地味女、認める
「あいつ……絶対許さん!」
私は今、怒っている。
それはもう誰が見ても分かるほどにイライラしている。
今日は夏休み最後の日だから、極上のぐうたらを堪能するって決めていたのに。
昼まで寝てアイス食べながらゴロゴロして、引き籠るつもりまんまんだったのに。
それがどうして。
事の始まりを説明しよう。
実のところ、私のぐうたら計画は朝の7時から早くも打ち砕かれていた。
ドタバタと騒がしい気配に1度目を覚ましたものの、絶対昼まで寝てやるという確固たる決意によって再び目を閉じてまどろみ始めた矢先。
「ナツせんぱーい!おはよーございまーす!」
荒々しく階段を駆け上がってくる気配の後、槇原が元気よく私の部屋へ駈け込んで来た。
「起きてください!朝ですよー」
シカトして寝たふりをしていると、ドカッとベッドに乗りあがってきやがった。
腰のあたりがぐぐっと沈んだ。
「ほんとに寝てるんですかぁ?」
うるさいな。
寝たふりに気付いているんだとしたら、そこはもう大人の対応をしてくれ。
あえて騙されてやってくれまいか。
そのまま部屋を出ていって私を静かに眠らせてくれたまえ。
しかしながらそんな私の願いは届かなかった。
こともあろうに奴は私の首筋をつーっと撫でやがった。
ぞぞぞっ
体を走った変な感覚に、たまらず私は飛び起きた。
「やめんか!へんなことすんな!」
「あ、やっぱり起きてた」
「うるさい!んなことより何勝手に部屋入ってきてんの。兄ちゃんに書かされた念書はどうした」
「まあまあ」
まあまあ、じゃない。
知らないからね。兄ちゃんにバレたらボコられるからね。
「もーとにかく寝かせてよ。今日はぐうたらするって前から決めてたんだから」
「ナツ先輩は大体ぐうたらしてましたよね」
「お前もな」
この夏休み中、うちにほぼ泊ってたお前も一緒になってぐうたらしてたくせに。
後半に至ってはここがお前んち感覚にすらなってたぞ。
いつのまにやらちゃっかり着替えまで置くようになって、「行ってきます」から「ただいま」まで見届るようになってたんですけど。
あれ?こいつ私の家族だっけ的な。
なんで私こいつのパンツ洗ってんだろ的な。
ま、大黒柱サマですからね。ってな感じで放っといたものの。結局夏休み最後まで泊りやがった。
「ナツ先輩、一緒にでかけましょうよー」
「やだ。どこ行くんだか知らないけど、勝手にさっさと出かけなよ」
「知り合いの人が誘ってくれてサッカー練習しに行くんです。ナツ先輩、俺の雄姿見届けてくださいよ」
「いや聞いてないから。それに雄姿見せるなら練習ではなく試合で見せろ」
丸くなって絶対に動かん!という姿勢を貫くと、槇原はふうっと息を吐いてベッドから降りた。
「もー、ナツ先輩は本当に寝てばっかなんだから。そのうち体動かなくなりますよ」
妙にカチンとくる捨て台詞を残して、槇原は拗ねた様子のまま出かけて行った。
あんにゃろー。
私がどう過ごそうが関係ないだろが。そもそも勝手に自分の予定に私を巻き込もうとして、断ったら拗ねるだなんて身勝手にも程がある。
奴が出かけてからしばらくたっても結局二度寝できず、妙にイライラしたまま私は起き上った。
くっそう。まだ8時じゃないかよ。
携帯の画面で時間を確認してぶーたれていると、携帯が鳴った。
『着信:槇原工』
さっき話してから1時間しかたってないんですけど。
なんだこいつと思いながら、イライラした口調を隠すことなく電話に出た。
「なに」
「ナツ先輩!すみません!一生のお願いがあります!」
さっきのやりとりのこと忘れてるんだろうか。私の苛立った様子などおかまいなしな槇原の様子にあっけにとられながらとりあえず話を聞いた。
――――そして今に至る。
私は槇原の忘れものを届けるべく、汗をかきながら歩いている訳なのである。
目的地は学校のすぐ近くのグラウンド。
家から15分程度の距離だからって許されると思うなよ。
バーベキューで心を入れ替えて怒らないと決めたものの、今回ばかりは怒らずにはいられない。
後で焼き肉おごらせる。絶対に。
怒りと暑さでメラメラしている私はついに目的地にたどり着いた。
川のすぐ隣のグラウンドでサッカーをしている連中がさわやかな汗を流している。その中でもあのまぶしい野郎は、毎度のことながらまぶしいオーラを放って目立っている。
私は金網越しにグラウンド内を観察した。
よし。知り合いの気配なし!女子の気配なし!
