25
「君は確か篠塚さんの……」
いきなり現れた悠哉くんに、戸惑いを隠せない田中くん。それは私も同じだった。
息を荒くし肩で呼吸している。まるで走ってきたかのように。何かあったのかな?
そして田中くんに掴まれていた手首を乱暴に引き離し、背後に私を隠すように間に割り込む。
「テメー、こいつに何しやがった」
え、なんの事?
振り返った悠哉くんが困惑する私の顔を見て、目を見開いて驚く。
「お前やっぱ泣いて……テメー、タダじゃ済まさねーからな」
涙は止まったけど泣き跡は残っていたらしく、悠哉くんに私が泣いていた事がバレてしまった。だけど、どうしてそんな地の這うような声を出すんだろ。後ろからだけど伝わる怒り。その怒りを何故か田中くんに向ける。え、なんで?
「テメーこいつに何言ったんだ」
「えっ!? ま、まだ何も言ってないよ!」
「『まだ』だと……何を言うつもりだったんだ。内容によっては……」
「えっ、えっ? そんな、言えないよ……」
「言えねーような事をこいつに言うつもりだったのかよ、テメーは! 歯食いしばれ!」
悠哉くんの気迫に圧され口を出す事が出来ずに見守っていると、田中くんの胸ぐらを掴み殴りかかろうとして、慌てて止めに入った。
「ちょ、ちょちょ、何してるんですか悠哉くん!?」
「はぁ!? テメーを泣かせた奴だろうが、何止めてんだよ!」
「え」
「え」
もしかして、私が泣いていたのを田中くんのせいだと思ったんじゃ。だから怒っていたんだ。私の為に。
ジーンと胸が熱くなってきた。こんなにも私は悠哉くんに大事にされている。私だって悠哉くんが誰かに泣かされていたら怒ります。絶対に許しません。て、ちがーーう!
「違います! 田中くんは何もしていません! 泣いていた私を慰めてくれてたんです!」
「はぁ?」
「俺はっ、俺は篠塚さんを、傷付けたりしない。誓って……言える」
胸ぐらを掴まれたまま苦しそうにしている田中くんを助けようと、悠哉くんの腕にしがみつく。
「田中?」
その時、田中くんの背後から車のライトが近付いてきた。お母さんの車だ。
「家の前で何やってんのあんた達。ご近所の迷惑になるから、家の中に入りなさい」
不思議そうに車の窓から顔を出したお母さんによって事は収まり、私達は1度お家の中に入る事になった。
「大丈夫ですか田中くん」
「うん、平気だよ」
「あら、貴方が噂の田中くん?」
「え、噂?」
私が田中くんの名前を呼ぶと、お母さんが嬉しそうに笑った。
「いつも娘から貴方の事を聞かされて、どんな人なのか1度会ってみたかったのよ」
「ちょっ、篠塚さんなんて言ったの!?」
「え? 田中くんはいつも私を助けてくれる、優しくてカッコいい人ですって」
「うわぁぁ……」
学校の話をする時に、毎回必ず出てくる田中くんの話。お母さんもどんな人なのか気になっていたみたい。そのせいか、田中くんはちょっと恥ずかしそうだ。
「あんたが田中さんすか」
ソファに座っていた私達に、鋭い目付きで睨み付ける悠哉くん。なんでさっきからそんなに機嫌が悪いの? 誤解は解けたはずなのに。
「さっきあんたなんて言おうとしてたんすか」
「えっ」
そういえば悠哉くんが表れる前、田中くんは何か言おうとしていたような。それもとっても真剣な表情で。
「あっ、いや……その」
何度も私に視線を送っては目がキョロキョロと動いて、挙動不審だ。言いにくい事なのかな? でも私に話そうとしてたんだよね?
