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甘えて欲しいと頼まれても、どうすればいいかわからず困っていると、買い物からお母さんが帰ってきた。
「あら愛花、おかえりなさい」
お母さーん。心の中で叫ぶ。よかった、これで話が逸らせるかも。
「ただいまお母さん。夕食のお手伝いしたいから着替えてくるね」
お父さんが呼び止める前にリビングを出て素早く自分の部屋へ。部屋に入った途端、深くため息。
愛花ちゃんのお父さんは溺愛してるんだろうなって思ってたけど、想像以上というか。うーん、甘えるってどうすればいいんだろう?
前は甘えちゃいけない、困らせたらダメだって思ってたから甘え方を知らない。着替え終わり悩みながらリビングへと戻ると、お父さんが驚いた声を上げた。
「記憶喪失だって!?」
キッチンに立つお母さんに食い入るように詰め寄り、信じられないと呟く。お父さんには知らされてなかったんだ。
「なんでそんな大事な事を教えてくれなかったんだ!」
「教えたらすぐ戻ってくるでしょ」
「当たり前だ! 可愛い愛花が辛い思いをしているのに、仕事なんかしてる場合か!」
私の事で喧嘩になってる。どうしよう、止めなきゃ。そう思ったけど、すぐにお父さんは静かになった。何しろ、物凄い顔でお母さんが睨んでいるからだ。
「だから言わなかったのよ。責任ある立場の者が簡単に仕事を放り投げてどうするの。示しが付かない上に、どれだけの人に迷惑を掛けると思ってるの!」
「だ、だが教えてくれる事ぐらいしてくれたって……」
「そんな事したら仕事に身が入らないでしょ。愛花の体に負担になるような事ならすぐに伝えたわ。だけど体には問題はなくて、愛花は毎日元気に学校に通っているのよ。ねぇ?」
突然話を振られ驚くも、元気に学校に通ってるのは本当なので何度も頷く。
「……愛花」
今にも泣きそうな、それでいて辛そうな表情。震える手で頬を撫でられ、
「可哀想に。記憶がないなんて怖かっただろう? すまない愛花。辛い時に傍に居てやれなくて」
暖かい温もり。私はお父さんの腕の中にいた。肩を震わせ何度も謝って強く抱きしめられ、私は身動きが出来なかった。
手を繋いだり抱えられた事はあったけど、こうして誰かに抱きしめられたのは本当に久しぶりで。涙声のお父さんは、本当に愛花ちゃんが大好きなのだとわかる。だからこそ、私はどうすればいいのかわからない。
この温もりを受け入れていいのかな? だってお父さんのこの想いは愛花ちゃんに向けたもの。私が受け取っちゃいけない気がする。でも……
「もう大丈夫だよ。パパが傍にいるからね」
『大丈夫だ。すぐに良くなる』
重なる。二人のお父さんの声が。
「……っ、おと、さんっ」
気付いたらお父さんの背中に手を回して抱き付いていた。目から溢れ出る涙。お父さんの温もりが懐かしくて、そして暖かくて。涙が止まらないよ。
「愛花っ! いいんだよ泣いて。パパの胸でたくさん泣きなさい」
抱きしめる力が少しだけ強まり、優しく頭を撫でられる。ちょっと変な人だなって思ったけど、愛花ちゃんへの惜しみ無い愛情が伝わって、こんな優しい人がお父さんでよかったと思う。
「……なんだこの状況」
「記憶がなくても、愛花はパパっ子なのよ」
クスクスと笑うお母さんと呆れた声の悠哉くん。この3人が愛花ちゃんの家族で私の家族。こんなにも暖かくて愛されてる家族が傍にいたのに、どうして愛花ちゃんは自殺したんだろう。お父さんに助けを求められなかったのかな? お母さんに相談出来なかったのかな?
優しい家族に心配かけないよう気を付けよう。悲しい思いをさせたくないから。出会って日の浅い私がそう思えるのだから、愛花ちゃんも心配かけたくなくて言えなかったのかもしれない。
お父さんに抱きついて泣いていたら、夕御飯の準備は終わっていてお手伝い出来なかった。なんてこったい。
今日の夕御飯はステーキ。分厚い。こんなお肉見た事がないよ。お父さんから今日はご馳走だと聞いていたけど、まさにご馳走だ。
悠哉くんが嬉しそうに食べていて、御子柴くんと同じお肉が好きなのかも。悠哉くんメモに書かなきゃ。私も食べようとしたら、お父さんにお皿を取られた。
「食べやすいように切ってあげるからね」
子供扱いされている。いや、子供だけども切ることぐらい出来るよ。包丁を持つのはまだちょっと怖いけど。
「自分で切れますよ?」
「ダーメ。これはお父さんの楽しみなんだ」
楽しみ。それを言われたら邪魔しちゃいけない気がして。それは楽しそうにステーキを切っているお父さんを見て困ったように眉を下げていると、お母さんが私にお皿を取り戻してくれた。
「いい加減子離れしなさい。愛花は自分で出来るわよ」
「ああっ、酷いよ夏海さん!」
戻ってきたステーキはその形を変え、一口にサイズになっていた。悠哉くんみたくかぶり付いてみたかったのに。でも折角切ってくれたのだから、お礼を言って一口サイズのステーキを食べる。
「んっ!」
萎んでしまった気持ちは、口の中にステーキを入れた瞬間膨らんでいく。お、美味しい! ちょっと噛むだけて溢れる肉汁と柔らかいお肉の食感。なにこれ! こんなお肉初めて!
