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お姉さんだと思ったらお母さんでした。
弟さんはちょっと早いお昼ご飯を食べていて、楽しそうに話している。仲間に入りたい。
「掃き掃除終わりました。他にお手伝い出来ることありますか?」
「……キモ」
私がリビングに入ってきた途端、楽しそうな雰囲気がピリッとした。なんで?
『この体の持ち主は家族に疎まれている』
そう言えば、天使さんがそんなことを言っていたような。だから弟さんは私を睨んでいたんだ。どうして嫌われているのか気になるけど今は置いておいて、仲良くなるにはどうしたらいいんだろう。
「おかえりなさい」
「うぜ」
おふ、手厳しい。挨拶しただけでこの反応は相当嫌われている気がする。
ふと、弟さんの足下にあった大きなスポーツバックが目に入った。確か玄関で会った時に担いでいたような。部活か何かかな?何のスポーツをしているんだろう。
「なんだよ、見てんじゃねーよ」
「部活だったんですか?」
「はぁ? だったらなんだよ」
「部活のどんな所が楽しいですか?」
何の部活をしているのかわからないから、ヘマをしないよう遠回しに聞いてみる。仲良くなるには会話をしなきゃ。とりあえずお話、お話。
「テメェーに関係ねーだろ」
「きっとカッコいい活躍してるんだろうな。聞きたいな」
「悠哉はあんたと違って運動神経がいいからね。この間の試合も、逆転満塁ホームランを打ったんだから。悠哉の爪の垢でも飲ませたいわ」
ほうほう。ホームランってことは野球部なんだ。肌が真っ黒なのも頷ける。ついでに、弟さんの名前が悠哉くんということが知れた。ナイス! お母さん。
因みに爪の垢を飲んでも運動神経はよくなりません。なったら飲んでるよ。寧ろ飲ませて。
「……つか、なにしてんだよ」
「目隠しなんかしておかしな子ね」
「見るなと言ったので」
「……馬鹿じゃねーの」
嫌われていても無視をするんじゃなく、ちゃんと返してくれる。例え冷たい反応でも無視より全然いいよ。
本を読んでいるだけじゃ話せない。音楽を聴いているだけじゃ話せない。ネットで知り合った人達から返事がきた時は嬉しかったけど、これはまた違う嬉しさ。今、目の前で実際に話せてる。それが何よりも嬉しいんだ。
「野球はあれですよね。三点取ったらハットトリック、て言うんですよね。お姉さん知ってますよ」
「ハットトリックはサッカーだろ、馬鹿。つか、お姉さんとかキモ」
「う……えっと、球を打ったらトラベリングで塁に走るん……だよね?」
「どーやって走るんだよ! 意味わかんねーわ! トラベリングはバスケだろうが!」
知ったかぶりはなんて恥ずかしいんだ。穴に入りたい。
「……俄仕込みですみません。出直してきます」
シュンと落ち込むように顔を下げる。話を盛り上げたくて必死に思い出したのに、役に立てなかった。今度は勉強しておこう。
視線を感じて顔を上げると、何故かお二人に凝視されている。呆れているんだろうか、知ったかぶりに。
ジッと、眉をしかめて見つめてくる悠哉くんを見つめ返す。運動神経が良さそうな雰囲気が出てる。お母さんが悠哉くんの活躍を褒めていたし、いいな。私も見たい。
「悠哉くんが試合している所が見たいです」
「はぁあ!? ふざけんな。どうせ男目当てだろ、うぜーから来んな。つか、くん付けとか気持ち悪いからやめろ」
「私の目的は悠哉くんです。ハチマキと段幕を作って応援しに行きます。応援するには必要ですからね!」
「ぜってー来んな!」
来るな、と言われたら行きたくなるのが人間の性というもの。見つからないようこっそり覗きに行こう。
「あんた達、いつの間にそんなに仲良くなったの?」
「なってねーよ!」
茫然とした顔のお母さんの目には、仲良さそうに見えたんだ。どうしよ、とっても嬉しい。
悠哉くんはイライラしながら残りのご飯を食べ、さっさとリビングを出て行ってしまった。あんまり怒ってばかりいると血圧が心配になる。大丈夫かな。
