かわいい人
槇原視点!
思い返してみれば、恋に落ちたのは一瞬だった。
従兄弟の家の近くにあったこの喫茶店に入ったのは偶然で、ちょっとした時間つぶしに入っただけのことだった。居心地のいい空間が気に入って、すぐさま店長にバイト募集をしていないかを聞いた。
ちょうど募集しようとしているところだったらしくその場で採用してもらえたのは運が良かったと思う。
バイト初日は土曜日。
少し早く来すぎてしまったので喫茶店の前に立って時間が来るのを待っていた。
「あらあら、まあまあ」とか言いながら近所の主婦らしき人がジョギングをしながら前を通っては戻りまた通っては戻り、といったことがもう3回ほど繰り返された頃ようやく喫茶店のドアがカランコロンと心地いい音を鳴らして開かれた。
中から出てきたのは、ちまっとした女の子。
肩ぐらいの黒い髪の毛がボサボサで、明らかに寝起きだった。
彼女はドアのすぐ横に立っていた俺に大げさに驚き、「ぐわぁぁあ」と叫びながらなぜか目を押さえていた。
「槇原工です。今日からお世話になります。よろしくお願いします!」
ニッと笑ってみせると、彼女は「目が、目がぁ~」とふらつきながら喫茶店の中へ入っていったのでそのままついていった。
中にいた店長にも挨拶をすると、店長は彼女を紹介してくれた。
「孫の奈津だよ。いつも手伝ってくれているんだ。しばらくは奈津に色々教えてもらっておくれ」
「はい。よろしくお願いします!」
「……こちらこそよろしくお願いします」
彼女はもうテーブルを拭き始めていて、俺の顔を見てはくれなかった。
そんな感じで始まったバイトは忙しくも楽しくて、俺は夢中になって働いた。
最初のうちは土日だけのシフトで、もっと働きたいと思うほどに楽しかった。
初めてこの店に入ったときはおじさんたちがのんびりと過ごしている、そんな静かな雰囲気の店だったのに。
いつの間にか女性の常連客が増え始め、繁忙という名がふさわしい忙しさになった。
常連客の中にはバイト初日に前を通りかかったジョギングの人もいた。
「ナツさん、ナツさん」
「はい。なんですか?」
「店長のコーヒーってすごいですね!年配から若い女の子まで魅了するなんて。最近この店の人気すごいですよね!」
「……はあ(いや、キミ目当てだけどな)」
「俺、ここでバイトできて良かったです!本当に楽しいです!」
「そうですか(はやく辞めてくれませんか?)」
今日もナツさんはボサボサの頭で、いつものようにユニクロの上下。
化粧しているところなんか見たことなくて、だけど化粧なんか必要ないくらいに肌が綺麗だ。
正直言って年齢不詳だった。
ちっさい体に化粧いらずの綺麗な肌。見ためは年下のようにも思えたが、それにしては性格が落ち着きすぎている。彼女が何かにはしゃいでいるところを見たことはないし、俺が話しかけても仕事以外の話はそっけない。
働き始めて1ヶ月以上もたつというのに、俺は彼女の名前が奈津だということしか知らない。
「ナツさん。今日終わったら親睦会しましょうよ。明日は日曜日だし、店長不在で喫茶店も休みだし。俺遅くまで平気ですから!」
「……親睦会ですか?(え?うちで夕飯食わせろってことか?)」
「なんなら泊まっても平気なんで」
「え……(勝手なこと言うな)」
「ダメ……ですか?俺、もっとナツさんのこと知りたいのに……」
どう見ても乗り気ではないナツさん。
そんな彼女の態度にちょっと悲しくなって、俺は拗ねた表情でうつむいた。
周りから「きゃあ」だの「かわいい」だの歓声があがった気がしたが、俺は目の前のナツさんだけをじっと見つめる。
すると彼女は、みるみるうちに眉間にしわを寄せた。そして「ちっ」と舌打ちをした。
え?舌打ち?
なぜ今このタイミングで?
俺、何か悪いことをしたのだろうか?
