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騒ぎを聞き付けた御子柴くんが、松栄さんの頭を見てギョッとした表情をした。それは他の部員さんも同じで。
何があったのか聞いてきたので、榊先輩が詳しい事は話さず聖蘭の人が規律を破り、松栄さんの監督不足という事で一緒に頭を丸めた事を伝えると、怪訝そうに見られた。
「篠塚に何かあったのか?」
「いえ、何もないですよ」
余計な心配を掛けたくない。納得していないような顔をしてたけどそれ以上は追及してこなかった。
トレーニングを終え、午前中の試合が始まった。やっぱり3年生は強く勝ち進んでいく。そんな中、御子柴くんと薙定くんの戦いはすごかった。1年の差なんて何のその。1回戦を楽に勝ち進み2回戦へ。
御子柴くんの2回戦の相手は、さっきのトレーニングで腕立て伏せをしていた人。フサフサだった頭がツルツルに。
試合開始と同時に御子柴くんが投げ技にかかり、倒れた所をすかさず押さえ込みに掛かる。
「ねぇ、愛花ちゃん。健人のカッコいい所見てみたくない?」
一緒に観戦していた榊先輩がにっこりと微笑む。何故だろう、すごく不気味だ。
私の返事を待たずに、榊先輩は大きな声を張り上げた。
「けーんとー。そいつさっき愛花ちゃんに手を出そうとした奴だからー」
え、ちょっ、何言ってるんですか!?
声援が沸くなかでの一言。誰もが口を閉ざし、榊先輩を見た後御子柴くんを見る。正確に言えば聖蘭の人を。
「…………………」
目を見開いて驚いていると思ったら顔付きが急に変わり、押さえ込んでいた腕を相手の首に回す。背後からの締め技だ。
「あの体勢やばくね?参ったもできねぇぞ?」
「御子柴の奴、本気で落としに掛かってやがる。審判やべぇぞ!」
「え?えっ?」
騒ぎ出す周囲。何が起こってるのかわからず混乱している私に、榊先輩が丁寧に教えてくれる。
「今健人は相手の首を締めてる。苦しくて逃げられないと思ったら、床を2回叩けば敗けを宣言したと見なされて解放して貰えるんだけど、あれじゃあ床は叩けないねぇ」
はっとなって試合を見れば確かに片腕は背中に、もう片方は掴まれ両腕を封じた状態での締め技。
え、それって危ないんじゃっ!?
「ダメですよ、死んじゃいますよ!」
「大丈夫大丈夫。それぐらい健人も審判もわかってるさ」
締められて赤い顔をしていた聖蘭の人が、魂が抜けるかのように青白くなっていく。ひぃー、やめて!
止めに入ろうとした時、審判が「そこまで」と試合を止めた。
「あー、やっぱり落ちてるな」
試合が終わり聖蘭の人に駆け寄ると、意識を失ったまま動かない。これってまさか……最悪の事態が頭の中を過る。
するとトレーナーの人が顔を叩き、うっすらと目を開けた。よかったー!
「……あ、おれ?」
「大丈夫か?吐き気は?」
最初は意識が朦朧としていたけど、次第に目の焦点が合う。
「……………」
「ひっ!」
意識を取り戻せたと思ったら、目の前に無言で佇む御子柴くんに悲鳴を上げた。
私の方に背中を向けている為、どんな表情をしているのはわからないけど、聖蘭の人の反応を見れば怖い顔をしてるんだなって思う。
「……次はない」
普段の低音ボイスが更に低くなり、周りの気温も下がったのは私の気のせいじゃない。皆顔が青いもん。
咲山さんからタオルを受け取りそのまま私の方へと来る。地響きを感じさせる足音で。
「何をされた」
「え?」
見下ろされた目には鋭さと不機嫌さが含まれていて、普段あまり表情が変わらない御子柴くんがすごく怒っているのが伝わる。
「篠塚に何かあったんだろう。でなければ松栄が頭を丸めるような事はしない。何があった」
ぐっ、鋭い。本当の事を言うべきだろうか。
「え、えっと、トレーニングの時にちょっと密着しすきだと言いますか。私も至らなかったので、そんな大袈裟な事じゃないですよ?」
「密着、だと」
地を這うような声に背中から冷や汗が流れる。なんでこんなに怒ってるの?
