はじめての
どんなに頭の中をひっくり返して考えてみても、知らないものは知らない。
奏太のことを忘れてたという前科があるので、本当にじっくり考えてみたが記憶にないものはない。
さっきから槇原から妙な視線でじいーっと見られ、居心地が悪い。
奏太に「さっきのは嘘でしたと言え」と迫ったが「嘘じゃないし」の一言であしらわれ、それによって一層槇原の視線が強くなる。
この場をどうしたらよいのか困っていたところに、まさかのおじいさんから救いの言葉が発せられたのである。
「ああ。あの子が奏太くんだったんだね」
「おじいさん。急にどうしたの?」
静まりかえっていた店内で、おじいさんがいきなりポンと手を打った。なにかを思い出した様子である。
「いや、昔に見たことがあるんだよ。奈津と春の子供の頃のビデオ。うちに来る前の」
へえ……。
あの両親がビデオなんか撮ってたんだ。知らなかった。
「実はね、昔の写真とかビデオとかもらってるんだ。いつか見せようと思ってたんだけど……」
「べつにいい」
私のそっけない返事に、おじいさんは肩をすくめた。
「……いつか見たくなったら教えておくれ。一緒に見よう」
返事をしない私の右手を奏太がきゅっと握った。
おっと。いかんいかん。
妙な空気になってしまったぞ。
「えっと、それで?そのビデオがどうしたの?」
「うん。そういえば知らない男の子が映ってるものがあったんだよ。それが奏太くんだったのかと思ってね。それでね、さっきの話のも映っていたよ」
マジでか。
ばっちり証拠残ってんのかよ。
「それ見たい!……あ。でもその、ナツ先輩が嫌だったら、いいですけど……」
槇原の言葉が尻すぼみになって消えていく。
さっきの様子を見て、事情分からないながらに気を使ったのだろう。
「別に平気だよ。私も気になるし、見ようか。つーか、奏太の勘違いであることを確かめるために見ようじゃないか」
「勘違いじゃないってのに」
そんなわけで我が家のリビングへと移動することになったのである。
「んぎゃぁぁー!」
再生したとたん、この世のものとは思えない泣き叫び声から始まった。
どうやら泣いているのは5歳児の奏太のようだ。
頭にみょうちくりんなクリスマスっぽい帽子をかぶって、ごちそうの並んだテーブルの前で号泣している。それを慰めているのは奏太のおばさんだ。ということはおじさんがこのビデオを撮影しているのだろう。
「そんなに泣かないの。自分のお誕生日でしょう?泣いてないで楽しまなくちゃ」
「なちが、なちがぁ!」
「ケーキならまだたくさん残ってるじゃない。ナツちゃんに生クリーム持っていかれたぐらいで泣かないの。男の子でしょ」
そこで奏太の前のケーキがズームアップになり、上に乗っているクリームの部分がごっそりなくなっていてスポンジが見えている哀しい状態だった。
泣いている奏太の左隣にすーっとカメラが移動していく。
あ、私だ。
ご満悦なニコニコ顔で鼻に生クリームをつけながらケーキを食べている。
「ははは、ナツちゃんはおいしそうに食べるね」
「うん!おいしい!おじさんおばさんありがとう!」
にっこにこである。
そりゃそうだな。奏太からぶんどったと思われる生クリームをそんだけ皿にのせていればにこにこにもなるわな。
右隣に号泣している年下の男の子がいるというのにお構いなしである。ましてや原因、自分なのに……。
若かりし頃の自分に引いていると、プツリと画面が暗くなって次のシーンへと移った。
今度は私と奏太が並んでお昼寝をしている場面だった。
妙にシュールなくまさんの絵がプリントされた大きなブランケットを一緒にかぶってすやすやとお昼寝中だ。このブランケット覚えてる。奏太んちに行くといつもこれを使わせてもらってたお気に入りのやつ。
しばらく我々の寝顔を堪能しているおじさんとおばさんの会話が続いていたが、ピンポーンとチャイムが鳴った。
「あら、ハルくんが帰ってきたみたいね」
お、ついに兄ちゃん登場か。
ガチャと玄関の開く音がして、とたとたと近づいてくる足音。
「ただいまー」
うわ。
兄ちゃん……美少年だなぁ。
我が兄ながら、女の子顔負けの可愛さである。
なんでこんなのと兄妹なのか不思議でしょうがないよ。ほんとに血つながってんのか?