予想外の展開に驚きつつも、俺はちょっとだけ嬉しかった。
なぜならいつもそっけないナツさんが、素直な感情を見せてくれた気がしたから。
その日俺は、いつかナツさんと仲良くなってみせる!と心に決めた。
それからしばらくして、ようやくシフトが平日にも入れるようになった。
学校から直接喫茶店に行くと、驚いたことにナツさんが見慣れた制服を身につけていた。
「え?ナツさんって、俺と同じ学校だったんですか?」
俺が来たことに気づいていなかった彼女は、いきなり背後からかかった声に肩をビクッとさせてから振り向いた。
そして、目を丸くしながら俺を上から下までじろじろ見て。
「……マジでか!」
と、俺を指差して叫んだ。
「おや?言ってなかったかい?マキ君とナツは同じ学校だって。ナツは2年だからマキ君は後輩だね」
「おじいさん!そういうことは最初に言ってよ!似てる似てるとは思ってたけど……マジで本人だったとは!」
「え?ナツさん、学校で俺に気づいてたんですか?声かけてくださいよ!ひどいなぁ」
「無理無理無理!」
なにやら店長にギャーギャー言い始めたナツさんを密かに観察する俺。
そうか。やっぱり年上だったのか。
そう言われてしまえば、やっぱりという気がした。
でも、年上にしては何もかもがちっさくて。今もちまっとした両手をブンブンと振り回して店長に詰め寄っている。
「……かわいいなぁ」
思わずクスッと笑って小さく呟いていた。
そしてひっそりと、ナツさんと共通の話題を持てたことを喜んでる自分がいた。
それから。
学校で彼女を探してみても全くといっていいほど遭遇しない。学校の話題をふってみても全く弾まない。
せっかくナツ先輩と仲良くなるきっかけが出来たと思ったのに。
逆に、ナツ先輩からは「学校で見かけても無視してください。というか絶対に話しかけないでください。さらにここでのバイトのことは人に言わないように」とまで言われてしまった。
期待が完全に空回って、俺はモヤモヤしたものを抱えることとなった。
どうしてナツ先輩は俺と距離をとりたがるんだろう。
俺は嫌われているのだろうか。
なぜ?
嫌われるようなことをした覚えはない。
そんな事をぐるぐると考えることが多くなった。
そんなある日のこと。
その日は珍しく店内に常連のおじさんが二人だけ。
ナツ先輩はおじさん達と必殺仕事人について熱く語り合っていた。身振り手振りを交えて、仕事人の必殺シーンを解説している姿がかわいい。
どうして俺にはあんな姿を見せてくれないんだろう。
ナツ先輩は今、おじさん達にどんな表情を見せているんだろう
カウンターの中でお皿を拭きながら、彼女の後ろ姿を眺めることしかできない距離感にひどくジリジリした。
と、その時。
ナツ先輩が振り回した腕が近くにあった花瓶に当たって落ちた。
激しい音をたてて割れる花瓶の音を聞きながら、俺は条件反射でカウンターから飛び出していた。
「ぎゃ!ごめんなさい!大丈夫でしたか!?」
「俺たちは大丈夫だけど、ナツちゃんこそ平気かい?」
「私がやりますから!本当にごめんなさい!」
立ち上がって片付けようとするおじさん二人を押さえつけて、ナツ先輩はあろうことか粉々になった花瓶の破片を素手で拾い始めようとした。
「ナツ先輩!」
俺はぐいっとその腕を掴むと、ナツ先輩は驚いて俺の手を振りほどこうと暴れた。
「怪我してませんか!?見せてください!」
「ちょ、離してください。大丈夫ですから」
抵抗しようとする細い腕を、俺は力任せに押さえつけて強引に手のひらを広げた。
血は流れていない。
だけど念のために彼女の腕から手のひらまで、すみずみまで丹念に調べる。
「良かった。怪我はしてないみたいですね。でも、ナツ先輩。危ないからここは下がっててください」
「私が割ったんだから、自分で片付けます!」
「俺に任せてください。ナツ先輩は女の子なんだから。怪我でもしたらどうするんですか」
そう言うと、彼女の手のひらがぶるぶると震え始めた。
どうしたんだろう。
不思議に思った俺が顔をあげると、そこには耳を真っ赤にしながら体を震わせるナツ先輩がいた。
うわ。なにこれ。
……か、かわいい。
思わず惚けてじっと見ていると、ナツ先輩はドンと俺を突き飛ばした。
「女の子扱いするな!!」
そう叫んでダーッと走り抜けていった。
これが、俺がナツ先輩に堕ちた瞬間だった。
槇原は、人生初のツンデレに出会いました。