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泣いていた事は誰にも気付かれなかったおかげで、授業は普通に受けられた。何度もため息をついたけれど。
「篠塚さん、何か悩み事があるんじゃ……」
「そのため息は恋の悩みね」
「え」
田中くんの言葉を遮るように、前の席に座っている山本さんが話し掛けてきた。
「誰かを想うあまりに出てしまうため息。胸が苦しいよね、うんうん、わかるよわかる。私も同じだから」
共感するように頷かれ、山本さんの恋バナが始まった。違うよ、なんて言えなくて、黙って山本さんの恋バナを聞いていくうちにすっかりのめり込んでしまう。
「……でね、違う学校だからなかなか会えないし、学校の前で待ち伏せするわけにもいかないじゃん? だから駅で偶然会えると、すっごく嬉しいんだよねー」
「はぁ……切ないですね。せめて同じ学校だったら良かったのに」
「本当だよ。同じ学校だったら絶対声掛けまくるのに。だけどさ、彼が他の女の子と仲良くしてる所を見ちゃったら、嫉妬するだろうな。篠塚さんも、一ノ瀬先輩が他の女の子と仲良くしてる所を見ちゃったら嫉妬するでしょ?」
嫉妬ってあれだよね。病院の庭で、元気よく走り回っていた男の子が羨ましかった感じ。いいな、私も早く元気になりたいとは思った。
山本さんが言うように、一ノ瀬先輩が他の女の子と話してる所を想像してみる。
「…………」
うん、羨ましい。私も一ノ瀬先輩とたくさん話したい。
「しますね。羨ましく思ってしまいます」
「だよねー。その女の子に無茶苦茶ムカつくいたりするよ」
「ムカつく……ですか?」
「そうでしょ。私だって仲良くなりたいのに狡いって。間宮先輩にムカついたりしない? その……一ノ瀬先輩はさ」
その後は気まずそうに言わなかったけど、一ノ瀬先輩が間宮先輩を好きなのは知ってたし、間宮先輩にムカついたりしない。知った時は悲しく泣いてしまったけれど、間宮先輩は私の憧れだもん。
「そういうのはないですね」
「ええっ、ないの!? 一ノ瀬先輩が間宮先輩といちゃいちゃしてたら、ムカついたり苛々したりするでしょ普通」
「そんな事思った事ないですよ」
山本さんは不思議そうに私を見て、また私は首を傾げる。
そういえばよく恋愛漫画や小説では、女の子が好きな人に怒ったりしてた。私は一ノ瀬先輩にそういう風に思った事ないかな。
「それっておかしくない?」
「え……」
「だって好きだから怒ったり悔しかったりして嫉妬するんだよ。どうしようもない感情が沸き上がって、相手を傷付けてしまったりするの。ないの?」
ない。
首を振って否定すると、今度は眉間に皺を寄せて難しい顔になる。
「うーん、あれかな。記憶喪失になった時に、好きな気持ちだけが残ったのかも」
山本さんが何気なく発した言葉に、目を見開いて驚く。
私が愛花ちゃんとして生きているのであって、記憶喪失になった訳じゃない。だからもしかして……私が一ノ瀬先輩が好きなのは……
「今は恋愛の話は禁止!」
突如机を叩き現れたのは、昨日一緒にテスト勉強をしようと言ってくれた子だった。
「今大事なのは来週のテストよ。という訳で、明日の放課後に図書室で勉強会ね。机の予約はしておいたから」
待ってました勉強会! 明日の為に今日の夜は勉強しておかなくちゃ。
「なによ、いいじゃん話をするぐらい。胸が苦しくて勉強にも手がつかないぐらいなんだから」
「恋愛を言い訳に使わない。学生の基本は勉強なんだから、しっかり勉強してそれから恋愛しなさいよ」
「うわー、ないわー」
山本さんは呆れたような眼差しをしているけど、私は水を被せられたかのように目が覚めた。
そうだよ、学生の基本は勉強だ。中間テストの為に今は勉強に集中しなきゃ。あれこれ悩むのはテストが終わってからだ。
テスト期間中は、生徒の職員室への立ち入りが禁止されている。先生が問題を作ってるからね。だから先生に質問がある時は、職員室の入り口で呼ぶしかない。
「この場所がよくわからないんですが……」
「ああ、此処はだな」
学校っていいよね。どんな些細な事でも教えてくれる先生が居るんだもの。教科書やネットで調べてもわからない事も、わかりやすく教えてくれる。
「なるほど。ありがとうございます先生。よくわかりました」
「最近の篠塚は頑張っているな。授業態度も良いし、この調子で頑張れ」
「はい!」
おぉ……応援されている。これは期待に応える為にも、テストを頑張らなきゃいけない。ファイト!
