episode6 廻進撃・下
「…………ッ!」
唯一、視界に定めていた電灯が消た。
速やかに脳が冴え渡る。
よくやった、平瀬。
膝に力を入れ、立ち上がるついでに体を反転させる。
呆然とした面の蒼門に素早く近づき、光を失った『スタンライフル』を持つ手を容赦なく蹴りつけた。
「ぎゃぁッ」
しわがれた叫び声と共に、ゴトリと重い音をたてて凶器が落ちる。蒼門はそのまま力尽きたように一歩、二歩と下がり、尻餅をついた。俺が大股に近づき手錠を取り出したあたりで、見上げる虚ろな両眼は激怒と憎しみに染まっていく。
「こっ、この、な、な、なな何のつも、つもりで、わ、わが、我輩にッ、し、しし、死に損ないがァ……ッ」
「……お前が、な」
カシャン、と軽い音をたて、手錠はなんの抵抗もなく蒼門の手首に収まった。
「この部屋の銃器の数……十分、"銃刀法違反"だろ。セキュリティだとしても、"防衛過剰"は"傷害罪"に含まれる……スタンガンとかな」
「こッ、こ、このッ……」
「年寄りは大人しくしてろ」
虚ろな目に戻った蒼門は、もう立ち上がる様子もない。口からは意味を成さない息が漏れるだけだ。
ざまぁねぇ。
頭の中でだけ舌を出してやる。コイツの罪は、これでも軽い。
「…………なるほど、やられちゃった」
ふいに響く、場違いなほど明るい声に振り向いた。
シモンが、そのままの場所でパソコンの画面を眺めていた。
「とても優秀なセキュリティシステムも、『スタンライフル』も、電力が無ければただのガラクタだもんね」
右手でひたすらキーを叩きつつ、つぶやく。ディスプレイの光に照らされた顔は、頬をふくらませ唇をとがらせた、拗ねた子供そのものだ。
「わっ、予備電源のシステムまで機能してない……おかげで、欲しかったデータのダウンロードが中途半端だよ。36%しか盗めてないや」
「そいつは上々だ」
平然と返すと、シモンは顔を上げて俺を見る。かち合った視線はひどく不思議そうだ。
「……なんでそんなに元気?」
「…………元気に、見えるかよ」
「フラフラだけど、薬入ってるのに立ったし、蹴ったし」
「体質だろ……薬品には強い」
"あのカスのせい"で、という言葉は飲み込む。
シモンは、納得したように数回頷いていた。
「でも、撃たれた傷は? たくさんの出血も」
「骨は無事なうえ弾は小振りだ、十分歩ける。お前等が長々と喋ってる間、まぁまぁ休憩させてもらったしな……」
一歩、近づく。
「ガキ一匹、確保するには…………十分だ」
シモンはハッとしたように、一歩下がる。武器を奪われたのが自分だけではないと、気づいたらしい。
「……すごいね、キジマ刑事」
二歩、三歩と下がり、目を見開いて俺を見てから、シモンはどこか嬉しそうに笑った。
「勝ったと思ったのに……追い詰められてる。逆転ってやつだよね。やっぱり、私の遊び相手はキジマ刑事しかいないや」
「その遊びも、"終い"だ」
「そうかなぁ?」
眉間にシワが寄るのを感じた。部屋の奥へと追い詰められているにもかかわらず、シモンはパソコンを抱きしめ、楽しそうに体をユラユラとさせている。
コイツの、この余裕はなんだ?
