15
生徒会の仕事を切り上げ、千葉くんが塾の為一足早く帰ってしまった。続くように御子柴くんも用事がある為帰り、残ったのは私を含めた3人。榊先輩がいるから愛花ちゃんとの関係が聞きづらい。
一ノ瀬先輩と榊先輩はまだ生徒会室に残り、私も帰っていいと言われたので、今日は諦めて生徒会室を出た。
桜子さんに会えたのはよかったけど、イメージと全然違ってたからビックリ。愛花ちゃんは一ノ瀬先輩と付き合ってたから、嫌われているのかなと思ってたけど、全然そんな感じじゃなかったし。なんだか不思議な人だった。
「あれ?」
私の下駄箱の前に誰かいる。見たことがない顔の人だから、同じクラスの人じゃなさそう。誰か待っているのかな?
その人は私に気付くと、軽くお辞儀して微笑む。何処と無く雰囲気が優雅な時の桜子さんに似ているような。
「こんにちは」
「こんにちは」
うわっ、綺麗な声。それに、左口元にあるほくろが大人っぽさを協調してて、同性の私ですらドキドキしちゃう。
魅惑的なフェロモンを醸し出すその人は、サラサラのロングヘアーにぱっつん前髪の和風美女さん。
「やっぱり、私のことも覚えてない?」
少し悲しげな表情をして近付いてくる。いい匂いだな。愛花ちゃんの知り合いだったのかも、この人。
「すいません。覚えていないです」
「そう……可哀想に」
小さな子供を相手にするように、よしよしと頭を撫でてくる。
「記憶を無くす前の篠塚さんは、私をよく慕ってくれていたのよ」
「そうだったんですか?」
「記憶がなくて不便でしょ? よかったら途中まで一緒に帰りながらお話しません? 篠塚さんの事、教えてあげるわ」
これはチャンス! 愛花ちゃんと仲が良かった人から話を聞ける。どちらかと言えば、悪い噂しか耳にしなかったもんね。
「はい、お願いします。あの、お名前を教えてもらってもいいですか?」
「安立美織。篠塚さんは安立先輩と呼んでくれていたわ」
安立先輩と一緒に帰ることになって、校門まで向かう途中、何度か他の生徒から挨拶された。勿論私にじゃなくて安立先輩に。女の子だけじゃなくて男の子にも人気があるんだ。笑顔を絶やさず、一人一人に挨拶をする安立先輩。うん、人気があるのもわかる気がする。
安立先輩から愛花ちゃんの色んなことを聞くことが出来た。
一年生の頃から一際目立っていた愛花ちゃんは、少し孤立気味だったらしい。それでも堂々としている姿に、安立先輩は興味を持ったんだって。
「最初は気難しい子なのかしらって思っていたのだけど、話してみると寂しがり屋の可愛い子なんだとわかったわ。皆誤解しているのよ」
それから、何が好きで何が苦手なのか嬉しそうに話してくれて、安立先輩は愛花ちゃんのことが本当に好きなんだと思った。
「だからこれからは、記憶が戻るように一緒に頑張りましょうね」
「え……?」
「記憶がないと不便でしょう?」
安立先輩なりの心遣いなんだと思う。記憶喪失となった後輩の力になろうと、一緒に頑張ろうと言ってくれる。だけど私は、
「記憶がなくても、今すごく楽しいですから……無理に思い出そうとは思わないんです」
だって本当は記憶喪失じゃないもん! 安立先輩の善意が心苦しいから、此処は丁重にお断りしよう。
急に立ち止まり、少し困った笑顔になる安立先輩。
「……そう、残念だわ。私、篠塚さんが大好きだったから、前のように戻れたらと思って。ごめんなさいね、自分勝手で」
「そんなっ! 私の方こそごめんなさい。折角安立先輩が手伝ってくれようとしてるのに……あの、今の私でよかったら仲良くしてください」
「ええ、勿論。仲良くしましょうね。困った事があったらなんでも相談して欲しいわ。学校の事や恋愛の事、篠塚さんは悩み事があったら真っ先に私に相談していたから」
恋愛の事。それは即ち一ノ瀬先輩の事?