「篠塚、何をしている」
職員室から出てきた須藤先生。無精髭がなくなっていて、いつもの先生より若い見える。ない方がカッコいいよ。
「先生にわからない所を質問してました。先生、お忙しい中、教えてくれてありがとうございました。失礼します」
先生達だって忙しいはず。あまり時間を取らせたらいけないよね。
その場でお辞儀をして教室へと戻った。
「記憶喪失と聞いて心配していたが、篠塚は頑張っているようだな。真面目に授業も聞くし、学校行事にも積極的に取り組む。何より周りと問題を起こさなくなった。須藤先生も安心したんじゃないのか」
「……油断は出来ません。記憶がなくなっても、中身はあの篠塚ですから」
「まあ、須藤先生は去年から篠塚と色々あったから仕方がない。だが、あれだけ楽しそうに授業を受けてくれるのは、教師も嬉しいものだ」
「……そうですね」
家に帰ってご飯を食べた後、お風呂も済ませ、いざ勉強開始。
最初は好きな教科から始め、調子が乗ってきたら苦手な教科に移り、最後はまた好きな教科をする。気分よく終われば、またやる気が湧くもんね。
「うーん、参考書が欲しいな」
愛花ちゃんの部屋には参考書がなく教科書だけ。もしかして愛花ちゃん頭良かったのかも。勉強に関する本が全然ないもん。殆んどがお洒落に関する物ばかり。勉強をしなくても、成績がよかったのかもしれない。
すごいな、愛花ちゃん。これはますます頑張らなきゃ。
気合いを入れて勉強を進めていたらいつの間にか寝てしまっていたらしく、時計を見たら深夜の1時を過ぎていた。
「んー……もう今日は寝よう」
背伸びをした後、目を擦りトイレに行く為階段を下りる。眠気が深まり、2階に戻った時は意識が朦朧としていた。
部屋のドアを開けベッドのある場所に移動するがベッドがない。
「あれ?」
暗い部屋を見回し、ベッドを見つけふらついた足取りで向かう。
あれ、そういえば部屋の電気消したっけ? 覚えがないけど、まあいいか。
布団に潜ると何故か温かくて狭い。けれど、その温かさが心地よくてすぐに眠りに入ってしまった。時折苦しくなったり何かに押されたりしたけど、ベッドから落ちないよう何かにしがみついたら温もりに包まれた。
なんだろう、すごく安心する。
その日の夜は、巨大な黒猫のお腹を枕にして眠るといった、とても幸せな夢を見れた。
「はぁぁあっ!?」
朝は目覚ましの音じゃなく、悠哉くんの叫び声で起きた。
「な、な、なんで、なんでお前が此処にいるんだよ!?」
「ほぇ?」
寝起きの私は頭が働かず、状況が掴めない。なんで悠哉くんが私の部屋にいるんだろう? しかも同じベッドに。
首を傾げて目を擦る私から距離を取ろうと、壁に背中を付ける悠哉くん。なんだか顔が赤いけど、どうしたんだろう?
頭が冴えてきて周りを見回し、此処が私の部屋じゃない事に気付く。可愛らしい家具もなければぬいぐるみもない。シンプルで落ち着いた感じの部屋だ。
「此処、何処ですか?」
首を傾げたまま悠哉くんに問い掛けると、焦っていた顔が怒った顔に変わり、
「俺の部屋だ! 寝惚けてんじゃねーよ、出ていけ!」
閉め出されてしまった。
廊下に出された私は自分の部屋に戻る。
昨日、寝惚けて悠哉くんの部屋に間違えて入っちゃったんだ。なんてこったい、後で謝らなきゃ。
でもすごく眠れた気がする。誰かと一緒に眠ったのは初めてで、あんなに安心して眠れるなんて思わなかった。また一緒に寝たいな。今日はいきなりだったから驚いただけだと思うから、今度は前もってお願いしてみよう。姉弟なんだし、一緒に眠ってもおかしくないよね。
「なんだか騒がしかったけど、なにかあったの?」
朝御飯のお手伝いをしようとリビングに入ったら、不思議そうににしているお母さんがいた。
「昨日間違えてゆ……」
「あーっ、なんでもねーよ。母さん腹減った」
慌てたように悠哉くんが私の口を塞ぎ、お母さんとの間に入る。首を傾げつつ、お母さんは朝御飯の用意をし始め、悠哉くんから安堵のため息が出た。
「お前ふざけんな。今朝の事、母さんに喋ったりするんじゃねーぞ」
ものすごい顔で睨まれ、頷くしかなかった。なんで秘密? と思ったけど機嫌が悪い悠哉くんに聞けず、お手伝いの為にキッチンに立つ。
