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没落令嬢になった私の所に昔助けた少年が精霊侯爵になって会いにきた

作者: みゆり
掲載日:2026/05/14

 緑豊かで自然溢れる小国フリージア。その周りを取り囲むように幾つかの国と森が隣接する。王都から西に遠く離れた辺境、ノイマン伯爵領も他領地と同じように大国ティスガルドとの国境に面していた。

 

 ノイマン伯爵の一人娘メルヴィ・ノイマンは母はすでに亡く、今年6歳を迎えたばかり。片田舎とは言え一応れっきとした貴族で令嬢と呼ばれていたが、やはり普段から野を歩く事に抵抗がなくむしろ森を探検したがる変わった娘だった。


 そんな彼女は今日も共の侍女を連れ、屋敷の裏にある深い森へ入り、珍しい草花を集めてきては図鑑とにらめっこしようとしていた。


 古くからこの森は伯爵家自慢の精霊が舞い降りる森とされ、人が無闇に立ち入る事も少ないせいか非常に希少な草花が群生している。そのあまりの美しさゆえ精霊をも魅了するという言い伝えもあるほどだった。

 

 腰まであるパールブラウンの髪を揺らめかせたメルヴィは手にした籠に次々目についた珍しい野草を入れていく。

 侍女のレイラが慌てて彼女の後ろを追いかけて注意を促した。


 「お待ち下さい、お嬢様! それ以上奥に行かれるのは危険です、迷ってしまいますよ?」

 「もうレイラは心配症ね。ここはご先祖様のお庭なのだから大丈夫よ。ほらデュラハン先生もそういっていたでしょう」

 「それは確かに先生はそうおっしゃいましたが……」


 ノイマン家の一族は僅かだが精霊の加護がある。その理由はメルヴィの父方の曾祖母が偉大なる精霊王レムファントの遠い末裔ゆえと伝えられているからだ。

 この森はその名残の神聖な場所だった。

 

 一族の女性が代々行う薬草摘みと調合も古来からの習わしで、現在はさすがに使用人が交代で務めているが、メルヴィはこの作業を自ら好んで行っている。

 繁みをかき分け夢中で薬草を収集していると足元にコツンと弾力ある何かが当たった。何だろうと下を見る。


 「え?」


 そこにはボロボロの服を着た金髪の子供がうつ伏せに倒れていた。


 「レイラ、大変!」

 「どうしましたお嬢様。まぁ、子供が……すぐに人を呼んできます!」

 「うん、お願い」


 レイラが急いで力のある男の使用人を連れ戻ってくる。彼の手を借り屋敷に運び入れ寝台に寝かせる。金髪の子供は男の子で体中に無数の傷があり、極度の疲労と熱のせいか目を覚ますことなくずっと眠り続けていた。


 ノイマン伯爵がデュラハン医師を呼び、少年は手当てを受け目覚めたのは二日後のことだ。

 「……ここ、は?」

 「ここはノイマン家の屋敷よ。あなたの名前は? それとどこから来たの?」


 少年は綺麗な青灰色の瞳を動かしメルヴィを見た。そして瞳が合うと固まった。ノイマン家と伝えてもいまいち反応が悪く、彼は己の状況をよく理解していないようだった。


 ――変ね。汚れてボロボロのお洋服だけど仕立ては良い物に見えるのに。


 「わ、僕はディード、です。その、森に入ったら道が分からなくなって……うっ」

 「あっ無理して起きたらダメよ。傷が開いてしまったらいけないわ」


 ディードは身を起こそうとしたが傷が痛むのか顔を苦痛に歪め脇腹をおさえたので、メルヴィは慌てて彼の体を寝台に沈めた。


 デュラハン医師によると体中に新旧含めた無数の傷があり、それらは全て処置を済ませたが痛み止めの効果は完璧ではないので痛むのだろうとのことだ。冷や汗を滲ませたディードはすぐに脱力し意識を失った。


 結局どこから来たのか聞けず仕舞いで、口にした名以外何も分からず、体が回復し動けるようになるまで彼の身柄はノイマン伯爵邸で預かることとなった。


 それから二週間経ち、ディードは伯爵邸の庭を一人で散歩できるようになった。今日も運動がてら庭の花園を散策し摘んだばかりの薄桃色に咲く可憐な薔薇を一輪メルヴィの前に差し出してくる。


 「どうぞ、メルヴィお嬢様」

 「まぁ、ありがとう。ディード」

 

 「お嬢様、そちらの薔薇はお部屋に飾っておきますね」

 「ええ、お願いレイラ」


 側に控える侍女レイラがメルヴィから薔薇を受け取り、伯爵邸に戻っていく。

 森で倒れていた当時の彼は体中傷だらけ衣服もかなり汚れていた為分からなかったが、すっかり元気になり身綺麗に整えた彼は目を見張る程美しい容姿をしていた。


 二人だけになったメルヴィはディードを近くにあるベンチに座らせ少し話すことにした。体調も戻ったことだし、そろそろ彼の身の上を教えてもらうのに今が頃合いと思ったからだ。


 「ねぇディードはどこから来たの?」

 「すみませんお嬢様。僕は自分の事をほとんど覚えていなくて、いつの間にかあの森で倒れてて……。でも伯爵家の皆様のお陰で体はすっかり良くなりました。だからもう大丈夫、これ以上ご迷惑をおかけしたくない。僕はここを明日にでも出て行こうと思っています」