「あんたもボサッとしてないで、明日の準備でもしたら?」
「明日?」
「学校でしょ、明日から」
学校。
それは未成年が勉強する集団の学び場。勉強だけじゃないく、友達や部活で青春を謳歌する場所。ずっとずっと行きたくて憧れて続けていたその学校に、
「……行ってもいいんですか?」
「は? 行きなさいよ。どうせ友達もいなく、男の子を追いかけ回してるだけだろうけどね。いい、人様に迷惑は掛けないで頂戴。また学校に呼び出されたら恥ずかしいのは私なんだから。本当、どうしてこんな子に育ったのかしら」
感動でお母さんの声が耳に入らない。明日から学校に行けるなんて夢のよう。ああ、学校が私を呼んでいる。なんて素晴らしい。
「私、頑張って学校に行きます!」
よし、そうと分かれば早速準備に取り掛かろう。この体の持ち主がどんな学校に行っているのか、勉強はついていけるのか色々知りたいことあるし。
胸を高鳴らせ、自分の部屋に戻って行った。
部屋に戻ると、取り敢えず学校の鞄を見つける。可愛いキーホルダーが付いていてとっても可愛いけど、ジャラジャラし過ぎじゃないかな? 重いよ、これ。
中を開けてみると教科書やお菓子、ポーチなんかが入ってた。教科書の内容を確認したけど、病院で大学のオンライン講義を受けていたから、後れを取ることはなさそう。あ、鞄の中に生徒手帳を発見。
「聖琳高等学園二年E組篠塚愛花」
生徒手帳に写っていたのはメイクバッチリの女の子。え、誰。鏡で自分の顔と見比べて見たけどまるで別人。メイクしなきゃだめ、なんだよね? やったことがない。
ドレッサーの中に沢山の化粧品があるけど、どう使えばいいかわからなくて途方に暮れていると、メイク雑誌を発見。これさえあれば!
……て、思った時期もありました。初心者にマスカラは無理! 何回瞼のお肉挟んだことか。アイラインを引く手が震えて波々になっちゃう。メイクは追々慣れていくことにしよう。明日は素っぴんでいいや。
メイク落としで顔を拭いて、壁に架かっている制服に手が伸びる。赤いリボンに紺のブレザー。チェックのスカートが可愛い。これを着て明日から学校に通えるなんて、小躍りしたくなるぐらい嬉しい。
「……ちょっと着てみようかな」
ドキドキしながら制服試着し、鏡の前に立つ。クルッと回るとヒラヒラと靡くスカート。スカートとなんて何年振りだろう。小さい頃に穿いた覚えがあるぐらいで、大きくなってからはずっと寝たきりだったからなぁ。何度見ても飽きない。
自分の顔にまだ慣れていないから、自分で自分を可愛いと思っちゃうの仕方ないよね。本当に可愛いんだもん。
「可愛い過ぎて見惚れちゃう」
鏡の前でうっとりしていると、何か視線を感じて振り返る。そこには顔を歪ませた悠哉くんが。
「ねぇ、おかしな所あるかな?」
着慣れてないから可笑しな所があるかもしれない。悠哉くんの前でもクルッと回って見せると、何故か更に顔が歪む。あんまり眉間に皺を寄せてると痕が取れなくなっちゃうよ。
「頭がおかしい」
一言そう言ってドアを閉めた。
頭がおかしい。髪形を変えた方が良いってこと? 折角長い髪をしてるから、この際色んな髪型にチャレンジしてみよう!
朝です。等々やって来ました登校日。
制服を着て髪をポニーテールにして部屋を出る。色々試したけど、これが一番簡単だった。生徒手帳に写っていた愛花ちゃんはふんわりと髪を巻いていたけど、初心者の私は綺麗に巻けず、まるでゴーゴンのような姿に。ちょっとショックだった。
鏡に映る愛花ちゃんはとても可愛くて、私が愛花ちゃんとして生きていけるのが申し訳ないぐらい。貴女の分も頑張って生きるから、どうか見守っていて下さい。
手を合わせて愛花ちゃんと天使さん、そして私の本当の両親に祈る。今日から篠塚愛花として生きていきます。
リビングにはお母さんが朝食の準備をしていて、悠哉くんの姿は見えない。そう言えばお父さんを見掛けないけど、愛花ちゃんにはお父さんがいないんだろうか?
