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一ノ瀬先輩と付き合っていた事が更に拍車をかけ、ざわめきが止まらない。騒ぎを抑えようと一ノ瀬先輩が話そうとも、ざわめきの声の方が大きくて届かず、噂話が広がり始めた時、
「静かにしろ!!」
ハスキーボイスの叫びに、ピタッとざわめく声が止む。廊下に詰め寄る柔道部員さん達が、一斉に姿勢を正し口を閉ざす姿はまるでパブロフの犬。
「お前達は此処に何をしに来た」
「柔道です!」
松栄さんの問いに口を揃えて答え、緊張した表情を見せる人が。
うん、わかるよその気持ち。人混みで姿は見えないけど、声だけでわかります。松栄さんが怒っていることが。
「俺達の目標はなんだ」
「全国制覇です!」
「ならば騒ぐ暇などないはずだ。荷物をまだ部屋に置いていない者は置きに行け。すぐに走り込みの準備を始めろ」
「ウッス!」
案内されていた部員さん達が慌てて2階に上がり、残りの人達は玄関へ。荷物を置きに行った人達が急いで玄関に向かい、外で柔軟体操の号令が始まった。
さっとはうって変わって静まり返る廊下。残ったのは一ノ瀬先輩と御子柴くんと、松栄さんだけ。
「騒がしてすまなかったな」
「いや、助かった。俺じゃ止められそうになかったから」
軽くため息をつき、松栄さんがチラリと私を見た後、一ノ瀬先輩と御子柴くんとで合宿の話を始める。
……どう考えても騒ぎの原因は私だよね? お手伝いしに来たのに騒がしくしちゃうなんて、うぅ、面目ないです。
しょんぼりする私に気を使ってくれたのか、御子柴くんが頭をポンポンと撫でくれた。
「そんなに気にするな。薙定が此処で告白するのがそもそもの原因だ」
「騒ぎを大きくしたのはお前の一言だけどな」
「俺は事実しか言っていないぞ」
2人のやり取りを見てると、自然と口角が上がる。幼馴染みっていいな。
合宿のスケジュールを確認しながら、一ノ瀬先輩が難しいげな表情をする。何か問題でもあるのだろうか。
「やはり人手が足らないな」
「部員達には自分の事は自分でしろと言ってある。それほど迷惑は掛けないと思うが」
「折角の合宿なんだ、練習に専念するべきだろう。此方から何人かサポート出来る奴を行かせる」
人手が足らない=お手伝いが出来る。此処で手を上げずに何時手を上げるの私!
「はい! 私もサポートします!」
「えっ、でも愛花は柔道の事知らないだろう?」「大丈夫です。柔道の漫画を徹夜で読んで勉強しましたから」
私は柔道の事は何も知らなかった。だから真由ちゃんに借りた本を読んで勉強した。面白すぎて、全巻一気読みしちゃったよ。
「愛花……寝ないで来たのか」
「俺も柔道漫画は読んだ事があるが、どんな事を覚えたんだ?」
「柔道は1本取ったら勝ちです」
「……まあ、間違ってはいない」
その他にも技ありとかのポイントを取り合うのが柔道。技も色々あって、私が1番カッコいいと思ったのは背負い投げ。柔道の花形技だと思う。
漫画では主人公の男の子がヒロインの為に、嫌いだった柔道を再び始め、仲間が出来てライバルが出来てと、熱い展開がてんこ盛り。
敵視してた同級生が親友になり、その親友が敵対してる学校の人に怪我をさせらる。試合に出れず負けると思っていたのに、主将だった主人公が一人で勝ち抜いていくシーンは、涙なくてしては読めなかった。
「……そして最後に、主人公とヒロインは結ばれるんです。ギリギリの試合で勝って優勝した時、大声で好きだって叫ぶんですよー! すっごくドキドキしちゃいました」
「……柔道というより、その漫画に詳しくなったんじゃないのか?」
「3歩進んで2歩下がってるぞ篠塚」
なんか微妙な顔をされた。
「ふむ。やる気はあるようだが、俺は半端な奴は好かない。サポートとは言っても肉体労働だ。途中で逃げ出すようなら必要ない」
長身から見下ろされる鋭い眼光。厳しい人だって一ノ瀬先輩が言っていた通り、失敗したらきっと怒られる。
でも、だからと言って諦めないもんね! 失敗が怖くて前に進めるもんか。失敗あっての成功。挫けても、何度でも立ち上がって頑張るもん!