「愛花ちょっと手伝ってくれるー?」
「はーい」
ソファから離れお母さんのお手伝い。今日の夕食は中華で、餃子作りにチャレンジ。
最初は具の量が多すぎて閉じられなかったり、上手く餃子の形にならなくて歪になったりと悪銭苦闘。でも何回も作っていくうちにコツを掴み、徐々に餃子の形になっていく。ふふふ、餃子作り楽しい。
「……聞きたい事あるんすけど」
「なにかな?」
「彼奴、学校で上手くやってますか?」
「篠塚さんの事? クラスの皆とは打ち解けてると思うし、友達とも楽しくやってるみたいだよ。あ、ただ……」
私がすっかり餃子作りに夢中になっている間、田中くんと悠哉くんが何やら真剣に話し合っていた。仲良くなったのかな? だとしたら嬉しい。
餃子が焼き上がりテーブルに並べ、今日は田中くんも一緒にご飯を食べる事になって、いつもより賑やかな食事になった。
「田中君は恋人とかいないの?」
お母さんの何気ない質問に盛大に吹き出す田中くん。口を拭い慌てて否定する。
「えっ! いないですよ恋人なんて」
「あらそうなの。田中君礼儀正しいし、優しいからモテると思うけど。好きな子もいないの?」
「えっと……」
グイグイ聞き出すお母さんの目は輝いていて、佳奈ちゃんと同じ恋バナが好きなようです。
でも、恋人いないんだ田中くん。どこか安心してしまった自分が不思議だった。田中くん優しいし、いてもおかしくないのに。
お母さんに質問攻めされている田中くんの横で、時折不機嫌そうに眉を潜め、何かを考えている悠哉くん。不機嫌そうなのはよくあるけど、今日は虫の居所が悪いのかな?
夕食を食べた後、お母さんは田中くんを車でお家に送って行き、私は食器を洗っていた。全ての食器を洗い終わり、片付けていると背後に気配が。
「お前さ」
「おぉうっ、ビックリした。どうかしたんですか?」
さっきまで、ソファでテレビを見ながらくつろいでいたのに、いきなり現れるからビックリしちゃった。
「イジメとかにあってねーだろうな」
随分唐突な話。首を傾げて見上げると、ますます深くなる悠哉くんの眉間の皺。
「記憶がなくなる前のお前に恨みを持った奴とかが、嫌がらせとかしてきたりしてねーのか?」
今のところ嫌がらせはないけど、恨みといえばあの4人組の事かな? どうして悠哉くんが知ってるんだろう?
「イジメとかないですよ。皆とてもいい人ばかりです」
「体育祭の時に騒いでたあの女は?」
「西嶋さんですか? 今度一緒にアイス食べに行く予定です」
そういえば、悠哉くんが私の事を『テメー』から『お前』に呼び方が変わってる。これは親密度が上がった証拠なんじゃ。うふふ、いつかお姉ちゃんと呼んで欲しい。
「そうかよ」
ポケットに手を入れ、冷蔵庫に寄り掛かりため息1つ。
もしかして私がイジメにあっていないか心配してくれてるの? そう思ったら考えるより早く、体が動いた。
「悠哉くん!」
「うわっ、なんだよ」
冷蔵庫に寄り掛かっていた悠哉くんに抱き付き、満面の笑みでお礼を言う。
「心配してくれてありがとう!」
「っ、してねーよ。またお前が問題起こして、迷惑掛けられるのが嫌なだけだ。つか、離れろ」
額を押され引き離そうとするけど、服を掴み離れない。
だけどそっか。前にも言ってたもんね。たくさん迷惑掛けたんだろうな、きっと。
しょんぼりして体を離すと、盛大なため息が吐かれ、
「……なんかあったら言えばいんじゃね。お前目を放すとすぐ怪我してるし、後で知らされるよりは先に言われた方が楽だ」
「……悠哉くん」
これは勘違いじゃないよね? 頼れって言ってくれてる。怪我する前に何かがあれば言えって。弟だけど男らしくて、不器用だけど優しくて、そんな悠哉くんが私は大好き。
「ありがとう悠哉くん。大好きです」
「………」
お礼を言っただけなのに、ものすごく嫌そうな顔をされた。大好きはダメだったのか、しくしく。
田中くんを送り届けて帰ってきたお母さんが、とてもご機嫌だった。
「田中君っていい子ね。愛花の隣の席の子があの子でよかったわ。また来てくれるって言ってたから、その時まで料理の勉強してみる?」
また来てくれるんだ。それにお母さんが料理を教えてくれるなんて、願ってもないよ。2つ返事で返し、どんな料理を教えてくれるのか聞いてみた。
「田中君は和食が好きなんですって。お味噌汁から作ってみましょ。男は胃袋で掴むのよ」