あ、ちょっと泣けてきた。
そんな兄はかわいい顔で、おばさんにお腹がすいたと要求していた。
兄ちゃん……。
ここ、人ん家。ご飯たかっちゃダメだって。
そもそも「ただいまー」じゃない。
勝手に家上がっちゃダメだし。一回チャイム鳴らして留守確認してから侵入する泥棒と同じ手口使ってたよね。
なんなんだ。我々兄妹。
ひどい。
今度は兄に引いていると、画面の中の奏太が身じろぎをして目を覚ました。
「ん……はるくん?」
肉まんを与えられ食べることにすっかり夢中な兄は、寝っ転がったまま目をこする奏太を蹴っ飛ばした。
サッカーを嗜んでいた兄のキックにより奏太はごろごろと転がり、惰眠を貪る私へと激突した。唇がちゅっとくっついていたのをカメラは見逃していなかった。
「あら。ナツちゃんと奏太。キスしちゃったわよ」
「あーあ。ファーストキス奪っちゃったねぇ」
「ふぁーすときす?」
奏太がこてんと首をかしげるなか、おじさんとおばさんはのんきに笑っていた。
そして兄は相変わらず肉まんを貪り、私はぐーすか眠り続けていた。
プツリと画面が真っ暗になった。
しーん。
しばらく誰もが口を開かなかった。
なんだ今のは。
恥ずかしい。恥ずかしすぎる。
我が兄妹のやりたい放題っぷりが凝縮された大作ビデオじゃないか。
「ほら。本当じゃん」
奏太がついに口を開いた。
「や、つーか。なんか……。ほんとごめん。今度おじさんとおばさんに謝りにいくから。兄ちゃん連れて」
「ナツ先輩!問題はそこじゃないでしょ。かなやんにファーストキス奪われたんですよ?ボコボコにしなくていいんですか?」
「え、今の見てたよね?奏太悪くないよね。どう見ても兄ちゃんのせいだったし」
「…………俺は、やだ。ナツ先輩とキスしたかなやんにイライラする」
槇原が大真面目な顔をしながら両手で私の顔をガッと押さえ込んだ。
「え?ちょ、なに?」
痛くはないけど身動きがとれない。
驚いてもがいたら、強引な力加減で槇原と視線を合わせられる。
「ファーストキス、やり直しましょう」
「……はぁ!?」
近づいてくる整ったまぶしい顔。
その瞳が真剣さを物語っている。こいつ、本気だ!
「だぁぁ!ちょ、待て!」
己の手のひらを槇原の顔にガッと当ててなんとか防いだ。
ぐぎぎぎ。
なにやら不穏な音がするが、気にしちゃいられない。
「なに考えてんだ、おまえぇ!やめろ!」
「なんでですか。かなやんとキスしても平然としてるくせに、どうして俺はダメなんですか」
「や、だから。あんなのキスじゃないじゃん!事故じゃん!子供だし!私寝てたし!」
「ナツ先輩。俺だって我慢の限界があります。好きな女の子が他の男と仲良くしてればそりゃ嫉妬するし、ていうかむしろ独占欲強いし、もう本当ナツ先輩のこと独り占めしたいのにナツ先輩は他の男とキスなんかしちゃってるし」
槇原の顔に当てていた私の手を牧原の左手が掴んだ。
ぽかんと口をあけたままの私は無抵抗で、簡単に動きを封じられてしまう。
「も、本当限界です」
怒ったようななんとも複雑な表情。
ぞわ。
背筋が震えた。
男の気配を醸し出して、槇原がぐいっと両手に力を入れた。
力の抜けた体は簡単に引き寄せられて、ちゅっと槇原の唇が重なった。
軽く触れてすぐ離れた唇の熱に驚いていたら、すぐさま再び重ねられた。
今度はしっかりと。
逃がさないというような。力強い、キス。
下唇をちゅう、と吸われてハッと我に返る。
「なっ!ちょ……!バカッ!!」
ドンと槇原を突き飛ばしてズザザザっと後ろへ下がる私。
「ちょ、はぁ!?なに?ほんと、ちょっと……」
なにこれ、なんだこれ。
熱い。
顔、熱い。
ぷしゅーって頭から湯気出てるって絶対。
いや、たぶん目からも湯気出てる。だってなんか視界がおかしいもん。
とにかくなにもかもがグツグツしちゃって、どうしよう。
「ナツ先輩……」
槙原が顔を赤くして口元に手を当てていた。
「そんな、かわいい顔されるとちょっと……やばいんですけど」
「し、知らない!バカっ!」
私は力の入らない足になんとか活をいれて、必死に自分の部屋へと逃げ込んだのであった。
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「ちょ、なにあれ。かわいすぎる。あんな赤い顔でうるうるしちゃって……」
「確かに。あれは反則だわ。俺ですら可愛いと思った」
「かなやん。今の記憶消して?あとナツ先輩のファーストキス奪った時の記憶も」
「え。無理言わないでよ」
「…………(にこっ)」
「怖っ」
もっと焦らしたかったのに、槇原くんは爆発してしまいました。うちの子達はなかなか作者の思いどうりに動いてくれません。