生まれてから 趣味と不意の遭遇 後編
僕の目の前には傷だらけで衰弱している魔獣の鬼熊がいる。大神林の魔獣の中でも最高位を争える鬼熊が、大ケガを負っているのはものすごく珍しくて驚きだ。でも、僕はそれよりも本来なら大神林の奥地が生息地の鬼熊が森の外に近い黒の村の近くにいるという事の方にさらに驚いていた。
「……狩りにあったわけじゃなさそうだね。皮を傷めるやり方はしないはずだし角が途中で折れてる。縄張り争いに負けたのかな?」
傷だらけで弱っているとはいえ大神林でも最高位に近い鬼熊を僕は前にしてる。父さん達には大型の魔獣に出会ったら全力で逃げるように言われてるけど、特に慌てず騒がず冷静に観察していた。自分でもなんでこんなに冷静なのかわからないけど、なんとなく大丈夫だと思えるから不思議だ。観察している僕の存在に気づいた鬼熊が威嚇してくる。
「ガアァ!!」
「意識はあると……、でも、かなり弱ってる。……どうしようかな」
「ガ!!」
鬼熊は戸惑っていた。大ケガを負っていても目の前の白いものが弱い事が本能でわかっている。しかし、白いものの態度は今まで見てきた弱いものが見せる恐怖や混乱や絶望などとは違っていて、静かにこっちを見ている様子は広大な森で稀に出会う強いものの態度だった。明らかに弱いのに、強いものの振る舞いをしている白いものが理解できなかった。
「まあ、良いか」
鬼熊が初めての状況にとりあえず威嚇していると、ポツリとつぶやいて白いものが信じられない行動を始めた。まるで、散歩でもしているかのように、すぐそばまで近づいてきたのだ。……なぜだ? 鬼熊の頭の中を言語化すれば、その一言が全てだった。なぜなら、例え普段自分が狙っている草食獣が目の前で衰弱していても自分は決してすぐには近づかない。目の前の相手がどんな状態でも考え無しに近づけば痛い目に会うからだ。
かつて鬼熊も独り立ちした当初に、巨大な角を持つ大角鹿が衰弱してうずくまっているところに出くわした事がある。楽に腹を満たせると無警戒に近づき大角鹿を喰らおうとした時、逆に最後の力を振り絞った角の突き上げを食らってしまったのだ。それ以来、鬼熊は獲物を仕留める時でさえ警戒を怠る事はなくなった。
それなのに白いものは近づいてきたかとを思えば自分の身体を触り始め、どうやらケガの具合を確かめているようだった。普段なら自分に近づいてくるものは当然警戒する。まして身体に触れられたら排除するのだが、鬼熊は理解できない存在の理解できない行動を前にして完全に混乱して警戒も防御も排除もできずにいた。
「うーん、……骨折は無さそうで切り傷がほとんどか。特にひどいのは、右前脚の肩口と腰だね。ほんとこの大ケガで、よくここまで来れたね」
僕は鬼熊の内心の混乱に全く気づかないまま、冷静にケガの具合を判断して鬼熊の体力や精神力の強さに感心する。特に身体は触れば触るほど強さがわかって感心から驚きに変わったけど、あまりにも自分の身体との差があるからかそこまで羨ましいとは思わなかった。兄さんや姉さんが美味しそうに焼けた肉を食べてるのを見てたら、少しだけど良いなって思うんだから隣の芝生は青く見えるって事だね。
「手持ちの薬草じゃ足りないから、まずはできる範囲でケガを手当するのが先かな。無くなったら無くなったで、また採ってくれば良いか」
僕は大まかな方針を決めたら鬼熊の目の前に回ると腰に提げている袋から薬草を一つ取り出し鬼熊に見せた。そして鬼熊が薬草をしっかり見たところで僕は薬草を食べてみせた。ちょっと鬼熊がこいつは何をしているんだ? みたいな感じの顔してるけど、僕はかまわず腰の袋から薬草を十個取り出して説明し始める。
「これから、この薬草をおまえの傷に付けるからね。しみると思うけど我慢してね」
鬼熊は白いものが草と自分の傷を交互に指差しているのを見て、その草でどうにかするのだろうと当たりをつける。草自体は森でいつも見ているもので匂いや白いものが食べるのを見ているため安全だと思った。すると白いものがキョロキョロ辺りを見回し、おもむろに背を向けて少し離れた地面に座る。
自分より強い相手に背を向けている白いものを見て今日何度目になるかわからない混乱を受けたが、その直後に白いものの行動を気にしてもしょうがないという一種の諦めの境地に達する魔獣らしからぬ思考が働いて落ち着いた。それからは最低限の警戒をしつつもボンヤリと白いものの作業を眺めていた。
