episode6 廻進撃・上
※<side来島>のみになります。
空気の焦げる臭いが嗅覚を刺す。
「動くな」
しわがれたの声に、視線だけを後ろへ流すと、そこには鬼の形相の男がいた。
髪を乱し目を血走らせ荒い息を吐くそいつの腕で、ライフルほどの大きさの機器が時折青白い光を放つ。
期待していたものと違ううえに、嫌な予感しかしない。
「……動くな。シモンも、そこの死に損ないもだ」
それはこっちの台詞だ。杖をかろうじて支えにして倒れそうなそいつの方が死に損ないに見える。
「なんだ、来たんだ。何しに来たの? それ、『スタンライフル』? そういえば、そんなのもあったかな」
俺の前でしゃがみこんでいたシモンが立ち上がる。目を離した隙に持ってきたのか、あのパソコンをケーブルごと引きずって抱えていた。
「動くなと言うたろうが……!」
「命令は聞かない。もう私はあなたの道具じゃないんだよ…………おとうさん」
「黙れぇぇッ!!」
臆すことなく言い放つシモンに、男は――玄庭 蒼門は、血走った目を剥いて叫んだ。
シモンを、道具にした男。その"希代の天才"の脳を借りたとはいえ、企業を発展させ億の富を作り上げた、カリスマ。
その男が、醜く激昂する。
「貴様、誰のおかげで生きてこられたと思うている!? 所有物の分際で持ち主に逆らいよって、ただで逃がすとでも思うておるのかッ!?」
「…………」
「一生追い回してやる、誰にも渡さん! 貴様は我輩の娘なのだ、我輩の物だ……ッ!!」
コイツも、かなり変わったらしいな。
黙ったままのシモンにまくし立てる蒼門を観察し、改めて思う。唾を散らしながら喚く姿には、かつての威厳などどこにもない。
むしろ――。
「…………ねぇ、かわいそうになってくるから黙ってよ」
シモンと感想が一致したらしい。
沸き上がるものは、"憐れみ"にほかならない。
「わかってるよ。私がいなきゃ、おとうさんも『玄庭』も終わりだもの」
「きッ……!!」
シモンの落ち着いた、しかし見下したような物言いに、蒼門が怒りで痙攣しだした。マジギレ一歩手前か。
マズい。それ以上刺激するな。
シモンは手の中のパソコンで、この部屋のセキュリティをコントロールするつもりなのだろう。死角に隠された複数の銃器は、この部屋そのものをシモンの武器にする。
だが、問題なのは蒼門の持つ武器――『スタンライフル』。
「きき、き、ききききき貴様ァ……ッ」
正気を失った蒼門がそれの"引き金"に触れると、銃でいうところの"銃口"から目で確認できるほどの電流が瞬きだした。『スタンガン』と同類だろうが、電圧のケタが違う。『ライフル』ってからには、リーチもそれなりに長いんだろう。
蒼門の杖付きの足じゃ、セキュリティに撃たれる前にシモンに到達するのは無理だが……キレた奴なら、共倒れを望むかもしれない。
不運にもこの部屋はカーペット敷だ。唯一の出入口に立った"凶人"が、銃口を下に向け落とすだけで――火の海が、すぐに広がるだろう。
全員死ぬのは確実だ。
「我輩をッ、誰だとぉ……ッ」
シモンが、激昂する憐れな『老獪』に、とどめを刺そうと息を吸い込む。道連れの危機に気づいていてもいなくても、シモンは精神攻撃をやめないはずだ。
"復讐"の一つとして。
それなら。
俺は窓の外に目を向け、広大な駐車場の電灯がうっすらと眼下を照らすのを確認した。
おそらく、チャンスは一瞬だろう。
今まではこの歪んだ親子の会話に耳を傾けていたが、それを止めた。本格的に視覚……そして、痺れた全身の感覚に集中する。
――何も聞くな、今更だ。
「……"育てた"、なんて言わないでね。おとうさんは私を"生かした"だけで、他のことは何にも……人間の親がすること、なんにもしてくれなかったくせに」
――集中しろ。
「それなら、キジマ刑事のほうがずっと"父親"だよ。4年前……あの短くて楽しい時間、世界の断片を見せてくれたもの」
――まだ、時間はある。
「あれ? でも、私はあの時に生まれたようなものだから、むしろ"母親"なのかな? ん〜……? わかんない……」
――……誰が"母親"だ、誰が!
――いや、何も言うまい……集中しろ!
「……まぁ、とりあえず、私にとっての"玄庭 蒼門"は、私にとっての"キジマ刑事"には遠く及ばないってことだよね、そうそう!」
――…………迷うな。
自分に言い聞かせる。
「だからね、『憐れなおとうさん』、もう道具はいない。自分の足を使わなかったあなたは、もう進めない」
――…………。
「大嫌いだよ。
さようなら」
――………………。
「…………貴様がこれほどまでに余分かつ俗なことを覚え考え、狂ったのは……この男が原因なのだなァ……」
長い沈黙を破ったのは、完全にキレた蒼門のつぶやきだった。
背筋を、電流を纏った殺気が這ってくる。今、あの凶器はシモンでも床でもなく、俺を向いているようだ。
あの銃口はシモンには届かなくても、間に挟まれた俺には届く。この出血量、一瞬でも掠ればショック死はまぬがれない。
「近寄ったらダメ! 殺すための銃だって残してあるから」
シモンがキーボードを叩く音がする。俺を庇うようなタイミングのそれを、今度は視線を外に向けつつも妙な気分で聞いた。
間に合わなかったか。いや、俺を向いているなら、少なくとも共倒れは俺だけだろ。
好都合だ。
――お前は生き残れるだろうからな、シモン。
法の元に捕われないのならば、いっそこの凶人からは自由になればいい。
視界が暗く染まった。