田中くんが和食が好きなのはいいとして、どうして胃袋を掴む必要があるんだろう? 何にせよ、お味噌汁の基本を教えて貰ったら、後は色んな具材で試してみたりしてみたい。これから楽しみだ。
今日は花壇に水やりをする為に、ちょっと早めにお家を出た。いつも通り職員室で鍵を借り、用具室でホースを持ち出し早速水やり開始。
朝練をしている部活があるのか、時々掛け声があがる。キラキラと水によって輝くお花たち。こうしてふと考えてみると、私は幸せだなと実感出来る。
だってこんなに立っていても倒れない処か、動悸も起きない。体育祭の為に練習したとはいえ、あれだけ走って怪我までしたのに、なんでもなかったかのように翌日も元気だった。うん、健康って素晴らしい。どんなにやる気があろうと夢があろうと、健康でなければ何も出来ないんだから。例え、愛花ちゃんに恨みを持った人がいたとしても、私は頑張れると思う。だって私は、
「あら、水やりをしているの。偉いわね」
「あ、安立先輩」
初めて会った時以来、久しぶりに見掛けた安立先輩。朝日に照らされて、まるで卑弥呼様みたいに神々しい。見たことないけど。
「おはようございます。早いんですね」
「おはよう。明日からテスト週間だから、図書室で勉強でも始めようと思って。愛花は、環境委員のお手伝いかしら?」
「はい、そうです」
偉いわねと、また褒めてくれて微笑むから、なんだかこそばゆい。美人さんが微笑むと照れちゃうよ。
「……そういえば、最近愛花を悪く言う声が聞こえてくるんだけれど、大丈夫? 何かされてない?」
「え……?」
「記憶をなくす前の愛花は、よく誤解されてしまう所があったから心配なの。何かあれば直ぐに私に教えてね。力になるから」
安立先輩の耳に入るぐらい、私の悪い噂は流れているのかと思うとちょっと怖い。でも大丈夫。私は一人じゃないもん。
「ありがとうございます。友達もいて助けてくれる人がいて、私は幸せです」
笑顔で応えた。
だけどその笑顔が安立先輩の一言で崩れた。
「そうね。愛花には友達がいるのだから大事にしないと。巻き込まれて怪我でもしたら大変だから」
心音が嫌な感じで早くなっていく。もし、私を庇ったりして真由ちゃん達に嫌がらせが起きたら。誰かに突き飛ばされた時、田中くん達が庇って私の代わりに怪我をしたら。
そんなの嫌だ。真由ちゃん達が泣くぐらいなら、田中くん達が怪我をするぐらいなら、庇われたくなんかない。そりゃ嬉しいけど、傷付いて欲しくないもん。そんなの絶対絶対嫌だ。
「どうかしたの愛花。顔色がすぐれないようだけど?」
「あ、あの。私を庇ってくれた人が傷付くのは嫌だなって思って……」
俯いた私の手を優しく包むように、安立先輩の手が添えられる。
「ごめんなさいね、少し怖がらせたみたいで。確かに自分のせいで友達が傷付くのは嫌よね。でもそれは、友達も同じ気持ちなんじゃないのかしら」
「同じ?」
「愛花が傷付いて欲しくないと思うから、友達も庇おうとするの。好きだからこそ、ね」
好きだからこそ庇う。私と同じ気持ちだから。そう……だったら嬉しいな。
悲しかった気持ちが暖かくなり、安立先輩の顔を見て笑みをこぼす。すると安立先輩も微笑んでくれた。
「だから愛花が危険な目に合わないよう、気を付ければいいと思うわ。その為には一人で抱え込まない事。不安があればちゃんと言ってね」
「先輩……はい、ありがとうございます!」
安立先輩の言葉を聞いて勇気付けられた。悠哉くんも言ってたもんね。何かあったら言えって。被害が大きくなる前に、誰も傷付かないよう気を付ければいいんだ。
あ、でもどうやって? 護身術でも習った方がいいのかも。うーん、なら部活は御子柴くんがいる柔道部がいいかな。体鍛えられるし。
「それと、これは私の意見だから、あまり深く考えなくてもいいと思うのだけど……」
部活の事で悩んでいると、安立先輩が少し困ったような顔した。
「間宮桜子さんには気を付けた方がいいと思うわ」
「え」
突然間宮先輩の名前が出て驚いた。聞き違いじゃないよね。だって間宮先輩に気を付けろなんて、そんな事言われるなんて思わなかった。優しくてカッコよくて綺麗で、誰もが目を惹くような人なのに。
「その様子だと、どうやら会った事があるようね。記憶がない事をいい事に、また愛花を苦しめるつもりなのかしら」
「ど、どういう事ですか?」
また苦しめるって、いったい何があったの?