上目遣いで恐る恐る見上げれば、これでもっかっていうぐらい眉間に皺を寄せていて、怖さでは松栄さんと肩を張れると思った。
怒るとこんなに怖いんだ御子柴くんは。怒らせないようにしよう。
「……榊」
「大丈夫大丈夫。危なくなる前に俺が止めたから」
怒りのオーラに臆する事なく、笑顔でいる榊先輩に救われたかもしれない。御子柴くんは深いため息をつき、張り詰めていた雰囲気が軽くなっていく。
「篠塚は午後から聖琳の手伝いをしてくれ。お前は目が離せない」
「……はい」
うぅぅ、折角お手伝いさせて貰ってるのに、逆に迷惑を掛けてしまったみたいだ。これ以上問題を起こしたらダメだよね。
はぁ……全然役に立ててないよ私。
次の試合に集中する為、御子柴くんは壁の端へと移動。ドリンクボトルを持って咲山さんが追い掛けていた。
「あー、面白い。見たさっきの健人の顔」
「すっごく怒ってましたよね。練習の邪魔をしてしまって申し訳ないです」
「え?なんでそうなるの?」
御子柴くんは、私が注意不足だったのを怒っているんだと思う。私がもっとしっかりしていたら松栄さんが頭を剃る事もなかったし、騒がしくなる事もなかった。午後からは大人しくしていよう。
「間違ってはないけど肝心な所は合ってないね」
クスクスと笑う榊先輩に首を傾げる。何が合っていないんだろう。
「昔話をしようか。昔健人に懐いてた猫がいたんだよ。空手が終わると健人は毎日その猫の所に行ってるのを、俺と和樹は後をつけた」
空手を習っていた時代、人目を気にするように帰る御子柴くんを不思議に思い、先輩達が後をつけた。そこで見つけたのが猫ちゃん。
最初は先輩達に驚いていたけど、猫ちゃんの事は内緒という約束で皆と遊ぶようになったらしい。
「最初は健人も楽しそうにしていたんだけど、段々不機嫌になっていくんだよ」
「どうしてですか?」
皆と遊んだ方が楽しいのに。
「その猫が俺達にも懐くようになったからさ」
よくわからない。懐いてくれた方がいいよね?
不思議そうに首を傾げる私に、榊先輩はクスクスと笑う。
「独り占めしたかったんだよ。ちょっと子供っぽい所あるんだよね、健人には」
なるほど。小児科でお母さんの取り合いをしていた子供を見たことがあった。あれと一緒かな?
「ところで、最近健人からスキンシップされる事が多くなってない?」
「そうですねー、よく頭を撫でてくれます。これも友達としての絆が深くなった証拠でしょいか?」
そんな話をしていると、試合を終えた聖蘭の人が目に入った。
いけない! すっかり話し込んでしまって、マネージャーのお手伝いしてないよ!
慌てて榊先輩にお別れを言って、タオルとドリンクボトルを持って走る。お昼ご飯まであと少し。それまでしっかり働かなきゃ。
「……友達、ね。その手の事にはどっちも鈍いし、面白いから適当にからかってよ」
午前中の試合が終わりお昼ご飯。田中くんと食べる約束をしているので、急いで中庭に走る。
「お待たせしました!」
昨日と同じ場所での待ち合わせ。既に田中くんはベンチに座っていた。ユニフォーム姿で。
うわー、サッカーのユニフォームだ。初めて見るからすごく新鮮!
