5
だがその望みはかなわなかった。
イズナに拾われてちょうど一年たった夜、アギは何者かに揺り動かされて目を覚ました。傍らに人の形をしたものが立っていた。だがそれは人間ではなく、ときおりアギが風の中に見る不思議な生きものに似ていた。
「私が誰だかわかるかね」
アギは首を横に振った。
「私は死をつかさどる神々の一人だ」
アギは思わず身を引いた。てっきり自分にお迎えが来たと思ったのだ。だが死の神はもっと衝撃的なことを言った。
「おまえも我々の一人だったのだ。故あって人の地に流されたのだが」
死の神は淡々と語りはじめた。
「おまえはある男の魂を取ってくるはずだった。だがおまえはその男に姿を見られ、怯えて務めを放棄した。死の神の姿は、たとえ神々でも生きているかぎり見ることができないはずだったからだ。おまえは神の資格と一切の記憶を失い、この地に来て、一年がすぎた。あがないの期間は終わった。私はおまえを迎えに来たのだ。また我々の一人として生きるように」
アギは顔をしかめて聞いていた。死の神は続けた。
「だがただで帰ることはできない。おまえは自分の務めを果たさなければならない。つまり、その男の魂を奪わなければいけないのだ」
アギはやっと口を開いた。
「誰のことだ」
「イズナという名の男」
思わずアギは声を上げた。その声にイズナが目を覚ました。彼は起きあがり、死の神をまっすぐ見つめた。死の神は身震いした。
「この男が我々の姿を見ることができるというのは、本当だったのか」
イズナが問いかけるようにアギを見たので、アギは説明した。
「彼は死の神なんだそうだ。私もその仲間だと言っている。魂を取るのに失敗して追放されたのだと。そして帰るために、その魂を取らなければいけないというのだ」
「誰の」
「こともあろうに、あんたのだよ、イズナ」
イズナは死の神を見た。死の神はまだ震えていたがはっきりとうなずいた。イズナはアギに視線を戻した。
「じゃ、そうしたらいい」
「なんだって」
「そうしたらいいよ。神族に属する者が地べたを這い回っているのは不自然だ。さあ、僕の魂を取って帰りたまえ」
それが投げやりな口調でなく、あまりに落ち着いた静かな口調だったので、アギは愕然とした。
「正気なのか、おい」
イズナはうなずいた。アギは声を荒らげた。
「冗談じゃない。あんたを殺せって。とんでもない。そんなことができるものか」
「もしやらなければ、私は代わりにおまえの魂を持っていくことになっている」
死の神が口を挟んだ。
「それじゃそうするがいい。私は、自分が覚えてもいない世界に帰るために、友人を手にかけることなどできない」
「行き倒れくん」
イズナがアギの肩に手をかけた。
「だめだよ。君は帰らなきゃ」
「なんで平気でいられるんだ」
アギはイズナの胸倉をつかんだ。
「あんたの生死にかかわる問題なんだぞ。あんた死にたいのか。見逃してくれって、命乞いしないのか」
イズナはアギの目を見つめた。
「なんで。君はそう思うのかい。ならなおさらやらなけりゃ。そうしないと君が死ぬことになるんだもの。僕はそうは思わないよ。僕には、生きてるってことがどういうことかわからないんだ」
「わかった」
死の神が言った。
「なぜこの男に我々が見えるのか。この男は本当の意味では生きていないのだ。この男には夢も希望もない。死んでいるのとなんら変わりがないのだ」
「そう」
イズナは言った。
「このまま生きていても、何か変わるとは思えない。ねえ、行き倒れくん。君がそれで元の世界へ帰れるというのなら、そうしてくれたほうがうれしいんだ。それに、その話が本当なら、僕は寿命より一年多く生きてしまったわけだし」
死の神も言った。
「魂を取ってやるほうが、この男には慈悲というものだ」
アギは、イズナから死の神へ、死の神からイズナへと視線を移した。彼は混乱し、怯えていた。
「だめだ。できない」
「迷うことはない」
イズナは微笑した。
「なんなら僕が君の手間を省いてやるよ」
いつのまにかその手に鉈が握られていた。彼は、これまでアギが一度も目にしたことのないような笑みを浮かべ、器用にすっと喉を掻き切った。アギは叫んで彼に飛びついた。だがその瞬間、アギは人間の体を失っていた。




