episode9 諸対面・下
規模が小さいとはいえ、爆弾を放っておく訳にもいかず、平瀬より先に猫を捜すことになってしまった。
――悪ぃな、平瀬……。
メールは入れておいたが、アイツのことだ。気づくかすら分からない。
"見つける"だけなら、そう難しくはない。署内のいたるところで騒いでいる奴らがいるが、逆に猫を遠ざけていた。それを逆手にとり、人のいないルートを捜せばすぐに見つかる。
だが。
「くッ……そ、追いつかん……ッ!」
俺は肩で息をしながら、屋上へ向かう階段の手すりにもたれる。確実に入院生活が体力の面で祟っている。
これで逃がすのも三度目だ。
やたらと人間を嫌っているらしく、少しでも気配を感じると走り去る。
聞けば、あれはいわゆる『時限爆弾』で、犯人はご親切にも『10:00爆破』とファックスを送ってきていた。ふざけた話、目的は"警察への挑発"らしい。
時計は8時40分を示している――まだ何とかなるか。
屋上は陽が照りつけ、灰色のコンクリートすら心なしか白く見える気がした。
猫の姿は見えない。
「……上手くここまで追い込んだつもりだが」
一人ごち、容赦のない陽のなかへ歩みだす。
「っ……そこから動かないでください!」
ふいに頭上から降ってきた声に足を止めた。妙に切羽詰まった女の声。
先客がいるらしい。
「…………ん?」
が、何故上からなんだ。貯水タンクくらいしかねぇぞ、そこには。
「"あなた"も暴れたら落ち――あ、駄目ッ! 捕まえてください――!」
「何を……、ッうお!?」
振り向いて見上げた、すぐ目の前に迫る、丸い影。
シャァァーーーーッ
反射的に掴んだソイツはけたたましく叫び、激しく腕のなかで暴れ回る。
「ちっ、この……、ぃッ」
食い込む爪に、思わず跳ねたそいつを掴み損なった。
飛ぶように階段の向こうへ消える三毛猫を見送る。引っかき傷からは、わずかに血がにじんできていた。
溜息をつく。相変わらず、動物との相性は最悪のようだ。
「…………アレは、もういい」
下の奴らに多少の騒ぎは招くだろうが、問題ない。
爆弾付きの首輪は、俺の手のなかに残っている。
――片手で外せるような簡単な仕組みで助かった。
さて。
視線を上へ。逆光で見にくいが、貯水タンクの上には身動きしない人影がある。
どうやって登ったんだ。
「降りてこい、婦警……で合ってるな?」
「…………」
「猫は逃げたが、爆発物は確保した。が、解決はしてない。事情を説明してもらいたい」
「………………」
「……聞いてるか? 事情を聞きてぇからさっさと降り」
「…………せん」
「あ?」
「降りれま、せん」
「………………………」
――絶句。
「ご、ご助力願えますか」
降ってきた声はわずかに震えている。降りれないくせにあんな所まで登ったのか。
間抜けな猫じゃあるまいし、本当に警察官かコイツ……。
この人、本当に警察官なんでしょうか……!?
あれから少し歩いたところにあった、古めのアパートの一室の前で、僕は一人でおろおろとしていた。
正しくは二人だけど、もう一人――"ユキオミ"と名乗った彼は全然あせってない。むしろワクワクした様子で、爆弾魔のアジトに乗り込もうとしている。
「さて、じゃあ入れてもらおっか」
「"入れ"……って、軽すぎませんかっ!? それに、警察って言っても入れてもらえませんよ!」
「どうして?」
「え、それは……捜査礼状もないですし……」
「それくらい何とかするよ」
彼は笑って、何でもないかのようにインターホンを押した。
ベルの音が通路に響き渡る。
そして、彼はスコープから見えない壁に、スパイみたいに背中から張り付いた。
「…………?」
「ほら、君も反対側に」
――ピンポンダッシュ?
とりあえず彼にならい、壁に張り付いた瞬間、彼が張り付いている方から扉が薄く開いた。
「……あ? 誰もいな……」
空いたドアの隙間に、彼が手を滑り込ませる。素早い対応だった。
僕はといえば、出てきた男性が意外に若くてびっくりしていた。大学生くらいにしか見えないし、どうみても真面目そうだ。黒淵めがねだから、ってだけかもしれないけれど。
「やぁ、こんにちは」
ユキオミさんが親しげに笑っているのに対し、まだ男性は呆然としている。
「騒音の苦情が来てるんだ。入れてもらうね?」
それらしい嘘をさらりと言い切ると、今度はぼくに向かって笑いかけた。
「じゃあ、行ってくるから」
「で、でも」
「扉を外からでも、先に攻撃されたのは僕だってことは見えるから、それを証言してくれればいい。増援はいらないよ」
そこまで言って、彼はスッと目を細める。
「何もしなくていいから――余計なことも、しないでね」
「…………っ!」
無意識に背筋が震える。
優しそうな人だけど、何故かユキオミさんには、人を逆らえなくさせる底知れない恐さがあるみたいだ。
刑事とは違う種類の、怖さ。
「それじゃ、失礼するよ」
そんなことを考えている間に、ユキオミさんは若い男性を押しのけて中に入っていった。男性も、僕の方をチラッと見てから、慌てて追いかける。
扉は大きく開かれたまま。
「ど、どうすれば……」
気圧されてしまったけれど、本当は行かせてしまうべきじゃないはずだ。
いくら彼が警察官でも、屈強そうには見えなかった。相手は爆弾魔だし……こ、殺されてしまうかもしれない!