「お疲れ様。大変だね、2日続きでお手伝いなんて」
「好きでやってるので楽しいです」
お弁当を広げお話しながらおかずの交換をしたり、まさか田中くんと憧れのおかず交換が出来るとは思わなかった。貰ったアスパラベーコンはとっても美味しかったです。
「練習の方はどうですか?」
「キッツいよ。でも地区予選で勝ち進むには頑張らないとね。練習がない日も自主練してるんだ」
そういえば悠哉くんも、庭でバットを振ったりしてた。自主練かー。サッカーの事は何も知らないから、簡単にお手伝いしたいと言えない。
野球に柔道にサッカー。覚えたい事がいっぱいある。せめて入院してた時に、ルールぐらいは覚えていたらよかったな。
そんな他愛ない話をしていた時、手を振ってきた女の子が目に入った。関さんだ。
「こんにちは先輩。午前中は来れなくてごめんなさい!」
「気にしないでください。忙しい中来てくださってありがとうございます」
「先輩やっさしー。あれ?そちらの人は先輩のお友達ですか?」
屈託なく笑う関さんは今日も可愛い。私の隣にいた田中くんに気付き紹介すると、
「はじめまして田中先輩。1年の関恵梨香です」
「はじめまして。篠塚さんと同じクラスの田中です」
田中くんを挟んで休憩時間が終わるまで、ベンチでお話する事になった。最初は自己紹介からで、話題は田中くんの事に。
知らなかった事を知れるのは嬉しいんだけど……
「へー、そうなんですかぁ。田中先輩は妹さん思いなんですねー」
「普通だよ。最近は喧嘩ばかりしてる」
「妹さんと会ってみ「そういえば田中先輩はどのポジションなんですかー?」……」
私が会話に入ろうとすると話題が変わって、なかなか話の中に入れない。田中くんは私を気にしつつ、質問をしてくる関さんに答えてて大変そうだ。2人が仲良くしていてるのはいい事なんだけど、ちょっぴり寂しい気分。
「ごめん、そろそろ戻るよ」
気付いたらもうお昼の時間が迫っていた。時計を見た田中くんが慌てるように荷物を持って立ち上がり、
「一緒に食べれて楽しかった。また明日ね篠塚さん」
そう言ってグランドの方へと走って行った。
田中くんの笑顔はすごい。曇り空からお日さまの光が差すかのように、寂しかった気分が晴れていく。
「田中先輩って気さくで話しやすい人ですね」
「はい!田中くんはとっても優しい人です」
「先輩の彼氏なんですか?」
自分が褒められたみたいに嬉しくなっていると、関さんがとんでもない事を言い出した。
「私が田中くんの彼女なんて、そんなまさか!」
「田中先輩じゃ物足りないって感じですかぁ?さすが先輩、理想が高いんですね」
「え、ちがっ」
「あ、そろそろ行かなきゃ怒られちゃいますね。急ぎましょ先輩!」
否定する暇もなく、関さんは道場へ走り私も後を追う。後でちゃんと訂正しなきゃ。
理想が高いんじゃない。私が彼女だなんて失礼なぐらい、田中くんは素敵な人。……田中くんには誰か好きな人いるのかな?
そう考えたら胸がズキリと痛んだ。
午後からは御子柴くんの言う通り、聖琳の柔道部のサポートに回った。今度こそ精一杯頑張ろう、咲山さんに思いっきり睨まれたけど。
試合の続きを行い、私はビデオ係を頼まれた。試合に負けてしまった部員さんも、他の人の試合を見ることで学ぶようにと見学をしている。
御子柴くんは順調に勝ち進み、薙定くんは途中で3年生の人に負けてしまった。そして試合は決勝戦。最後の対戦は、
「御子柴ー!去年の借りを返してやれー!」
「松栄さーん!あんな奴1本で倒しちゃってくださーい!」
そう! 決勝戦はなんと御子柴くん対松栄さんの夢の対戦!
周りの熱気は勿論、2人の間に漂う緊迫した空気がこっちにまで飛んできてドキドキしちゃう。頑張れ御子柴くん!
「始め!」
合図と同時に組手争い。松栄さんが大きいせいか、御子柴くんが力で押されている気がする。強く襟を持たれている為、思うように動けないらしい。
先に仕掛けたのは松栄さんだった。
流れるような足技にバランスを崩した御子柴くんを、松栄さんが投げる。
「技あり!」
「逃がすな松栄!」
「場外に逃げろー」
飛び交う声援。どちらの学校も熱く応援し、私も負けずに大声を出す。
丸くなろうとした所を無理矢理仰向けにし、覆い被さる松栄さんに御子柴くんはビクとも動けない。完全に押さえ込まれてしまった。
「押さえ込み入った。クソ、やっぱり逃がしてくんねぇか」
「あんだけガッチリ決まってたら無理だな」
皆はもう御子柴くんが負けると思ってる。
対戦表を見ていた御子柴くんを思い出す。去年負けてしまった悔しさを張らすために松栄さんと戦いたがってたあの顔を。
押さえ込まれながらも、諦めず必死にもがく姿に胸が苦しくなる。