もしかしたら安立先輩に話していたかもしれない。愛花ちゃんが自殺してしまうまでに苦しんでいた事。
じわじわと滲み出る額の汗。緊張で手汗と少しだけ足が震えてしまう。
「もしかして、一ノ瀬先輩の事を相談していましたか? 他に悩んでいた事とかありませんでしたか?」
自殺の原因が恋愛事とは限らない。もっと別の何かなのかもしれない。だから愛花ちゃんが安立先輩を慕っていたのなら、何か話していた可能性がある。知りたい。愛花ちゃんの事が。
真っ直ぐに安立先輩を見つめていると、暫く間が置かれ、
「ええ、よく聞いていたわ。一ノ瀬君が好きで付き合える事になって嬉しいって」
そうだよね、好きじゃなかったら付き合ったりしないもん。だからどうして一ノ瀬先輩は愛花ちゃんと付き合ったんだろう。一ノ瀬先輩の好きな人は、桜子さんなのに……
「だから驚いてしまったわ。二人が別れてしまったと聞いて。だって二人は―――」
「え……」
安立先輩の言葉は遮るように、電車の音で掻き消された。だけどその言葉は、私の耳にしっかり届いていた。
だからこそ、戸惑いが隠せず、茫然と立ち竦むしかなく。ただただ、安立先輩を見ていた。
「私、此方に用があるの。またね、篠塚さん」
何事もなかったかのように笑顔のまま、安立先輩は別の道へと足を向ける。さよならも言えず、私は凍りついたように暫くの間その場から動けなかった。
『だって二人は、あんなに想い合っていたのに』
何が本当で、何が嘘なのかわからない。
どうやって帰ったのか覚えていない。自分の部屋で床に寝そべっては、コロコロと転がる。
頭から湯気が出てしまうんじゃないかってぐらいに、頭の中がぐちゃぐちゃだ。此処は、今まで集めた情報を整理してみよう。
愛花ちゃんは一ノ瀬先輩が好きだった。だけど一ノ瀬先輩が好きな人は桜子さんで、桜子が虐められている事に怒り、一ノ瀬先輩が皆の前で桜子さんに告白したんだよね。
虐めはなくなったけど桜子さんは階段から落ちてしまい、その後何故か一ノ瀬先輩と愛花ちゃんが付き合う事になった。榊先輩が言うには、階段から突き落としたのは愛花ちゃんで、脅して一ノ瀬先輩と付き合ったんじゃないかって。一ノ瀬先輩に好きな人がいるのに、無理矢理付き合うなんて出来ないから別れたはずなのに。
今日、安立先輩から聞いた話から更に混乱してしまった。愛花ちゃんと一ノ瀬先輩は想い合っていたなんて。
「うーん、うーん」
うまうさちゃんのぬいぐるみを抱きしめながら、コロコロと転がる。考えても考えても答えは出なくて、
「もうわかんなーい! やめたー!」
今考えてもわかんないものはわかんない。だからやめる。色んな人から話を聞いてみないと駄目だよね。先ずは一ノ瀬先輩だ。一ノ瀬先輩に聞けば、だいたいの事が判明するはず。
今私がしなきゃならない事をしよう。そう、私がしなきゃいけない事は体育祭の練習!
「やっ!」
うまうさちゃんのぬいぐるみを横に置き、仰向けになった状態でブリッジ。う、腕がプルプルする。
逆さまの視界。こんな事も出来ちゃうなんて、健康ならでは。この調子でいけば逆立ちも夢じゃない! よし、このまま歩いてみよう。
「ほっ、ほっ、ほっ」
お、なかなかいいんじゃない? ゆっくり1歩ずつ前へ横へと移動する。腕と足の筋肉と背筋が鍛えられてる感じがして、やる気出ちゃう。
頭に血が上りそうになった時、
「おい、め………し」
「あ」
悠哉くんが部屋のドアを開ける。ブリッジしたままの私と目が合うと、表情が固まった気がした。そして何も言わず静かにドアは閉められた。
何しに来たんだろう? めし、とか言ってたような……ご飯のことだ!
