episode8 潤日機関・下
「心拍、血圧、栄養状態、これといって問題ないな。さすが俺」
氷室が聴診器などをかたづけながら、得意げに私を見る。
「このぶんなら、もう数年で肉体年齢も追いつくぜ」
「ふぅん……」
氷室の向かいの椅子に座ったまま、自分の腕を見てみる。白くて細くて、何かを投げるだけで折れてしまいそうだ。頼りなさすぎる。
理想としては、私もプルチネや和泉みたいに、来島刑事たちと渡り合えるようになりたいな。
頭だけじゃ何もできないんだよね、結局。
――…………。
「紫門? どした?」
はっと顔をあげると、氷室に覗きこまれていた。プルチネからも心配そうに見られている。
「どうもしない。大丈夫」
「そうか? なら良し!」
氷室はパンッと一つだけ手を叩き、今度はプルチネに何かを投げ渡した。
「むぃ?」
首を傾げて、プルチネが掴んだそれを指でつまむ。
「なぁにこれ」
「即効性の睡眠薬だ。寝てる間に治療してやっから、飲め」
「ねるの? いたくてもおきないの?」
「約束する」
「…………」
不安そうな顔のプルチネが、私の方をチラリと見た。
「プルチネ、氷室は安全。私の友達だから」
「うんっ!」
とたんに"ピエロ"はパッと笑顔になり、水もなしに薬を飲み込む。
「おやすみぃっ」
元気に言った次の瞬間には、こてん、と診察台で寝息をたてていた。氷室がすかさずその腕に注射を打つ。
「……ふぅ、これで1時間は何しても起きねーな」
「おつかれー」
「紫門の言うことはすぐ信用するよな」
氷室はため息をつき、苦笑いを浮かべた。
「……無理もないか、注射が怖くても」
「そうだね、たくさん打たれたんだろうし。あ、蹴られたとこ大丈夫?」
「骨の1本も折ってねーよ。コイツ、すごく弱ってるな」
プルチネの額にデコピンして、氷室は首を傾げる。
「言語能力の進歩のなさも"副作用"か? コイツのキャラかもしれねーけど」
「"キャラ"?」
聞き慣れない言葉に、今度は私が首を傾げる。
「"キャラ"って何?」
「は?」
「何かの名称?」
「…………いや、俺も日本は覚えたばっかだからっ。はははっ。そ、それより」
引き攣った笑顔をうかべ、氷室はひきだしの中から一枚の紙を取り、何かを書き込み始める。私とプルチネの"経過"を書き込むんだ。
枠線もない白紙だけど、氷室はそれを"カルテ"と呼んでいる。
「"つぼみ"からの報告で、日本警察はちゃんと俺達の"捜索本部"を設置したそうだ」
「えっ、ホントっ!?」
「おう」
それを聞いたとたん、私は一瞬で椅子から跳ね上がった。
楽しいことを思いついたように、無条件でドキドキしてくる。体があったかくなって、自然とほおが上がる。
"警察"――今の私を一番ワクワクさせてくれるのは、やっぱり"警察"だ……!
「来島刑事も入ってるんだよね?」
「あ〜……、"紫門の好きな刑事"も入ってるって言ってた」
「わぁっ、さいこうっ!! そろそろ遊びに行かなくちゃっ。和泉とつぼみが近いよね?」
はしゃぐ私を横目に見ながら、氷室はため息をつく。
「"電波双子"出動か……その刑事に同情するぜ」
狭い部屋の中、歌声が響く。鈴のように涼やかで可愛らしい、妹の声。俺はその後ろで耳をすませている。
「♪チャンスは毎週ー、ちゅーちゅーちゅーすでー、いつつの数字を選ぶだけーでー、火曜にチャレンジーいっせんまんえーん」
歌詞の内容ヒドいけど。
しかも明るい歌っぽいのに抑揚ないけど。
「……もなくていいーけどー」
ついにメロディーも無くなった。
歌いながら、妹――つぼみは、マーク式の紙を淡々と塗り潰している。なんでも、数字を選ぶだけの"宝くじ"らしい。
「……つぼみ、今いい?」
「仕事中」
「…………遊びの話でも?」
つぼみが振り返る。俺とは180度違う、ぱっちりとした目が瞬きをした。
「遊びなら別」
「仕事中じゃないのか?」
「適当でもできるし、もうちょいで終わり」
短い鉛筆を指で弾き飛ばし、回転椅子でくるりとこちらを向く。たぶん、俺が拾いに行くことになるんだろう。
「で、何? 紫門?」
「ん、てゆーか嶋だけど。メール見る?」
「読んで」
「……『場所から言っても、最初に捜査が入るのは汝らだ。紫門は』…………何してんの!?」
目を離した隙に回転椅子で全力回転する妹に、思わず全力でつっこむ。
大声出すなんて俺らしくもない。
「まーわってるー」
「いや、それは見てわかるよ!」
「つーづーけーてー」
目、回らないのか?
「…………『好きにしていい、とのことだ。健闘を祈ってやる』……ってさ」
「ふぅーん」
つぼみはピタリと回転を止め、立ち上がる。
ちょっとふらついた。
「じゃ、ご期待に応えますかー。……うわぁ、気持ち悪っ」
「…………なら、やらなきゃよかったのに」
「やりたかったの。気持ち悪っ」
言いたいだけらしい。
「しばらくヒキコモリだったし、たまには外で暴れよ」
「暴れるの俺だけだけど」
「場所はさしずめ、『青少年たちの戦場』って感じ?」
「制服とか久しぶりすぎるな」
「戦闘ヨーイ」
「イエッス、マム」
※ご意見、ダメだし、ご感想、
お待ちしてます。
迷走中です(泣)