episode5 Palcoscecolo・上
※前話と同じように視点が切り替わります。
<side来島>
するりと、名残惜しそうに肩を撫でながら少女の腕が離れる。あどけなく笑って、少女――シモンは立ち上がった。
「ちょっと待っててね?」
「…………」
わざわざ言われなくとも、待つしかない。気づいた時には、俺の体は微動だにしないほど硬直していたのだから。
「……何、を、仕込み、やがった……」
「普通の火薬弾だとダメージ大きいから、麻酔の一瞬を含んだ特殊弾にしてみたの。……痛かったよね、ごめんね」
笑みから一転し、眉を下げ目を細めた少女――シモンを、俺は改めて見つめた。悲しそうなその表情には、確かに俺の知るシモンの面影がある。
4年前、シモンが玄庭 蒼門に手をひかれながら振り返った刹那、網膜に張り付いて離れない……あの表情。
「シモン……生きてた、のか。蒼門はお前を……」
「あれ、心配してくれたの? しかも、すごく久しぶりに名前呼んでくれたねっ」
目と鼻の先にある顔は、再びコロリと笑顔に変わる。4年前には見られなかった顔だ。ずいぶんと感情豊かになったらしい。
だが……。
「蒼門なんてどうでもいいよ。何にも……本当に、何にもなかったから」
そう言って、シモンは踵を返してデスクに向かう。パソコンを開いて頷き、引き出しを片っ端から開けている。
その背を見て、が4年前と大きさも細さも、ほとんど変わっていないことに気づいた。
栄養失調から、か。
「……ク、ソ……が……ッ」
痺れた口で、絞りきるように毒を吐く。
かつて蒼門からシモンを救えなかったことにも、動かない肢体にも虫ずが走る。
「あっ、あった」
「……ッ!!」
広い部屋を小走りに、嬉しそうに走り寄ってくるシモン。その手に見慣れない薬瓶を見つけ、俺は、思い切り睨みつけた。平瀬に対してよりも本気で睨んだから、酷い目つきになったはずだ。
奴はびくりと肩を竦めて立ち止まった。
「…………ただの止血剤だよ。痛そうだったもん」
しゅん、とうなだれるシモンを見て、僅かに罪悪感が沸いてくる。
大人気なかったか……?
「………………くっ」
いや、傷の痛みと眩暈が思い出させやがる。
こいつは、確保すべき犯罪者だ。
「……俺と遊ぶ、と、言ったな……何をする気だ」
「キジマ刑事の目、怖いから、言わないもん」
「…………」
何を、平瀬みてぇなことを。
うつむくシモンの頬は膨れている。むくれているらしい。
――ガキだ。
「もう一回名前呼んでくれたら、教えてあげる」
うつむいたまま、シモンが拗ねたように呟く。
――なんだそれは。
「………………………………、シモン」
結局、俺は考えるよりも情報を優先した。とたんに、シモンは勢いよく顔を上げる。
「うんっ!」
機嫌は治ったようで、再び俺の前にしゃがんだ時には笑顔になっていた。
――いや、だから、なんなんだ。
「まずは、"私"を"造る"ために……世界を掻き回しちゃいますっ!」
手を挙げ、声高々とシモンは宣誓する。
「……どう、いう」
「自由になるまで、キジマ刑事以外の"外"の人と喋ったこと、なかった」
「…………ッ!」
予想出来ないことじゃなかったが、本人の口から聞けば衝撃は大きい。
監禁……"児童虐待"に含まれる。
「私が"外"について知っているのは、ネットから手に入るただの『情報』だけ。喋り方も、『女の子供の喋り方』を調べて真似ただけ」
残酷な事実を、シモンは淡々と明かしていく。
「知ってるだけじゃ、何も現実味がなくて、つまらなかった。だからね、暴いて曝して覗いて読んで聞いて嗅いで触って感じて、理解しつくしたい。そのためには、合法だけじゃだめだよね?」
シモンの指が警察手帳の入った胸ポケットに触れた。
「……今回みてぇな、ハッキング、窃盗……テロリズムも起こす予告か」
「うん! だから、『鬼ごっこ』。私は"犯罪者"として逃げて、キジマ刑事は"警察"として追いかけるの。楽しそうでしょ?」
「……疲れそう、だ」
「でも、お仕事だから来てくれるよね!」
シモンの邪気が無さ気な顔に、溜息がもれた。ただの計画犯とは違い、子供の犯罪者には邪気がないことが多い。