ブリッジを止めて階段を下りれば、にんにくのいい匂いがお腹を刺激する。
「お腹すいたー」
「あら、ちゃんと呼んできてくれたんじゃない」
悠哉くんの前に座り、テーブルの上に並べられた料理に目を輝かせる。今日の夕食はじゃが芋といんげんのガーリック醤油炒め。お母さんって料理上手だよね。絶対に習いたい。
「………」
「? 私の顔に何か付いてますか?」
「ご飯粒がな」
おふ。慌てて口元を拭う。
さっきから悠哉くんに見られていたけど、ご飯粒が付いていたのか。
「ご飯たくさん食べて、体力付けたいです。もうすぐ体育祭なので」
「そういえばもうそんな時期ね。いつだったかしら?」
「来週の土曜日です」
お母さんがカレンダーを確認して、お弁当の材料買っとかないと、なんて呟いてる。まさか、お弁当を作ってくれるの!? 初、お母さんのお弁当! 楽しみが1つ増えました。
「どうせ理由つけて競技には出ねーんだろ」
「いいえ、4つ出ますよ」
「え、運動音痴なのに?」
あれ、愛花ちゃんは運動が苦手だったのか。これはますます練習しなきゃ。
「せいぜい転んで無様な姿晒すなよ」
「はい! 転ばないよう練習いっぱいします」
「………」
転ばないように気を付けろよなんて、心配してくれる悠哉くんは優しいよね。
確か悠哉くんは野球部。前にお母さんが悠哉くんはすごいって言ってたから、運動神経抜群なんだろうな。
「悠哉くんにお願いがあるんですが」
「あー? なに」
「速く走れるようなコツとか、練習方法を教えてください」
「いや」
おふ。即座に断られた。ちぇ、この機会に親睦を深めたりしたかったのに。だけど嫌なら仕方ないよね。自力で頑張ろう。
「ちょっと悠哉。折角愛花がやる気出してるんだから、手伝ってあげなさいよ」
しょんぼりしてる私に、お母さんが気を使って間に入ってくれる。
「……なんの競技に出るんだよ」
「えーと、二人三脚、借り物競走、綱引き、そしてパン食い競走です」
「パン食い!?」
なんで皆パン食い競走の事を聞くと驚くんだろう?
「パン食い競走があるなんて、珍しい学校ね」
「体育祭の伝統競技ですよね。頑張ります」
「つか、聞いた競技の中に速さ関係なくね? 用は如何に速く借りてきたり、パン食えばいいだけだろ」
ごもっとも。でも、どうせなら速く走れるようになりたい。それにいくら速くパンを食べられても、途中で抜かれたら悲しいもん。
その事を伝えると、深く長い溜め息と一緒に頭を掻き、
「しょうがねーな。時間ある時に見てやるよ」
「やったー! 早速ご飯食べたらお願いします!」
「今からかよ!」
よかったわね、と喜んでくれるお母さん。優しい家族で涙が出そうです。
「悠哉くんの体育祭はいつなんですか?」
「10月」
秋にあるんだ。これは見に行かなきゃ。段幕作って、いっぱいいっぱい応援しよう。そんな私の考えを察したのか、何も言っていないのに、
「見にくんなよ」
「あう……」
残念。悠哉くんの勇姿を目に焼き付けて、スマホに納めたかったのに。もしや悠哉くんはエスパーなんじゃ。
ご飯を食べ終え後片付けを手伝った後、軽くストレッチをして体をほぐす。ストレッチを怠って肉離れにならないようにって、悠哉くんが教えてくれた。
「取り敢えず、此処から彼処の電柱まで全力で走ってみろ」
「はい!」
悠哉くんはお家と電柱の間に立ち、自分のタイミングで全力で走り抜ける。電柱まで大体50Mぐらい。全力で走ったら息が上がって、呼吸が荒くなってしまう。走るって、苦しいけど気持ちいい。
「全然駄目だな。もっと足を上げて腕を振れ」
「はい!」
今度は電柱からお家に向かって全然疾走。続けてはキツくて脇腹が痛くなってきた。でも教えて貰ったように、手を振って足を上げるー!
