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『炯眼(けいがん)の馬医 ―異世界朝鮮・泥中に咲く龍の譜―』   作者: 水前寺鯉太郎
第2部

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第48話

【1592年 春・漢陽 王宮の大殿から、命を懸けた手術室へ】


 宴の最中、顕宗ヒョンジョンが突如として腹部を抱え、苦悶の表情で倒れ込んだ。

 駆けつけたクァンの診断は、最悪のものだった。

「……腸癰ちょうようです。それも、すでに腸の一部が破れ、腹の中に膿と毒気が溢れ出している……。一刻も早く、これを取り除かなければ、王様は夜明けを待たずに亡くなられます」

 内医院の長老たちは、顔を青ざめさせて首を振った。

「何を言うか! 腸癰は薬で散らすもの。王様の玉体に刃を向けるなど、正気の沙汰ではない!」

「薬では間に合いません! 目に見える毒を直接、掻き出さねばならないのです!」

 クァンの叫びは、伝統という高い壁に跳ね返された。


 「……私が、許します」

 重い沈黙を破ったのは、かつて自らもクァンのメスによって救われた仁宣インソン大妃だった。

「私は、この男の腕を信じて生き長らえた。……王を救えるのは、身分や法に囚われぬ、この『馬医』の心だけです」

 大妃の許しが出た瞬間、驚くべき光景が広がった。

 それまで「主治医」を自称していた医官や医女たちが、術後の連座(失敗した際の死罪)を恐れ、一人、また一人と大殿から逃げ出したのだ。

「……情けない奴らめ」

 キム道人が吐き捨てるように言った。広い大殿に残されたのは、クァン、チニョン、カン=クネ、そして恵民署ヘミンソ以来の固い絆で結ばれた数人の仲間たちだけだった。


 「……始めます。チニョン様、麻酔を。クネ様、止血の準備を」

 クァンの声には、もはや一寸の迷いもなかった。

 

 王の腹部に刃が入れられた。

 皮膚が開き、筋肉が分けられるたびに、周囲にいた仲間たちは息を呑んだ。それは、朝鮮五百年の歴史の中で、誰も見たことのない光景だった。

 腹部を開くと、そこにはクァンの予想通り、真っ黒に変色した腸と、ドロドロとした膿が溜まっていた。

「……ひどい。これでは、全身に毒が回るのも当然です」

 クネが冷静に膿を吸引し、クァンが腐敗した組織を慎重に、かつ迅速に切り取っていく。

 外からは、手術を「不敬」として止めようとする重臣たちの怒号が、嵐のように響いていた。

「ペク・クァン! 直ちに止めろ! さもなくば、一族郎党、死罪は免れんぞ!」


 手術が佳境に入ったその時、王の脈が急激に弱まった。

「……血圧が下がっています! クァンさん、これ以上は……!」

 チニョンの声に悲痛な響きが混じる。

 クァンは、血に染まった手を止めなかった。

「……チニョン様、思い出してください。俺たちは、馬の心臓の鼓動を、この手で感じてきたはずだ。……王様も同じです。生きようとする意志が、まだこの指先に伝わってくる!」

 クァンは、腐敗した腸を縫合し、腹腔内を何度も清浄な薬湯で洗浄した。

 一針、一針に、亡き父カン・ドジュンの志と、養父ペク・ソックの愛、そしてコ・ジュマンの教えを込める。

 彼の背中には、彼を支え、散っていったすべての人々の魂が宿っているようだった。

「……終わりました。……あとは、王様の『生きる力』を信じるだけです」


 数時間に及ぶ死闘が終わり、朝日が大殿の格子窓から差し込んだ。

 逃げ出した医官たちが恐る恐る戻ってくる中、クァンヒョンは手術道具を片付け、ただ一人、顕宗の枕元に跪いていた。

「……う……うむ……」

 微かな呻き声。

 顕宗がゆっくりと目を開き、傍らにいたクァンヒョンを見つめた。

「……クァンか。……余は、まだ、この国の王として……生きておるのか?」

「はい、王様。……夜明けです」

 顕宗の顔には、死の影は消え、生命の輝きが戻っていた。

 大殿の外で膝をついていたチニョンや仲間たちは、その知らせを聞き、互いに手を取り合って泣いた。

 

 「身分」という病に侵されていた朝鮮の医学が、この瞬間、一人の「馬医」の手によって、真に「人を救うための学問」へと生まれ変わったのだ。

 しかし、手術の成功は、新たな嵐を呼ぶ。

 玉体を損壊したという罪を問う声は、依然として止まない。クァンヒョンは、最高の名誉と、最悪の処罰の、どちらを受け取ることになるのか。

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