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「付き合ってください」
「えっと……ごめんなさい」
何回このやり取りをしたんだろう。
体育祭が終わった翌週。いつも通り授業を受けていると、休み時間に知らない男の子から呼び出された。階段の踊り場だったり、あまり人が来ない廊下だったりと、場所は様々だけど、皆同じ事を言う。
「体育祭で篠塚のことを見て、いいなって思った。よかったら俺と付き合って欲しい」
この『付き合って欲しい』が『何処かに行きましょう』のお誘いじゃない事ぐらい、もうわかります。だから余計心苦しい。
「ごめんなさい」
「誰か好きな人いるの?」
「一ノ瀬先輩が……」
「……そっか」
皆一ノ瀬先輩が好きだと言うと納得してくれるけど、中にはなかなかわかってくれない人もいて……
「いいじゃん、お試しで付き合おうぜ。んな堅苦しく考えなくてさー、軽く行こうぜ」
この人は体育祭の時に田中くんをからかっていた人だ。軽く付き合うの意味がわからない。だって、誰かを好きな気持ちはそんな簡単に扱っちゃいけない気がするから。
「ごめんなさい」
「……ちっ、なんだよ。ビッチだったくせに今更気取ったりしてよ。お前みてーな尻軽に、本気で告る訳ねーだろうが」
ええっ、どっち!?
その人は唾を廊下に吐き捨て、何処かに行ってしまった。
本気じゃないのに、どうして付き合おうなんて言ったんだろう。盛大なため息をついて教室に戻ると、クラスの子がソワソワして待っていた。
「で、なんて話だったの? やっぱり告白?」
「すごいよねー、体育祭が終わってから毎日告白されるなんて。これで何人目?」
休み時間に話し掛けてくれる女の子がいる。以前だったら遠巻きに見られていただけだったのに、挨拶したりお喋り出来る回数が増えていった。これも体育祭の影響なのかな?
「なんか申し訳ないです」
「えー、いいじゃん告白されるのは。良いなって思った人と付き合っちゃいなよ」
「それはちょっと……」
「バカねー。篠塚さんは一ノ瀬先輩が好きなんだから、付き合わないでしょ」
私が一ノ瀬先輩が好きという噂はあっという間に広まったらしく、ものすごく恥ずかしい。来年の体育祭の為に色々と纏めなきゃならない事があるから、今日は生徒会室に行かなきゃならないのに……どんな顔で一ノ瀬先輩に会えばいいの。
「生きてるかー田中」
「……記憶がなくなっても、やっぱり一ノ瀬先輩が好きだったんだ」
「目が死んでる」
「あー……取り敢えず頑張れ。俺はお前を応援するぜ」
賑やかな教室に須藤先生が入ってきて、注目するように黒板を叩く。
「今週の木曜日からテスト週間に入る。部活は休止、バイトしてる奴もバイトは休むように」
途端、クラスの皆から落胆の声が上がった。
「あー、もうテストの時期かよ。体育祭の練習で全然勉強してねーわ」
「練習がなくても勉強なんかしねーだろうが」
「今回英語の範囲が広くなるって聞いたよ」
「英語なんか宇宙語だろ」
皆テストが嫌そう。私はテストなんて初めてで、やる気満々です。テスト勉強とか、皆どんな風にするんだろう?