「逃げ出したりしません!」
「ならば全力で着いてこい!」
「はい!」
先に走り込みに行った部員さんを追い掛ける為、松栄さんが玄関に向かう。後を追おうとして、くるりと振り返る。
「では、聖蘭の柔道部員さんのサポートをしてきます!」
「あ、ああ……怪我には気をてけて」
敬礼して一ノ瀬先輩と御子柴くんに挨拶をした後、急いで松栄さんの背中を追った。
「俺は全力で走るから、篠塚は外に置いてある自転車に乗って着いてこい」
自転車!?
「松栄さん!」
「どうした?」
「私自転車に乗れません!」
「なにぃっ!?」
悠哉くんに習っておけばよかった。走るのが遅いので、タオルの準備し、今回は松栄さんだけタイムを計るけど、今度からは皆のタイムも記録して欲しいと言われた。
「……不安だ。ものすごく不安だ」
「こっちのマネージャーと会わせて、仕事の内容を教えるように伝えておくか」
「頼む」
スマホの時計を見れば、時刻は8時。そろそろ一ノ瀬先輩や御子柴くんも部活を始める頃。ついにやって来ました柔道の道場に!
木造の和風の建物。中から激しい音がするけど、練習してるんだよね?
「やってるな。よし、俺達も行くぞ!」
「ウッス!」
道場の扉を開けるなり、地面が揺れる程の振動が直に伝わる。扉が開いた事に気付かれ、その振動は止み一斉こっちを見る視線。
おふっ。聖琳もゴツい人ばっかりだ。同じ白い柔道着だから見分けがつかないよ。
「頼もう。今日から2日間世話になる、聖蘭柔道部だ。昼過ぎ、1度手合わせを願おう」
「よく来たな松栄。歓迎する。今年こそお前を叩きのめしやるからな」
出迎えてくれたのは、名前は忘れちゃったけど、確か聖琳の柔道部主将さん。廊下ですれ違った時に真由ちゃんに教えてもらった。輝かしい頭が印象的です。
道場は広く、隣にも同じぐらいの道場があって、そこでお昼から練習試合をするらしい。早速、御子柴くんが柔道をしてる姿が見れる。楽しみ楽しみ。
「篠塚。紹介したい奴がいる」
松栄さん達が挨拶をしてる中、御子柴くんに連れられて着たのは女の子2人。
「うちのマネージャーだ。わからない事があれば聞くといい。咲山、色々と教えてやって欲しい」
「オッケー。任せておいて」
ポニーテールの活発そうな女の子と、左側に髪を纏めた大人しめ感じの女の子。ポニーテールの子がにっこり笑って手を差し出す。
「はじめまして篠塚さん。3年の咲山よ」
「1年の関です。よ、よろしくお願いします」
「2年の篠塚です。合宿の間よろしくお願いしまっ!?」
差し出された手を握って自己紹介をしようとしたら、強く手を握られ言葉が途切れた。
「篠塚?」
「どうしたの?」
ポニーテールの女の子こと、咲山さんはキョトンとした顔で首を傾げる。握られた手はもう痛くない。
ちょっと力が入っただけだったのかな? マネージャーとなると、力仕事も増えて腕力が強くなるのかも。
なんでもないよと言ってその場は別れ、後でマネージャーの仕事を色々と聞ける事になった。経験者がいると心強いです。
柔軟体操が終わり、聖蘭の練習はまずは受け身から。部屋の端から端まで、転がるように倒れては起き上がってまた転がる。さっきの振動はこれをやってたからなんだ。
私も前回りぐらいなら出来るかも。やってみたいけど我慢我慢。サポートに徹しなきゃ。
全員が同じ練習をするんじゃなく、レギュラーと学年事に分かれ、別々の練習を。何を手伝えばいいのかわからないので、松栄さんに聞くと、
「今回の合宿に初参加の部員を見て欲しい。先ずは基礎から。この練習表の朝のメニューを3セット終えたら教えてくれ」
練習表を見ると、その過酷なメニューに生唾を飲む。回数はそれほど多くないけど、短時間でかなりの筋肉トレーニングをしなければならない。
道場から離れ、聖蘭のトレーナーの方と一緒にトレーニング室へ。此処は全部の運動部員が使う、スポーツジムの小型版。マットレスがひかれた場所で、腕立てふせをしたりスクワットをしたりと、用途は様々。勿論、トレーニングをする道具もある。
「5つの班に分かれ、今朝配られた練習表のメニューを熟してもらう。篠塚さんは1つの班に着いて欲しい」
トレーナーの方に渡されたバインダーには、各自の名前が書かれていて、どんな練習を何回したか、どれだけの時間を使ったかと細かく書かなきゃならない。
なんかトレーナーになった気分。大変そうだけど頑張ろう。あれ、薙定くんの名前がある。
「今日1日よろしくお願いします」
「よ、よろしくお願いします。練習を見てもらえるなんて、運命ですよ俺達!」
なんの運命なんだろ?