 「! どうして? 誰も迷惑だなんて思ってないわ。どこへも行く所がないなら、ここにいれば良い。私……いいえ、お父様達もディードさえ良ければここにいてほしいと思ってるわ」


 「……っ、」


 ディードは頑なに自分の事を話そうとしなかった。うまくはぐらかされたとも言えるがメルヴィは素直な気持ちを口にするとディードは泣きそうな顔をした。

 きっと彼には口を閉ざさなければならない事情があるのだ。そう思ったメルヴィは父であるノイマンに相談し許可をもらい、もうしばらく屋敷で保護する事にした。


 森で保護した時から薄々感じていたがディードは気立ての良い優しく賢い少年で平民とも違う、どこか不思議な気品を漂わせてもいた。

 メルヴィも年の近い友人と呼べる存在もいなかった為、彼がよく遊び相手、話し相手になり、家庭教師の授業も共に受け学ぶようになった。


 それから五年の月日が過ぎ、メルヴィは11歳、ディードは15歳になっていた。

 この頃にはすでにメルヴィは伯爵令嬢として淑女教育を受けはじめ、ディードは執事見習いとしてノイマン伯爵の事業を学び手伝い始めていた。

 そして今、二人は別室でダンスのレッスンを受けている。ダンスの練習相手に立つディードをメルヴィはむうっと顔を上げて見つめた。今ではもうとっくにメルヴィの背丈を超えてしまった彼は視線に気づき微笑んだ。


 「どうしてそうむくれているんだ、メルヴィ」

 「もうディードったら、明日はお父様達と鉱山の視察でしょう? 準備もあるのに私のダンスの練習なんて無理して付き合わなくていいのよ」

 「メルヴィのリードなら僕の方が上手い。他の人間には任せられないな」


 こうして二人だけの時、ディードはお嬢様でなく『メルヴィ』と呼んでくれる。伯爵邸内にダンスの練習相手は他にもいるため、敢えて彼でなくてもいいのだが、ここだけの話彼の方が確かに踊りやすかった。

 この事を本人に教えてしまうと多忙な執事業務も早々に済ませ、嬉々とし毎回必ず務めたがるのでメルヴィはその言葉を口にせず胸の中にそっとしまっておく。


 ――私の事でこれ以上煩わせたくない。ディードにはもっと自分の時間を持ってほしいもの。


 何かと伯爵家の仕事、とりわけメルヴィの事に心血を注ごうとする彼がいつか倒れやしないかとメルヴィはいつも心配していた。


 「練習も終わったことだしお茶にしましょう。今日は変わった茶葉があるの、あとお菓子もね」

 「メルヴィ特製のお茶か、楽しみだ」

 

 先日、杏が沢山手に入ったのでナッツも加えてケーキを焼いた。紅茶も細かく刻んだ杏を入れてある。メルヴィにとって茶葉の配合やお菓子作りも薬の調合の延長に似ていて大好きな作業の一つだ。

 席についた彼の前に手作りの紅茶とケーキを並べてメルヴィも座った。


 「美味しい。杏の香りが良いね」

 「残った杏は明日パン生地に混ぜて焼く予定なの。焼きたてはすごく美味しいから、出来上がったら声をかけるわね」


 「明日か、それは楽しみだね」


 そんな風にディードとの穏やかな日々がこの先もずっと続いていく――メルヴィはそう思っていた。



 「――ティスガルド王国からの使者?」


 穏やかな日常が破られたのはある日の朝。

 窓から外へ目を向けるとノイマン伯爵邸の門扉に紋章付きの馬車が停まっているのがみえた。父ノイマンと王国からの使者は応接室で話をしているようで何か込み入った内容なのか、思ったより時間が経っていた。

 そして何故か途中からディードが呼ばれ応接室に入っていった。

 

 話が終わりようやく父達が部屋から出てきたのは夕刻過ぎ。その時の彼らの顔色は芳しくなかった。

 ティスガルドの使者はまた後日伯爵邸に来ますと言って帰っていった。

 二階から様子をうかがっていたメルヴィは使者が帰ったのを確認してから、急いで一階に降りていく。父とディードの様子が変だと感じつつも恐る恐る二人に尋ねた。


 「お父様、ディード。使者様のご用件は何だったの?」


 父ノイマンは愛娘の不安そうな姿に気づくと困ったように笑った。


 「大丈夫だ、何も心配することはない。むしろこれは嬉しい事、というべきなのだろうな」

 「お父様?」


 ノイマンの穏やかな言葉と裏腹に隣で控えるディードの顔はまるで暗い海の底にいるように沈んでいた。

 これから話すことは内密だと言われ、書斎に移動したメルヴィはノイマンから使者が来た目的を聞き卒倒しそうになった。


 「ディ、ディードがティスガルド王国、エイナー侯爵様のご子息!?」

 「メルヴィ、少し落ち着きなさい。全く淑女がみだりに大声をあげるものではないよ」


 ふらついたメルヴィをいつの間に横にいたのか、ディードが支えた。


 「お嬢様、そこのソファーに座ってください」

 「っ、それが本当なら、もう私の事名前で呼んでいいのよ?」


 優しく促されメルヴィは泣きそうになりながらソファーに腰をおろした。

 彼はティスガルド王国の者でエイナー侯爵の末子だと判明した。腹違いの母をもつ上の兄三人が急逝し後継者が必要となり、これまで行方知れずになっていたディードを探し回りようやくノイマン家にたどり着いたという。