「皆はどんな風に勉強するんですか?」
「テスト勉強のこと? そうね、普通に教科書見てテストに出てきそうな所をノートに書いたりとか」
「後はテキスト買ってやったりとかだな」
「頭の良い人のノートをコピーさせて貰ったりもするかな」
なるほど。普段、授業で取っているノートが鍵なんだ。自分のノートを開き見直していると、
「今度放課後に皆で勉強しない?」
ピクリと耳が動く。この皆には私も入ってるのかな。入ってますように。
「いいじゃんそれ! 田中も勿論来るよな?」
「え……ああ、うん」
最近あまり元気のない田中くん。理由を聞いても曖昧に答えるだけで教えてくれない。頼りないのかな私。
「決まりね。早速木曜日の放課後に勉強しようよ。篠塚さんもその日で大丈夫?」
「えっ! はい、はい、大丈夫です」
よしゃっ。思わず心の中でガッツポーズ。
皆で勉強会とかすごく楽しそうでにやけちゃう。勉強会の為に勉強した方がいいのかも。教えてもらうばかりじゃなくて、教えてあげたりもしたいもんね。
そしてやって来ました放課後が。うう……一ノ瀬先輩に会ってしまう。会いたいけど会いたくないなんて複雑だよ。
トボトボと肩を落として階段を上っていると、前に御子柴くんの背中が見えた。
「御子柴くん」
「ん? ああ、篠塚か。これから生徒会室に行くのか?」
「そうです。よかったら一緒に行きませんか?」
御子柴くんと並んで歩くとわかるんだけど、身長高いな。私の身長は御子柴くんの肩ぐらいしかないよ。愛花ちゃんが何センチあるかわかんないけど、絶対高いはず。
そう言えば御子柴くんに聞きたかった事があったような。
「御子柴くんは一年生の時、私と同じクラスだったんですよね?」
「ああ」
「一年生の時の私はどんな子でしたか?」
途端、御子柴くんの足が止まった。ジッと見下ろしてくるその眼に緊張感が走る。
「どうして、そんな事を聞きたい?」
「以前の私がどんな人だったのか知りたいんです。それと、体育祭の時に友達だったって言ってくれた子達もいたので、その人達の事も知りたいし」
「体育祭……あの4人組か」
え。なんか声のトーンが下がったような。元々御子柴くんの声は低音ボイスだけど、更に低くなったよ。すごくカッコよくてゾクゾクしちゃうけど、なんでだろう……背中に冷や汗が。
「彼奴らは友達と呼べるような関係じゃねーよ」
「え?」
眉間に皺を寄せ、表情が暗い。苦しそうな、それでいて悲しそうな。
「どうしても知りたいか? 別に知らなくても困らないだろう、今のお前なら」
御子柴くんの表情からして、あまり良くない話なんだと思う。確かに毎日楽しいし、知らなくても苦労はしない。人との関係も築いていけばいい。だけど……
「知りたいです」
「……そうか」
深いため息をつき、前髪を掻きあげた御子柴くんの表情にはもう影はなく、
「少し長くなるから、生徒会の仕事が終わってから話そう」
「ありがとうございます!」
「次いでに腹が減ったから、牛丼でも食いに行くか」
「牛丼!? 喜んで!」
汁だくでお願いします。
生徒会室には既に先輩達集まっていた。うぅ、一ノ瀬先輩の顔が見辛い。
「ようモテモテ少女。人気者になった気分はどうだい」
「啓介」
団扇を扇ぎながら楽しそうに笑う榊先輩を制して、一ノ瀬先輩が私を見る。心臓がうるさい。
「お疲れ。早速だが来年の為に改善案があれば言って欲しい。そこに生徒からの要望や不満が書いてあるアンケートがあるから、見てくれ」
あれ、なんか思ってたの違う反応。もっと困った顔するかなって思ったけど、全然気にしてない感じ。私が気にしすぎなのかも。気まずくならなくてホッとしたけど、ちょっと寂しいかな。
「えーと、『一ノ瀬先輩との握手会や記念撮影を出来るようにして欲しかった。来年は御子柴君にお願いします』……えーと、どうかな御子柴くん」
