episode8 潤日機関・上
※現実の組織、人物などには全く関係ありません。
『犯罪者』サイドです。
静まり帰っていた部屋に、ぱたんと本を閉める音が響く。
「ふぅ……」
満足そうなため息をつくと、今や世界に警戒される"犯罪組織"をつくりあげた少女は、邪気のない笑顔を浮かべた。
「嶋、おもしろかったよ! ありがとっ!」
笑顔で借りた本を差し出すけど、嶋はキーボードに指を走らせたまま、こっちを見てくれない。目はパソコンの画面に吸い込まれたままだ。
「…………」
私は本を抱えたまま、大きなオリーブ色のビーズクッションから飛び降りる。最近のお気に入りだ。
シェード越しの陽光が差し込む、明るい、木張りの清潔な部屋。『芸術家』の友人が、体の弱い私を心配して作ってくれた。すごく居心地がいい。
冷たくて狭くてコンピュータばかりの、『玄庭』の部屋とは大違いだ。
おかげで、クッションの上で日を浴びながら、本を読むのが習慣になってしまった。あっちこちに本が積んであるから、このクッションを中心に"本の遺跡"が作られている。
散らかした犯人は私だけど。
「嶋ぁー?」
正面に回り込んでみても、嶋は気づかない。本の山の傍らで、ひたすらキーを打ち込んでいる。
ふと手の中の本を見て、思いついた。
「……ありがとうっ!」
「……☆○※∇*ッ!?」
横から首に抱き着いてみると、嶋はこっちがびっくりするくらい跳びはねた。大きめのサングラスがズレて、見開いた青い目が現れる。口は大きな襟で見えないけど、きってぽかんと開いてるはず。
「…………」
「…………」
嶋と私はしばらく向き合っていた。そのうち、嶋はため息をつくと、片手でキーボードに文字を打ち込んだ。
『頼むから もっと普通に気づかせてくれ』
画面に現れる嶋の言葉に、私は笑顔を向けてから、片手でキーを叩く。
『近づいても気づいてくれなかったんだもの
本ありがとう
おもしろかった』
『それはよかった
ついにジャンルは恋愛小説にまでおよんだか
熱心なことだ』
『うん
これに書いてあったお礼の仕方を実践してみた』
『それは恨めしい
心臓が止まりそうだった』
嶋はまたため息をつく。さっきから一言も喋らない。
というより、喋れない。
なにより、何も聴こえない。
『まったく 己の酔狂な信者共が聞いたらどうするk』
『ごめんね』
割り込んで改行し、見上げるように嶋の顔を伺う。
『許してくれる?』
嶋はしばらくレンズ越しに私を見て、キーを打ちながらそっぽを向いた。
『己が、紫門を許さないはずがない』
嶋は私と、1番最初に"友達"になってくれた。
まだ、『玄庭』にいたころ、インターネットの中で、私が嶋を見つけて、コンタクトを取った。そのころは、『Isla』って呼ばれてたけど。
『Isla』はネットの中で、いろんな悪いことをしても捕まらないことで有名だった。すごく難しいゲームを作ってて、クリアした人としか話さない。
だから、そのゲームをクリアしてみた。やっぱり難しくて、まる1日はかかった。
そしたら。
『己は孤独だ』
『己は、"友達"なるものを探している』
英語のメールが届いた。
"Isla"は、スペイン語で、"島"。同い年だということや、聴覚がないこと。
何故か、"虐待"という言葉の意味も教えてくれた。
私には友達がどういうものかわからなかったけど、蒼門に隠れて『Isla』とのメールを繰り返すうちに、思いついたことがあった。
私や『Isla』みたいな子供は、まだたくさんいるはず。
一人でなにもできないなら、たくさんで――。
『己はここから逃げ出したい』
『だが、行くところもない』
『Isla』のこのメールが、きっかけになった。
『"日本"に来る気はない?』
『もっとたくさん"友達"を集めて、一緒に遊ぼう』
『大人が迷惑したっていいよ』
『私も、ここから逃げ出したい。できるなら、大嫌いな大人をこらしめてもやりたんだ』
『"Isla"、君の協力が必要だよ』
『読み終わりしだい医務室にこいと 氷室が言っていた』
『りょうかい』
立ち上がろうとして、その前にもう一度キーを叩く。嶋は首をかしげて画面を見る。
『日本に来てよかった?』
嶋はしばらく、ジッと、それを見ていた。そして、うなづいてからキーを叩いた。
『お前たちに会えなければ 後悔しただろう
ここの湿気の多さは気に入らない』
照れ隠しなのか、嶋は遠回しな表現を使う。しかも、パソコンを閉じてしまった。もう行け、ってことだと思う。
『Isla』は、画面の中でだけおしゃべりだ。
医務室に着いたのはいいけど、私はまずどうするべきかな。
「ほんのチクッとするだけだっつってんだろがッ!」
「やだやだやだ! ずぇーったい、いやっ!! "はり"はこわいーーっ!!」
「いだッ、おいッ! 蹴んなやボケナス!」
「いじわるっ」
「意地悪で結構だッ」
「いたちょこっ!」
「そーそー、黒くて平らでな、甘くておいしい、プルチネも大好きな……ってアホかッ!! 肌が黒いからか!? 俺がつるぺたじゃなかったら逆にキモいわ!! 足より先にテメーのそっち修正してやろうか!?」
「むあーっ、そういうの"せくはら"っていうんだぞ!! ……ってシマがいってた」
「あんにゃろグラサン叩き割ってやるッ!!!」
診察台で暴れてるのは、プルチネ。ピンクの髪が動きにあわせてふわふわとなびく。でも、いつも星型チークのかわりに、大きな目は涙をたたえている。
そして彼女に蹴られつつ、注射器を構えている白衣の少年こそが、"氷室"。
「……楽しそうだね」
思わずぼそっとつぶやくと、氷室もプルチネも私に気づいたみたいだった。
「シモンちゃんだっ、わぁいっ! ねっ、きぃてきぃて! このまえすごいものみたよっ」
「あっ、ボケ!」
逃げるチャンスとばかりにプルチネがこっちにジャンプする。
しかし。
「ぷぃぎゅッ」
そのまま、顔から床へ落ちる。私はびっくりして動けなかったし、落ちたプルチネ自身もぽかんとしている。
「…………っバカかッ! ガキのくせにあんだけ跳ねりゃ、足に反動ってもんがあるに決まってるだろバカ! 気づけよバカ!」
氷室がバカバカ言いながらプルチネを診察台にもどしている間に、ようやく気がついた。
「氷室……、すごく日本語上手になったね! テレビの芸人みたいだ!」
「つっこむとこそこじゃねぇぇええええッ!!」