13
恋が出来るなんて思ってもみなかった。ただ、健康な体で普通の生活をしてみたかっただけなのに。
嬉しい。誰かを好きになるって、こんなにも心が暖かくなるものなんだ。
「だけど寄りによって一ノ瀬先輩か。あの人には間宮先輩がいるからねー」
あ……なに浮かれてたんだろう、私。そうだよ。いくら恋が出来たとしても、一ノ瀬先輩は桜子さんが好きなんだら、この気持ちは迷惑にしかならない。
美味しかったポテトは味がしなくなり、急激に冷めていく体温。
私の恋は、意味がないものなの?
「関係ないよ!」
「え……」
落ち込み俯いて顔を上げれば、内村さんが真剣な顔をしていた。
「好きな人に恋人がいたって関係ない。だって好きになっちゃったんだから、どうしようもないじゃん!」
「で、でもさ、相手はあの間宮先輩だよ?」
「だから関係ないって! 相手が誰であろうと、自分の気持ちを否定しちゃ駄目。すぐに諦めなくてもいいんだよ」
「諦めなくて、いいの?」
内村さんの言葉が私の心を揺さぶる。一ノ瀬先輩に恋しちゃいけないって思ったから。
「恋人がいたから諦めました。なんて、そんなの悲しいよ。だってまだ篠塚さんはなにもしてないじゃない」
「なにも?」
「そりゃあね、恋人同士の二人を引き裂くような真似は許されないかもしれないよ? でも今すぐに諦めなくてもいいと思うの。もしかしたら一ノ瀬先輩が篠塚さんを好きになるかもしれないし、篠塚さんが別の人を好きになるかもしれない。自然と心が離れるかもしれない」
先輩達は恋人同士じゃないんだけど、言わない方がいいよね。
ずっと桜子さんのことが好きだったんだから、今更一ノ瀬先輩が私を好きになるとは思えない。けど、この気持ちをなかったことになんかしたくない。
「だから今はただ、一ノ瀬先輩を好きっていう気持ちを大事にして。恋は女の子を綺麗にしてくれるんだから」
「えー、でもさ。報われないかもしれない恋なんて辛いだけじゃん?」
「報われなくてもさ、悲しいだけの恋なんて寂しいよ。その人との思い出も全部、苦しくなっちゃうんだよ?」
「そんなの嫌です!」
一ノ瀬先輩との出会いが嫌なものになってしまうなんて、絶対嫌です!
内村さんは落ち着かせるように、優しく微笑む。
「うん、だから今すぐ諦めるんじゃなくて、自分が納得出来るまで頑張ればいいと思う。辛いことも悲しいこともあるけど、一ノ瀬先輩を好きになったことはきっと無駄なんかじゃないから。頑張れ、篠塚さん」
「内村さん……」
じわっと涙ぐんでしまう。同い年の女の子から励まされて、勇気を貰えて嬉しい。友達になりたい。
一ノ瀬先輩は桜子さんが好きだから、きっと私の気持ちは報われない。それでも、ずっと病院生活で誰かを好きになるなんて考えもしなかった私が、恋をした。嬉しい、すごく嬉しい。
「んー、恋愛事はわたしにはわかんないけどさ。確かに試合とかでどんなに相手が強くても、敵前逃亡はしたくないからね。うん、わたしも応援する。頑張れ、愛花!」
立ち上がり前のめりになって、私の頭をわしゃわしゃと撫でてくれた。
元気が貰えるような笑顔。応援してくれる人がいる。暖かい、暖かいよ。
「ちょっ、どうしたのいきなり泣いて!?」
「え?」
瀬田さんに言われるまで気付かなかった。私の眼からポロポロと涙が溢れ、拭っても止まらない。
「あれ、あれ?」
「擦っちゃ駄目。ハンカチ、ハンカチ」
内村さんがハンカチを貸してくれて目元を押さえ、落ち着くまで二人とも待っていてくれた。
健康な体。初恋。そして、応援してくれる友達。ずっとずっと欲しかった。私も同い年の女の子達のような生活がしたかった。
それが今、叶えられてる。
「……ありがと、ありがとう」
「えっ、また!?」
「どうしたの篠塚さん。なんで泣いてるの?」
再び泣き出した私に戸惑う二人。困らせたくなくて、途切れ途切れで思いを伝える。
「嬉しくて……初めての気持ちにどうしたらいいかわからなかったけど、内村さんや瀬田さんが応援してくれるって思ったら、独りじゃないんだって。胸が暖かくなったの」
「……愛花」
「だからありがとう。瀬田さんと友達になれて嬉しい。内村さんとも友達になりたい」
真っ直ぐに内村さんを見つめ、お願いしてみる。
驚いてはいるけれど、内村さんは嫌な顔をせず頷いてくれた。なんていい人なんだ!