やっぱり署に連絡……いや、彼にも何か考えがあって……でも窓から逃げられたら2人じゃ…………。うーん…………。
――ゴッ……バキッ
鈍い音が部屋の奥から響く。
ハッとして扉から覗き込むと、奥の暗がりに、こちらに背を向けて膝をついたユキオミさんが見えた。そのすぐ脇で、ゴルフクラブらしきものが反射する。
――ま、まさか……やっぱり……!?
一瞬でパニックで真っ白になった頭を、携帯の振動が呼び起こす。
慌てて開いた画面に表示された番号に、思わず安心して泣きそうになってしまった。
「もしもし! よかった、刑事……えっ、"猫に爆弾"って……いや、それどころじゃないですっ! あっ、違った、むしろちょうど"それどころ"なんですよ……っ!!」
「……どういう意味だ、それ……確かだな? わかった、お前はとにかく正面だけでも見張ってろ。間違っても特攻するな」
電話を切り、平瀬からの情報を適当な紙に書き込む。それから、さっきから床にへたりこんでいる婦警に目をやった。
登って抱えて降ろしてやった運ぶ最中は「早く」だの「ゆっくり」だのと五月蝿かったくせ、地に足が着いたとたんこれだ。
だが、とにかく時間がない。
「おい。悪いが、この紙の住所に爆弾魔の手がかりがある。増援を頼んでお……」
すべて言い終わる前に、差し出した紙をひったくられた。
急に立ち上がった婦警は目線を下げたまま出口の方に歩いていき、そこで一度振り返る。
とりあえずそこまで見守っていると、何故か紅潮した顔でこちらを睨みつけながら口を開く。
「――こっ、これで、私に勝ったと、思わないでください……ッ!」
バ タンッ
デカい声の後、扉が乱暴に閉められた。
「…………」
深く考える暇はねぇが、なんなんだ、アレは。いつの間に勝ち負けの話になった?
まぁ、それも後でいいとして、今は爆弾魔だ。そして、平瀬の言う"無謀な警察官"。
――心当たりがあるのが不吉だ。
非常階段へ向かいながら、久々に自分の予想が外れることを期待した。
後回しにしたはずだが。
「おい……、何でお前がついてきてんだ……!?」
「たまたま道が同じなだけですよッ!! 私だって上司にすぐ来るように言われたんですッ!」
」
俺のすぐ後ろを走るさっきの婦警が、さも憤慨したというように叫び返してくる。
「ちなみに増援はその辺の小太りでのんびりした方に任せましたッ!」
「あー、ならいい……いや、何でわざわざ迅速さに期待できねぇ奴に頼んだ!?」
「なっ、え、えっと、たまたまその人しかいなかったから…………、こ、小太りの方を馬鹿にしないでくださいッ!」
「逆ギレするな!!」
出かかった舌打ちをかみ殺す。"小太り"……原さんならまだ期待できるが、あとはあまり期待できないはずだ。
というか、"上司に呼ばれた"……?
「まさかとは思うが……お前の上司の名、ゆ」
「ああっ! なんであなたもこの角曲がるんです!? いい加減にしてくださいこのストーカーッ!!」
「……前走ってんのは俺だろうが。ストーカーはどっちだ」
「あ、どう見ても私ですね……って、そんな訳ないでしょう誰があなたみたいなオッサン好きで追いかけますか馬鹿ッ!」
「…………」
性格は真逆だが、平瀬に似てないか、コイツ。叫び方とか。
が、このくだらないやり取りの間にかなり走った。閑散とした住宅街。もうこの通りを真っすぐ行けば指定の住所につく。
さて、どれだ――?
