episode2 放童事故・下
会計を済ませようと、席を立ったときだった。天井から吊されたテレビから、ひときわ気を引く音楽が飛び出した。
新人らしい男性アナウンサーに、数枚の紙が素早く手渡される。
緊急速報……か?
『えー、臨時ニュースです。昨夜、大手"玄庭グループ"の株式が、何者かによってハッキングされ、大損害を巻き起こした事件に……』
"クロニワ"?
4年前から、脳裏に焼き付いて離れないその響きに、俺は思わず足を止める。
「刑事〜?」
先を歩いていた平瀬の不思議そうな声は無視し、画面を凝視した。
『……ただいま、この事件についての速報が入りました。ハッキングをしかけ
た"犯罪者"が、さらに数日前"玄庭グループ"から大事な大事なたぁいせつなモノを盗んでいたことが判明しました』
「……………………」
気持ちの悪い違和感。
何だ今の喋り方。
しかも、何故"犯人"じゃなく、"犯罪者"なんだ?
『ここ数年の"玄庭グループ"のすんばらしい成長は、盗まれたモノによってもたらされたらしいです。
と、いうことは』
画面に、全面ガラス張りのビルが現れる。その特徴的な流線型のデザインは、知る人ぞ知る"玄庭グループ"本社ビル。
ビルの写真を手で指し示しながら、若いアナウンサーは不自然にニッコリと笑った。
『すでに、この箱庭はなぁぁんにもできない、ガラクタということですね』
ガラスのビルの写真は、その一言で、握り潰した紙のようにクシャリと歪む。随分とよくできたアニメーションだ。周りの奴らが息を呑むのもわかる。
あからさまな悪意が伝わってくる。
『なんでも、じつは2回にわたるこの過去の事件、"玄庭グループ"は2回とも"犯罪者"からの予告状があったらしいんです。警察には届いてないですけどね』
「け、刑事……このアナウンサー、最初のほう、右頬に黒子があったと思うのですが……」
平瀬の言葉にうなずいて見せた。意外によく見ている。
「手の込んだ放送ジャックだ。繋ぎ目が見えなかっただろ。しかし……」
目的が読めない。
『3通目の予告状はすでに届けられたのですが、"御老人"にばかり責任がかかる状況は、あまりに不憫だと感じます。せっかく"正義の権力"たる警察があるのですから』
流暢な語りを一旦止め、アナウンサーは黒子があったはずの頬を人差し指でつき、ニッコリ笑う。ぷにっ、とへこんだ頬は柔らかくなめらかそうで、男のそれとは思えない。
少女のそれ、の、ようだ。
『ゲームに参加していただきまっしょぉー』
警察署に帰れば、蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。
「刑事、原警部いましたよ!」
平瀬に促され、巨体を震わせながら走る上司を捕まえる。
「あっ、来島ちゃん、帰ってたの?いやぁ〜、大変なことになったねぇ」
「……届いたんだな?犯行予告」
「お〜、さすがに読みが鋭いなぁ。あっ、もしかしてあのニュース見たの?」
緊張感のない喋り方にいらつきつつ、うなずいて応える。
あのあと。画面はブツンと音を立てて暗転した。
テレビ自体が壊れたと思ったのか店員は慌てたが、2秒後にはCMが流れ始めた。さらにその2秒後、黒子のあるニュースキャスターがテレビ局からの謝罪をしに映る。混乱した様子はいっそ哀れだ。
そのさらに2秒後、俺達も携帯で、同僚に呼び出された。
『犯罪予告。警察は喧嘩を売られたわ。アンタも来なさい、"イロナシロリコン"』
「"イロナシ"……って、あの女性は何のことを言ってたのですか?」
「…………"色がない"の"無色"と、"職がない"の"無職"をかけてるんだろ。たぶんな」
首を傾げる平瀬をデコピンで黙らせる。
俺としては、"ロリコン"の方がウザかった。一方的に切られていなかったら、携帯に向かって耳を潰すつもりで怒鳴っていただろう。
デコを抑える平瀬から目を離し、俺は原警部に再び向かい合う。
「原さん、折り入って頼みがある」
「ん〜?珍しく素直だね。な〜に?」
「"玄庭"の事件にまわせ」
「……珍しくストレートだし、頼みっていうか脅迫だよね、目つきが」
「あんたなら手もまわせるんだろ?」
「でも僕は、仕事と私情は分けてるよ?4年もたったんだから、そろそろ思い出とバイバイしてもいいんじゃない?」
「…………」
状況が読めず、おたおたとする平瀬に向かい、原警部は改めて笑いかける。
「アハッ、平瀬くん、さっきの脱走少年の報告書、来島ちゃんの代わりにちゃっちゃと片してくれる?」
「はい?」
俺も平瀬も、思わず上司の顔を凝視した。
原警部は突き出た腹を撫でながら、俺達に笑いかけている。
大黒のように細まった目の奥に、愉悦が見える。