 「……僕は伯爵家の方々に話していない事がありました。あの頃僕は兄達に陰湿な暴力を受けていて、それで耐えきれずエイナーの屋敷を逃げてきたんです。そうしたらいつの間にかこの森の奥深くに迷い込んでいました。――ずっと黙っていて申し訳ありませんでした」

 

 「だからあんなに怪我をしていたのね」

 「……はい」


 当時謎だった事柄が分かってきて府に落ちる。でも一見神妙に答えている彼だけれど、時折頬を弛めることがあってメルヴィは内心首を傾げた。


 侯爵の子息と判明した以上彼はティスガルド王国に即刻帰還しなければならない。自分を害そうとする兄達もすでにいない為安堵もしただろう。きっと早く祖国に戻りたくなったのではとメルヴィは思った。


 ――良かった。ティスガルド王国に戻れるのが嬉しいのね。


 そう彼の心情を読んだメルヴィは一方で胸の真ん中を風が吹き抜けていく感じがして悲しくなった。

 ディードの出自が明らかになった途端、旅立ちの支度やら何やらで時間は目まぐるしく過ぎていく。メルヴィは彼とゆっくり話す時間も持てなくなった。やがてあっという間に使者が来る日を迎えた。


 「少し良い? メルヴィ」

 「どうしたのディード」


 旅立ちの日の朝、ディードが話したいことがあると言ってメルヴィの部屋にやって来た。廊下に出た彼女は突然の彼の動きに目を丸くした。

 気づけばディードはメルヴィの手の甲に恭しく唇を寄せていた。動揺し手を戻そうとしてもディードの力は思いの外強くびくともしない。

 やがて口付けられた箇所が淡く光りメルヴィは瞳を瞬かせる。


 「なに、これ?」

 「これは魔法、君に加護をつけた。エイナー家は古くから精霊王レムファントの血が濃くてね。メルヴィが森で採れたもので様々作るように僕にも似たような力があるんだ」


 「あなた、魔法が使えるの?」


 メルヴィのそれは魔法ではない、そう言うとディードは違うと言った。メルヴィの中から精霊の力を感じるとも。


 「この力はティスガルドでは珍しくないんだ。ただ僕は人より少し力が強い、そのせいで兄達からやっかみを受けた。ノイマン伯爵領の森に迷い込んだことは幸運で、でも偶然とは思えない。今思い返すと僕はきっと何らかの力で引き寄せられたんだ」

 「!」


 精霊王レムファントの血が濃い彼と精霊の森。彼の言うように引き合うものがあったのかもしれない。


 「あと、ダンスの練習折角したのに成果を見せられなくて残念だったな」

 「……」

 「いつか一緒にまた踊ろう。今度はお互い正式な場で、ね」


 ディードの青灰色の瞳が覗き込み、彼女は頷いた。

 けれど、そのいつかが叶うことはなかった。



 「メルヴィ、このお手紙ご覧になった? 貴女の所にも届いたでしょう?」

 「……もう私は令嬢ではありませんよ、レティシア伯爵令嬢」


 明るい橙色のドレスを着たレティシア・カスティーヌ伯爵令嬢は店のカウンターで黙々と薬草を選り分ける娘に向かって、紋章入りの手紙をひらひらと目の前で揺らして見せた。


 はぁっと息をはいた娘――メルヴィは背後の棚からすり鉢を出し刻んだ薬草を混ぜ、ごりごりと棒で擦る。


 「招待状は私の所にも来ました。でも私は行きません。そんな余裕ないので」

 「やっぱり届いていたのね。伯爵様が不在であっても貴女はまだれっきとした貴族よ。ドレスが必要なら私がお貸ししますわ。兄も貴女がいらっしゃるのを心待ちにしているのよ」


 レティシアはカウンターに乗り出すように顔を向ける。

 ノイマン伯爵邸で過ごしたディードがティスガルド王国に帰還し早五年。メルヴィの身辺は大きく変化した。


 父であるノイマン伯爵が突然病を患い急逝し、婚約者のいなかったメルヴィは急遽叔父が後見人となりこれまでの家業を引き継いだ。メルヴィも領地の視察や経営雑務等、家令や使用人達と力を合わせて行った。


 事業はどうにか叔父の力もあり安定してきたが、爵位はメルヴィが婿を取らない限り継承できず、このままではいけないと叔父の息子エリオットが伯爵位を継ぐ事に決まった。


 そもそもメルヴィに婚約者ができれば良いだけの話、なのだが。不思議な事にどの縁談もまとまることがなかった。


 「貴女さえ良ければ兄が――」

 「だめよ。レティシア伯爵令嬢のお兄様はカスティーヌ家を継ぐ方でしょう? いいの、私はこのままここで森を守って暮らすわ。いつも気遣っていただいてありがとう、レティシア伯爵令嬢」


 レティシアはディードがいなくなってから出来たメルヴィの友人で彼女の領地はノイマン領と隣接し、父の代から互いに交流があった。

 レティシアには二歳上の兄がいて彼がメルヴィの事を心配し、爵位を継承できないメルヴィとの婚約を打診してくれていると以前叔父から聞いていた。

 ただメルヴィはその申し出に感謝しつつも素直に頷く事ができないでいた。伯爵家の資産は叔父の子息エリオットへ譲渡される予定だが、伯爵家裏の森とメルヴィが生涯生活するに困らない程のお金は貰っている。

