第5話
1585年、漢陽の馬市。
八年が経っていた。
クァンは荷馬の手綱を引きながら、人の波を歩いた。活気と埃と獣の匂い。島では嗅いだことのない密度の空気が、今は懐かしいとさえ感じる。牧場の使いで都に来るのは、数えるほどしかない。来るたびに、この街が少しずつ変わっていく。自分も変わった。泥の中で変わった。
「……おい」
背後から声がした。
「その顔、まさかクァンか」
振り返った。軍装の男が立っていた。見覚えのある目の形、見覚えのある間の抜けた笑い方。
「ジャンバク」
「生きてたのか、この野郎!」
ジャンバクは笑いながら近づいてきた。武官になっていた。一児の父だと言った。隣に小さな子供がいた。
言葉が出なかった。八年前、嵐の夜にボロ舟で島を出た夜のことを思った。あの夜から、何もかもが変わった。
その瞬間、馬が鳴いた。
市場の喧騒が積み重なったのか、クァンが手綱を持ち替えた一瞬、荷馬が後脚で立ち上がった。人々が散る。クァンが手綱を引いた時にはもう遅かった。
鈍い音がした。
ジャンバクの息子が、地面に倒れていた。
「ウンス!」
ジャンバクの声が、市場の喧騒を割った。クァンは馬を押さえながら、動けなかった。自分の手綱から、この子が倒れた。
人だかりが割れた。
「どいてください」
凛とした声だった。白と茶の医女装束。女が膝をついて子供の脈を取り、首の角度を確かめ、布で出血を押さえた。迷いのない手だった。何度もこうしてきた手だった。
クァンはその背中を見た。既視感があった。何かが胸の奥で動いた。だが考える前に、兵が馬の首に縄をかけた。
「武官の身内を傷つけた獣だ。処分する」
「待て」
クァンは割り込んだ。
「悪いのは俺だ。手綱を持ち替えた瞬間に暴れた。この馬は——」
剣の柄で押しのけられた。馬の脚に深い切り傷が入った。縄を引かれ、馬は引きずられながら市場の隅に捨て置かれた。
クァンは馬の傍らに膝をついた。傷は深い。このまま放置すれば夜が明ける前に死ぬ。
俺のせいだ。
その一点だけが、頭の中を占領していた。
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老医師は、漢陽の裏路地に潜んでいた。
牧場を離れてからも、この男がどこにいるか、クァンは知っていた。知っていて、訪ねなかった。訪ねる資格がまだないと思っていた。
馬を担ぎ込んだ。
老医師は傷口を一瞥し、首を振った。
「血管が断たれている。諦めろ」
「先生」
「馬の外科処置など、この国に前例はない。できんものはできん」
「あんたが教えてくれた」
クァンは老医師の目を見た。
「命に貴賤はないと。あんた自身が、そう言った」
沈黙が落ちた。
老医師はしばらくクァンを見ていた。この目を、どこかで見た。いや、知っている。この目を持つ男を、かつて知っていた。
「……ならばお前がやれ」
老医師は静かに言った。
「私にはもう、その指の繊細さがない。お前にはある」
クァンは銀鍼を取り出した。ソックが遺したものだ。八年間、肌身離さず持っていた。この鍼で仔馬を救った夜から、クァンの手は変わった。何かを知った。まだ言葉にできないが、指が知っていた。
周りで誰かが笑った。馬一頭にそこまでするのかと言った。
聞こえなかった。
断たれた血管。溢れる血。荒い呼吸。クァンは全神経を指先に集めた。父ソックが馬の脚を処置していた夜の手つき。牧場で死にかけた仔馬の首筋に触れた朝の感覚。助けを求めて叩いた医院の門が閉まった夜の音。それら全部が、今この一鍼の中にあった。
夜が明けた。
馬の呼吸が、穏やかなリズムを取り戻していた。
クァンは膝から崩れ落ちた。両手が震えていた。震えながら、まだ鍼を握っていた。
「……繋がった」
老医師が傍らで見ていた。何も言わなかった。ただ、その目が細くなった。
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数日後、ジャンバクの息子が担ぎ込まれた医院を訪ねた。
子供は生きていた。適切な処置のおかげで、と医師が言った。あの市場で膝をついた医女の手のおかげで。
「クァン、済まなかった」ジャンバクが言った。「お前があの馬を救ってくれたおかげで、俺の心も救われた」
言葉を返そうとした時、廊下の奥から足音がした。
「ウンス君の容態はいかがですか」
振り向いた。
白と茶の医女装束。処方箋を手にした女が、廊下を歩いてくる。その声が、その歩き方が、何かをクァンの胸の底で揺らした。
女がこちらに気づき、足を止めた。
目が合った。
夜の海のような目だった。泥棒市の廃屋で、馬の傍らに立っていたあの少女の目に、似ていた。似ているだけだ、とクァンは思った。その少女は今頃どこにいるか、生きているかさえ分からない。
「……先日は、助けていただきありがとうございました」
クァンは頭を下げた。
女は一拍置いた。
「私は医女として当然のことをしただけです。……馬医の方とお聞きしました」
「はい。ペク・クァンと申します」
女の指先が、かすかに動いた。処方箋の端を、一度だけ握り直した。
「……どこかで、お会いしたことがありますか」
クァンは顔を上げた。
チニョン。ミョンファンの養女。両班の娘。その情報はジャンバクから既に聞いていた。目の前の女と、泥棒市のヨンダルが、同じ人間だとは思っていなかった。思う理由がなかった。
だが、この目が。
この声が。
「……いいえ」
クァンは視線を逸らした。
「私のような者が、医女様にお目にかかったことなど」
嘘だった。嘘とも言えなかった。本当に分からなかった。分からないまま、確かめる術もなかった。目の前の女と自分の間には、今この瞬間も、八年前より高い壁が立っている。
チニョンは一歩、下がった。
「そうですか」
それだけ言った。廊下を歩き去った。
クァンはその背中を見ていた。遠ざかるほどに、胸の奥の既視感が強くなった。知っている。どこかで知っている。だが何を知っているのか、言葉が追いつかない。
角を曲がり、女の姿が消えた。
クァンはしばらく、その廊下の先を見ていた。