「俺はしないぞ。次」
「『間宮先輩と記念撮影したかった。来年は篠塚に頼む』……私は構いませんけど」
「「却下。次」」
アンケートに書かれた内容はどれも似たようなもので、あまり実現出来るような事は書かれていなかった。ただ、新しい競技の提案はいくつかあったから、来年はそれを入れてプログラムを決めたらどうだろうという事で纏まった。
一段落した時、荒々しくドアを開ける音がして振り返ると、機嫌が悪そうな顔をした千葉くんが立っていた。
「遅いよ新」
「……信じられませんあの人」
「は?」
榊先輩の言葉が耳に入ってないようで、ブツブツ文句を言いながら席に座る。
「どうかしたのか新?」
「どうしたもこうしたもないですよ! あの人いきなりゴミ箱のゴミを投げ付けてきたんですよ!」
「誰がそんな事を」
ゴミ箱のゴミを投げ付ける。疑っちゃいけないけど、そんな事をするのは一人しか思い付かないのが悲しい。
「西嶋鈴音ですよ! 僕はただ挨拶して近寄っただけなのに、いきなり近くにあったゴミ箱を振り回して来たんですから。信じられないですよ!」
「あははっ、やるなー鈴音ちゃん。期待を裏切らない行動っぷり」
「笑い事じゃないですよ。ゴミを投げ付けるだけ投げ付けた挙げ句、謝罪もせずに逃げて、運悪くその場を先生に見つかって掃除と嫌味を聞かされたんです」
うわ……災難というかなんというか。
吐き出したせいか、千葉くんは落ち着きを取り戻した。それから時折思い出したように舌打ちをしては仕事を熟し、今日の生徒会の仕事は終了。テストが始まるので、テストが終わるまでは生徒会もお休みらしい。
「じゃあ行くか」
「はい」
鞄を取りに教室に戻った後、玄関で御子柴くんと待ち合わせをして、そのまま牛丼屋さんへと直行。
いつもの通学路とは真逆の道に、探検心を擽られちゃう。
へー、こっちの道にはこんなお店があるんだ。お花屋さんとかお洒落なカフェとか、まだ見たことがないお店がいっぱいある。今度お休みの日に探検しに来よう。
全国チェーン店の牛丼屋さんに入り、慣れた様子の御子柴くんを見ながら牛丼を頼む。
「汁だくでお願いします!」
「かしこまりました」
そしてものの数分で出てきた牛丼。早いよ、ビックリだよ。
「いただきます!」
「ごちそうさん」
「えぇぇっ!?」
えっ? えっ? 今、運ばれて来たところだよね?
御子柴くんの丼には、お米が一粒も見当たらないぐらい、綺麗に食べられていた。
お、おふ……早食いにしても限度があるんじゃ。さすが百獣の王。食べる事に関しても王さまだよ。そして御子柴はおかわりを注文。今度はゆっくり食べてる。お腹が空いてたんだよ、きっと。うん……そういう事にしておこう。
「食わねーの?」
御子柴くんの食べっぷりに感心して、自分の牛丼を食べ忘れてしまうとは。なんてこったい。
「いただきます……んっ、美味しい!」
牛肉が柔らかくて玉葱の甘みもあって、ご飯との相性が抜群! 日本人に生まれてよかった。
「ふ、いつも美味そうに食うな篠塚は」
「ふぁい?」
「はは。で、何から聞きたいんだ?」
そうだった。牛丼を食べに来ただけじゃなかったんだ。目的を忘れさせるとは、恐るべし牛丼。
「一年生の頃の愛花……じゃない、私はどんな人でしたか?」
「そうだな。入学当初から派手な奴とは思っていたが、最初はあまり話さなかった。俺が生徒会の入った途端、やれ生徒会の手伝いをしたいだの、一ノ瀬に会わせろだとか言ってきて迷惑してたな」
「申し訳ありません」
本当に積極的だよね愛花ちゃん。まるであの4人組の子達みたい。似たような感じだから仲が良かったのかな。
「ただ、他の奴とは違って、自分から行動していたのはすごかったと思うぞ。あのやる気を部活に向ければよかったのにな」