もしかしたら嫌だったのかもしれない。悠哉くんは大きいし、狭く感じたのかも。
お願いしても一緒に寝てくれないかもと思うと、ションボリしてしまう。
「……うま。今日の味噌汁旨いな」
「えっ、本当ですか!?」
「今日のお味噌汁は愛花が作ったのよ」
「へー」
一瞬私に視線を向け、再びお味噌汁に口をつける。
嬉しい、私が作ったお味噌汁を美味しいって言ってくれた。お豆腐はお母さんが切ってくれたけど、ダシやお味噌を溶かしたりしたのは私で、自分が作ったご飯を誰かに美味しいと言ってもらえるのがこんなに嬉しいとは思わなかった。
今度はお豆腐も自分で切ろう。包丁を握るとお母さんが不安がるけど、そこは練習あるのみ。
いつか悠哉くんのお弁当を私が作ってみたい。そんな夢もあります。
その日の放課後、約束通りクラスの子達と図書室で勉強会を始める。
「お互い苦手な教科と、得意な教科をあげて教えあおうか」
勉強会に参加したのは、私と田中くんを含め6人。前の席の山本さんもいる。
「田中くんはどの教科が得意ですか?」
「俺は歴史が好きかな。苦手なのは英語」
「英語訳わかんないよねー、私も苦手」
ふむふむ。英語が苦手な人は多いみたい。私も得意ではないかな。話したりは出来るけど、書くのは苦手だ。
「ねぇ、篠塚さんはなんの教科が好き?」
「数学です」
「あんな頭が痛くなるようなもん、よく好きになれるな」
「パズルみたいで楽しいですよ」
数学は公式を覚えてしまえば、スルスル解けていけるから面白い。図形なんかも好きだ。
「ノート見せてもらってもいい?」
「どうぞどうぞ。なんの教科のノートがいいですか?」
見せて欲しいノートを渡すと、
「なにこれ! すごい見やすいしわかりやすいじゃん」
「え、俺にも見せろ。うわ、字が目茶苦茶綺麗じゃん。すげー見やすいし細かく書かれてるな」
次々に皆が私のノートを手に取り眺め驚く。そんなに見やすいかな? 他の人のノートを見せてもらうと、黒板に書かれていた内容がびっしり書いてある。う……見ずらい。
「先生が話してた事まで書いてある。それに自分の疑問を書いて、次のページに調べた事とか復習した事を纏めてあってわかりやすいよ」
「日付処かその日の天気まで書いてあるな」
「すごーい。ねぇねぇ、篠塚さんのノートコピーさせてもらってもいい?」
「あ、ずりぃ。俺もコピーさせて」
いいよ、と言うと皆は我先にとノートを持ってコピー機へと向かった。役に立てたみたいでよかったよかった。
「篠塚さん頭良いんだね。いつも授業中は楽しそうに聞いていたのは知ってるけど」
田中くんは、私が目を輝かせて授業を受けていたのがバレていたらしい。だって楽しいんだもん。
「ノートの取り方のコツとかある?」
「そうですね。私の場合1枚のページの両端に線を引いて、その場所に自分の気持ちや先生が話してた事を書いてます。黒板に書かれていた事だけじゃなく、先生の話してくれる事はとてもためになるので」
書いてある事だけを写しても、読み直す時わからなくなる時もある。だからその時に話していた内容とか、私が思った事を書いておくと授業内容が思い出しやすい。
「歴史なんかは特に授業がストーリーになっているので、あっという間に授業が終わっちゃいます」
その後も田中くん達とテスト問題を出し合ったりして、とても楽しい時間を過ごせた。家で出来る勉強方法もなんかも教えてもらったので、家に帰ったらやってみよう。
勉強会が終わり、田中くんは友達と約束があるらしく図書室で別れ、他の皆も帰って行った。
少し暗くなってきたし急いで帰ろう。駅に向かうと、他の学校の人が駅のホームでかたまっていた。悠哉くんと同じ学ランだ。
「あ、あの子可愛い」
「マジでレベル高くね。ねぇ、どこの学校?」
茶髪の男の子が話し掛けてきた。続くように4、5人の男の子に囲まれちょっと怖い。
「聖琳です」
「ああ、あそこか。名前教えてよ」
「えっと、あの……」
囲まれてるから逃げ場所がない。教えてもいいけど、悠哉くんに知らない人に着いて行ったり、名前を教えちゃダメだって口を酸っぱくして言われているんだよね。この前、知らない人に声を掛けられた事を話したら、すごく怒られた。