 けれどメルヴィはできるならお金は貯金しそのまま手をつけたくなかったので、こうして森から得られる恵みから様々な物を作っては売り金銭を得ていた。


 「幸いうちの森で採れたもので作ると効能の良い薬が出来るのよ。さすがは精霊王の愛した森ね」

 「そうね、貴女の薬やお茶はとても評判がいいものね。ああそうだわ、今日は招待状の件以外にそれもお願いしようと思っていたの」

 「大丈夫よ、それならもう用意してあるから。はい、これ一週間分、飲む時は白湯と一緒にね」


 カウンター横の台にのせた紙袋二つをメルヴィは差し出し、レティシアは微笑んで受け取った。


 「ありがとう。でも本当にドレスならお貸しするからいつでも言ってね」

 「ええ、わかったわ」


 紙袋を抱えたレティシアはメルヴィを一度寂しげにみてから帰っていった。


 「……あら、調合する材料が足りなくなってる」


 レティシアが店を出てしばらくしてから、調合途中で加える薬草が少なくなっている事に気づいてメルヴィは窓から森の様子をうかがった。

 まだ昼なので今から森に入っても夕刻には戻れる、そう判断しエプロンを外したメルヴィは籠を持ち店を出た。

 森に入り薬草類を採取し籠に放り込んでいく。作業を進めていると次第に小さな光玉が周囲に現れ始め、メルヴィは瞳を細めた。

 これはいつの頃からか出現し始めたモノで光玉が集まる場所に行くと、そこには大抵珍しい草花が生えていた。

 消えてしまう前にと光玉を追いかけると、向こうで見つけたのは草花でなく、人間だ。


 騎士服に身を包んだ黒髪の青年だ。みると彼の周りに沢山の光玉が浮かんでいる。

 あまりに幻想的な光景にメルヴィは思わず息を飲んで立ち止まった。一方で青年がディードと別人であることに落胆もした。


 ――わかってはいるけど、やっぱり辛いわ。


 昔あったあの日のように再び彼が森に迷い込んでいないか、倒れていないか、メルヴィは森に入るたび無意識に目で探す。だがそれは期待はずれに終わり、それがいつもの日常でもあった。

 

 落ち込んで肩を落とすとふと頭上に影ができ、顔を上げると騎士が彼女の至近距離まで来ていた。

 間近で見る青い騎士服は金糸が精緻に縫い込められ、この意匠はこの辺りの地方ではお目にかかった事がない珍しいものだ。

 青年の青色の瞳が興味深げに彼女を見つめる。


 「こんにちは、お嬢さん。共も付けず一人で何をしているんだい?」

 「その、薬の材料を採りに来ただけです。あとここは私の家の森なので、一人でも慣れているので大丈夫です」


 今のメルヴィの身なりはそれ程きちんとしていなく、どちらかと言うと平民のような服装だ。昔、共はいた事があり、それが侍女レイラなのだが、ノイマン家の経済事情もあり彼女にはとうに暇を出している。

 本人はメルヴィのそばにいると言って頑なに首をたてに振らなかったが。今も心配なのかよく店に来ては甲斐甲斐しく世話を焼きたがる。


 「もうすぐ日が暮れる。女性一人で歩くのは良くない。早くここを出よう」

 「あ、あの……?」


 騎士はそう言うと一直線に歩きだし、メルヴィはそのあとを急いで追いかけた。この先はノイマン伯爵邸があるのだ。


 「待ってください。そのお屋敷はもう誰も住んでいないんです。もしかして何かご用がおありでしたか?」

 「……誰も?」


 騎士が怪訝そうに振り向き、メルヴィは頷く。

 「はい。お屋敷の主は昨年病で亡くなり、事情があってその使用人達は次期伯爵の元に異動しました。私メルヴィ・ノイマンは亡き伯爵の娘で今はあそこに見える離れで暮らしています。その、ご用件があるのでしたら次期伯爵に取り次ぎましょうか?」


 目の前の娘がノイマン伯爵の娘と分かったせいか、騎士が吟味するように彼女を見た。


 「いや用はあったがそれはすでに解決した。事情は理解した、それではメルヴィまたな」

 「え、」


 騎士が話し終えるとその姿は魔術師のように一瞬にして消えた。一体彼は何者なのか、先程まで騎士のいた場所をメルヴィは不安まじりに見つめる。



 それ以来、新たな客がメルヴィの店に来るようになった。それはこの前遭遇した騎士で、今は店内の端にある待合用の椅子に腰掛け本を読んでいる。


 「お待たせしました。レム様、頼まれた物ご用意できましたよ」

 「ありがとう、メルヴィ」


 メルヴィが紙袋を差し出すとレムと呼ばれた黒髪の騎士はふっと顔をあげ、にこっと笑った。


 あの出会いから彼はすっかりメルヴィの店の常連になった。注文する品は特になんて事はない、どこでも手に入る物ばかりだが、どれも高値で購入してくれるのでメルヴィにとってはお得意様だ。


 「いつもありがとうございます。おまけに特別ブレンドの茶葉も入ってますから、よかったら飲んでください」

 「それは嬉しい、ありがとう」


 レムが紙袋を受け取ると入口の扉が開き、レティシアが入ってきた。


 「メルヴィ伯爵令嬢、そろそろ何を着ていくか決まりました?」

 「そのことでしたらレティシア伯爵令嬢、私は出席しないとお伝えしたでしょう」


 「もう、そんなこと認められるわけないでしょう。今回の夜会はフリージア国のみならず周辺諸国の貴族の方々も出席なさると聞いているの。滅多にない機会なのだし、貴女も絶対に出席するの、いいわね?」


