39
震える手で掴んだ裾。振り払われることもなく、雨の音が響く中で、田中くんは何も言わず手を重ねてくれた。
「大丈夫だよ篠塚さん」
落ち着かせるように微笑んでくれるその顔に、段々と震えが止まる。田中くんの笑顔は、不思議と人を安心させる力があると思う。
ぐちゃぐちゃだった心が落ち着きを取り戻し、掴んでいた手を放す。
「ごめんなさい田中くん。もう大丈夫です」
「なにがあったの?」
心配そうに覗き込む田中くんの肩は、雨に濡れていて……落ち着いたはずなのに涙が込み上げてくる。涙がこぼれる前に手で拭い、なんでもないと返した。
言えないから。愛花ちゃんが自殺した方法に気付いたなんて。
どんな思いで薬を飲んだんだろう。致死量に至るまで飲まなければ死ぬことなんて出来ない。何度も何度も薬を飲み続けたのかな。どんな思いで……
「……ふぐっ」
私と同じ時間に死んでしまった愛花ちゃん。真夜中に自分の部屋で薬を飲んでいる所を想像して、胸が張り裂けそうになる。
此処で泣いちゃダメ。奥歯を噛み締めて手を握り締め、必死に涙を堪えた。
「我慢しなくていいんだよ?」
田中くんの言葉に首を振って応える。口を開けば泣いてしまいそうだから。
「……神代。俺が篠塚さんを家まで送るから」
「………うん」
かざされた傘が入れ替わり、神代くんは帰っていく。ありがとうとごめんねを伝えると、またねと言って手を振ってくれた。
「行こうか」
駅まで雨の中歩いている途中、お互い口を開くことはなく黙ったまま歩き続ける。聞きたいことがあるはずなのに、なにも聞かない田中くんの優しさが嬉しかった。
電車に乗る時に田中くんの肩が濡れていて、慌ててハンカチを渡す。私が濡れないようにしてくれてたんだと思うと、申し訳ない気持ちの中に、言い様のない胸の苦しみが。
電車に揺られている途中から、少しづつ会話が出来るようになり、家に着く頃には笑って話していた。
「じゃあこれから田中くんは日曜日も部活なんですか?」
「大会が近いからね。全国行きたいし、県大会にはジュニアで名を馳せた奴もいるから負けてられないからね」
「大会には応援行きます!」
「本当? ならカッコ悪い所見せられないな」
そういえば、部活の様子を見学しに行くと言ったけど、まだ1度も見に行っていない。明日にでも見に行こうかな。
「今日はありがとうございます。田中くんには迷惑かけてばかりですね」
「迷惑なんて思ってないよ」
いつもそう答えてくれる。雨の中家まで送ってくれて大変なのに、何でもないように笑ってくれて。いつだって困った時は田中くんが駆け付けてくれるんだ。
「………………」
「篠塚さん?」
「……ありがと」
なんだろうこの気持ち。胸の内側が熱くなって苦しくって、でも嫌な気分じゃない。悲しくないのに涙が出てきそうで、それでいてすごく嬉しさでいっぱいで。感情がぐちゃぐちゃだよ。
「田中くん」
「ん?」
「大好きです」
初めて出来た友達。それが田中くん。田中くんと友達になれて私は幸せ者です。
その田中くんが何故か固まっている。首を傾げて見ていると、みるみる顔が赤くなっていく。
「えええっ!? す、好きって、え、えぇ!? 本当に?」
「はい。田中くんとお友達になれて本当に嬉しいです。大好きです!」
戸惑うように焦っていた田中くんが、今度はみるみる落ち込んでいく。がっくりとした感じで腰を曲げ、膝に手を当てると何かを呟いてるけど小さ過ぎて聞き取れない。
「……うん、わかってた。そうだよ、こういうオチになるんだよ。わかってたはずなのに……くそ」
今度は私が心配げに顔を覗き込むと、急に真剣な表情で顔を上げた。
「今は友達でも、変えてみせるから」
優しい笑顔の印象が強い田中くんが、真剣な表情で真っ直ぐに見つてきて、その瞳から目が逸らせない。
「俺も篠塚さんが」
「ん? おおっ、話し声がすると思ったら愛花じゃないか。おかえり愛花!」
背後から玄関のドアが開く音がして、お父さんが出迎えてくれる。田中くんが何か言っていたけど、ドアの音とお父さんの声で聞こえなかった。
「ただいまです、お父さん」
「雨に濡れてないかい? 早く家に……君は確か」
田中くんの存在に気付いたお父さんの眉間の皺が深くなる。さっきまであんなに笑顔だったのにどうして?