最初にやる筋肉トレーニングは、シットアップと呼ばれる腹筋を鍛えるもの。ただの腹筋じゃなくて、斜めになって起き上がるという見た目も辛そうなトレーニングだ。
回数や、ストップウォッチでタイムを測り記録していく。運動部のマネージャーって結構楽しい。自分ができないのはちょっと悲しいけど。
バランスボールに仰向けになり、ダンベルを持ち上げる練習をしながら、薙定くんは聞きにくそうに話し掛けてきた。
「篠塚、さんは、一ノ瀬先輩の事が、まだ、好きなん、ですか?」
ダンベルを上げながら話すから、ちょっと苦しそう。
さっきの合宿所の話をしてるんだよね。嘘を言っても仕方ないので、正直に話そう。
「好きです」
「うあっ!」
「きゃあ、大丈夫ですか!?」
バランスボールから体がずれ、落ちそうになりつつ元の体勢に戻る。話ながらするの危ないよ。
「寄りを、戻したいとか、思ってますか?」
「いいえ。一ノ瀬先輩の恋を応援したいと思ってます」
トレーニングの回数を終えた薙定くんが、ダンベルを持ったまま立ち竦む。悲しげに眉を下げて。
「振られたのにそんな事を思えるなんて……優しいんすね」
「そうですか? 想い合ってる人同士がくっついた方が、幸せだと思うから」
きっとお似合いだろうなと想像していると、ダンベルを持ったまま、薙定くんがすぐ傍まで近付いてきた。
「俺、ますます篠塚さんに惚れました」
真顔でそんなことを言われたら、いくら私でも顔が熱くなってしまう。この人はすごく直球過ぎて反応に困るよ。
「篠塚さんは、どんな人が好きなんですか? やっぱり一ノ瀬先輩ような顔が良くて頭もいい奴が好みとか」
「んー、あんまりそういうのは考えたことがないです」
本来の私は恋愛なんかしたことがない。愛花ちゃんになって一ノ瀬先輩に会って、胸が苦しくてドキドキしたけど、今は前ほどそういう気持ちにはならない。これが本当に恋というものなのかもわからない。
「中身なら負けないっすよ。辛い時や悲しい時は俺に頼ってくれていいですから。篠塚さんの笑顔が、俺、好きなんで!」
「あ、ありがとうございます」
今まで告白してくれた人達とは違う。真っ直ぐに自分の想いをぶつけてくる。なんだかむず痒いというか、居たたまれない。
御子柴くんへの態度はよくないと思うけど、悪い人じゃないんだなって思った。真っ直ぐな人なんだ。
『辛い時や悲しい時』
耳に残った薙定くんの言葉。真っ先に思い浮かんだのは2人の男の子。
1人は弟の悠哉くん。困ってると呆れながらも助けてくれて、泣いててもやっぱり怒って助けてくれる。優しい大好きな悠哉くん。
そしてもう1人は……
『おはよう、篠塚さん』
隣の席で優しく微笑む、田中くんだった。
昨日学校で会って話したのに、今会いたいなって思ってしまった。
胸が、ちょっとだけ痛い。
「悠哉、愛花にお弁当届けてあげて。今日は柔道部のお手伝いをするから、帰るのは夕方なんだって」
「はぁあ!? なんで俺が」
「この間、愛花があんたのお弁当を作って持って行ってくれたでしょ」
「あれはアイツが勝手に……」
「いいから持って行きなさい!」
「…………めんどくせーな」
「おーい、田中ぁー。柔道部に一緒に来てくんね?」
「いいけど、どうした?」
「聖蘭の連中が来てるらしいから、サッカー部の事教えて貰おうと思って。彼処に兄弟がサッカーやってる奴がいるんだよ」
「聖蘭強いからな。いいよ、行こうか」