 いうが否やレティシアの使用人が運んできた大きな荷をメルヴィの前に置いた。


 「夜会用のドレスを幾つか持ってきたの。この中から選ぶと良いわ。それじゃあ、明後日会場で会えるのを楽しみにしているから」

 「待って! レティシア伯爵令嬢」


 引き留める言葉もむなしくレティシアは颯爽と店を出ていき、残された荷を見下ろしメルヴィは途方に暮れた。

 決して悪気があるわけではないが、レティシアは良かれと思った事をこちらの都合関係なく押しつける傾向がある。


 ――仕方ない。当日はほんの少しだけ顔を出したらすぐ帰ろう。そうすれば彼女も満足してくれるはず。


 ドレスの入った荷を私室に運ぼうとした時、横から伸びた手がそれを止めた。手はレムのものだ。


 「待ってくれ、そのドレスはさっきの令嬢の私物なのか?」

 「ええ、まぁ、そうです……けど」

 「メルヴィも貴族なんだろう? それなのに他の令嬢から借りなければならないほど、君の家は大変なのか?」


 貴族とは程遠い暮らしを始めるメルヴィにとってドレスを新調する事は無駄以外の何ものでもない。なんと説明していいものか考えあぐねていると、レムが立ち上がり彼女の手をひいた。


 「レム様?」

 「それならぜひ君に来てもらいたい場所があるんだ」


 レムが用意した馬車で小一時間移動し着いた所は隣のカスティーヌ伯爵領にある大きな街だ。

 馬車の中で話を聞いたが、彼はカスティーヌ領の街に宿をとり周辺を巡っているらしい。街にある服飾店に案内され、中に入ると女店主が声をかけてきた。


 「いらっしゃいませ。あらレム様、今日はお嬢様とお出かけでしたか。本日はどのようなお品をご所望でしたか?」

 「彼女に合う夜会用のドレスを頼む。あと装飾品もそれに合わせて欲しい」

 「かしこまりました。少々お待ちください」


 請け負った女店主が裏にさがっていき、メルヴィは焦ってレムの腕をひいた。


 「あの、ちょっと待ってください。ドレスなんて……そもそも私、出席しないと聞いてましたよね!?」

 「ああ、そうだったかな。まぁいいさ、いつもよく効く薬をくれて助かってるんだ。これはその礼だ。受け取ってくれ」


 「礼だなんて……」


 軽い調子でいうレムにメルヴィが困った顔をする。彼からは対価をきちんと貰っているのだから気にする必要はないのに。メルヴィはひどくいたたまれない気持ちになった。


 「それならこれはどうだろう。明後日の夜会は俺も出なければならないんだ。その同伴を君に頼みたいのだけど、ダメだろうか?」


 レムの提案にメルヴィはますます困惑する。


 「前にお話したように私はじき伯爵令嬢ではなくなります。ドレスなんて必要ありません。買うなんて勿体ないです」

 「メルヴィ、これはあくまで俺個人からのお礼の気持ち、だから受け取ってほしい」


 「レム様、お嬢様、お待たせしました。さあこちらをご覧ください」


 メルヴィ達が話を応酬させている間に女店主がドレスを手にし戻ってきた。それは銀糸の刺繍で濃淡ある青色の布地、スカイブルーからサファイアブルーへの変化が目をひく美しい色彩、プリンセスラインのドレスだった。


 「――綺麗」


 思わずドレスに見惚れてしまい、言葉が口をついて出ると隣にいたレムがクスクス笑った。

 通常これ程上質な仕上がりのドレスは既製品で目にする事はなく、夜会が迫るこの時期に服飾店にあること自体奇跡に近い。驚く彼女に女店主が理由を説明した。


 「こちらはレム様がかねてより依頼なさっていたお品なのですよ。ずっといつお出しできるか楽しみにしていたんです。これでようやく日の目を見る事ができて、私共も感無量ですわ」


 女店主が安堵した様子をみせ、メルヴィを試着室に押し込めた。他の従業員が手際よく試着を手伝ったが、不思議な事に寸法はぴったりだった。


 「まぁ良かった。これならお直しは必要ありませんね。さあレム様もご覧になってください」

 「ああやはり綺麗だ。これならすぐ受け取っても構わないな」

 「装飾品も合わせてから、すぐお包みしますね」


 仕立てたドレスを試着したメルヴィの立ち姿を上から下まで確認したレムは満足そうに頷いている。その後彼は装飾品をあれこれと選んで瞬く間に買いそろえていった。

 店を出た帰りの馬車の中でレムが予定を伝えた。

 

 「明後日の夜会は俺と一緒に行こう。昼過ぎにメルヴィの所に迎えに行くから待っていてほしい」


 これ以上断った所でレムが食い下がることはなさそうだと諦め、メルヴィは肩を落とす。


 「わかりました。でも本当に良いんですか?」

 「勿論だ。俺は君と行きたい。そして一緒にダンスを踊ろう」


 躊躇うことなく真っ直ぐ口にし、いつにも増して柔らかく微笑むレムにメルヴィの胸が鳴ったが、一方でダンスという言葉に胸が傷んだ。

 