「田中聡君だったね」
「え、はい」
「何故君が此処にいるのかな? それも愛花と一緒に」
私と話している時とは全然違う、冷たく重い声と威圧感。私を背後に隠し、まるで田中くんから守るかのように。
「雨が降ってきて、傘を持っていなかったので田中くんが送ってくれたんです」
もしかして田中くんを警戒してるの? 愛花ちゃんのお父さんは心配性だもんね。此処は悪い人じゃないと、田中くんは私の友達だとちゃんと伝えないと。
だけどお父さんは私の声が耳に入っていないのか、私をお家に入れ締め出すように田中くんに酷いことを言った。
「……そうかい。それについて感謝しよう。だが、私は君が愛花に近付く事を良しとしない。僕の可愛い愛花に、平凡な君は相応しくないからね。必要以上に近付かないでくれたまえ」
「お父さん!」
ドアが閉まる。隙間から少しだけ見えた田中くんは茫然としていて、何の弁解も出来ず愕然とした私に、お父さんは何事もなかったかのように笑顔を向ける。
「傘がないなら電話をしてくれたらよかったのに。車ですぐ迎えに行ったよ。あんな冴えない男を簡単に近付けちゃダメだよ」
靴を脱ぎ、リビングに向かうお父さんの背中をぼんやりと眺めていた。
お父さんは何て言ったの? 田中くんに近付くなって? なんでそんなこと……田中くんは私の大切な友達なのに!
慌てて玄関のドアを開け田中くんに謝ろうとしたけれど、もう田中くんの姿はそこにはなくて、辺りを見回しても影も見つけることが出来なかった。
どうしよう、謝らなきゃ。あんな事言われたら絶対傷付くよ。
電話をしようと思ったけど、鞄はお父さんに持っていかれたのでリビングへと急ぐ。
「紅茶を淹れるから着替えておいで」
どうしてそんな顔でいられるの? 人を傷付ける言葉を言ったのに、なんで笑っていられるの?
悲しみよりも、沸々と沸き上がる苛立ち。頭の中で何度もどうして? と繰り返し、私は我慢出来なくてお父さんに詰め寄った。
「どうして田中くんにあんな酷いことを言ったんですか!」
「酷いこと? 本当のことしか言っていないだろう? 彼は平凡で愛花には相応しくない」
「田中くんは友達です。大切な友達なんです! 相応しいとかそんなの関係ない」
お父さんはキョトンとした後、持っていたティーポットを置く。不思議そうに首を傾げ、
「何をそんなに怒っているんだい?」
まるでわからないと言うような表情で、私の気持ちが伝わっていないことにまた苛立ちが募る。
「友達を傷付けられたら怒ります」
「愛花にはもう女の子の友達がいるじゃないか」
そうだけど、田中くんも大切な友達だと何度言ってもわかってくれない。
「愛花は一ノ瀬君がいればいいって言ってたじゃないか。彼は紳士だし、愛花に優しくしてくれるだろう? 前のように一ノ瀬君の傍にいなさい」
前のように。その言葉でわかった。お父さんは今の私じゃなく、愛花ちゃんとして見ていることに。
そうだよね。いくら記憶喪失と言ったって、愛花ちゃんは愛花ちゃんなんだから。本当の愛花ちゃんなら一ノ瀬先輩の傍にいたと思う。本当ならそうあるべきなんだろうけど……でも私はっ、
「私は田中くんといたい!」
「愛花?」
「田中くんや真由ちゃんや佳奈ちゃん。クラスの皆や生徒会の皆、それに神代くんも。皆私の大切な友達です!」
溜め込んでいた物を吐き出すように、今の私の気持ちが伝わるように、必死に訴えかけた。
「たくさん友達を作りたい。相応しいとか関係なくて、友達と色んな思い出を作りたいんです」
「ただい……なんの騒ぎ?」
仕事から帰ってきたお母さんにおかえりも言わず、私の口は止まらない。少しずつお父さんの表情が曇っていくのを感じながら。