「負けないでー!」
気付いたら叫んでた。
「っ……ぐっ、おおおおおおおおおおおおっ!!」
「なっ!?」
御子柴くんの雄叫びと共に、徐々に松栄さんの体が持ち上がっていく。
「マジかよ!?」
誰かが言った。あり得ないと。
持ち上がる体を押さえ込もうとするけど、そうなる前に御子柴くんの体が捻る。押さえ込みから逃げ、すかさず丸くなった御子柴くんに、審判の待ての指示が出された。
「嘘だろ!あそこら逃げ出せんの?」
「時間は?何秒経った?」
先に技ありを取られていたので、押さえ込みで15秒経っていたら御子柴くんの1本負けになってしまうそうだ。
時計は押さえ込みから12秒経っていた。
「セーフ!すげぇ御子柴ー!」
道場の中が驚きと興奮でいっぱいになる。私も感動で拍手が止まらなかった。
最後まで諦めない精神力! すごい、すごいよ御子柴くん! 絶対に勝って欲しい。
だけど、立ち上がった御子柴くんは肩で息をしていて、表情にも疲労感が隠せないほど疲れているように見える。
「さっきので大分体力使ったみたいだな。まだまだ油断できねぇぞ」
「松栄さん!そんな奴ズバッと投げちゃってくださいよ!」
その声に応えるかのように松栄さんが攻め続け、ギリギリの所で逃げる御子柴くん。
ふらつく足取り。何度も危ない場面があっても諦めず戦い続ける。フラフラなのに。時間も残されてないのに。それでも、それでも御子柴くんは戦う。
……もう、視界が滲んでまともに見られない。
「御子柴くん勝って!」
「……篠塚」
気のせいかもしれない。けど、組んでいた時、一瞬目が合った気がした。
「御子柴!」
「大内刈だ!」
試合終了間際、松栄さんからの最後の攻撃、足の内側を引っ掻ける足技だ。御子柴くんの懐に入り、伸ばされた足に思わず手で顔を覆ってしまった。
もうダメ。
怖くて見れなくて、それでも見たくて。指の隙間から少しだけ見えた光景に息を飲んだ。
倒れると思った御子柴くんが、伸ばされた足を外側に弾く。体勢が崩れたのは松栄さんだった。
「技あり!」
審判の声と同時に試合終了のブザーが鳴る。それなのに誰も動かない。口を開ける事もなく、道場の中は静まり返った。
最初に動いたのは松栄さん。立ち上がり御子柴くんの肩を軽く叩き、2人は挨拶をして自分の仲間の下に帰ってくる。
「……す、すげぇ!すげぇよ御子柴!あの松栄と引き分けとかっ」
「いや、判定で松栄の勝ちだ。だけどよく最後まで冷静に対処出来たな」
戻ってきた御子柴くんを称え、次々と背中をバシバシ叩いていく。只でさえフラフラなのに、興奮のあまり力強く叩く先輩達の歓迎。
ちょ、先輩達! せめて加減を! 今にも倒れちゃいそうだよ!
御子柴くんに駆け寄ろうとした時、一足先にタオルとドリンクボトルを持った咲山さんが駆け付けた。
「大丈夫、健人?」
「………ああ」
タオルから覗いた御子柴くんの顔に、ドキリと心臓がうねりを上げる。
汗に濡れた前髪、乱れる吐息。普段のフェロモンを倍増させ、試合が終わったばかりだからか、野獣のようなギラついた目に逃げたくなった。
仲良くなってすっかり忘れてたけど、御子柴くんは私が出会った中でも1、2を争うイケメン。いつもなら全然平気なのに、今の御子柴くんは存在がなんというか……よ、妖艶? というべきなのか、見ちゃいけない気がしてならない。
「……篠塚」
「ひょっ」
近寄れないでいたら御子柴くんから声を掛けられ、チラリと目だけで顔を見れば、妖艶さMAX。
本当に同じ歳? おふっ、そんなにフェロモン分泌しないで!
逃げたくなる衝動に、ふと顔に流れる汗に目が止まる。
さっきまでの死闘。懸命に松栄さんの攻撃を交わし、危ない場面でも諦めず抗い続ける勇姿。思い出すだけで胸が、体が震える。
フェロモンなんかへっちゃら! この感動を伝えなきゃ!
「お疲れさまです御子柴くん。すっごくすっごく格好よかったです!」
「……………」
あれ、反応がない。
無言のまま、ただ真っ直ぐに見下ろされるだけ。もしかして疲れ過ぎて、喋るのも苦しいとか? その気持ちわかります。
少しでも暑さを和らげようと、持っていたバインダーをうちわ代わりに扇ぐ。その間試合であそこがすごかったとか、ハラハラドキドキした事を伝えると、
「……………ふ」
「……ふぇ」
柔らかな笑み。さっきまでのギラついた目じゃない。暖かく包み込むような眼差し。突然変わった表情に戸惑う私に追い打ちをかけるように、御子柴くんの手が伸びた。
「ありがとな、篠塚」
伸ばされた手は頭にではなく、何故かほっぺたに。擽ったくて笑うと、すぐに手を引っ込め難しい顔になった。
「御子柴くん?」
「……………」
まるで氷にでもなったみたいに固まっている。どうしたんだろう?