 青灰色の瞳をした青年の姿がレムと僅かに重なり、やはり今でも彼――ディードの事が忘れられないのだと気づく。


 ――本当はディードと一番はじめに踊りたかった。


 レムに曖昧な返事で返したメルヴィは泣きそうになる感情を堪え、馬車の小窓から向こうを眺め続けた。


 翌日いつものように森で採取したものを調合し在庫補充をしていると客がやって来た。その人はよく知る人物でミーナといい、近隣の家に住む女性だ。


 「ミーナさん、いらっしゃい。どうされました?」

 「メルヴィ様、息子の熱が昨夜から全然下がらなくて。熱を下げるのによく効く薬はありませんか?」

 「熱、ですね」


 ミーナはメルヴィの素性を昔から知っており、ノイマン家のことも大体理解している人間だ。

 そんな彼女は侍女のレイラ同様メルヴィを気にかけ、畑でとれた野菜や果実を分けてくれたり調合した物と交換してくれていた。

 いつも世話になっている彼女が困っている、メルヴィは一度彼女の家に行き、子供の様子を見に行くことにした。

 家に着いたメルヴィが子供の状態を確認すると眠っており、額に触れ熱を確かめた後少しだけ起こし薬湯を飲ませ再び眠らせた。


 「ありがとうございます、メルヴィ様」

 「いいのよ。てもこのお薬だけでは心配なので、念のためお医者様に診てもらえるよう頼んでみるわ」


 自ら医師の家に行き呼んでくると告げた彼女をミーナがひき止める。


 「そういうわけには……これ以上メルヴィ様にお世話になるわけには……。それでしたら私が行って参ります」

 「大丈夫よ、それよりミーナさんはお子さんについててあげてちょうだい。すぐ戻ってくるわ」


 振り返ってにこっと笑ったメルヴィはそのまま家を出た。

 ノイマン家専属のデュラハン医師は老齢でメルヴィが物心ついた頃から世話になっているが、正確な年齢は不明だ。彼は伯爵家が管理する森の敷地の端に建てられた家に住み暮らしている。

 ちょうど森に入った直後、雨が降ってきたがメルヴィは外套を取りに戻ることなく、真っ直ぐ彼の家に向かった。


 デュラハン医師の家の脇に崖があるため歩く時は気をつけるようにしているが、そこまで奥に行くことはないので危険はないはずだ。

 医師の家が見えてきた時ふと扉前に人が立っている事に気づく。客人だろうか、その人は扉を開けた医師に誘われ、家の中に入っていった。

 だがその様子を見ていたメルヴィは驚いて思わず出そうになった声を飲み込んだ。


 ――あれは、まさか。いえ、そんな。


 その人の容姿はティスガルド王国に帰ったはずのディードに瓜二つだった。


 「どうしてディードがここにいるの?」


 彼の帰還はメルヴィにとって非常に喜ばしいもののはずだが、正直素直に喜べなかった。


 ――私はもうじき伯爵令嬢ではなくなる。もう本当の意味で彼との距離は遠くなってしまうのね。


 そんな惨めな自分を知られたくない。見せたくない。メルヴィはデュラハン医師の家から逃げるように離れたが、来た道からそれた場所に出た瞬間、雨でぬかるんだ土がずるりと滑り崩れた。


 「!」


 崖のある方に来てしまったと気づいた時には既に遅く、メルヴィは土砂と一緒に滑り落ちその衝撃でそのまま意識を失った。



 デュラハンは精霊の森に古くから住む医師で主であるノイマン家を中心に依頼された診療を行っている。

 最近はノイマン伯爵が不幸にも病により帰らぬ人となり、残された愛娘メルヴィは伯爵家を叔父に譲り、自身は祖先が守ってきた森を同じように守るという選択をした。


 ただそれはメルヴィが結婚しなかった場合だ。彼女が婿をとり伯爵位を継承すれば解決する話なのだが、不思議な事にいくら叔父をはじめ周囲が縁談をまとめようとしても、一向に相手が決まることはない。


 原因は彼女自身が意図的に避けているか、もしくは奇妙な力によるものなのか。


 けれどその理由は数年ぶりに訪問してきた目の前の青年によるものだとデュラハンは理解した。


 「これまで何故かメルヴィ様の縁談が決まらなかったのは貴方のせいだったのですね、ディード、いえ――ディードハルト様」


 ディードハルトと呼ばれた金髪の青年はそれが答えだと言わんばかりに、うっすらと笑みを浮かべる。


 「突然どうした、デュラハン?」

 「いえ、昔からメルヴィ様を溺愛していた貴方なら、やりかねないと思っただけです。彼女に魔法をかけるなど造作もないでしょう」


 公にはできないがデュラハンも精霊の血が混ざっている。そのせいか普通の人間より長命で魔法の痕跡も辿ることができる。


 「デュラハンの言い方は刺があるな。俺はただ彼女に加護を与えただけだ。……だがそれが今となっては俺にとっても障害になってしまったが」

 「? はて、それは一体どういう意味ですか?」

 「いや加護は俺かそれ以上の力を持った人間が現れれば効果を失う、はず……なんだが、どうも彼女の心が定まっていなくて、な」


 ディードハルトの整った容貌が途端に険しくなる。珍しいものを見たとデュラハンが目を細めた。


 「きちんとメルヴィ様に貴方の事情をお伝えしてないのでしょう? 一度二人で話し合ってみては?」

 「……わかっている」


 そう答えたディードハルトがはっと顔をあげ周囲を見回し、デュラハンが奇妙な顔をした。


 「どうかしましたかな?」

 「今、メルヴィの声が聞こえたような……っ、待て、これは。デュラハン悪いが今日はこれで失礼する」


 言い終えすぐに踵を返したディードハルトの姿が瞬く間に消えた。彼は精霊王レムファントの血を濃く受け継ぎ、今や膨大な魔力を有する稀有な存在でティスガルド王国を支える筆頭侯爵として名が知れ渡っていた。