「よろしく、愛花」
「よろしくお願いしますぅ」
「よーし、記念にかんぱーい」
4人目のお友達です。嬉しくて帰る頃には兎のような目になっていました。
日が沈み始め、赤色に染まった綺麗な夕焼け空。駅まで3人並んで歩く影を見ると、つい口元が緩んでしまう。
「あ、連絡先交換しておこうか」
なんと! 二人のアドレスをゲットしました。アドレス帳に二人の名前を見つけ、踊りたくなるぐらい嬉しかった。思わず跳び跳ねちゃったけど。
「それからさ、その『瀬田さん』ってやめない? 真由でいいよ」
「私も佳奈でいいよ」
「え、あの……真由、ちゃん佳奈ちゃん」
おふ、名前呼び! いいのかないいのかな。擽ったいこの感じ。モジモジしていたら、瀬田……真由ちゃんに笑われた。
「愛花って小動物っぽいよね。間宮先輩に負けんなよ」
「非の打ち所がない感じだからねー。愛花は癒し系だから一緒にいて和むし、勝ち目がないとは思わないけど」
「二人は間宮先輩に会ったことがあるんですか?」
色んな人から間宮先輩のことを聞くけど、聞けば聞くほどわからなくなってくる。いったいどんな人なんだろう?
「んー、直接会話したことないけど、まさに大和撫子って感じかな。すっごい美人でおしとやかで、私とは真逆」
「何回か話したことはあるけど、大人っぽくって優しい先輩だったよ。立ち振舞いとか、さすが呉服屋の娘って感じで優雅だったし」
んん? あれー? 一ノ瀬先輩や御子柴くんから聞いた感じとは違う。二人から聞いたのは、最初に私がイメージしていた間宮先輩だ。どうなってるの?
真由ちゃん達とは駅で別れ、スキップで家まで帰る途中、自転車に乗った悠哉くんを発見し大声で呼び止め手を振ると、
「うるせー!」
怒鳴られてそのまま走り去ってしまった。ドンマイ、私。
夜寝る前に、机に置いておいたスマホがブルブルっと震えた。メールだ。もしかし真由ちゃん達?
震える指を動かしメールの受信BOXを開くと、そこには2通のメールがあった。1つは真由ちゃんから。そしてもう1つは……
「一ノ瀬先輩……」
宛名は一ノ瀬先輩と書かれ、受信日は5月5日。それは私が死んでしまった日でもあり、愛花ちゃんが自殺してしまった日でもある。
いったい何が書かれているんだろう。
恐る恐るメールを開くと、
『ああ、好きだな。幼い頃からずっと桜子だけを見ていた』
それだけだった。だのに、胸がチクチク痛む。一ノ瀬先輩が桜子さんのことが好きなのは知っているはずなのに。
そうだ。愛花ちゃんはなんて送ったんだろう?
送信BOXを開くと1通だけ残っていた。宛先は一ノ瀬先輩で、送った日付は5月5日。時間は一ノ瀬先輩から送られてきた時間より前だ。
生唾を呑んで、そのメールを開いた。
『和樹先輩は桜子先輩が本当に好きなんですね』
このメールの後に、一ノ瀬先輩のあのメールが送られてきた。それでおしまい。
これはあくまで私の推測でしかないけど、愛花ちゃんは本気で一ノ瀬先輩が好きで。でも一ノ瀬先輩が好きなのは桜子さんだと知って、それで辛くなって……
愛花ちゃん。愛花ちゃん。
この胸の痛みは愛花ちゃんの体だから感じるの? 魂は違うけど、この体は愛花ちゃんの物だから、一ノ瀬先輩を見ると胸が苦しくなったりドキドキしたりするの? 私の初恋は愛花ちゃんの想いを引き継いでいるだけなのかな?
ファミレスで佳奈ちゃんが言った言葉が頭に浮かんだ。
『記憶喪失になっても好きな人が代わらないなんて素敵ね』
一ノ瀬先輩への想いは、私の本当の想いじゃなかったのかな。わからない、わからないよ。
なにもわからないまま、胸の苦しみと涙がポタポタ落ちてくる。
「明日……一ノ瀬先輩に聞いてみよう。どうして愛花ちゃんと付き合っていたのか」
その日はあまりよく眠れず、真由ちゃんからの『また一緒にご飯食べに行こうね』という暖かいメールを何度も見ては、スマホを握りしめて目を瞑った。
朝起きたら酷い顔だった。なんてことをっ! 折角の愛花ちゃんの可愛い顔が台無しだ。このままじゃ駄目だ。気合いを入れ直さないと。
洗面所で顔を洗い、気合いを入れるために何回か頬を叩く。
「なにやってんだ、テメー」
「あ、おはよう悠哉くん」
「あー」
聞きました? 悠哉くんが挨拶してくれました。いつも無視だったあの悠哉くんが、返事をくれました! とっても嬉しい!
