過去
ニヤニヤ
「…………」
ニヤニヤニヤ
「……やめてもらえませんか、その顔」
6時間目終了のチャイムが鳴ると同時に、隣の席の山中くんに苦情を申し立てた。
彼は午後の授業中ずっと私にうっとうしい表情を向けていたのだ。
「いやー、だってさぁ」
「言いたいことは分かってます。でも私は無実です。濡れ衣なんです!」
私は頭を抱えて昼休みの出来事を思い返して、再び羞恥に身悶えした。
くそぅ。あの謎の男!
あいつのせいで、あの場にいた全ての人に悪女キャラとして認識されてしまった。
なんという羞恥プレー。
たまらず相手のスネを蹴っ飛ばしてあの場を逃げ出した。
タイミングよくチャイムが鳴ったので、追われる事もなく無事に自分のクラスへと帰りつくことができたのだった。
「いくらなんでも事実無根であの言われようはないだろ。あいつとどういう関係なんだよ?ほんとのこと言えって」
「ほんとに知らないんですってば!名前すら知らないんですから!」
「……どうせ嘘だろ?」
山中君がじとっとした目で私を見る。
「なんですかその目は。私のこと嘘つきだと決めつけている目じゃないですか」
「お前、前科持ちじゃん。前にも騙されたことあるからな俺」
「なんのことやらですよ」
槇原のことだなと察したが、こんなところでうかつにも奴の名前を出されては困る。
これ以上山中君と話すのは危険だ。
しつこくジト目をよこしてくる山中君を放置して、私は帰り支度を始める。
「山中ー!1年が呼んでるー!」
クラスメイトに呼ばれて、ようやく山中君の視線が外れた。
「今行く!……おまえ帰んなよ?まだ聞きたいこと聞けてないんだから」
「わかりましたよ」
しぶしぶ私が頷くのを確認してから彼は席を立った。
ふう。
よし、とっとと帰ろう。
山中君がいないほうのドアからこそっと抜けだした。
ほんの少し廊下を歩いたところで走ってくる足音が聞こえてきて、後ろからガシっと腕を掴まれた。私は心の中で舌うちをして、振り向かないまま返事をした。
「しつこいですよ山中君!何も話すことなんかないですってば。ほんとに知らない人なんです!」
ぐいっと腕を引かれて、強引に振り向かされる。
私の腕を掴むその人を視界にとらえて、思わず目を見開いた。
「な、んで?」
「なち、まだ思い出さないわけ?」
まさかの爆弾男。
てっきり山中君だと思っていたのに。
あまりに驚いて固まっていると、ドタバタと山中君が走ってきた。
「お前いきなり走りだすんじゃねーよ。話の途中でいきなり放置くらった俺の身にもなれよ!ていうか安藤!帰んなって言っただろーが!」
「…………山中君、知り合いだったんですか?」
驚きのあまりかすれた声が出た私に、山中君は苦笑いをしてテヘっと笑った。
「ばれちまったら仕方ねーな。コイツ、部活の後輩なんだわ」
「テヘじゃねーですよ。ちっともかわいくないですよ。なんで黙ってたんですか」
「だって知り合いだって分かったら、なおさら話さねーだろうなって思って」
「いやだから、話すネタがないですって」
腕を掴む力が一瞬強まった。
「なち。なんで俺のこと忘れてんの?むかつくなぁ」
「離してください」
「俺は見ただけで分かったのに……」
むっとしている爆弾男はどうしても私の腕を離してくれる気はないらしい。
こうなったら……。
「もう蹴りはくらわないからな」
ちっ。
行動を読まれた。
「なちは昔から分かりやすいんだよ」
「昔?初対面のくせに何を言っちゃってんですか」
私の言葉に彼は、はあっとため息をついた。
「いい加減思い出してよ」
「名前も知らない人との思い出はありませんが」
きっぱりと告げると、しばしの間睨みあう形となった。
くそぅ。この男やたらと背が高い。首が痛いぞ、このやろう。だがしかし負けるもんか。
「安藤も奏太<かなた>も落ちつけよ。もっと穏やかにいこうぜ」
急に山中君が私達の間に割って入ってきた。
……存在を忘れていたので少し驚いてしまった。
ていうか。
「……かなた?」
頭の中の記憶をためこんでいるであろう部分が、いきなり作動し始めた気がした。
なんだろう。
奏太って知ってる。
私の視線がじーっと探るようなものに変わったことに気付いて、奏太とやらの表情が少し緩んだ。
そしてほんの一瞬、はにかんだような表情を見せた。
……突然私の脳内に同じ表情を浮かべた男の子の姿が浮かび上がり、目の前の男と重なってガチっとリンクした。
「……え、かなた!?」
驚きのあまり足元がふらついてすっ転ぶ私。
「やっと思い出した?」
廊下にへたりこむ私の前に片膝をついて視線を合わせるこの男は、そう言ってニヤリと笑った。
村野奏太<むらのかなた>。
その正体は、私が小学校2年の時までよく一緒に遊んでいた幼馴染だった。
昔住んでいたマンションのお隣に住んでいた男の子。
当時の奏太はちびで舌っ足らずの甘えん坊で、私と兄ちゃんの後をいつもくっついてきた。私の名前をナツと呼べずに「なち」と呼ぶかわいい年下の男の子。