「――ょっ、危な……うわぁあああっ!!」
ふいに上がった叫び声の方を見ると、ボロいアパートの2階に平瀬と、柵を越えて飛び降りる2人の男が視界に飛び込んできた。
「なっ……」
「あっ、け、刑事ーっ! 彼ら、爆弾魔の残党ですーっ!!」
逃げられてんのか――いや、無理に押し入らなかった分、賢い。
残党どもは俺達を見るや、鉄製の箱を持った男は俺達と反対側に逃げ、もうひとりはナイフを手に突撃してきた。
どちらが重要かは一目瞭然。
「邪魔だ……ッ」
ナイフの男が突っ込んでくる勢いも利用し、上体を低くしてガラ空きの腹に蹴りを入れる。
「ぐ……ふ」
呻いてナイフを落としたそいつを横に殴りとばした。これでしばらくは起きねぇだろう。
が、1人相手にしてる隙に、もう片方はそうとう遠くまで逃げられたらしい。今から追いつくか。
「クソ、逃がす……」
「――逃げられませんよッ!!」
突然、さっきの婦警が鉄砲玉のように飛び出してきたかと思えば、見た目からは想像できない速さで男に追いついた。
「ひっ……」
「大人しく……しなさいッ!」
直後の跳び蹴りは男の背に綺麗に命中し、箱を抱えたまま、さらに数メートル遠くまで吹っ飛んだ。
「ふぅ〜。……よし、やったぁっ!! ノルマ達成です!」
「…………」
高らかに勝利宣言しているが――本当に"殺って"ないよな? ぴくりともしないが。
とりあえず、俺が殴った奴も意識を確認しておいた。
「刑事……、来島刑事ぃっ!!」
しばらくし、青ざめた顔の平瀬が、叫びながらアパートの階段を駆け降りてきた。
「ご無事でしたかっ!? 怪我は大丈夫ですか!? 新しい方も、古い方も……」
「……意識しないようにしてんだ、触れるな」
新しい傷はないが、蹴りをかましたあたりから腹の傷がじくじくと痛みだしてきていた。出血はないにせよ、しばらくは本調子とはいかないらしい。
「まぁ、あれだけ走ってこれなら上等か」
「……すみません、刑事が病み上がりなのを考慮できなくて…………!」
「そんな暇はなかったはずだ。あと病んではねぇよ。……そういや、おま」
「いえ、本当に僕がひとりでも彼を止められていたら、刑事に無理させることもなかったんですっ!!」
「例の無鉄砲な警官……」
「あの時、携帯を見て、僕がどれほど安心したことか……っ、ごめんなさいっ! でもやっぱりあの鮮やかな手際、さすが刑事でっ、痛たたた!?」
「人の、話を、最後、まで、聞け! あと、声がうるせぇ……!」
耳元で大声を出す平瀬の耳を引っつかんで、一音一音区切って聞かせる。
平瀬の対処は正しかった。2人いて、大勢の中になんの手もなく突撃するのは、死にたがりの方法だ。
「本っ当にてめぇは……、これが無ければ割と使えるんだがな……」
「は、はい?」
「……いや。俺の方はいいから、あっち手伝ってやれ。……ついでに倒れてる奴の生存確認」
俺が指で指し示した先では、婦警が獲物を運んでこようと小柄な体で奮闘していた。その場で拘束すればいいものを――手錠持ってないのか。
「あっ、はい!」
返事よく跳んでいく平瀬を見送り、俺はアパートを見上げる。
「――いつまでそこにいる気だ」
「君が気づくまで、かな?」
2階の通路の柵に肘を乗せ、こちらを見下ろすソイツ。
「気づくに決まってんだろ。……相変わらず暴走してんな。あと何人そこでのされてんだ?」
「暴走はお互いさまだけどね」
よっ、などと言いながら、さも簡単そうに2階から飛び降りて来る。並ぶと、平瀬よりさらに背は低い。
「んー、8人くらい? 今回のも駄目だったよ。人数はいるくせに、頭のいいのは少なかったみたいだ。僕が殴られたフリして、退路となる窓や裏口の鍵に細工したことに気づかないんだからさ。"悪人"たるもの、つねに逃亡することを考えてないと」
色素の薄い、巻いたようなくせ毛を揺らしながら頭を振る。
見慣れたコイツの――。
「"爆弾魔"なんてめったにないから楽しみにしてたのに、とんだハズレだよ。"犯罪者"としてなってないね。使ってる道具も粗雑。あんな爆弾、握って壊せちゃうじゃないか。死傷者は出てないから罪も軽いだろうなぁ……。もっとこう、味のある事件がよかったと思わない?」
「………………」
「僕と、"来島 忍"が、ようやく警察として再会するきっかけが、こんなくだらない犯罪じゃあつまらないよ」
――同期であり、旧友であり、これからの上司である……"神無川 幸臣"の癖だった。
「ほ、本当にぴくりともしないじゃないですか」
「大丈夫、脚加減はした……はずです!……から。背骨は無事……だといいですけど……」
「そんな自信なさそうに言わないでください! み、脈は……よかった、あります」
「ぅう、びっくりした……脅かさないでくださいッ!」
「うわっ、ごめんなさいっ!? ……そういえば、あなたは?」
「えっ、あ、あなたに名乗る筋合いはありませんッ! ……いや、ありますね、流石に。手伝っていただいてるし……。神無川警視どのの部下で、"秋乃 雛"と言います」
「秋乃さんですね! あっちで刑事と話してるのが神無川警視ですか。僕は…………あれ、警視? 神無川? "かんながわ"……ああっ!! "カンナ"ってもしや……!!」
「上司に対して馴れ馴れしいですよッ!」
これで諸々、初対面は済み
白の"駒"は出揃った。
先攻は黒。
こうしている間にも
盤上は動いている――。
※やたらと長くなってしまいましたが、ようやく"警察陣営"がととのいました。
次は"犯罪者陣営"です。