 そんな彼が今になってメルヴィの前に現れ干渉する理由をデュラハンは知っているが、やれやれと首を振る。

 ノイマン家の祖先はデュラハンの古い友人でその直系のメルヴィが幸福となることを彼はいつも願っている。


 ――本当はささやかな幸せが一番よいのだが。


 この先起こるであろう事を想像しデュラハンは息を吐いた。



 冷たい雨。染み込む土砂の下にいたメルヴィはいつの間にか、何者かにより救い出されていた。


 「メルヴィ! 目を開けてくれ、メルヴィっ!」

 「――、……ん、」


 何度も名を呼ばれ、メルヴィが重い瞼を動かし目を開けると、昨日別れたばかりの黒髪の騎士レムが泥で汚れ冷えきった彼女の頬を温もりある大きな手でずっと擦っていた。


 「レム、様? どうして、私……痛っ」


 彼に横抱きに抱えられていたメルヴィは動こうとした瞬間、足に痛みが走り顔を歪めた。


 「ああメルヴィ動いたらダメだ。君は崖から落ちて土砂に埋もれていたんだ。どこか怪我を……足か。これはデュラハンに診てもらわなくては」

 「! 大丈夫、私なら平気。デュラハン先生をこんな事でわずらわせたくなんかないもの」

 「……」


 デュラハンという名でメルヴィはここに来た目的と彼の家に行きづらい理由を思い出し、レムに向き直った。


 「そんなことより、レム様におね――」

 「こんなこと? 今の君の状態より優先すべき事柄があるのか?」


 途中まで出かけた言葉をメルヴィは飲み込んだ。レムの低い声が空気を震わせ彼女を硬直させる。彼はこれまでにないほど怒っていた。


 「とにかくデュラハンがダメなら他の医師にみせる。これは絶対だ。でも何故彼ではダメなんだ? 彼はノイマン家所縁の医師だろう」


 騎士の問いかけにうつむいたメルヴィはか細い声で理由を語った。


 「……その、デュラハン先生の所に、昔の知り合いが来ているみたいで。私、その人に合いづらい、というか会いたくなくて」

 「……」


 急に静かになったレムが先程のメルヴィのように体を固くした。


 「何故、と聞いても?」

 「笑わないで聞いてね」

 「もちろん」


 レムの声がメルヴィの頑なな心を開いてくれるような気がして、自然と溜めていた不安がぽろぽろと出てきた。


 「今の私を見られたくないの。その人、ディードは私なんかと比べるのも烏滸がましい位すごい人になってて、何も持たない今の私じゃ恥ずかしいし、会ってもきっと鬱陶しいと思われるわ」


 少しでも冷えたメルヴィの体を温めようとレムが大きな木の根に彼女を抱えたまま座る。


 「それはメルヴィの主観で実際に本人に会ってみなければわからないだろう。それに君は仕事も懸命に取り組んでいて、周りにも優しいとても魅力的な女性だと俺は思うよ」


 レムの言葉が優しい雨粒のように染み渡り、彼女の目からぽろぽろと涙がこぼれた。


 「ありがとうレム様。ごめんなさい。私やっぱり夜会は出席できない。貴方と踊れない。約束したの、一番はディードとって。馬鹿みたいだと思うけど、まだ待っていたい。そしてまた会うことができたら、勇気を出してディードに好きだって伝え――!? レム様?」


 話の途中で急にレムが抱き締め肩口に顔を埋めてきた。メルヴィは一瞬呼吸するのを忘れてしまう。


 「あ、あの」

 「ああ、メルヴィの気持ち、わかったよ」


 静かに吐いた彼の言葉を聞いてメルヴィは瞳を閉じ、もう一度「ごめんなさい」と呟いた。



 レムが魔法を使えると知ったのは初めて森で会った時だが、移動の魔法使用中は目を瞑っていてほしいと頼まれた。

 言われた通りメルヴィが目を閉じると空気が揺れ肌に微かな風を感じ、再び名を呼ばれ目を開けるとそこはもう家の中だった。

 見慣れた内装でここがデュラハン医師の家だとわかる。


 「ありがとうレム様。重いでしょう、そろそろおろしてください」

 「おお、ディードハルト様、戻られ……おやメルヴィ様もご一緒でしたか。二人ともずぶ濡れではないですか。何か拭くものを持ってきます、お待ちください」 


 奥の部屋から出てきたデュラハンはメルヴィ達の汚れた姿を見て目を丸くすると、慌ててタオルを取りに引き返していった。


 「……えっ、ディード? どこ?」


 デュラハンが口にした言葉に反応しメルヴィはキョロキョロ周りを見渡したが誰もいなく、ふとレムを見るとその姿は黒髪の騎士から金髪の青年へと入れ変わっていた。


 「……」

 「ディー、…ド? レム様は、どこに消えてしまったの?」


 ぽたぽたと金色の前髪から雫が滴り彼女の胸元を濡らす。ディードはじっとこちらを見下ろしていた。

 戸惑うメルヴィをよそにデュラハンがタオルと着替えを抱え戻ってくる。


 「さぁ二人ともこれで体を拭いて着替えてください。部屋はメルヴィ様はあちらをお使いください」

 「わかった。あとデュラハン、メルヴィは足を痛めている。すぐに診てほしい」


 ディードに抱えられたまま別室に運ばれ、デュラハンの診察を受けた後手当てされる。幸いにして骨に異常はなく、左足を挫いただけのようで腫れをひかせる薬と包帯で処置された。