鏡の前で歯を磨く悠哉くんを眺め、改めて思った。
「私は悠哉くんが好きです」
「ごぼっ、がはっ、がは、がは……はぁぁ!?」
「悠哉くんが好きな気持ちは、私の今思った本当の気持ちなんです」
「……意味がわかんねぇ」
口から歯みがき粉を溢し、呆然とし悠哉くんの顔はとても面白い。怒った顔だけじゃない、これから色んな悠哉くんを見ていきたい。私は悠哉くんのお姉ちゃんになったんだから。
そうだよ、元々は愛花ちゃんの体。気持ちも多少は引き継いでいるのかもしれない。それでも今、こうして誰かを好きだと感じているのは私なんだ。愛花ちゃんの分も私は生きたい。
「お姉ちゃんは悠哉くんが大好きです」
「…………」
なんか元気出てきた。よーし、頑張るぞー! 先ずはお手伝いからだ。
「お母さーーん、お皿洗い手伝います」
「助かるわ。時間間に合うの?」
「はい、まだ大丈夫です。二人で片付けた方が早いですからね」
「あら悠哉。変な顔をしてどうしたの?」
「……なんでもねーよ」
生徒会のお仕事の為に、少しだけ早めに出ることになり、静かな廊下を歩いて生徒会室に入ると、そこには榊さんがいた。あ、榊さんは一ノ瀬先輩と幼馴染みだから先輩なのかな? 先輩って呼んだ方がいいよね。
「おはようございます、榊先輩」
「おっはよー。朝から元気だね」
「はい、人間元気が一番ですから!」
必要なファイルを用意し、空気の入れ替えをする為に窓を開ける。今朝、登校中に見つけたお花をコップに飾れば、生徒会室が華やかさを増した気がした。
うん、やっぱりお花っていいな。人の心を和ませる。
体育祭の書類をパラパラと見ていたら、三年生の競技種目が目に入った。種目は二年生のと同じものが幾つかあるけれど、ないものもある。
応援団とか見てみたい。あれだよね? 学ラン姿でカッコよく発声したり、踊ったりするやつ。そんなの見たら絶対にテンションが上がっちゃう!
「榊先輩は、体育祭の競技には何に出るんですか?」
「んー、俺? 50Mと騎馬戦と応援団」
「応援団ですか!? 絶対に見ます、応援します!」
「応援団を応援するんだ。他の競技も応援してねー」
一ノ瀬先輩はなにに出るんだろう。全力で応援したい。
「愛花ちゃんはなにに出るの?」
「えーと、パン食い競争、二人三脚、借り物競争と綱引きです」
たくさん出るから体力使うよね。朝早起きしてジョギングでもしようかな。朝日を浴びてのジョギング……健康じゃないと出来ない。ああ、健康万歳。
「パ、パン食いっ! あはははははっ!!」
急に笑いだす榊先輩にビックリしていると、御子柴くんと千葉くんが生徒会室に入ってきた。
「朝から騒がしいですね」
「おはよう。なにかあったのか?」
「ははは……愛花ちゃんが体育祭にパン食い競争に出るんだって、ぶぶっ」
「パン食いって、榊先輩が面白半分で提案した競技ですよね。よくそんな物に出ますね」
榊先輩が提案してくれたんだ。なんていい人なんだろう。ありがとうございます。
「そんなに笑うと顎が外れるぞ」
未だに笑い続ける榊先輩に、呆れたよう声で一ノ瀬先輩がやって来た。チクッと痛む胸は置いておいて、元気に挨拶をする。挨拶は基本です。
「おはよう。それで、なんでこいつはこんなに笑ってるんだ?」
「さぁ?」
「ふはは、愛花ちゃんがパン食い競争に出るんだって。これは応援しなきゃねー」
「パン食いに?」
一ノ瀬先輩まで驚いてる。そんなに以外かな。パン食い競争は体育祭でしか出来ない、貴重な体験。参加しないでどうするの。
「そういえばどんなパンが出るんですか?」
「まだ決めていないな。確か発注期限が明後日だったような」
「愛花ちゃんはどんなパンがいい? ほら、出場者だし意見聞かないと……ぶぶっ」
パンの種類によって勝敗が決まる気がする。これは重要な役割だ。うーん、なにがいいかな? かぶり付きやすいパンがいいよね。
「……フランスパンとかですかね?」
「硬っ!」
「それはちょっとな。大きいし重みで糸に吊るせないかもしれない」
そうか、かぶり付きやすいだけじゃ駄目なんだ。あれ、そういえばどうやって吊るすんだろう? 糸って言ってたけど、パンに縫い付けるとか?