首を傾げつつ反応を待っていると、咲山さんが御子柴くんの腕を掴む。
「試合も終わったから合宿の後片付けするわよ。健人はこっちに来て。マッサージしないと」
つまり私に後片付けを任せてくれると。失敗続きの私に。なんて良い人なんだ咲山さんは。
あれだけ激しく動いたんだから、筋肉を解さないといけないんだろう。御子柴くんは何も言わず、咲山さんに誘導されトレーナーの人の所へ向かった。
後片付けはほぼ肉体労働。合宿所の後片付けや、道場の掃除。聖蘭のバスに荷物を積み込み、2日間の間に録れたデータを渡す。
濃い2日間だったけどあっという間だったな。貴重な経験をさせて貰って感謝しなきゃ。
合宿所の掃除をしている最中、千葉くんが駆け付け力仕事を引き受けてくれる。
時折重い荷物を持ってふらつく姿がハラハラさせた。手伝おうかって言っても女性にそんな事させれませんからの一点張り。見た目に惑わされちゃうけど、やっぱり男の子なんだなって思う。頼もしいや。
「世話になったな」
聖蘭が帰る時がきた。最初は怖そうだった柔道部の皆も、今じゃすっかり見慣れもので。帰り際に1人ずつ握手してのお別れ。
「自分は篠塚さんの事忘れないっす!」
「たった2日だったけど楽しかったよ篠塚ちゃん。よかったら試合見に来てね」
折角仲良くなったのにもうお別れなんて寂しい。何がなんでも試合の時は応援に行こう。
「今度は前日じゃなく、余裕を持って準備をする時間をくれ」
「うむ。3日前にはするようにしよう」
「……せめて1週間前にしてくれ」
一ノ瀬先輩の苦笑いのお願いを受け入れ、松栄さんは近くにいた御子柴くんと目が合う。
どんな言葉を掛けるんだろう。この後の熱い展開を予想すると目が離せない。あんな激闘をしたんだもん。2人は宿命のライバルと言っても過言でないはず。
真由ちゃんから借りた柔道漫画を思い出し、ドキドキが止まらない。
「……………」
「……………」
どちらも言葉を発する事はなかった。
少しだけ口角を上げた松栄さんは、何も言わずそのままバスの中に乗り込む。その後ろ姿に敬意を表すかのように、深くお辞儀をする御子柴くん。
言葉なんていらない。
最後の松栄さんの笑みはまるで「次は大会で待ってるぞ」と言わんばかり。それを御子柴くんはちゃんとわかったんだ。
視線だけでわかりあえる絆。
「感動ですぅーー!!」
「うわっ」
これぞ熱き青春! 感動で胸を震わせれば、後ろでビックリした顔の薙定くんが。
「あの、篠塚さんに聞きたい事があるんすけど」
「はい、何でしょう?」
改まって聞きたい事なんてなんだろう?
聞きにくいのか、目を泳がせ何処か挙動不審だ。手のひらをTシャツで拭き、意を決して真っ直ぐに見つめられる。
「俺、そのっ……好きな人が出来てっ。篠塚さんにフラれてすぐ別の好きな人が出来るなんて、軽蔑されても仕方がないっすけど、これは運命の出会いなんです!」
「お前の運命の出会いは何回あるんだよ」
聞いていた聖蘭の人達に呆れ気味に笑われ、唇を噛み締めて悔しいそうに顔を歪める。
「その人は聖琳の人で、名前も聞けなかったから探せない。彼女にもう一度会いたいんです。こんな事篠塚さんに頼むのは失礼だと思うんすけど、篠塚さんしか頼れる人がいないんすよ!」
強い人だ。
例え周りから笑われようが好きな人に会いたい。その必死な思いが強く伝わってくる。
「私でお手伝い出来る事があればやります!」
人の数ほど出会いがある。1人1人の出会いが運命なんだよ。私が今、皆と出会って話せるのも奇跡なのだから。
なってみせましょう! 恋のキューピッドに!