「部活? もしかして御子柴くんは、私がどんな部活をしているのか知ってるんですか?」
「剣道部のマネージャーだった。一ノ瀬が剣道部に入っているからな」
なんと。一ノ瀬先輩剣道部だったんだ。胴着姿の一ノ瀬先輩を見てみたい。いやいや、そうとわかれば早速明日にでも図書室に行って、剣道の本を借りて勉強しなきゃ。
「あれ? でも『だった』って事は……」
「すぐに当初三年生だった先輩と揉めて、強制的に退部させられたと聞いた。それから部活には入っていないんじゃないのか」
ガックリと項垂れる。だって折角部活に励めると思ったんだもん。強制的に退部なんて、いったい何があったんだろう。
「部活やりたいのか? 今からでも入れるだろうから、やりたいのがあればやるといい。体を鍛える事は良い事だ」
「今からでも入れるんですか!?」
「ああ」
棚ぼたです。諦めていたのにまさか部活が出来るとは。なんの部活がいいかなー、やっぱり体を動かしたいから運動部がいいな。真由ちゃんと同じ陸上部もいいかも。
「篠塚の印象は、我が儘で傲慢で口煩い奴だと思っていたが、ある一件で大きく見方が変わった」
「え?」
牛丼を食べ終わり、お茶を飲んで一息つく。御子柴くんは牛丼を3杯もおかわりしてました。いつの間に。
「あの4人組とつるむようになった篠塚は、ますます手に終えなくなっていった。一ノ瀬に近付く女は見境なく嫌がらせや暴言を吐いて近付けないようにしたり、間宮先輩に対して面と向かって対峙したりと、周囲の反感を煽るような事ばかりをしていたらしい」
それはさすがにちょっと………
どうして周りの人から距離を置かれていたのか、わかったような気がする。
「間宮先輩に対しての嫌がらせを止めろと警告した時、篠塚は言った」
『嫌がらせ? 私はただ、一ノ瀬先輩の周りをうろつかないでと言っただけよ』
『そんなはずはない。現に間宮先輩の私物がなくなり、下駄箱に嫌がらせをされたりと、被害が出ている。どれもがお前がやっていたのを見たと、証言する奴もいる』
『証言ねぇ……証拠もないのに、聞いただけで人を犯人呼ばわりしないでよ』
「確かに証拠はなかった。調べてみたらと言われ、篠塚の鞄や机、ロッカーを調べたが何も出てこなかった。何処かに隠したのかと思ったが、その時別の教室から声が聞こえたんだ。あの4人組の声が」
御子柴くんの言葉を黙って聞いていた。あまりにも真剣な表情で話してくれるから、口を挟んじゃいけないような気がして。
「教室から聞こえた彼奴らの言葉に、俺は衝撃を受けた。それは篠塚も同じだったようで、余裕があった表情が固まり、その場から動けずにいた」
『ねー、次は誰を標的にする?』
『A組の松原は? 彼奴最近彼氏が出来たって調子乗ってるから』
『ああ、彼奴ね。いきなりスカート短くして化粧し出してキモいっつーの、ブスが』
『じゃあ決まりね。いつも通り責任は全部』
『『『『愛花に』』』』
「え……ちょっと待ってください。それって」
自分達がやった事を全部愛花ちゃんに押し付けてたっていう事?
私が言いたかった事がわかっているのか、御子柴くんは頷き真っ直ぐに見つめてくる。その続きを聞くのが怖くて、足が震え、それ以上声が出なかった。
「俺はすぐに教室に入って問いただそうとしたが、それを篠塚が止め、気付かれないようにその場から離れた」
「!?」
濡れ衣を被せられてたのに、どうして!
『女同士の友情なんてこんなもんよ。私は周りになんて言われようが気にしないし、勝手にやってればいいんじゃない』
『いい訳ないだろ! お前は何もっ』
『人の影でコソコソするしかないような虫に、私は負けないわ』
「その時、一粒だけ流れた涙が……俺は忘れられない」