「おはようございます」
「おは……え、もうそんな時間!?」
振り返ったお母さんが、慌てて時計を見て安堵の溜め息をつく。
「もう吃驚させないで頂戴。なんでこんなに早起きなのよ。まだ悠哉も起きていないのに」
「学校が楽しみで、つい早起きしちゃいました」
よく子供が遠足当日に早起きしちゃうことがあるって聞いたけど、今ならその気持ちがよくわかる。楽しみで興奮しちゃうよね!
「お手伝いします」
「そ、助かるわ」
美味しそうなおかずが乗ったお皿を運ぼうとした時、お母さんの言葉が耳にエコーになって鳴り響く。
『助かるわ』
涙が出そうだ。
「ほ、他に何か手伝えることはありませんか!」
「そうね……ゴミの日だから捨ててきて」
「喜んで!」
ゴミの捨て場所を聞いて外に飛び出す。ゴミ袋は重いけど心が軽い。助かる、て言ってくれた。ぐふふ、嬉しい。
ゴミ捨て場に向かう途中、重そうにゴミ袋を持っているお婆ちゃんに出会した。
「おはようございます。私もゴミを捨てに行くので、ついでに一緒に持っていきますよ?」
「そうかい? 悪いねぇ、最近腰が痛くてねぇ。ありがとうね」
「いいえ、これぐらいお安いご用です」
ゴミ袋を受け取り、出会う人ひとりひとりに挨拶をする。ご近所付き合いは大事だって聞いたことあるし、笑顔で挨拶されて嫌な気分になる人はあんまりいないよね。
家に帰ると悠哉くんが起きていて、朝食を食べていた。朝から沢山食べるなぁ、さすが男の子。
「雨でも降るんじゃね」
「え、青空がとっても綺麗でしたよ?」
「……」
今日もお味噌汁が美味しい。今度一緒に作ったりしてみたい。頼んでみよう。お母さんと一緒に料理を作るのは夢の一つだ。
学ランの悠哉くんはすっごくカッコいい。これはかなりモテるんじゃ。カッコいいと大変だよね。私の担当医の先生も看護士さんにモテまくっていたっけ。
「はい、お弁当」
「ん」
お母さんから渡されたお弁当を鞄に入れ、テレビを見ながら再びご飯を食べる。いいな、お弁当。お母さんの様子を見る限り、私にはお弁当がないようだ。これはかなり寂しい。さっきまで嬉しかった気持ちが、風船のように萎んでいく。
「はい、今月の学食代」
「え」
机の上に置かれた一万円札。学食ということは、やっぱり私にはお弁当はないのか。
「なによ、足りないなんて言うんじゃないでしょうね」
ショボくれている私に、不機嫌そうな声になるお母さんに慌てて否定する。
「いえ、ありがとうございます」
お母さんのご飯美味しいからお弁当が良い、なんて言えない。お弁当作るのも大変だろうし、学食も美味しいかも知れないし。我慢だ。
「いってきます」
「え、その顔で行くの?」
「いけませんか?」
朝食を食べ終え玄関で靴を履くと、戸惑うお母さんに首を傾げる。鏡の前で何度もチェックしたから大丈夫だと思うけど?
「メイクはしないの?」
「挫折しました」
早起きして頑張ってみたけど、やっぱり無理でした。
「メイクした方が良いですか?」
「そんなことはないけど……あんたが良いなら何も言わないわ。いってらっしゃい」
「いってきます!」
さあ、学校に行くぞ! と意気込んでドアを開けた、のは良いけど、学校は何処にあるのだろうか?
悠哉くんは一足先に自転車に乗って行ってしまったし、最初の一歩でもう迷子とか情けなさ過ぎる。