「……篠塚さん。ありがとうございます!」
「その女の子どんな子なんですか?名前がわからなくても、見た目がわかれば見付けやすいので」
持っていたメモ帳を取り出す。私は知らなくても、真由ちゃんや佳奈ちゃんは知ってるかもしれない。クラスの皆にも聞いてみよう。
「はい……彼女は輝く黄金の髪を持ち、色白で透き通るような肌と黒真珠のような美しい瞳をして、さくらんぼみたいな小さな唇をしていました。聖琳の制服に真っ白なショールがまるで妖精の羽のようで……いいや、彼女は妖精です!あんな可愛い人、生まれて初めて見ました!」
「…………」
え、何の話? 好きな女の子の話だよね? 途中からよくわからなくなってきて、メモできなかった。
「金髪?確かにうちには留学生の子もいるけど、金髪の子なんていたかな。そんな目立つ子、見掛けたら忘れないと思うけど。幻でも見たんじゃない?」
情報通の榊先輩でもすぐに思い付かない謎の美少女。妖精さんはいると思うけど、学校の制服を着ていたなら生徒だよね。
「幻なんかじゃないっす!昨日確かに会ったんです!俺にハンカチ貸してくれました」
そう言ってポケットから取り出した水色のハンカチ。
問題はそこじゃない。
キーワードのパーツが、パズルのように頭の中に嵌まっていくうちに、冷や汗が止まらなくなる。
まさか……
【金髪】
【真っ白なショール】
【聖琳の制服】
【美少女】
【昨日此処にいた】
全てのパーツが嵌まった時、私はその謎の美少女が誰なのかわかった。
というより、私も昨日その美少女に会った。いや、正確に言えば美少女の格好をした子に。
「……………」
気付かれないようゆっくり視線だけ動かし、とある人を見れば、
「……………」
ひぃーっ! 目が死んだ魚のように!
薙定くんの声が聞こえていたんだろう。虚ろな目で顔を青くさせた千葉くんは、今にも倒れそうだ。
そう。昨日、薙定くんの言ったような美少女の格好をした子は確かにいた。だけどその子は女の子じゃない。演劇部の人達に女装させられた千葉くんだ。
私の視線に気付いた千葉くんは、訴え掛けるように小さく首を振った。
……うん、言わないよ。言えないよ。どんなに可愛くても千葉くんは男の子だもん。
それに好きになった子が、実は男の子だったなんて知ったら、薙定くんもショックを受けるはず。これは口が裂けても言えない。
「俺は必ずこのハンカチを返して告白するまで、諦めないっすから!その為なら例えこの身が燃え付きようとも、絶対に捜しだして見せる!」
もうやめてあげて!
想いを寄せて熱くなる薙定くんとは対称的に、千葉くんの目が冷めていく。
「………燃えてしまえ」
どす黒いオーラを纏った千葉くんの口から聞こえた殺意の言葉。空耳空耳。お家に帰ったら耳掃除しよう。
見付かったら連絡して欲しいと言われ、ラインの交換をした。絶対千葉くんの事は連絡出来ないけど。
他の部員さんもしたいと言ったので、ラインに『聖蘭柔道部の皆さん』のグループが出来た。
「さよならは言わないっすよ。また会いましょう篠塚さん!」
「篠塚。精進を怠るな」
バスの窓から手を降って別れを告げる。光輝く松栄さんの頭が切なく、両手でまたねと叫び、バスが見えなくなるまで手を振り続けた。
「はー、終わった終わった嵐が去った。帰ろっか和樹」
「そうだな。愛花、家まで送ろう」
鍵閉めなどは先生がやってくれるので、聖琳の柔道部の人達も散り散りと帰る。先輩達が駅まで一緒に帰ってくれるそうなので、お言葉に甘えようとした時、
「篠塚は俺が家まで送る」
腕を掴んだのは御子柴くんだった。
「なっ、健人の家は学校の近くでしょ!?遠回りになるじゃない?」
「今回急な合宿を手伝ってくれたんだ。疲れた中1人で返すわけにはいかない」
「一ノ瀬君が送るって言ってるじゃない。なんで健人がっ」
「一ノ瀬とは逆方向だ。一ノ瀬も自分の部活と連動で疲れている。早く休ませてやりたいからな」
「だからって……」
一ノ瀬先輩の家は逆方向なんだ。私の住んでる所から2駅先なのは知ってるけど、逆方向なのは知らなかった。
納得出来ないと咲山さんが御子柴くんの服を掴む。疲れてるのは確かだけど、それは御子柴くんも同じ。咲山さんはマネージャーとして、御子柴くんの体を心配してるのかもしれない。マネージャーの鑑だ。
「だったら部長にっ」
「部長は自転車通学だ。それに見知った俺の方がいいだろう」
「……っ」
「あの!私は1人で……」
2人の間に不穏な空気。喧嘩させる訳にはいかない。慌てて止めに入り、送って貰うのを遠慮しようとしたら、思いっきり睨まれた。
「あんたっていつもそう! なに食わぬ顔で人の居場所を奪うのよ!無自覚な分、今のあんたは最低よ!」
憎しみが籠った瞳にはうっすらと涙が滲み、咲山さんは走り去ってしまった。
今のはどういうこと? 居場所を奪ったって私が?