「どうやって吊るすんですか?」
「パンの袋にセロハンテープで付けた紐を垂らすんだ」
「ええっ! パンは袋に入ったままなんですか?」
まさかのパンの袋。想像してたのとはちょっと違う。
「衛生的な問題もあるし、第一直接だと吊るしようがないからな」
「釣り針に引っ掛けるとか?」
「怪我人が出ますよ!」
むー。想像とは違うけど、パン食い競争には違いないし良しとしよう。袋に入ったままだと、どんなパンがいいんだろう?
「俺だったらカツサンドがいいな」
「却下」
「定番でいくとあんパンとかじゃない? 後はクリームパンとかジャムパンとか」
「甘い物が嫌いな人とかもいるでしょう。誰でも食べれる物がいいと思いますけど」
誰でも食べれてかぶり付きやすいパン……あれしかない!
「食パンにしましょう!」
「食パン? 味気がないんじゃないか?」
「袋に入ったままなのでお家に持って帰れます。お家でマーガリンやジャムなんかで、自分の好きなように食べれるから嫌がる人もいないと思います」
「なるほど。そう考えると食パンがいいかもな。それでいこう。ありがとう愛花」
食パンに決定したのも良かったけど、一ノ瀬先輩がありがとうって言ってくれたことが嬉しい。お役に立てた。ぐふふふ。
「歯形が付いたパン……」
「良い思い出ですよねー」
「まあ、いいですけどね。やる人が嬉しいんなら」
ニコニコ笑っていると、聞き慣れない音と共になにかが光った。
「えっ、なに?」
「写真だ。生徒会での活動写真も必要だからな」
御子柴くんの手にはデジタルカメラが。写真。今私、写真を撮られたの? 私が写った写真。
「その写真欲しいです!」
「構わないが。ただの日常風景だぞ?」
「欲しいです! 日常風景の写真が欲しいです」
私の剣幕に圧され、御子柴くんは後でプリントしてくれると約束してくれました。楽しみで仕方がない。記憶にだけじゃない。手に残る思い出。絶対に欲しい。
「……愛花ちゃん今スマホ持ってる?」
「はい、持ってますけど?」
榊先輩は自分の鞄からなにかの棒を取り出し、私のスマホをその棒に取り付けた。
「なんですかそれ?」
「これは自撮り棒。はいはーい、皆集まって」
「え、僕はいいですよ」
「先輩命令。皆で撮らなきゃ意味がないでしょ」
渋々といった顔で、千葉くんが私の横に並び反対側には榊先輩。後ろに一ノ瀬先輩と御子柴くんが並ぶ。
「はーい、いくよ。笑ってー」
なにがなんだかわからず、気付いたらシャッターの音が鳴り、榊先輩からスマホを返された。スマホには生徒会の皆が写っていた。
笑っている一ノ瀬先輩達。少しふてくされた感じの千葉くん。そして真ん中には、
「私が写ってる」
愛花ちゃんの姿だけど、これは紛れもなく私だ。今の私が写ってる。
「日常の写真が欲しかったんでしょ? これ見てパン食い競争頑張ってねー」
どうしよう。嬉しい。嬉しくて涙が止まらない。
「な、なんで泣くの?」
「思い出……今の私が此処にいるって、思い出の写真が……榊先輩、ありがとう」
「んん? よくわからないな」
子供の頃は何枚か写真があったけれど、成長するにつれて撮らなくなった。撮れなくなった。
でもこの写真には、私が写っている。皆と一緒に居た記憶の証が。夢なんかじゃない、私は此処にいるんだよ。皆と一緒に笑ってるんだよ。
「……愛花は記憶喪失だ。いくら昔の自分の写真を見ても、記憶がないから実感がわかないんだろう。だが、その写真には今の愛花が写っている。今の愛花の思い出が。それが嬉しいんじゃないか?」
「……愛花ちゃん」
スマホを抱き締めて、ボロボロ泣く私に困惑している生徒会の皆。
私、頑張る。もっともっと思い出を作りたいから。
「調子狂うな。本当に記憶ないんだね」
優しく頭を撫でてくれた榊先輩の手が、とても暖かった。