないと思って、婚約者の人に直接直談判しに行ったの。好きな人がいるような女と結婚なんてしたがらないと思ってさ」
「……すごい行動力ですね」
お爺さんがダメなら婚約者の人からは断られようと、話をつけに行った。お互いの家の為の結婚だから、最初は破談なんて断られるかと思ったけど、婚約者の人はあっさり承諾したらしい。
条件をつけて。
「婚約を破棄する条件として、高校を卒業するまでの間、和樹に自分の気持ちを伝えないこと。もし和樹に別の好きな人が出来たら諦めること。それがあの人が出した条件」
「そんな……」
自分の気持ちを伝えられないなんて。お互い想い合っていても、自分からはその想いを伝えられないのは辛い。それは相手も不安になるはず。
なんでそんな条件を?
「私の本気を見せて欲しいって。気持ちを伝えなくてもわかりあえる強い絆を、自分に見せて欲しいんだってさ。それぐらいの想いじゃなきゃ、この婚約の話をなかったことに出来ないって言われたら受けるしかないよ」
確かにお家が決めた昔からの婚約をなかったことにされるのは、相手の沽券に関わるのかもしれない。だからって、そんな条件出すなんて。
納得いかなくて頬を膨らます私に、間宮先輩はクスクスと笑う。
辛いけどそれで婚約を破棄出来るなら我慢するし、一ノ瀬先輩が他の人によそ見出来ないぐらい良い女の子になってやろうって意気込んだんだって。さすが間宮先輩。男らしいです。
だってその通りになってるもん。一ノ瀬先輩は間宮先輩がすごく好き。是非2人には添い遂げて貰いたい。
そう願って、最後の和菓子に手をつけようとした時、間宮先輩の表情が変化する。深海に沈むよう、暗く悲しみに溢れたような眼差し。
「……この話をするのは2度目なんだ」
「2度目?」
「条件の事はずっと誰にも話した事がなかった。和樹の耳に入らないよう、誰にも言わないでおこうって決めてた。……でも、どうしても抑える事が出来なくて、怖くて」
唇を震えさせ、何が怖いのかわからないけど、兎に角落ち着かせようと立ち上がり背中を擦ろうとした。だけど背中に手が届く前に手を握られ、涙ぐむ目で見つめられる。
「誰にでも優しかった和樹が、唯一特別扱いをしたのが愛花だった。私を好きだと言ってくれたけど、私や愛花を守るために偽りの恋人になった事も知ってる。だけど、だけど怖かった!」
ぽたり、ぽたりと涙がこぼれていく。懺悔するかのように、涙と一緒にこぼれていく言葉。こんな弱々しい間宮先輩は初めてだ。
「愛花の情熱とも言える想いが、いつか和樹の気持ちを変えてしまうんじゃないかって。……だから、私は条件の事を愛花に伝えたの。高校を卒業したら、真っ先に和樹に告白するんだって。だから……愛花にどんなに和樹が好きでも無駄だよって、言ったんだ」
最後の言葉に頭が真っ白になった。それぐらい衝撃だった。
「無駄じゃ……ないですよ」
ぽたり、ぽたりと私の目からも涙がこぼれていく。
「うん、うん……酷い事言った。愛花の気持ちを全否定してしまった。自分が可愛くて、弱くて。言ってしまった後、すぐに後悔して謝ろうと思ったけど、愛花は『そんな事わかってる』って言って走って行ってしまった。ごめん、ごめんね愛花」
腕を掴まれ、泣きながら何度もごめんねと謝る間宮先輩を、責めるような事が出来なかった。だからといって、もういいですよとも言えず。
愛花ちゃんはどんな気持ちだったんだろう。2人の間には絶対に入れないと知って、自分の気持ちも否定されて。
涙が止まらなかった。愛花ちゃんが流した涙が、再び溢れだしたみたいに抑える事が出来ない。
「それを伝えたのが4月の終わり。着信拒否されてたから、次に学校で会った時に謝ろうと思ってた。だけど5月の初め、GWが終わった時、……愛花が記憶喪失になったって和樹から聞いたんだ」
書き直していたら、1日投稿が遅れてしまいました。申し訳ないです。
あけましておめでとうございます。
昨年はあまり更新出来ませんでしたが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。