どうして咲山さんはあんなに苦しそうに涙を見せるんだろう。居場所を奪われたから? それは……私が?
「天然な人って、気付かないうちに周りの人を傷付けちゃうんですよねー。あ、これ友達の話なんですけどね」
あははっと笑う関さんの言葉が胸に突き刺さる。
天然なのがよくわからないけど、気付かないうちに、私は誰かを傷付けているのかもしれない。それが咲山さん。だからあんなに憎しみの目で見ていたんだ。私は、いったい何をしたの?
「そうだねぇ。いい子ちゃんぶった顔で言葉に毒を入れて、故意に人を傷付けるこわーい子もいるからね」
「……怖いですねその人。じゃ、私はこれで。お疲れさまでしたー」
何事もなかったみたいに笑顔で帰っていく。その姿を見て榊先輩は舌打ちして、帰ろっかと校門を出ていった。
残された私達に重い空気が漂うも、一ノ瀬先輩が背中を押してくれた。
「確かに人は知らず知らずのうちに誰かを傷付けている。わかり合いたくてもわかり合えない相手もいる。だからといって最初っから諦める必要もないし、落ち込む必要もない」
「一ノ瀬先輩……」
「全ての人と仲良くなるなんて無理な話だ。それでも納得いかないのなら、納得いくまで話し合ったらいいんじゃないか?」
咲山さんがどうして私を憎んでいるのかわからない。答えを聞いてもどうにもならないかもしれない。それでも、このままモヤモヤしたままより、理由をちゃんと聞きたいから。
「ありがとうございます、一ノ瀬先輩」
ちょっとだけ軽くなった心。
もしまた咲山さんと会った時には、嫌われるかもしれないけど追及していこう。今も嫌われているから、これ以上嫌われても怖くないしね。
そう決意する私に、ポンポンと頭を撫でてくれる優しい手。見上げれば、一ノ瀬先輩の笑顔がそこにあった。
「俺は愛花の笑顔が好きだ。今まで傷付けてきてしまった分、笑っていて欲しいと思う。散々泣かせておいて虫のいい話かもしれないがな。大切な後輩だ」
私のこの気持ちは、恋愛感情じゃない。そのはずなのに、一ノ瀬先輩の笑顔と頭に感じる手の温もりが心臓をおかしくさせる。
自分の心臓じゃないみたい。
これは愛花ちゃんの心臓。これは…………愛花ちゃんの……
「俺も好きだ」
「え」
「俺も篠塚の笑顔が好きだ」
微笑むこともなく、いつもの真顔で言われた。ビックリして心臓の動きも戻った気がする。
まさか御子柴くんからそんな風に言われるとは思わなかったから、かなりビックリしちゃった。
「ありがとうございます御子柴くん」
「……………」
「ちょっとー、早く帰ろうよ」
校門に戻ってきた榊先輩が、不貞腐れたように唇を尖らす。4人で駅まで歩くのは初めてで楽しかった。
「………なるほどな。色々不可解だったが、口にしてみると気付くもんだ」
「なんだ、漸く気付いたのか」
「一ノ瀬、お前知って……」
「ちょっと前からね」
私と榊先輩の後ろで、何やら話し込んでいる2人。難しそうな顔をしていると思えば、一ノ瀬先輩に驚く御子柴くんが気になってしまう。少し間が開いてるから、何の話をしてるのか聞こえないや。
女の子には女の子同士にしか出来ない話があるように、男の子にも男の子同士でしか語れない話があるんだろうな。
駅で先輩達と別れ、電車に揺れる事数分。休日の夕方の電車は、色んな人で混雑していてぎゅうぎゅう詰めだ。
「苦しくないか、篠塚」
「大丈夫です。寧ろ御子柴くんが大丈夫ですか?」
人込みに押されないよう、入り口の所で御子柴くんが壁になってくれている。おかげで苦しくないけど、御子柴くんは大変じゃないんだろうか。
「このぐらい大丈夫だ。稽古だと思えばいい」
対面しながら話す御子柴くんの顔は本当に平気そうで、どんなに電車の揺れで押されても、顔色を変えず片手で支えている。流石です。
「今回お手伝い出来て本当に楽しかったです」
「そうか」
「また合宿がある時はお手伝いさせてください」
「それは有り難いが……俺の目が届く所にいてくれ」
おふ。問題を起こすかもしれないからですね。信頼してもらえるよう、頑張らなきゃ。
降りる手前の駅でどっと人が乗り込み、流石の御子柴くんも前によろめき、支えていた左手を曲げ密着状態。
「むぎゅう」
反対の入り口が開いたから倒れる事はなかったけど、電車の扉と御子柴くんの間に挟まれてしまった。
「すまん、今押し返す」
「いえ、無理しないでください。満員電車には慣れっこですから」
運が悪いと、学校帰りの電車は人が多い時間帯に当たる。だから今の混雑も慣れっこなのだ。
逆に乗り慣れてない御子柴くんは大丈夫だろうか?