「えっと、ごめんなさい」
「はぁ? 名前聞いてるだけじゃん」
「なに怯えてんの? 可愛いー」
「出会えた記念にどっか行かね? カラオケとか」
「おー、いいね。カラオケ行こうぜ」
ちょんまげにしていた前髪を触られたり、肩を掴まれ強引に違う電車に連れて行かれそうになる。
カラオケは行きたい。けどこの人達とは行きたくない。だって怖いもん。
「困ります。家に帰らないと」
「なんか震えてね? 可愛いなマジで」
「俺ら超いい人だから怖くないって」
いい人なのかもしれないけど、怖いものは怖い。逃げたくても強く肩を掴まれたままで、どうしたらいいかわからなくて誰かに助けを求めようとした時、
「はいはーい。嫌がる女の子を無理矢理連れて行っちゃダメでしょ」
後ろから男の子達の中に割って入って、私を助けてくれたのは、榊先輩だった。
「榊先輩」
「俺の後輩にちょっかい出さないでくれる?」
「なんだよ、お前。無理矢理じゃねーし、同意だよな?」
行きたいなんて一言も言っていない。
さっきまで笑顔だった人達から睨まれたけど、必死に首を振って違いますとアピール。
「ほぉら、違うって言ってるでしょ。今なら見逃してあげるから、行きなよ」
掴まれていた手から私を引っ張り、背後に隠して守ってくれた。正直、榊先輩には嫌われてると思っていたからビックリだ。
「んだよテメー。いきなり入ってくんじゃねーよ」
「えー? 俺は穏便に済ませてあげようって言ってるんだけど」
前に田中くんの胸元を掴んだ悠哉くんのように、男の子が榊先輩の胸元を掴む。殴る素振りはないけど、威嚇するように睨んでいて、喧嘩になったら大変だ。周りを見渡し駅員さんを呼ぼうとしたら、
「へぇ……俺とやる気?」
榊先輩は目を細め、薄く笑う。なんだかものすごく悪い笑みで、他の人から見たら榊先輩の方が悪い人だと勘違いされちゃうよ。
「こいつ榊啓介だ。こいつに関わったらヤベーって」
「マジかよ。行こうぜ」
何故か急に男の子達は逃げるように電車に飛び乗り、私は茫然となった。
え、榊先輩だと気付いたから逃げたんだよね? 榊先輩はほっそりしていて、御子柴くんのように強く見えないけど、もしかしてすごく強いんじゃ。隠れた天才とかいうやつ?
「先輩すごいですね」
「まーねー」
「先輩のさっきの笑顔は凶悪犯みたいで私も逃げたくなりました。笑顔で撃退するなんて、まるで魔王みたいです」
「……それは褒めてるの? 寧ろ褒めてないよね、貶してるよね」
例え方が悪かったらしい。悪魔みたいな笑顔、の方がよかったかな?
「ていうかさ、この時間帯は危ないから誰かに送ってもらいなよ。たまたま俺がいたからよかったけど」
「先輩がいてくれて本当によかったです。助けて下さってありがとうございました」
榊先輩がいなかったら無理矢理連れて行かれる所だった。カラオケは行きたいけど、真由ちゃん達と行きたい。
「んー、ねぇ、俺から頼みたい事があるんだけど」
「なんでしょう?」
「今度、桜子と鈴音ちゃんと一緒にアイスを食べに行くんでしょ? 俺と和樹も入れてくれない?」
間宮先輩に聞いたのかな。私は構わないけど、間宮先輩に聞いてみないとわからないと言ったら、榊先輩から聞いてくれるそうだ。人数が多い方が楽しいだろうから、その日が待ち遠しい。まだ日取りすら決まってないけど。
「その時にさ、ほら、愛花ちゃんと同じクラスの田中君? だっけ。そいつも連れておいでよ」
「え、田中くんをですか? どうして?」
いきなり出てきた田中くんの名前に驚く。間宮先輩との接点がないよ。私は田中くんが参加してくれる方が嬉しいけど、気まずくなったりしないかな?
「体育祭の時に愛花ちゃんをたくさん助けてくれたんでしょ? そのお礼も兼ねてさ。先輩として俺からもお礼が言いたいし」
なんて素敵な提案。まだ田中くんにはお礼をしていないし、奢らせてもらおう。
「いいですね! 早速明日にでも田中くんに聞いてみます」
「オッケー。桜子には俺から言っておくから」
榊先輩も楽しみだねと笑ってくれて、嫌われていたのは私の勘違いだったのかもしれない。この機に榊先輩と仲良くなれたらいいな。
「……本当、楽しみだねぇ」