「準備ができたし始めますか……って、最近独り言が増えてきたな気を付けよう」
僕は自分の微妙な変化に気がついたけど頭を切り替えて近くにあった手頃な石を使って薬草をすり潰し鬼熊に見せた。特に警戒もしなかったので大丈夫だと思い傷口の手当を始める。
「ガッ……」
「ああ、しみるだろうけど我慢して」
まずは大きな傷口に取り掛かるため肩の傷口の血を生活魔法の水生魔法で洗い流した。そして袖を破った布切れで水気をとり、すり潰した薬草をたっぷりと塗る。その時、鬼熊はしみたのかビクッと身体を揺らしうめき声をあげたけど、すぐに我慢して僕の手当を受け入れてくれた。
肩に塗り終わった後、今度は上着の裾を破ってそれを包帯替わりなるように細く破り肩の傷に巻いていった。次に腰の傷口にもたっぷりと塗ると上着の残りで巻こうとしたものの、明らかに長さも面積も足りない。そこで近くの樹から蔓を取ってきて傷口に当てた布がズレないように縛った。そうして大きな傷口への手当が終わると手元の薬草がなくなった。
「ちょっと薬草取ってくるから、これ食べてて」
「ガ?」
白いものは別の腰の袋から出した果物を自分の前に置いてからその場を離れた。その様子を見て、やっぱり変な奴だと思いながら目の前に置かれた果物を見て迷っていたが、まあ、あの白いものが出したものなら大丈夫だろうとまた野生らしくない考えを浮かべながら食べる。
瑞々しい果物を食べると喉が渇いている事に気づいて、あっという間に食べてしまった。果物を食べて喉の渇きを癒すと、ふと食べ物をもらったのが独り立ちして以来だと気づいて妙な懐かしさを思い出す。それから五分ほどして、もはや嗅ぎ慣れたと言っていい白いものの匂いが近づいてくる。その手には草と果物が抱えられていた。
全ての傷の手当が終わり休憩がてら鬼熊の前に座ると果物を食べ始める。今の僕の心の中にあるのはなんとかできたという安心だった。たまたま村の大人が薬草でケガ人を治療しているのを見て覚えていたため、つたないながらもマシな手当ができたと思う。この手当がどの程度の効果があるかわからないけど、やらないよりも良かったと思いたい。
そんな事を思いながら、ふと鬼熊に目を向けると追加で持ってきた果物を次々食べていた。すぐになくなり何度も追加で果物をとってきたりして半刻(前世でいう三十分)くらい経った頃、ようやく食欲が落ち着く。何度も忙しなく歩き回っていた僕はさすがに疲れて、なんとなく鬼熊の傷のない部分にもたれた。嫌がられるかと思ったけど何も反応がないので、そのままもたれながら余った果物を食べて休んだ。
その後もたまに果物を採りに行ったけど、二刻(前世でいう二時間)くらいまったりしてたら鬼熊は動き始める。僕が横に移動して見ていると、出会った時とは違って身体に力強さが戻っていた。
「すごいね。あれだけの大ケガだったのに、もうそこまで動けるようになるんだ。さすが野生だ」
「ガァ……」
「それじゃ、さよならだね」
「ガア」
「そっか、じゃあね。あと気をつけて」
「ガア!!」
ズンズンと王者の風格を漂わせながら鬼熊は森の奥に戻っていく。前世と違って今は自由に歩けて食べられる身体になれたし不満はないけど、やっぱりあんな風な強い身体には憧れる。まあ、もし強い身体に生まれていたら調子に乗って大失敗しそうな気もするから、今ぐらいがちょうど良いのかなとも思う。うん、今あるものだけで良いと思おう。
その後村に帰ると上着が無くなって身体の所々に血が着いているから、お前は何をしていたと大騒ぎになってしまった。はあ、しばらく村の外に散歩に行けないかもだけど、今は楽しみが他にも色々あるから良いか。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
「面白かった!」
「続きが気になる、読みたい!」
「今後どうなるのっ……!」
と思ったら
下にある☆☆☆☆☆から、作品への応援お願いいたします。
面白かったら星5つ、つまらなかったら星1つなど正直に感じた気持ちで、もちろん大丈夫です。
その他、ブックマーク、感想、レビューもいただけると本当にうれしいです。
また、誤字・脱字がありましたら一番下までスクロールしたところにある誤字報告から入力してもらえるとありがたいです。
何卒よろしくお願いいたします。