もし知り合いや槇原に見とれる女子がいたならばこの荷物をそこらへんに放り投げてこっそり帰ろうと思っていたのだが、とりあえず槇原と接近しても大丈夫そうだ。
さて、どうやって奴を呼び出すかな。
目立ちたくないからなー、今やってる試合を中断させてまで呼ぶ勇気はない。
仕方ないからこの試合が終わるまで待ってるしかないか。
どこに座るかな…とキョロキョロしていると、私の視界に飛び込んできたものが。
え、いや。まさか。
んなわけナイナイ。ナイナイナイナイ。
「あれ、安藤じゃん」
……ナイナイ。まさかまさか。
「ちょ、おい。どこ行くんだよ?」
とっさに今来た道を戻ろうとした私の肩をがっちりつかんだその人物。
私の目と耳がおかしくなったのでなければ、確実にあの人だ。
肩を掴まれてしまってはしかたがないのでやむなくギギギっと振り返ると、ガリガリ君を食べている山中氏の姿が。
はい。私のクラスメイトかつ隣の席の住人である山中君がおりました。
「わーやまなかくんおひさしぶりです。おげんきでしたか」
「なにその棒読み。お前何してんのこんなとこで?」
「ええと。べつに」
「べつにっておかしいだろ」
私は冷や汗だらだら状態で固まってしまった。まさかの展開である。
逆になぜあなたがここにいるのか知りたいですよ。
「あ、もしかして…」
そう言って山中君はちらっとサッカー連中に視線を向けた。
「いやいやいやいや!わ、私はたまたま散歩して通りかかっただけなんです!けしてあの中の誰かに荷物を届けにきたわけでは…!」
「あー、荷物ね。なるほど」
あわわ。
ベタなことをしてしまった!まさか少女漫画によくある天然主人公のどアホ技を披露することになろうとは!完全にテンパっているようだ。
「ちょっと待ってな」
山中君はにやりと笑うと私の肩を掴んだまま、すうっと息を吸った。
「おーい!アイス買ってきたから休憩しようぜー!」
とんでもなくでかい声を出したおかげで、サッカー連中の視線がこちらへ向いた。
…………見られてる。
ガッチガチに視線を浴びている。
私はいつのまにやらグラウンドの中へ引きづりこまれ、なんでかサッカーマン達と一緒にガリガリ君を食べている。
「うー、ナツ先輩!俺にもガリガリ君!」
隣に座ってべたべたしてくる槇原がうっとうしい。
私のぐうたら計画をつぶした罰として槇原のガリガリ君を奪ってやったので、よこせよこせとうるさいのだ。
そんな私たち、かなり生ぬるい視線を受けてます。皆さん、なにやら面白いものを見る様子で私たちを取り囲んでます。
「槇原、もう一個あまってるからやるよ」
山中君がお慈悲をあげようとしたので、それも私が奪ってやった。
「あんたに食べる資格はない」
「ひどい!」
「ひどいのはどっちだ!私のぐうたら計画台無しにしたくせに!この炎天下のなか、なんで私があんたの着替えもってこなきゃなんないんだ!」
「だって、忘れちゃったんだからしょうがないじゃないですかぁ」
「男なら汗かいたまま帰れ!絶対焼き肉おごらせるからな!」
しゅんとうなだれる槇原を見て、周りが一斉に笑いだす。
「ナツちゃんいいわー」
「キツイねー」
私は注目を浴びている事をハッと思いだして、こほんと咳払いをした。
すると山中君が私の隣に座ってきた。
「いやー、まさか槇原が安藤と同棲してたとはなー。びっくりだわ俺」
「はい?同棲?」
「え、だって。着替え持ってきたってことは、そういうことなんだろ?」
「んなわけないじゃないですか」
この人、頭大丈夫だろうか。
心配になって山中君のおでこに手をあててみた。うん。熱はないようだ。
急に槇原にぐいっと腕を引かれて、右手に持ってるガリガリ君の食べかけをパクリと食べられた。
「あ、こら!」