滑稽だと。
「僕はこのとおり、太っ腹だから。有能で我が儘な部下の、かわいいお願いシカトできないんだな〜」
「……ありがとうございます。死ね」
「辛辣なありがとうだね。ん〜、それにしても」
ここで、原警部も首を傾げる。
「今度のは"玄庭"とはいえ、"子供"は関係ないよ?いいの?君の性癖は満足するの?」
「………………別に」
思わず、深く溜め息をついた。どいつもこいつも勘違いしてやがる。
「俺はガキ専門じゃねぇ……っすよ」
警察はすでに対策本部を立ち上げていたが、犯行予告のあった6月13日金曜日の当日早朝、"玄庭グループ"から遅すぎる通報があった。
"玄庭グループ"社長は、38歳にして"老獪"といわれる、老けた男だ。細い黒目にやどる、狡賢く鈍い光が、油断ならない印象を与える。右足が悪いのか、杖をついている。
IT工業、機械工業、そして貿易を中心に、"玄庭グループ"を大企業へ発展させたカリスマ。
だが、その男……玄庭 蒼門は、俺の記憶の中よりもより蒼白く、疲労してみえた。
「あの時の若造か」
警備の配置のため、例のビルを訪れた俺を一瞥し、奴はそう吐き捨てた。
原さんが何か言おうとしたのを遮り、俺は、自分より低い位置からねめつけるソイツの正面に立つ。
視線がぶつかる。
「盗まれた"大切なもの"……、シモンだろ」
俺の不躾な物言いが気にくわないのか、蒼門は眉をぴくりと寄せた。
「そうだ……忌ま忌ましい盗っ人共にな」
「本当に、盗まれたんだな」
「我輩が隠しているとでも言うのかッ!?」
努気をあらわにした叫び声に、後ろから平瀬の「ひぃッ」という声が聞こえた。
いや、それより"我輩"ってなんだ。
「ありえんッ!……アレは我輩の下でしか生きられん……アレは我輩のものだ……アレは盗まれたのだ……貴様ら警察ならば取り返せ」
「………………」
「なんだその目は……我輩を愚弄しているのか……アレと同じようにッ!!」
瞬間、目の裏に火花が散る。蒼門の杖の、金属製の先端が眉間に炸裂したらしい。
「け、刑事!大丈夫ですか!?ち、血が!」
血が出ているらしい。切れたのか。
「あぁ、どうでもいい」
心の底から言い放つ。
「ど、どうでもって……」
「静かにしろ、平瀬」
既に、どうでもいい。怪我も。 蒼門も。キレたあたりからどうでもいい。もう情報は聞き出した。
「どうした、気が短くなったか?……4年間で随分老けたな」
俺の見せる余裕に、蒼門は額に筋を浮かべ、しばらくして踵をかえし、歩き去った。
『なんだその目は……我輩を愚弄しているのか……アレと同じようにッ!!』
蒼門の言葉を思い返す。
アレ……それはきっと、シモンのことなのだろう。
玄庭 蒼門の娘。
玄庭の次女。
4年前、誘拐された少女。
ただならぬ天才。
アレと同じように、ということは、そのシモンから反抗でもされたのだろう。
シモンはまだ、生きている。それを確認したかった。
「刑事ー!血止めてくださいよー!」
平瀬に呼び止められ、ようやく血が 口に入りそうになるまで流れていることに気づく。
「ちょっと治療してきなよ〜。来島ちゃん、極道みたいだよ?」
メタボ上司にも言われ、現場から離れ、車に戻り治療を受けることにした。平瀬にガーゼを当てられながら、俺はまた思考に沈んでいく。
犯人は、あの時の男か。
あの"玄庭グループ"へ見せた悪意は何だ。警察を呼び寄せた意図もわからない。
そもそも、狙われているものはなんだ?
「刑事、終わりましたよ!」
平瀬の声で我に返った。
「スッパリ切れてました。額の血って止まらないんですよね……持参の薬を塗ってみましたが、痛くないですか?」
「あぁ、まぁな」
「……えっと、あの、刑事! 刑事が子供の事件ばかりに取り組むのって……シモンに関係があるんですか……?」
手元から平瀬に視線を移した。相変わらず情けない面だが、目には確信が宿っている。
ただの勘って訳でもなさそうだな。
「ぼ、ぼく、4年前、刑事が"玄庭グループ"の息女を単独で救出した事件のとき、いて…………せ、先輩! 目が怖いです!」
「……なら、余計な詮索すんな、馬鹿」
「そういうわけにもいかないんです!」
睨まれて青ざめ、慌てながらも、平瀬は引こうとしない。
「救出したあとの詳細は知れなかったです。なんか、"隠されている"みたいに……」
「…………」
「刑事、まだ教えてくれませんか?」
「…………まともに生きたければ、知るな」
「そんな……むぐッ!」
叫びかけた後輩の口に、手元におかれたガーゼを突っ込んだ。
ざまあみろ。
平瀬も、そして蒼門も。
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