「美味しいです」
「そう。喜んでくれて嬉しいわ」
ホクホク顔で食べている私の前にカメラが。
「あの……」
「今の天使のような笑顔の愛花を残さないといけない。さあ、気にせず食べてもう一度あの笑顔を!」
気にせずと言われても、ジッと見つめられるお父さんの視線とカメラのレンズで食べにくい。
「うぜーな。飯食ってる時ぐらい大人しくしてろよ」
「ふ、大丈夫さ悠哉。お前の写真もバッチリ納めてあげるからね」
「いらねーよ!」
お父さんが加わった事で更に賑やかになる食卓。これが家族が集まった食卓。まるでホームドラマのようだ。
いいねいいね! これから毎日がこんな賑かなんて楽しみ。あ、そうだ。
「どうせなら皆がご飯食べている所を写真に撮って欲しいです」
そう言った途端、花咲くように驚き笑顔でカメラをセットし始めるお父さん。おふ、まるで運動会のようだ。
「さあ、いくよ!」
「写真撮る意味なんかあんのかよ」
シャッターのタイマーをセットするお父さんに呆れ、ため息を付く悠哉くん。写真嫌いなのかな?
「思い出です。思い出」
「そうだよ悠哉。家族の思い出の写真たくさん撮ろうね愛花」
「はい!」
撮った写真は私の部屋にも飾っておこう。机の横にあるコルクボードが写真でいっぱいになっていく。私の、今の私の思い出だ。
「夏海さん。記憶がなくなっても、愛花は僕らの天使だね。素直で可愛くて僕は感動だ」
「……私は寧ろ二人が暴走しないか不安だわ」
食事も終わり、単身赴任から帰ってきたお父さんの為にも、お風呂に入ってゆっくり疲れを癒して貰おうとお風呂掃除を始める。すると慌てたようにお父さんがスポンジを取り上げた。
「愛花はそんな事をしなくていいんだよ! 指が赤くなってるじゃないか! 掃除はパパがするから愛花はテレビでも見てゆっくりしていなさい」
ゆっくりして貰いたいのはお父さんなんですが。鼻唄混じりで掃除をするお父さんを止める事が出来ず、肩を落としてリビングへ。食器の洗い物も既に終わっていて、私が手伝える事がなくなってしまった。
このまま全部、お手伝い出来る事をお父さんに奪われてしまったらどうしよう。困る! 私の生き甲斐が! 考えろ私、考えるんだ。お父さんに奪われる事なくお手伝い出来る方法を。
「お湯が溜まったら先に愛花が入りなさい」
お風呂掃除が終わったお父さんが先に入るように進める。そうだ! お風呂といえばあれ。あれならお父さんだって喜んでくれるはず。
「お父さん!」
「なんだい?」
「お背中流します!」
「「え」」
お父さんの声と被るようにお母さんの驚きの声が上がる。ギョッとしたような驚きで、シンクを拭いている手が止まった。同じようにお父さんも固まっていて、私なにかしたかな?
「なに言ってるの愛花! 前にも言ったでしょ、年頃の女の子がそんな事言ったらダメだって」
「え、でも、親子ですし……」
「親子でもダメ! 早くお風呂に入ってしまいなさい」
どうして怒られているのかわからないけど、仕方なくお風呂に入る事にした。ちぇ、喜んで貰えると思ったのに。
「……夏海さん。前にもあったのかい?」
「悠哉の背中を流そうとしたわ」
「危険だ! 愛花の無垢な所に漬け込んで、邪な野郎共の魔の手が! なんてことだ……至急対策を練らないと」
「一理あるけど、お願いだから暴走だけはしないで頂戴ね」
翌朝、日課のゴミ出しもお父さんによって終わっていた。このままじゃ本当に何も出来なくなってしまう。
「あの、私もお手伝いしたいのですが……」
「その気持ちだけで充分だよ。愛花は自分の好きな事だけをしなさい。ほら、学校に行く準備しておいで」
好きな事がお手伝いなんです。口に出したくても笑顔で押しきられて、又々部屋に戻される。うう……お手伝いしたいよぉ。
仕方なく制服に着替え、学校の準備は昨日のうちに終わらせていたのでやる事がもうない。暇だ。
「やっぱりちゃんと言わなきゃダメだよね」
お父さんにはっきりお手伝いさせて下さいって言わなきゃ。そう決意した時、机の上に置いてあったテスト結果の紙が目に入った。お父さんが帰ってきてすっかり忘れてた。お母さんに見せに行こう。
朝御飯の準備が丁度終わった頃合いを見て、お母さんにテスト結果の紙を渡す。
「なにかしら……凄いじゃない愛花!」
渡された紙を見て驚くと同時に喜んでくれる。
「遅くまで勉強していたものね。頑張ったわね愛花」
お母さんに頭を撫でられたのは初めてでむず痒い。心がぽかぽか暖かくなって、頑張ってよかったって思う。それに私が勉強してた事を知っていてくれたのも嬉しい。
「どうしたんだい?」
「愛花が中間テストで2番だったのよ」
「本当かい!?」
渡されたテスト結果の紙を見てお父さんが震え出す。
「さすが愛花! 去年のテストから凄いランクアップじゃないか!」
自分の事のように喜んで抱き上げられた。何度も凄いと褒められクルクルと周り、まるで映画のワンシーン。目が回るぅ。
「ほら、嬉しいのはわかるけど、冷めないうちに早く食べなさい」
お母さんが作ってくれたご飯を冷めさせる訳にはいきません。下ろして貰い椅子に座ると、タイミングよく悠哉くんが眠たそうに欠伸をしながら起きてきた。
「おはようございます悠哉くん」
「はよ……なんか親父テンション高くね?」
「愛花がね、テストで2番だったんだよ」
おおっ、悠哉くんからのおはようを頂きました! 今日は記念日ですね。目玉焼きに醤油をかけようと、醤油に手を伸ばす前に悠哉くんから渡された。なにこれ、以心伝心!? 私達すっごく仲良くなってるんじゃ!