なにやらふくれっ面の槇原を叱ると、周りが熱い熱いと言いだした。
「いちゃついてくれるねー」
「いやー、まれに見る青春群像劇だわ」
「カルピスのCMか!」
そんな意味不明な事を口走りながら、皆さんは立ち上がり始めた。どうやら練習を再開するようである。私の隣から離れたがらない槇原も強制的に引っ張られていった。
「ナツ先輩~、焼き肉おごりますから待っててくださいね~!」
当たり前だ。おごらせなければ気が済まない。このまま焼き肉屋に直行してやる。
私はふんっと腕をくんで日陰のベンチへ移動した。
山中君も一緒になって移動してきた。
「……山中君」
「ん?」
「あっち行かなくていいんですか?」
「……俺、補欠だから」
あ、なんか哀愁漂ってる。可哀想だからこの話はもうやめてあげよう。
「あの、山中君と槇原はいつの間に知り合いに?」
「夏休み前に話す機会があって。それからちょいちょい話すようになったんだよ。サッカー部は断られたんだけど、たまに遊びでやるぐらいならって言ってたから今日誘ったんだわ。ちなみに今日の集まりは俺の兄貴のサークルの人達」
「そうでしたか。まさかの接点でした」
「そういうお前は?槇原とどういう関係?」
こうなった以上、変に嘘をついて関係を隠すことは難しいだろうな。私は簡単に事情を説明した。
「へー、お前んち喫茶店なんだ。そっち方面行ったことなかったから知らんかったわ」
「駅とは反対方向ですからね。こっちに来る人はそうそういないと思います。おかげでうちの店に学校関係者がこなくて助かってます」
「来たほうが儲かっていいんじゃねーの?」
「槇原効果で充分すぎるほど儲かってますし。それ以上に私と槇原の関係知られたら困りますから来ないほうが嬉しいです」
「ふーん、なんで槇原と知り合いだってばれると困んの?」
「え、だって。目立つじゃないですか。奴を好きな女子があの学校にどれだけいると思ってるんですか」
「……なるほどなー。女子のいじめの的になるのが嫌なわけか」
「いじめがどうこうっていうより目立ちたくないんです。私は地味にひっそりと生きていたいんです」
ふーん、と分かってるんだか分かってないんだかといった様子の山中君に、私はぐっと顔を近づけた。
「お願いします。私と槇原の事は誰にも言わずにひっそりとその胸にしまっておいてください」
「あー、分かってるって。面白おかしく言いふらしたりしないから安心しろよ」
「ほんとですね。もし誰かに漏れたら真っ先に山中君を疑いますからね」
「お、おう。信用しろって」
私はようやくほっと胸をなでおろした。
山中君、今まで『ただのやられキャラ』とか思っていてごめんなさい。今からあなたの事を『いい人だけどやられキャラ』に上書きします。
「お前…おれのことをそんな風に…」
「あれ。声に出てました?ごめんなさい」
「謝られても…」
あ、また哀愁が。
やられキャラだし補欠だしな山中君に私はにっこりとほほ笑んだ。
「まあまあ。元気出してください。うちの店来てくれたらサービスしますから」
「ダメージ与えておいて、慰めんなよ…」
あらら。ダメージ大きかったみたいだ。
こうなったら焼き肉に一緒に連れて行ってあげよう。槇原のおごりだけど。
ちらりと槇原に目をやると、ちょうどのタイミングでシュートを決めていた。
へー、うまいじゃん。
槇原が嬉しそうに私にぶんぶんと両手を振っている姿を見て、なんだかイライラした気持ちが薄れてきた。
まったく。
結局、私は槇原マジックにかかったままなんだ。
悔しいけど認めよう。
あいつのこと気に入っちゃってるんだ、きっと。
だから腹が立っても結局は嫌いになれない。私はあいつの魅力を知ってしまった。
――きっともう、夏休み前の私には戻れない。