やりにくいときたらありはしない。
――ならば、同じか。今までどおり、"滑動"するだけだ。
――頼むから、上手くやれ…………平瀬。
<side平瀬>
走りすぎて喉が痛い。必死の呼吸は、甲高い音になって鼓膜を刺す。
視界の端に、警察のサーチライトを反射したスパンコールをとらえた。
「つ、かまえ…………えっ?」
すかさず走り込んだトラックの裏には、誰もいない。
「どこに……」
「こぉこだよっ」
楽しげな声は真後ろの、上空から降ってきた。
「は……」
「あるれっくぃっくぅーのぉぉっっ!!」
背中への衝撃に、背骨が軋んだ音をたてる。何をされたのかもわからないまま、気づけば顔を押さえて転がっていた。トラックの荷台に顔面からぶつかったみたいだ。
い、痛い……体中痛い! 鼻血も出てる……きっとトラックに付いちゃっただろうな。
「おにぃさん、だいじょぶ?」
ふいに真上から降ってきた鈴のなるような声に、背筋が凍りついた。
こんな小さな子供なのに、なんでこんなに怖いんだろ。
「あははははっ! でも、もうおっかけてるの、おにぃさんだけだよ! いっかいでもつかまえられたら、"わすれもの"返してあげるのにっ! ケイサツってだらしなぁい」
体を大きくそらして、ピエロ少女はケタケタと笑う。何がそんなに楽しいんだろうってくらいの大爆笑。
「……さ、」
「"さ"?」
「さ、さっきの掛け声……何です、か……?」
くぐもった声で尋ねれば、ピエロは動きをピタリと止めた。
「きになるの、ソコ?」
――……自分でもちょっとそう思いました。でも、気になりますよ、『あるれっくぃっくぅーの』……。
僕が再び立ち上がろうと膝をつくと、少女は不満そうに足元を蹴る。それは、拗ねた子供の動作そのものだ。
「……しつこいなぁ」
そのまま蹴った足をまっすぐ振り上げ、僕の肩に降ろす。静かに、それでも確かな靴の重みに体がよろめいた。
「うぅ……」
「ほかのヒトみたく、さっさとあきらめてほしぃな。イタイでしょ? コワイでしょ? だれも、おにぃさんをせめないよ、みんなそうだもん」
視線をあげると、体を横に曲げてこちらを覗き込むピエロと目があった。ここはサーチライトからは死角で、ビルからの僅かな明かりしか届かない。それでも、ピエロの大きな目はそれを映しだしてキラキラしている。その目も、また三日月型に細まった。
「みんな、うごけるのに、うごけないフリしてたよ? "ばけもの"は、イタイしコワイから。おにぃさんもはやく、ねちゃったらいいよ。そしたらもう、けらない。イタくないよ?」
倒れてしまうことを促すように、肩に置かれた足に微妙に力が入る。正直、2回も蹴られているだけに、少しの重圧でも痛みで悲鳴があがりそうだ。3回も蹴られたら、本当にぴくりとも動けなくなりそう。
――……ん?
「こ、このまま倒れたら、蹴らないの?」
「……むぃ?」
「えっと、僕らがその、倒れたフリをしなくても、君なら何回も蹴れば本当に倒れちゃいます。それなのに、僕が倒れたフリをするのを待ってくれるんですか?」
きょとんとした顔のピエロに、僕は笑いかけた。
「意外と、優しいね」
「ふぇッ!? や、さ」
「そんなことが言えるのは、"ばけもの"じゃないと思います」
「やっ、や、さしぃくないよッ?」
困惑したように視線を泳がせるピエロは、ちょっと照れているのかもしれない。子供らしい仕種だ。
「でも、ごめんね。まだ、倒れられません」
ピエロがこっちを見て、また目があう。
「きっと、刑事がどこかで戦ってから……僕だけでも最後まで、刑事と戦いたいんです!」
真剣に言い切れば、呆れるかと思ったピエロの目が、今度は満月型に見開かれた。そして、そのままふわりと笑う。
「しょうがない。それがだいじなヒトなら、しょうがないよ。ボクも、だいじな"トモダチ"のためにここにいるから」
「――っ!」
――きっと、"ばけもの"っていうのは……あの"玄庭 蒼門"みたいなのを言うんだ。こんな女の子のことじゃない!
ピエロの笑顔と、彼が刑事に杖を投げつけた時のことを思い出して、僕はそう思った。