 体を拭き着替えを済ませた後、足の痛みが落ち着くまで寝台で休んでいるよう指示される。ミーナの息子の症状を聞いたデュラハンは診療道具を鞄につめ、出掛けていった。


 残されたのは寝台で掛布を頭までかぶって隠れるメルヴィと傍らの椅子に座るディードのみ。

 しんと静まり返った室内で彼が気遣うように口を開いた。


 「メルヴィ、怒っている?」

 「……さっきまでレム様と一緒にいたはずなのに、どうしていつの間に貴方に変わっていたの? ……私、貴方の前で物凄く恥ずかしいこと沢山喋った、わよね? もしかして全部覚えてる?」


 「聞いた、全部。忘れるなんてあり得ない」

 「……っ、」


 いたたまれなくなりメルヴィは真っ赤になった顔をさらに掛布で隠した。


 「こっちを向いてメルヴィ」


 少しだけ掛布をさげ、声のした方に目を向けるとディードの全身が淡く輝き、やがて騎士レムの姿に変化した。驚いたメルヴィががばりと身を起こす。


 「すごい、魔法で変身したの?」

 「そう。これはエイナー家から忍んで出る時の仮の姿でね、今回はどうしてもこの国に、いや君に会わなくてはならなかったから」

 「私に?」


 何か自分に特別な用でもあったのか、メルヴィは尋ねた。


 「ノイマン伯爵の事もメルヴィの今置かれている立場も俺の所に報告されていたのだけど、なかなかここに来ることが出来なかった。大変な時、メルヴィ一人にさせてすまない」

 

 申し訳なさそうに言うディードにメルヴィは首を横に振った。


 「いいのよ、気にしないで。ディードはもうエイナー侯爵家の人なのよ。貴方だってこれまで色々大変だったでしょうに」


 中央から離れた田舎貴族と違い、エイナー侯爵家は名門。請われてそこに戻ったからといって、ディードの立場は磐石ではない。確固たる地位を築くため、多くの苦労があったはずだ。

 メルヴィの言葉にディードは微笑んだ。


 「でもこうして君に会いに来たのは、君の気持ちを確認すること。それが最も重要な目的だった。さっきその事が解決したからレムではなく真の俺の姿が君に映るようになった」


 よくわからないが、以前彼に加護の魔法をかけられたがそれはメルヴィの気持ちも必要だったらしい。


 「これは君にだけかけた特別な魔法なんだ」


 そういってメルヴィの左手をそっと掴んだ彼は前にしたように口づける。再びそこが淡く光り紋様が一瞬浮かんですぐ消えたのを見届けて、ディードは安堵した。


 「今の何?」

 「ふう、成立した。これで一安心だな。メルヴィ、俺と一緒にティスガルドに行こう。精霊の森はデュラハンが守ってくれるから大丈夫だ」

 「ええっ!?」


 彼は余程嬉しかったのか、その手を離さずそのまま恋人繋ぎし始めた。

 

 加護の効果は本当だ。ただこれはティスガルドが相思相愛の恋人達によく使う、婚前契約の魔法でもあった。段階もありメルヴィがはじめに受けた加護は仮契約で、ディードへの恋情がなければ契約は自然消滅し、彼の姿もずっとレムに見える状態なのだという。

 なんともまだるっこしい魔法だ。

 ちなみにメルヴィがその事を聞かされたのは、この後すぐのことである。



 あれから二人で話し合い、ディードの押しもあってか夜会に出席することが決定した。その日は午前にディードと一緒に父ノイマンの墓前に行き二人の事を報告し、レティシアの所へドレスを返しに行った後、叔父にディードとの事を伝えた。


 叔父は昔からディードと面識があり、二人の仲を微笑ましく思ってくれていたので、今回の事を驚きつつも喜んでくれた。

 ディードは事前に色々準備していたらしく、メルヴィはエイナー家由縁の所に養女として迎え入れられる事になった。

 

 ディードにエスコートされ夜会会場に到着し、顔馴染みの出席者達に挨拶を済ませると音楽が流れ始めた。


 「踊ろう、メルヴィ。何年もずっとこの日を楽しみにしていたんだ」

 「ふふ、私もよ、ディード」


 優しく微笑んだ彼がメルヴィの手をとり、怪我した左足を気遣うように彼女の体を支えた。


 「ダンスは一回だけにしよう。支えるからメルヴィは無理しないで俺に寄りかかって」

 「ええ、ありがとう」


 お言葉に甘え、左足に体重をかけないよう寄りかかったが、重いはずなのにディードが嫌な顔一つせず凄く幸せそうにしていてメルヴィは苦笑する。


 「ティスガルドにはレムファント所縁の森があって、君が喜びそうな草花が群生している所が沢山あるんだ。早く君に見せたいよ」


 「そうなのね。楽しみにしているわ」


 メルヴィはディードを見上げ微笑んだ。

 その一年後、二人は無事結婚しいつまでも仲睦まじく暮らした。

 

 


 

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