…………だったはずなのに。
奏太はすっかり成長していた。
私よりも身長高くなってるし、男の声になってるし。
昔は運動が苦手だったのに今やサッカー部だし。平凡中の平凡に属するタイプだが、スポーツ好きな明るい好青年風に育っていた。
10年という歳月は人をこんなにも変えるのか。
私は隣にいる奏太をしみじみと眺めた。
あれから私達は場所を変えて屋上に来ていた。
屋上を通る風が奏太の髪を吹きあげて、なにやら爽やかオーラが半端ない。
ザ・普通の割には爽やか好青年の部類に入るので、それなりにモテるんだろうなと思う。
「なに?」
「いや、奏太変わったなーって思って」
「そう?なちこそ変わったじゃん。見た目は変わってないけど。なんでこんな存在感なくなってんの?同じ学校にいたなんてちっとも気付かなかった俺。山中先輩と同じクラスだったってのが一層びっくりだわ。部活の事でけっこう山中先輩のクラス行くんだけどな。なち、気配なさすぎだよ」
「ほっとけ」
こいつ、けろっとさくっと毒吐きやがる。
昔のかわいかった頃のお前はどこへ行ったんだ。帰ってきてくれ、あの頃の奏太。
「奏太、思い出して。あの頃の自分がどれだけ私に懐いていたかをよーく思い出して」
「捨てたくせに。そんでもってついさっきまで忘れてたくせに」
奏太が拗ねたような顔で口をとがらせた。
「そういや、その捨てたって何のこと!?」
「俺との約束破っていなくなったじゃん」
「……約束?」
「ずっと一緒にいようって言ったのに。なのに、勝手にいなくなった」
閉じ込めていたはずの当時の記憶がぶわっと蘇った。
……あの頃、私はよく泣いていた。
物心ついたときから両親は喧嘩ばかりで、二人の言い争う声を聞きながらいつも泣いていた。そのうち押し入れに隠れて毛布で耳をふさぐことを覚えた。
あの日もいつものように毛布にくるまって泣いていたら、すっとふすまが空いて奏太が同じ毛布にもぐりこんできた。
そして泣きじゃくる私を慰めながら「うちにおいでよ。そうすればずっといっしょにいられるよ。ぼくがなちをまもってあげる」って言った。
私は顔を涙でぐしゃぐしゃにしたままコクンと頷いたのだった。
その翌日。
両親は離婚した。
そして私達はその土地を離れて、ここへ引っ越してきた。
「……あれ、本気だったの?」
「本気に決まってるだろ!俺がどれだけなちのこと心配してたと思ってんだよ」
ぽろり。
私の眼から一粒の涙が落ちた。あまりにも唐突で自分でも驚いた。
泣くなんて。そんなつもりなかったのに。
「なち?」
「奏太、ありがとう」
まっすぐ奏太を見つめると、奏太もじっと私を見つめ返す。
「……俺、怒ってんだけど」
「うん。ごめんね」
「…………俺、なちとずっと一緒にいられるんだって思ったらすごくうれしくて。バカみたいにテンションあがっちゃって熱だしたんだ」
「知ってる。お別れの挨拶しに行ったら寝こんでて会えなかったから」
「だからって何も言わずにいなくなるなよな!」
「しょうがないじゃん。どうしていいか分からなかったんだもん……」
7歳の子供だったのだ。
当時はいっぱいいっぱいで、大人に言われるがままに行動する事しかできなかったのだ。
「奏太にまた会えてうれしい」
「なち……」
奏太が、小さくはにかんだ。
「昔みたいに泣いたりしてない?」
「もう全然!あの時以来泣いてないし」
「……おじさんとおばさんは?」
「離婚してから会ってない。どっちも私と兄ちゃんのこと引き取ろうとしなかったから。結局お母さんのほうのおじいさんが私達のこと引き取ってくれたんだ」
「そっか……」
「奏太。あの時は何も言わずにいなくなってごめん。許してくれる?」
「……なちが今、幸せなら許す」
私は返事の代わりに頬笑みを返した。
言葉にしなくても分かってくれる。そう思ったから。
少しの沈黙の後、奏太にきゅっと左手をとられる。
大きな手に包まれると、奏太の成長を感じずにはいられない。
「今から家行ってもいい?俺、おじいさんに挨拶したい。ハル君にも会いたいし」
「うん、おいでよ。兄ちゃんは会えないと思うけど」
「ハル君いないの?」
「兄ちゃんが家にいるほうが珍しいよ。不良になっちゃいましたから」
「不良?マジで?」
「なにショック受けてんの。あ、そういやあんた兄ちゃんに憧れてたっけ」
「ハル君、子供とは思えないほどクールでかっこよかったもん。よく真似してた」
「ぷっ」
「笑うな」
昔の可愛かった奏太がクールな兄ちゃんの真似をしていた姿を想像してみたら、すごく面白くて爆笑してしまった。
それから私達は手をつないだまま屋上を後にした。
ザ・普通男と地味女が手をつないでいようが何だろうが誰も気にかけない。
そんな気楽さに、なんだか癒された気がした。
実はシリアスな家庭環境。やっと書くことができました。