「今回はもぉいいや。蒼門は逮捕されるし、情報なんて、このビルが廃れたあとに拾いにくればいいもん。……なにより、キジマ刑事に会えたし!」
また、無邪気に笑う。
「シモン」
その笑顔はどこか脆く、危うい。そう思った時、思わずその名を口に出していた。
だが。
声は、ガラスから響きわたる悲鳴のような音に掻き消された。
「なッ」
「きゃぁっ」
振り向けば、ガラス窓一面が白く曇って――いや、そう見えるほど細かくヒビが入っている。
そして、シモンよりさらに奥のガラスを突き破り、人型の"何か"が、部屋に侵入した。
「…………おいおい」
何で冷静なんだ、俺。14階だぞ、ここは。隣にビルがあるわけでもない
『侵入者』はガラス付近でしゃがみ込んでいたが、やがてゆっくりと立ち上がった。
「…………………………」
馬、だ。
異様としか言えない格好に、しばらく言葉が宙をただよう。
指先までおおう、タイツのような全身スーツ。だが、足はブーツ……いや、"蹄"が付いている。何より、頭によく仮装用に東急○ンズで売っているような、ゴム製の馬の被り物をしていた。それも、ご丁寧にスプレーか何かで黒く着色されたのを。
『侵入者』から、『変質者』へと認識を改める。
「あっ、イズミ。いいタイミングだよ! プルチネは?」
シモンの言いようからすれば、『変質者』ではなく『協力者』らしい。
それにしても、一人ではないとわかってはいたが。
「共犯か……」
少なくとも、二人。だが、目の前の馬――『協力者』を見るが、背も体格も成人のものとは程遠い。
「……監禁されていたお前が、どうやって集めた?」
「ひーみつっ!」
シモンは俺に向かい笑って見せたあと、軽い足取りで、"イズミ"と呼ばれた『協力者』のもとへ歩みよる。
「プルチネは失敗しちゃった? 私もだけど」
「……あぁ」
喋れるのか。
「アレは警察にとられたけど、割っておいた。シモンの望みどおりに」
「そっか、ならいいや! 半分成功っ! 帰ろう!」
「……待て、コラ」
ようやく我に帰り近寄ろうとすると、初めて"馬"、いや、イズミはこちらを見た。見えているのかはわからんが。
「はじめまして。シモンの父です」
「……下手な嘘つくな」
すぐそこで本物が呆けてるだろが。
「スミマセンが、今日のとこは帰ります」
「……俺がそのまま逃がすと思うか」
「いや、まだ娘を嫁に出すつもりはないんで」
「…………無理があるぞ」
会話で精神力を削られる。…………俺は何故、"馬"と真剣に喋ってんだ……。
「いいじゃないすか。警察さんにはもう十分オトクな"情報"がいってるし」
言いながら、イズミはシモンを軽々と抱え上げ、肩に座らせた。
「待てッ……」
間合いを狭めようとしたが、ふいに暗くなる視界にまた膝をつく。膝で踏んだガラスの破片が、ジャリ、と音をたてた。
クソ、血が足りねぇか。
本格的にさっきの一撃で限界だったらしい。
辿り着けない。
「あっ」
「何、どした、また、忘れ物?」
「行く前にキジマ刑事にあいさつしなきゃ」
「ホントに気に入ってんだ」
「うんっ。……キジマ刑事!」
霞む目を上げれば、月光の元に浮かび上がる影が、妙にはっきりと見えた。
割れた窓の淵で、イズミはいつでも飛び降りれるとばかりに立っている。その肩でシモンはこちら向きに座り、笑った。
「さっきのキック、かっこよかったよ! でも、あの時もしも私から捕まえてたら、私を逃がさなかったよね。何で蒼門からにしたの?」
「…………ッ、知るか……」
「……きっと、キジマ刑事も怒ってくれたんだよね。4年前も、私のために怒ってくれたから」
シモンが眼鏡を外す。あの深い紫の目が、ガラスの破片が放つ月光と共に、俺を映した気がした。
「引き分け、だよ。だから、また会いに来るね、キジマ刑事っ!」
その言葉が聴こえたとき、黒い馬も、少女も、闇の中に消えた。
「…………は、ッ」
結局、奴の"遊び"は始まったのか。
背後に、階段を駆け登る足音を複数聞きながら、意識だけは飛ばさないよう、ガラスの破片を握りしめた。
面倒だが、説明の義務がまだ、残っていやがる。
平瀬も探さねぇと。
面倒だ。それでも。
いままでほど、何故か荒むことはなかった。
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