「あれは邪な考えを持っているに違いない。だから愛花に近付く。愛花に悲しい思いをしてほしくはないんだよ」
「それでもいいです!」
邪な考えがなんなのかわからない。それでも今の関係が壊れてしまう方が嫌だから。
「どうしたんだい愛花? 誰だって悲しい思いや後悔はしたくないだろう? いつもみたいにお父さんに全部任せて、愛花は甘えていればいいんだよ?」
「なんでも自分でやってみたいんです。お手伝いも勉強も部活も。失敗してもいい、自分の力でやってみたいんです!」
「……愛花」
困惑と絶望の、捨てられた子犬のような顔をするお父さんに胸がチクリと痛む。でもごめんなさい。譲れないの、これだけは。
「……………違う」
「お父さん?」
「こんなの違う」
よろめきテーブルに手を付き頭を抱える。何度も違うと呟くと、突然嫌悪感の眼差しで睨まれた。
「こんなの僕の愛花じゃない!」
コンナノボクノアイカジャナイ
「あなた!」
私とお父さんの間にお母さんが入り、乾いた音がリビングに響く。左頬押さえ驚き、我に返ったようにいつものお父さんの表情に戻った。
「夏海さん……愛花、今のはっ」
ポッカリと胸に穴が空いていく感じ。近くにいるはずなのに、お父さんの声が遠くから聞こえてくる。けれど、なんて言っているのかわからない。
コンナノボクノアイカジャナイ
頭にこだまする声。それが全てだった。
私は愛花ちゃんじゃない。愛花ちゃんになれない。
それなのに健康な体と美味しいご飯を貰え、楽しい学校生活や友達。何より愛花ちゃんを思ってくれる家族がいる。これは全部愛花ちゃんのものなのに。
偶然天使さんが私の願いを叶えてくれただけで。私は此処に……いていいの?
「愛花っ!」
そう思ったら体が勝手に動いてリビングを飛び出していた。
傘も持たず雨の中、目的地もなく走る。どうしたらいいかわからなくなって。お父さんの顔を見るのが怖かったから。
「……………」
無我夢中でたどり着いたのは、以前私が迷子になった公園。雨に濡れて制服はビショビショで、前髪から滴る雫が頬を伝う。
あの時と同じように、誰もいない公園で独りブランコに乗った。雨の音に混じって、錆び付いた鎖の音が悲しげに聞こえるのは何故だろう。
「………っ、う」
雨なのか自分の涙なのかわからない。足下は歪んで見えなくて、堪えきれない声が洩れる。
あの時とは違うのに。帰り道がわかっているのに帰れない。彼処は、あのお家は愛花ちゃんのお家だから。
迷子。迷子だよ。自分から迷子になった。ラッキーだと思ってしまった罰なのかもしれない。人の人生を代わりに生き抜くなんて、そんな簡単なことじゃなかった。私は、もうあのお家に帰れない……
雨に打たれ続けてどれぐらい経っただろう。すっかり体は冷えきって、カタカタと歯がぶつかる。その時、雨が止んだ。違う。雨は降り続けているけど、私の上から雨が落ちてこないんだ。
ふと、顔を上げるとそこには、
「………お前はいつも此処で泣いてるな」
グレーの傘をかざされ、困ったような顔をしつつも、タオルで頭を拭いてくれる。
「……いちのしぇ、しぇんぱい」
あの時同じように、一ノ瀬先輩がそこにいた。
田中残念! 又もや邪魔が入りました。
とうとうぶつかり合った主人公とお父さん。奪ってしまった事の大きさに潰れてしまいそうな時、影の薄い彼が現れましたね。
今年の投稿ははこれで終わりです。最後の最後で遅れてしまい申し訳ありませんでした。
此処まで皆様に読んで頂き、そしてブクマや評価をして頂いたおかけで続けて来られました。
引き続き、来年も宜しくお願いします。
皆様、よいお年を!