「御子柴、くん。大丈夫ですか?」
所謂、缶詰め状態の車内。人の熱気と電車の揺れで気分が悪くなってもおかしくない。
顔を上げれば喉仏。それぐらい私と御子柴くんはくっついていた。
「…………ああ」
「気分が悪いのでしたら私が壁になりますよ!」
「…………いや」
ん? 急に口数が少なくなった。もしかして本当に気分が? 揺れだけじゃなく、電車の匂いにやられてしまう人もいるって聞くもんね。
はっ、……匂い?
さっきまで平然としていたのに急に静かになってしまったのは、まさか私の匂いが原因!?
散々動きまくって汗を掻いてしまったから汗臭いはず。なんてこったい、消臭スプレー存在忘れてた!
今すぐ離れなきゃ!
そう思っても無理な話で。揺れと人の波にぐいぐい押される始末。懸命に御子柴くんが壁になってくれるけど、嫌な思いをさせてしまっている。
「ごめんなさい!今日たくさん動いたから汗がっ」
「気にするな」
するよ!
恥ずかしさで熱くなる。今すぐ電車から降りたい気分だ。早く着きますように!
背中に背負ったリュックのおかげで背中は痛くない。問題は前。
鍛え上げられた胸板と二の腕に包まれ、苦しくないかと時々聞いてくる御子柴くんの優しさが切ない。いい人だ御子柴くん。匂うはずなのに、気遣ってくれるし。
密着する胸板から聞こえてくる心音が、太鼓のよう激しく打ち、とても申し訳なかった。
「お家まで送ってくださって、ありがとうございます」
駅に着き直ぐ様降りた私達は、何事もなかったかのように普通に会話しながら家路を歩いた。
今からまた電車に乗るんだから駅まででいいよって言ったけど、責任感が強い御子柴くんは譲らず、結局お家まで送ってもらうことに。
「俺の方こそ、今日は助かった。またな」
振り返り立ち去ろうとした御子柴くんの足は、1歩前に出た所で立ち止まる。
「御子柴くん?」
「………………」
「どうかしたんですか?まさか気分がまだっ」
まだ気分が悪いのかもしれない。水を持ってきた方がいいかも。お家の中に入って貰おう。
そう思った時だった。
「……俺は、例え負けそうになっても、最後まで諦めるような事はしない」
「へ?」
突然どうしたんだろう? 背中を向けたままなので、表情から感情を読み取る事も出来ず、首を傾げるだけ。
「それは柔道だけじゃない。負けたくないと思ったら、俺は全力で戦う」
柔道だけじゃなく、どんな勝負も全力で戦う勝利への貪欲さ。その為に頑張る姿は、この2日間で見てきた。
「だから俺は諦めない。覚悟しておけ、篠塚」
そう言って振り返った御子柴くんの顔に、魅入ってしまった。
端整な顔立ちも、力強い眼差しも見慣れているはずなのに、なんでこんなにドキドキするんだろう。まだ電車での熱が残っているのかな。
包み込むような暖かい笑顔。なんでそんな笑顔を向けてくれるの?
「また明日」
「あ、また明日!」
そのままもう振り返る事もなく、夕焼けに染まる背中が見えなくなるまでその場に立ち尽くした。
それからベッドの中に入るまで、御子柴くんが言った『覚悟しておけ』の意味を考えていた。考えた末、導きだした答えは1つ。
「私に負けたくないって事だよね?つまり次のテスト、期末試験では1位を取りに来るっていう事?これは負けられない!」
負けそうな試合でも全力で戦う。中間テストで御子柴くんは何位だったかは知らないけど、私が2位だったのを知って、御子柴くんの闘志に火を付けたのかも。
ふっふっふ。負けないよ御子柴くん。私だって次は1位を狙ってるんだからね!
神代くんと新たなライバルの御子柴くんに、寝る前の勉強に熱が入った。
長いようで短かった合宿。明日からまた、いつもの学校生活が始まる。