当の悠哉くんは、お父さんから渡された私のテスト結果の紙を見てふーんと言うだけで、私の顔を見ていない。無意識の優しさ。お姉ちゃんは嬉しいです。
「前みたいにカンニングしたにしては点数良すぎだよな。頑張ったんじゃね」
頑張ったんじゃね、頑張ったんじゃね、頑張ったんじゃね……
エコーのように響く悠哉くんからの褒め言葉。どうしよう、今まで1番嬉しいかもしれない。胸がキュウッと締め付けられ、感動に心震わせる。頑張って本当によかった!
「カンニングだなんて、愛花はもうそんな事する訳ないだろ」
「でもそれ先生にも言われました」
「はぁ? センコーに疑われたのかよ。お前大丈夫なのか?」
大丈夫ですよと言う前に、何かが折れる音がした。それと同時に禍々しく、それでいて冷たい空気が背中に冷や汗を流させる。悠哉くんに向けていた顔を、壊れた玩具のようにぎこちなく動かし、私の前に座っているお父さんに視線を向けるとそこには……
「へぇ……そう。愛花を疑った先生がいるんだ。へぇ、そうか」
笑顔なのに目が笑っていない。それなのに口角は上がっていて不気味で怖い。折れた音はお父さんの箸からで、真っ二つに折れている。えぇっ、お父さん力強すぎ!
生唾を飲む音が隣からも聞こえ、キッチンから見えるお母さんの顔色が青くなっていく。
「それで? その疑った先生はなんという名前なんだい?」
教えていいんだろうか? 頭の中で激しく危険信号の音が鳴り響く。何も言えない私に再度同じ事を聞かれ、キッチンではお母さんが左右に激しく首を振っている。言っちゃダメなんだ。そうだよね、絶対言っちゃダメな気がするもん。
「は、初めて見る先生だったから……知らない、です」
「……そうか。愛花は記憶喪失だもんね。それは困ったな」
机を指で鳴らし、顎に手を当て何か考えている様子が、何故か物凄く怖い。だって笑顔のままなんだもん。困ったなって言ってるのに全然そんな感じじゃなくて、目が笑っていない笑顔のままで、楽しそうに見えるから余計に怖い。此処は話題を変えなきゃ!
「須藤先生は記憶がない私の行動をちゃんと見ててくれて、頑張れって言ってくれたんですよ。以前は凄く迷惑掛けてしまったのに」
「須藤先生はちゃんと今の愛花を見てくれてるのね」
お母さんがフォローに回ってくれて、そういえばと、話題転換を手伝ってくれる。ナイスですお母さん!
「そう、須藤先生だけは愛花の味方をしているんだ」
え、だけって。そんな事ないのに。此処もちゃんと伝えなきゃ。
「疑っていたのは眼鏡先生だけで、教頭先生も氷室先生も信じてくれましたよ」
「疑ったのは眼鏡を掛けている先生か。教えてくれてありがとう愛花」
ぎゃーっ! 違うんです、教えたかった訳じゃないんです。でもまだ眼鏡を掛けている情報しか漏れていないし、これ以上ボロが出る前に学校に行こう。ちょっと早いけど、図書室で本を読んでいれば時間なんてあっという間に過ぎちゃうもんね。
「それで、その眼鏡を掛けている先生は女性かい? 男性かい?」
「今日は早く学校に行かなきゃならないので、いってきまーす!」
無理矢理ご飯を口の中に詰め込み鞄を持って玄関へ。悠哉くんは我関せずとばかりに黙々とご飯を食べていた。いいな、私だってゆっくりお母さんのご飯を味わいたかったのに!
お父さんが呼び止めるも聞こえない振りをして玄関の扉を開け、猛ダッシュで駅まで走った。
まだまだ続くよモンスターの暴走。次回はこの続きを別視点で。誰かは……まあ、わかると思います