「なんかおかしな格好になってるぞ!」
「ええっ?」
「顎を上げるな、右手と右足が同時に出てる」
ただ走るだけじゃ駄目で、速く走るにはちゃんとしたフォームにしなきゃ駄目なんだって。難しい……
「大体わかった。取り敢えずテメーはもも上げしてろ。足が全然上がってねーからな」
「もも上げ?」
その場で悠哉くんがもも上げを見せてくれた。胸まで膝を素早く上げて腕を真っ直ぐに振る。あ、アスリート!
「すごいです、悠哉くん! 格好いい!」
「うるせー」
あんなに足を上げていたのに、息を乱すこともしていない。私もあんな風に出来るようになるかな。まるで忍者みたいな俊敏な動き。憧れちゃう。
お家の中に入ると、お母さんからお風呂に入るように言われた。
「教えて貰ったお礼に、お背中流しますよ」
「いるか!」
「やめなさい!」
ちぇ。よく子供がお父さんの背中を流す場面とかあるから、やってみたかったのに。
お父さんといえば、愛花ちゃんの家族にお父さんはいないのかな? 愛花ちゃんになって1週間が過ぎたけど、お父さんのお話すら聞かない。でも、明らかに大人の男の人の靴が下駄箱にあった。うーん、聞いてみようかな。
「あの、聞きにくいんですがこのお家のお父さんって……」
「………」
「………」
あれ、空気が。
二人の顔が強張り、気のせいか空気が重くなったような……はっ、もしかして既にお父さんは亡くなっているんじゃ。だけどお父さんの物を捨てられなくて、そのままの状態で置いてあるだけなんじゃ。
私はなんて酷いことを聞いたの!
「ごめんなさい、私……」
「そういや、あのおっさんが帰ってくんの何時だ?」
「6月の始めね。早ければ5月の終わりと言ってたわ」
「マジかよ。ずっとあっちに行ってろ」
あれ? 話の内容からすると、お父さんは生きているのかも。よかった、嫌な思いさせなくて。なんか悠哉くんが酷く不機嫌なのが気になるけど。
「あっちっていうのは?」
「今は関西の方にいるわ。転勤が多いから一緒に行くのやめて、お父さんだけが単身赴任してるの」
なるほど、単身赴任していたからお家にいなかったんですね。6月に帰って来るみたいだから、会えるのが楽しみ。
「つーか、父さんが帰って来たら記憶戻るんじゃねーの」
「え?」
「愛花があんな風になったのは、あの人の影響が強かったせいもあるしね」
「100%あいつのせいだろうが」
愛花ちゃんが我が儘に育ってしまったのは、お父さんのせい? もしかしてお父さんは愛花ちゃんを可愛がりまくっていたのかも。娘溺愛とか聞いた事ある。
私のお父さんも甘かったもんね。たまにしか会えなかったけど、毎回ぬいぐるみや外の写真とか撮ってきてくれたもん。会えない日は、どんなに遅くなっても毎日メールを送ってくれた。勿論お母さんも。二人とも、私の医療費を稼ぐ為に一生懸命働いてくれて、本当に感謝しかなかった。健康になってあげられなくて、ごめんなさい。
「あの人には記憶喪失のことは伝えてないのよね」
「え、教えてねーの?」
「教えたら仕事を放って真っ先に駆け付けちゃうじゃない。愛花が落ち着いたら教えようと思ってたのよ」
聞いているだけでどんな人なのか想像出来る、愛花ちゃんのお父さん。是非会って、愛花ちゃんのお話を聞きたいな。
お風呂に入った後、ドライヤーで髪を乾かして気付いたけど、前髪がちょっと長い気がする。前は看護士さんに切ってもらっていたけど、前髪だけで美容室に行くのは勿体ない。ここは自分で切っちゃおう。
机に座って鏡の前で前髪をすく。ハサミで慎重に慎重に前髪を切ろうとした時、ハサミの先っちょがおでこに直撃。
「いったぁ……なんのこれしきっ」
もう一度震える手で切ろうとしても、何回もおでこに刺さってしまう。なんて不器用なんだろうか。
「…………」
ハサミを片付けて切ることを諦めました。愛花ちゃんの可愛いおでこが傷だらけになってしまう。前髪が長いままだと眼が悪くなってしまうので、明日からはちょんまげにして学校に行こう。
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