「そうね……私から見た話だから、正しいとは限らないのだけれど」
「それでもいいです。教えて下さい」
どんな情報でも今は欲しい。間宮先輩が愛花ちゃんを苦しめていたかもしれないなんて、信じられないけど。
「愛花は一ノ瀬君と付き合っていたのは知っていたわよね?」
「はい」
「それをよく思っていなかったのは、間宮さんなの」
「えっ、そんな事ないです! だって一ノ瀬先輩が好きなのは間宮先輩なんですよ?」
そうだよ。付き合っていた愛花ちゃんじゃなくて、ずっと好きだったのは間宮先輩。愛花ちゃんが苦しむ事はあっても、間宮先輩が嫌な思いをするなんて……
「それは本当の事なのかしら? 以前にも言ったように、私から見たら二人は両想いに見えるぐらいいつも一緒で、仲が良かったわ」
「で、でも一ノ瀬先輩は皆の前で公言したんですよ。間宮先輩が好きだって」
「それは愛花を助ける為だと思うわ」
愛花ちゃんを助ける為に、間宮先輩が好きだと言ったの? 意味がわからない。もう訳わかんないよ!
「あの時、愛花と他の女子生徒には深い溝があったの。理由は今は省くわ。いつ愛花が傷付けられてもおかしくないぐらい、緊迫していたの。だからこそ、愛花から周りの目を背ける為に、間宮さんを好きだと言ったのよ。その証拠に、それ以来愛花に対する嫌がらせはなくなったもの」
血の気が引いていく。安立先輩の話が、全て本当の事だとは思えない。けれど、もし本当の事だとしたら辻褄が合う。
どうして一ノ瀬先輩が愛花ちゃんと付き合ったのかっていう理由が。でも、それが本当だったら間宮先輩は……
「間宮さんはきっと一ノ瀬君が好きなのね。時々、彼の事を見つめている彼女を見掛けるから」
苦手な料理を頑張っているのも、一ノ瀬先輩の為。一ノ瀬先輩の話をしている時は楽しそうで、絶対に好きなんだと思う。だったら、愛花ちゃん達が付き合った事を知った時、どう思ったんだろう。間宮先輩を好きだと公言したのに、愛花ちゃんと付き合いだしたんだ。それはとても……辛かったと思う。
目に浮かぶのは、愛花ちゃんが好きだと笑って言った間宮先輩。でも、それは本当に?
「混乱させてしまってごめんなさい。でも私は、あんなに泣いていた愛花をもう見たくないの」
「泣いて、いた?」
「辛いと。そう言って泣いていたわ。何が辛いのか答えてはくれなくて、何も言えなかった自分が悔しくて。もしかしたら、記憶をなくしてしまうぐらい悩んでいたんじゃないかって……そう思ったの」
本当に悔しそうに顔を歪め、触れていた手を握られる。目の端には薄っすらと涙が光っていた。私はなんて応えたらいいかわからず、ただ安立先輩の手を握り返す。
「先輩、教えてくれてありがとうございます」
「いいのよ。苦しんでいた愛花を助けられなかったんだもの。今度は必ず力になるわ。だから何でも相談してね」
そう言って、安立先輩は玄関の方へと向かった。泣きそうに微笑んで。
急いで水やりを終えた私は、ホースを持って用具室へと入った。扉を閉めてその場に座り込み、さっき安立先輩が言っていた事を思い出す。
『今度は必ず力になるわ』
今度。
今度はもうないんだよ、安立先輩。だって愛花ちゃんはもう……
予礼が鳴るまでの間、誰も通らない用具室の中で静かに涙した。




